2000年(平成12年)春、有珠山は洞爺湖畔近くにたくさんの火口をつくり噴火活動を活発化させ多くの被害を出した。今回、そうした地域の一つ「西山火口散策路」を歩いて火山活動の凄さを実感した。
※ たくさんの噴火の爪痕の中でも最も衝撃的だった菓子工場の跡です。
今回洞爺湖に遠征するにあたって、2000年の山麓噴火の跡と、有珠山そのものをぜひ見たい、体験したいと思っていた。
最初に山麓噴火の一つ「西山火口散策路」を歩いたことをレポートする。
※ 噴火活動でできた「西新山沼」 向こうの建物は旧消防
組合本部の建物です。一部沼の中に沈んでいます。
「西山火口散策路」には次のような説明がある。
2000年3月の有珠山噴火の爪痕を火山学習の教材的役割を生かすため、災害のの様子をそのまま残しています。木製散策路が整備され、今も噴煙を上げる火口や地熱帯、墳石・地殻変動で被災した建物や道路など自然の脅威を間近で体験できます。
※ 沼の中に電信柱が見えますが、まさに道路だったことをうかがわせます。
なるほど想像を絶する光景が広がっていた。
洞爺湖畔から虻田町地区に向かって走っていた国道230号線を含む辺り一帯が大きく隆起し(最大70mの隆起があった)、国道はズタズタに寸断され、大きく凹んだところには水が貯まり「西新山沼」が出来てしまった。
※ 土地が隆起したため舗装道路がズタズタに切れた様子です。
隆起した一帯に敷かれた木製の散策路を通り第一展望台から眺めると、ぱっくり火口が口を開けている。そこに水が貯まった火口沼もあった。
周りでは数か所から噴煙が上がっていて、活動がまだ完全には収まっていないことを示しているようだった。
※ 散策路のいたるところで白煙が噴き上げていました。
展望台から虻田町地区側に下りていくと無残にも倒壊した菓子工場がそのまま残されていた。近くには同じように取り残された豪奢な民家跡もあった。
※ 菓子工場跡の近くにあった豪華な民家の跡です。
さらに下りていくと、テレビでも盛んに放映され、私の記憶にも残っている旧「洞爺湖幼稚園」が現れた。墳石などで窓ガラスが割れ、建物が歪んだままで残されていた。
※ 噴火時に何度も映像に出てきた旧洞爺湖幼稚園です。
最近、洞爺湖をめぐっては「ジオパーク」という言葉をよく聞くことがある。
その定義はなかなか難しそうだが、こうした地球の営みの跡を保存し、教育の場として生かしていく地域を指すらしい。その国内登録第1号に「有珠山洞爺湖ジオパーク」が登録されたということだ。
※ 散策路のそこここに火口が開いていました。写真の中に
水道管の切れたところが見えます。
ジオパークの概念が壮大であるように、「有珠山洞爺湖ジオパーク」のジオパークエリアも周辺4市町をまたぐ壮大なもののようだ。
この地域が地球の営みを学ぶ上でも、観光として楽しむ上でも興味深い地域であることか分かった。
札幌からさほど遠くないこの地域は、私にとって興味深い地域の一つになりそうだ。
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洞爺は亡父の故郷で墓参りに行くこともあります。昭和52年にも噴火があって昭和新山が変形しましたが。亡父と亡母は、その直前に洞爺に土地を買うつもりで下見に行ってました。噴火騒ぎでお流れになりましけど。
写真も掲載した「旧洞爺湖幼稚園」は虻田町側にあるのですが、その建っている位置がかなり市街地から離れたところに建っているのです。
私は「なぜこんなにも人里離れたところに幼稚園を建てたのだろう」と思ったのですが…。
私の想像では、おそらく当時は周辺は新興住宅地として売りにだされていた一帯だったのが、噴火によって全て撤退してしまったのではないかと考えました。
土地が隆起したり、噴火口がぽっかり開くようなところには怖くて家など建てられませんもねぇ…。
出ちゃっ太さんの ご両親もそんな思いだったのでしょうか?
有珠もそうした現象の一つということでできますね。
最後の行の「山歩きする人には怖いですね」というのは私に対する忠告でしょうか?
だとしたらそれは大丈夫だと思いますよ。地球の噴火はそれなり予兆を伴いますから…。
それより山歩きで怖いのでは山オヤジですね。
洞爺湖幼稚園見たことありますが、
何回見てもすごいと思います。
洞爺湖幼稚園の無残に崩壊した姿を思い出しています。西小さんも現地で見られたんですね。
ところで西小さんとは、いったい誰なんでしょうね? 「西小」というのを素直に受け取ればよいのでしょうか?それとも何か隠語のようなものなのでしょうか?
素直に受け取るとすれば、私には北見市と網走市の西小しか知りません。
そこから類推すると、私は網走西小のIさんかなぁ、とも推察するのですがいかがでしょうか?ぜひ返信いただきたいと思います。