田舎おじさん 札幌を見る!観る!視る!

私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

DVDフォーラム ハンセン病差別を考える

2024-01-12 12:32:32 | 講演・講義・フォーラム等
 人間の性とも、宿痾ともいえる “差別” の問題はいつの世にも存在する。その中でもハンセン病患者そして家族に対する差別には想像を絶するものがあったようだ。ハンセン病患者の遺族のお一人だった医学者がその軌跡を追う。

 昨夜(1月11日)、札幌市弁護士会館においてDVD「仙太郎おじさん!貴方は確かにここにいた~蘇るハンセン病患者とその家族」を観て、DVDを作成した国立重監房資料館の黒尾和久部長を迎えてお話を伺うDVDフォーラムに参加した。
   
   ※ ゲストで来札し、DVD作成の裏側を語ってくれた黒尾和久氏です。

  DVDは獨協医科大学の木村真三准教授が、国立重監房資料館の黒尾氏と出会い、木村氏の大叔父(木村氏のお爺さんの兄)がハンセン病患者(木村仙太郎)だったことを知り、仙太郎おじさんの軌跡を追う内容である。
 仙太郎さんは1901(明治34)年にハンセン病を発症し、以来自宅療養をしていたが、1931(昭和6)年に「癩予防法」が制定されたことにより、ハンセン病患者は強制隔離されることになり仙太郎さんも国立ハンセン病療養所「長島愛生園」に収容された。そして収容から2年後に死亡された。
 木村真三氏が仙太郎さんの存在そのものを知らなかったのは真三氏の父親が差別を恐れて子どもたちには仙太郎さんの存在を隠していたためだった。差別の実態についてDVDでは詳しくは触れなかったが、木村真三氏が仙太郎さんの生前のことについて知ろうと生前住んでいた地域の方々に聞いたとき、現代になってもハンセン病そのものに触れることを拒否する人がいたところに問題の深刻さを見る思いだった。
 木村氏は仙太郎さんが療養所内で自死したのではないかと危惧していたが、調べた結果結核が原因で死亡したことが分かり安堵した場面もあった。そして、療養所内に保管されていた遺骨を引き取り自家のお墓に葬り、戒名も付けていただきひと段落するという内容のDVDだった。
   
   ※ 大叔父の仙太郎さんの軌跡を追った木村真三氏です。

 DVD放映後にゲストで来札した国立重監房資料館の黒尾和久部長は「しかし…」と語る。30年間も自宅療養を続けていた方が、療養所に収容されてわずか2年間で死亡したのは、劣悪な療養所環境にあったのではないか?と疑問を呈した。それは私たちの想像以上に劣悪の環境だったようだ。
 また、黒尾氏は国がなぜハンセン病患者を隔離しようとしたかについて、当時ヨーロッパ諸国ではすでにハンセン病は克服されていたこもとあり、ハンセン病を発症するような国は後進国とみなされることを恐れた国が、諸外国から隠ぺいしようとしたことも背景にあったと解説された。
 ハンセン病については新薬の効果もあり、現在では新たな患者はほとんど発症していないとのことですが、元患者の方が800余名存在するようである。問題はその800余名の方はもちろんのこと、過去の患者に対して不必要な避妊手術を施したりしたことに対する補償問題がいまだに尾を引いていて時々新聞紙上で目にすることがある。国の過去に過ちに対する誠意ある対応が求められているのではないかと思う。
 さて冒頭の問題提起であるが、我が国ではハンセン病だけでなく、部落問題、アイヌ問題等々、差別の問題が根強く残っている。また、子どもたちの間で巣くう「いじめ問題」も差別の一種であろう。ヒトは自らの心に余裕がなくなった際に、他に弱みを見つけてそこを攻撃するような行為に走ろうとする場合が多いように思われる。
 まあ、私が言うほどコトは簡単ではないのは承知のうえで言うのだが、ヒトが心に余裕が持てるような教育、環境、そして施策などが整備されることも差別をなくす、減少させる方途の一つかなぁ、と考えた今回のDVDフォーラムだった。 


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