goo blog サービス終了のお知らせ 

まいぱん日記

身近なあれこれ、植物のことなど

セイヨウカブ

2019年07月13日 | ロシア

夫が1週間行っていたダーチャから帰って来た。

収穫時なので大根いっぱい、キュウリ、セイヨウカブ、それに何年ぶりかで見るトリトマ、トラノオ。

セイヨウカブ(これは「黄金カブ ゴールド」という品種)は日本のカブとどうちがうのかな?と種を買って、夫に播いて育ててもらったもの。けっこう上手くできたみたい。

ロシアでは、古来カブは第2のパンといわれるくらい日常的な食べ物でした。栽培がかんたん、すぐ収穫できて収穫量も多く、寒さに強く、冷害でも穀物ほど影響を受けない、保存がきくなど、寒いロシアになくてはならない野菜でした。「カブより安い」といったらただ同然のたとえで、農民たちはこれなしには生きてゆけませんでした。

18世紀までカブは今のジャガイモの役割を果たしていたのです。それがジャガイモが一般的になるにしたがって、カブは忘れ去られていったのでした。

カブはめずらしい野菜になってしまって、前にも書きましたが、おばあさんに「大きなかぶ」を毎晩読んでもらっている子供たちがカブを見たこともないということになりました。

でも最近カブは「体にいい」とあちこちで見直されています。日本人と一緒でロシア人も「体にいい(パレーズニー)」ものが大好き。これからカブは復活してゆくと思います。

ロシアのカブ、ごらんになりますか。

Googleの画像一覧 今はいろんなカブがありますね。

 

                          

    明日です!! 

   

   開催するかどうかは、八王子いぬ親会のHPで午前8時までにお知らせします。

   参加犬プロフィールはHPの一番下にあります。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ロシアの伝統の菓子パスチラ

2019年06月24日 | ロシア

第4日曜日の昨日は例会でした。

いつもロシア風のパンやお菓子を焼いてきてくれるIさんが、先週金曜日夜Eテレの『グレーテルのかまど』で取り上げられたパスチラを作って持ってきてくれました。

 見えているのはリンゴのパスチラ、もう一種類は全然別の形状のものでマシュマロに熱を加えたような・・・

モスクワ州にある、年代記にも出てくる古い都市コロムナにはパスチラ博物館があって、実際に食べられるんだそうです。(「ロシア伝統のデザート「パスチラ」を食す」

Iさんのパスチラもおいしかったのですが、古都コロムナのパスチラ博物館でお茶して食べてみたいですね。

                         

この日は2月に厳寒の北ロシアに行ってきたKさんの報告でした。

現地で買ってきた子供用ヴァーレンキ。雪の季節に外ではくフェルト製の長靴です。

    

      

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本橋の画廊へ

2019年04月28日 | ロシア
去年から私たちの会に参加されているイラストレーターの大山美鈴さんの展覧会に行ってきました。
もう3週も前から開催されていたのに、風邪をひいたりで、ぎりぎり最終日になってしましました。
大山さんは去年慶応大学の公開講座で熊野谷葉子さんの『マトリョーシカ』を聞かれて、ロシア語は分からないのですが、それ以来ずーっと私たちの会に参加されてきました。それがこの四月から週2日ロシア語を習いだしたんだそうです。
幻想的でお話のある作品です。
拝見してたら、ロシアの昔話のふしぎな国や島が浮かんできました。
大山さんの偶然に見えるロシアとの出会いは必然的なものだった?

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ちょうど一年後の3月24日に

2019年03月26日 | ロシア

最近ものやひとの名前が出てこない症状が進んでいます

以前はそんなとき、友人のOさんのエピソードを思い出しては自分をなぐさめたものです。

Oさんが二人の知人を紹介しようとして「この方は」とまでいったけど、名前が思い出せない。それでもうひとりの方の方を先にしようと「こちらは」といったけど、やっぱり思い出せなかった。それで困ってしまった。

それを聞いてから、私はものの名前を思い出せなくても、その度に「Oさんよりましだわ」と自分をなぐさめてきたのでした。(そのOさんが頭がすっきりしなくて困ってしまった時に飲んでみたら、驚くばかりに効いたというDHAのサプリ。Oさんがそれをずっと飲んでいると聞いて、私もまねっこして、いまだに飲みつづけています。)

当時Oさんは大学でロシア語教師をしながら、ロシアの自分が傾倒する作家への熱い思いとともに日本一と評される翻訳の仕事にはげみ、20冊にはなるだろうすぐれた翻訳書を世に送り出しました。

飲むサプリは同じでも私のぐずぶりは今でも治りませんね さらにもう最近では紹介する二人の名前を思い出せないOさんのエピソードではなぐさめられないほどの物忘れぶりなのです。

そのOさんはロシア文学とそれを生み出したロシアの地への熱い思いをもったまま、亡くなってしまいました。去年の3月24日のことです。数年間のすべてといっていいほどの力を注いだ分厚い『プリーシヴィンの日記』(成文社)ができあがり、お家に届けられたのは、

Oさんが病院へいく途中に町中で倒れ、意識不明になって病院へ運ばれたその日でした。そのまま数十日後に亡くなってしまったので、あれほど待ちわびていた本を見ることはありませんでした。

亡くなった数日後、斎場への道路沿いの桜は満々開でした。

あれから一年後の一昨日3月24日にOさんこと、「太田正一さんを偲ぶ会」が催されました。

会場の廊下の窓から下をのぞくと、外堀沿いで桜がひっそりと開きはじめていました。

コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ロシアみやげ

2019年02月26日 | ロシア

24日は例会でした。

Kさんは2月はじめから半月、北ロシアにいかれたとのことで、おみやげのお菓子をこれまたおみやげのイワンチャーイ(ヤナギラン)のお茶でいただきました。

ロシアの干しキノコをおみやげにもらってきました。

写真をとろうとジプロップをあけたら、この香りは、たしか、ポルチーニです。

ロシアではベールィ・グリブィ(白いキノコ)とよぶのですが、ロシアでもポルチーニと同じように最高のキノコとされています。

みやげ話では、Kさん、地元の新聞に取材され、大きな写真入りで2面にわたって記事になったとみせてくれました。取材されて話したなかにゴミ問題があって、日本でのゴミ処理の分別の仕方などなどを詳しく説明したそうです。

ロシアはゴミ問題が深刻で、「ゴミ改革」が数年前にスタートして、分別をはじめた所もあるらしいのですが、分別したゴミ処理の流れがうまくいかないなど、問題山積のようです。 

   こんな日本語のレポートを見つけました   

   地域・分析レポート JRTRO(日本貿易振興会機構)2019年1月

「積年の都市ごみ問題、いまだ前途多難(ロシア)」           https://www.jetro.go.jp/biz/areareports/2019/8c493bc2a915fbbc.html

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「忘れえぬ女(ひと)」のこと

2019年01月29日 | ロシア

富士美術館の展覧会の売りはアイヴァゾフスキーの大作《第九の怒涛》でしたが、文化村の今回の展覧会で売りというのは特にないので、日本人に人気のある《忘れえぬ女(ひと)》が今回も「またお会いできますね」と宣伝に使われていました。

《忘れえぬ女(ひと)》はすでに複数回日本で展覧会にきていて、私にも思い出があります。2、30年前の展覧会のとき、高知の友人がなんとしてもこのポスターが欲しいので一番大きいのを買って、送ってほしいというのです。それで特大のポスターを買いましたが、折り目がつかないようにどうやったら送れるのか分からず、結局高知まで持っていったことがありました。

そのときは、何がそんなにいいのかしら?と思っていたのですが、今回の「ロマンティック・ロシア」展のHPにイベントでトレチャコフ美術館のキュレーターのガリーナ・チュラクさんが記念講演会で話された要旨の紹介がのっていました。http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/18_russia/topics/lecture1.html

その《忘れえぬ女(ひと)》の部分を引用させてもらいますね。

イワン・クラムスコイ《忘れえぬ女(ひと)》1883年

「では、本展で一番人気の高い女性像《忘れえぬ女(ひと)》で、作者のクラムスコイは何を描こうとしたのでしょう? 

 まず、モデルは誰か? ということですよね。そのナゾの解明には100年以上に渡って、様々な人が挑戦してきました。トルストイの小説の主人公アンナ・カレーニナという人もいれば、アレクサンドル・ブロークの詩に登場する“見知らぬ女”ではないかと考える人もいますが、未だにこのナゾは解けていません。 

見下すような眼でこちらを見つめるこの美しい女性は、幌を上げた馬車に乗っています。当時、サンクトペテルブルクでは、女性が屋根のかからない馬車に1人で乗り、ネフスキー大通りを行くなんて、とてもお行儀の悪いことでした。彼女が誰なのかはわかりませんが、少なくとも、社会で当たり前とされていることを受け入れず、自分の行動、その眼差しや挑発的な態度によって、自由に生きていくことを表明している女性であるということは確かでしょう。」

解説を読むと読まないでは、この絵を見る目がまるでちがいました。そして、高知の友人も自由に生きてゆくことを表明しているこの貴婦人にひかれ、家にポスターをはることでしんどい日常への小さな挑戦をしたのかもしれないと考えるようになりました。彼女は子供たちが独立したあと、新たなパートナーと結婚し、今いきいきと暮らしています。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ロマンティック・ロシア(展)いってきました

2019年01月26日 | ロシア

25日に渋谷の文化村の国立トレチャコフ美術館蔵「ロマンティック・ロシア」にひとりでいってきました。

27日までなので、ミュージアムは混んでいました。渋谷の街はもっと混んでいましたが。

19世紀後半から20世紀初頭の、風景画、肖像画、静物などのロシアの絵画で、ロシア文学で知っている世界です。シーシキン、レヴィタンといった有名な画家たちの季節感あふれる風景画は、なんだかかつて自分も見たような・・・・なじみの世界が。

そうたくさんの作品があるわけではないのですが、あの時代のロシアの画家たちのロシアへの愛が基調にありました。それが、「ロマンティック・ロシア」と展覧会を名付けた由縁なのでしょうね。 こじんまりとした展覧会でした。

11月に八王子の富士美術館でペテルブルグの国立ロシア美術館のほとんど文化村と同じ時代のロシアの画家の展覧会にいってきました。風俗を描いた作品も多く、興味をひかれてカタログを買いました。こっちはロマンティックじゃなくて、夢、希望、愛。↓うーん、あの時代と違和感あり?

 *こまこさん、すみません、先日は下書きをUPしちゃった。あれはトレチャコフ美術館の方の講演からの引用です。コメント書いてくださったのに、下書きのあの部分削除しました。風邪をひきそうで、ぐずぐずしていて、おそくなりました。ごめんなさい。

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クリスマスはまだです

2018年12月29日 | ロシア

 これはロシアのマロースじいさん(ジェット・マロース)です。

何年前になるでしょうか、ペテルブルグに住んでられたありょははさんがモスクワに行かれたとき、お願いして買って、送っていただきました。1点ものの手製で、木製の組み立て式です。

マロースじいさんは、もともと民間の伝承にあったマロース(厳寒)の形象や西欧からのサンタクロース像が合わさって革命前に出来上がったと、私たちの会が出した『ロシアの歳時記』(東洋書店新社 2018)の中の「ツリーとマロース爺さんと雪娘」に書かれています。

ネットでロシアのマロースじいさんとサンタクロースの服装の違いやクリスマスのことなどの昔と今を詳しく挿絵と文で書いているサイトを発見しました。なかなか深いです。http://osoroshian.com/archives/51287960.html

ここにもありますが、ロシアのクリスマスは1月7日です。ロシア正教会は今も革命前のユリウス暦を使っているので、旧暦の12月25日は13日プラスして、1月7日になります。でも新年は旧暦でなく新暦の1月1日に祝います。私たちからすると、ちょっと変ですけれどね。

ソ連崩壊後の現在もロシアで12月25日を特別に祝うことはないと書かれていますね(ロシア正教の国ですものね)。それで、新年を盛大に祝ってから、クリスマスです。この時期マロースじいさんが大活躍します。雪娘を従えてのクリスマスの集まりでの登場やプレゼント渡し役は、革命後禁止されていたクリスマス行事を新年の行事に変えて1935年スターリンの号令いっかはじめられたものですから、伝統的なものではないです(もうすこしたてば100年になりますから、新しい伝統?)。それで、このサイトのソ連時代のクリスマスの説明でいれてある挿絵は一見の価値ありです。1924年に亡くなったレーニンが出てきてて、それになにか郷愁をそそる子供たち・・・・ マロースじいさんや雪娘のヴァスネツォーフの絵も私は初めて見ました。

日本語のこうしたサイトは、ロシア人も一緒にやっていますし、今のロシアを知るにも手っ取り早いです。

うちのマロースじいさん、新年にはちょっと場所を変えますが、ロシアのクリスマスが終わるまで飾っておきます。 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「お酒を飲まない」が40% 「毎日飲む」は1%(全ロシア世論調査センター)

2018年12月14日 | ロシア

12月12日(水)付の日本経済新聞の夕刊の<グローバル ウオッチ>でロシアの酒事情を紹介していました。

どの程度信頼できるかどうか不明ですが「全ロシア世論調査センター」が今年9月1600人に調査した飲酒頻度がグラフで載ってます。年代も地域も分かりませんから、この結果がチョクにロシアの現状というわけではないですね。一応の傾向と考えましょう。%が多い順にいきます。

「飲まない」   40% 

「月1回以下」 24%

「月1回」ほど 16%

「月2,3回」  14% 

「週数回」   3%

「毎日」    1%

「答えられない」2%

「飲まない」が40%には驚きました! ちなみに記事によれば2009年には26%だったといいますから、飲まない人は急激に増えていることになります。今回18~24歳の若い人では40%どころか57%が飲まないのだそうです。(ロシアでは18歳で飲酒できます。)ちょっと信じられないし、それにちょっと寂しさを感じずにはいられない・・・。でも喫煙も90年代の中頃?久しぶりに行ったモスクワの街でタバコを吸っている人がいないことにびっくりしたことがありますから、ロシア人はやるとなったらやる?(禁煙したというわけではなく、私たちが吸う部屋などでは一緒に吸ってました。)

日本の飲酒頻度についてはどの統計が信憑性があるか分かりませんが、例えば国税庁のではhttps://www.nta.go.jp/about/organization/tokyo/sake/topic/ques/tpc-freq.htm

全体では毎日31.3% ほとんど飲まない12,3% 日本では毎日飲むが一番多いのだー 

 ロシアとは大違い。ふつう、この反対だと思っているのではないでしょうか。

日経新聞によれば、ロシアの飲酒頻度、飲酒量の減少の背景には健康的なライフスタイルへの憧れ、また政権の方針があるそうです。プーチンって飲まないんそうです。スポーツをする人の数が増え、また都市部では菜食主義の人が増えて、肉魚だけでなく乳製品もさける完全菜食主義「ビーガン」向けのメニューを提供する飲食店も多いとあります。(ロシアでは革命前には一年のうちひんぱんに斎期があったので、アルコール、肉魚など断つことに耐性があるのかもしれません。) 

参考までに。ロシアでベジタリアンでいることに関する6つの質問 (ロシア・ビヨンド)https://jp.rbth.com/lifestyle/81313-roshia-de-bejiterian-de-iru-koto-shitsumon

ロシアも大分かわりつつあるのです。

菜食主義ということもあり、特に若い人は伝統野菜に関心を持ち始めたようです。前にカブはお話で知っていても、実物を知らない子供が多いと書いたことがありますが、今は伝統野菜として見直されています。地方で自分たちで栽培し、ペーチで料理するレストランを若者たちが始めたと読んだことがあります。かれらのレストランは飲まないのかな?さびしい・・・。

コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

時間がたつのが早いってどういうことなんでしょう?

2018年12月06日 | ロシア

ロシアのなぞなぞに

  思うより早いものなんだ?

というのがあります。

答えは「時間」です。

もう12月、あと1月で今年も終わりとついちょっと前に思っていたばかりなのに、もう1週間たってしまいます。

時間が立つのが早い。子どものころはゆっくりでした。永遠に大人にはなれないと思ったこともあるような気がします。

でも今の子はやることがいっぱいあって、きっと時間がたつのが早いのではないでしょうか?

90年代に日本にきたロシア人が時間がたつのがロシアにいるときより早い、早いといってました。

今のロシア人は多分早いっておもっているのではないでしょうか?

時間がたつのが遅い、早いってなんでしょうね。老人になるとおそいって、昔はいいましたけど、今の老人(つまり私です)は、時間がたつのが早い! 

子どもも大人も老人も、時間がたつのが早いってどういうことなんでしょう? 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

犬のうた(エセーニン)

2018年12月02日 | ロシア

 

  犬のうた  エセーニン作

黄ばんだむしろの下の

赤錆びた穀物小舎で 朝早く

牝犬が七匹の仔を生んだ

にんじん色の仔犬七匹。

 

夕闇が降りても 母親はまだ

なめずりまわし 毛並みをそろえてやっていた。

あったかい葉は犬のおなかの下で

雪が溶けちっちゃい流れになっていた。

 

夕闇ふかく めんどりたちが

とまり木にじっと並んだとき

ご主人がしかめつらで出て来て

七匹を一匹のこらず袋にしまいこんだ。

 

母犬は ご主人に おいすがり

雪だまりとみれば駆け込んでいた。

さて そのとき ながくながくふるえたのは

まだ凍てついていなかった水の鏡だけ。

 

辛うじて足をはこぶ帰りみち

脇ばらの汗をなめる身には

わが家にかかる月も

わが子の一匹かと見えた。

 

ぐんじょうの中空を 音高く

歯をむいて牝犬が仰ぐ。

と かぼそい月はするするっと辷り

野末の丘にかくれてしまった。

 

ひとさまがなぐさみに投げつける石、

そのおめぐみに 音もなく

雪中へ転げ込む犬の 二つ目は

黄金の星 星……(1915)

     『エセーニン詩集』内村剛介訳 (彌生書房 昭和43)

 

エセーニンの詩はすでにUPしたことがあります。https://blog.goo.ne.jp/maipan/e/da9fc4b45d7dcd2469d6e356701b9c48

これを書いたのはまだまだ若かったエセーニンです。

だれの関心もひかない哀れな母犬を詩によむことは当時としては意外で、新鮮だったのではないでしょうか。

 画像は、ありょははさんがロシアで先生について習って作られた塗りの箱です。

この箱を見るといつもエセーニンの「犬のうた」が思い浮かびます。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

犬をよんだ詩(ツルゲーネフ)

2018年11月29日 | ロシア

結局、6畳間は畳床ごと全部新しくしました。

そこにあった小さな観葉植物もこの部屋(と2階)にきて、夏みかんの木にかけてあったポトスも

取り込みました。これで外に出してあった観葉植物の取り込みは終わりました。

観葉植物とは全然関係ないのですが、19世紀ロシアの作家ツルゲーネフの本をぱらぱら見ていたら、

「犬(サバーカ)」というタイトルの詩がありました。

詩に描かれている人間と犬との信頼と愛の関係は、家族の愛に恵まれなかった孤独で少々優柔不断なツルゲーネフならではのものでしょうか。

ツルゲーネフにとって犬はつねにいつまでもどこまでも信じられる存在だったのでしょうね。人間であること、動物であることを超越した存在として犬と対することは、多分、当時は珍しかっただろうと思います。

 

   犬

 部屋のなかに私たちふたり、犬と私と。外は、荒れ狂う嵐が

うなり声をあげる。

 犬は私の真向かいに座り、まっすぐに私の眼を見つめる。

 私も犬の眼を見る。

 犬は私に何か言いたげだ。犬は口がきけず、言葉をもたず、

自分を理解できない。だが、私は犬のことが分かる。

 私は知っている、この瞬間犬と私にはまったく同じ感情が

息づき、ふたりの間にはどんな違いもないことを。私たちの

心はひとつだ――それぞれの中にまったく同じおののく炎が

燃え、輝いている。

 いつか死が、この炎めがけて冷たく大きな翼で襲いかかる…

 それで、終わりだ!

 あとになって、私たちそれぞれの心にどんな炎が燃えていたかを

誰が知るだろうか?

 いや、動物と人間が眼差しを交わしているのではない……

 たがいに見つめあっているのは二対の同じ眼だ。

 動物と人間の、それぞれの一対の眼の中で、生命(いのち)が

そっとひとつになって寄り沿う。(1878)

 

ツルゲーネフは1818年、ちょうど200年前にロシア中部のオリョールで生まれ、1883年にフランスで亡くなりました。私は1989年にオリョールのかつての彼の広大な領地、今はツルゲーネフ博物館になっているスパスコエ-リトヴィノヴォを訪れたことがあります。5月だったので、屋敷の窓は日向のタンポポの黄色と日陰の忘れな草の空色が映っていました。

革命前の貴族の屋敷には必ず犬たちが飼われていました。貴族たちは猟を楽しみましたから、猟犬は必ず複数いました。あと、番犬や、愛玩犬もいました。ツルゲーネフは物ごころつかないころから、犬とともにいたことでしょう。

彼には『ムムー』という短編があります。そこでは耳が聞こえず、しゃべれない農奴と犬が描かれています。これは今でも人気のあるお話しです。ムムーの最後が悲しいので私は繰り返し読む気になれませんが、ハッピーエンドにしなかったからこそ、今も読まれつづけるのでしょう。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ロシアのグラジオラス

2018年10月21日 | ロシア

18日の花材のグラジオラスは場所がないので、花瓶につっこんで出窓においてあります。

夫がそれを見て、「グラジオラスって今の時期ではないね」っていいました。

そうですね。グラジオラスは夏に咲くのが一般的ですが、春に咲くのもあるそうです。今は秋咲きもあるかもしれません。

ロシアのグラジオラスのことを以前書いたことを思い出し、読み直してみました。忘れていたことばっかりだったので、そこからいくつか書いてみますね。

ソ連が崩壊する前の1989年春にロシアに行ったときのことです。

モスクワのチェリョームシキン市場に連れて行ってもらったら、日本とまるで同じような植木市をやっていて、そこでお姉さんが小さな台にグラジオラスだけ、種類別に分けて売っていました。日本とは売り方がちがうので、興味をもって見ていたら、売り手のお姉さんは「これはきれいよ」「これもきれい」といいながらグラジオラスの花のスライドのネガを次々に見せるのでした。

どこの店もこの売り方というわけではなく、花の絵が立てかけてあったり、名前と花の特徴を一覧表にしてあったり、それぞれです。日本より園芸好きでどちらかといったら玄人向けの感じですが、ロシアの家庭では大体がダーチャをもっていて、菜園や花壇を楽しんでいるから、みなけっこう詳しいです。今より娯楽が限られていましたしね。

ソ連時代(たぶん今も)グラジオラスは園芸に欠かせない花で、売り方でも分かるように驚くほど種類がありました。品種の名前はロマンチックなものが多く、白雪姫、オリガ・チェーホワ、春のほほえみ、カンタータ、森の歌、セルゲイ・エセーニン……などなど。

今はおそらく品種の名も違っているでしょう。今度調べて紹介しますね。

オリガ・チェーホワは作家チェーホフの妻でモスクワ芸術座の女優だった人、モスクワ郊外メリホヴォにあるチェーホフ博物館ではオリガが訪問したときこのグラジオラスが咲いていたそうです。そういう分かる人にしか分からない迎え方は館長だったアヴデーエフの細やかな感情を現しています。

エセーニンはロシア人にずーっと愛されてきた詩人です。革命後30歳で自殺した悲劇的な生涯もあって、かれの詩は学生時代によく読みました。

久しぶりに死の直前に書かれた有名な詩を読んでみましょうか。内村剛介訳です。

 さようなら 友よ さようなら

 わが友、君はわが胸にある

 別離のさだめ――それが

        あるからには

 行き遭う日とて

   またあろうではないか

 お別れだ! 手をさしださず

   ひとことも言わず

    友よ 別れよう

 うつうつとしてたのしまず

   悲愁に眉をよせるなんて――

 今日に始まる死ではなし

 さりとて むろん

  ことあたらしき生でなし (1925年)

 

セルゲイ・エセーニンというグラジオラスは赤い花を咲かせるそうです。その品種は今もあるかしら?

多分ないかな。でも、 今もたくさんの種類があるようです。

グラジオラス一覧 https://www.google.co.jp/search?q=%D0%B3%D0%BB%D0%B0%D0%B4%D0%B8%D0%BE%D0%BB%D1%83%D1%81%D1%8B&source=lnms&tbm=isch&sa=X&ved=0ahUKEwi7hYvcgJjeAhUPUt4KHUgsD5IQ_AUIDigB&biw=1284&bih=725

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クサハツ(不快臭の毒キノコ)がロシアでは通人好みの塩漬けになります

2018年08月18日 | ロシア

 クサハツってどんなキノコ? 例えば、日本ではこんなキノコとされてます。

日本だけでなく、ヨーロッパでもクサハツは食用不適とされているそうです。それがロシアでは食用キノコです。

「条件つきの食用キノコ」と書いてある場合もあります。「条件つき」というのは調理前の下処理が必要ということです。

まず、クサハツは傘の開ききっていない、直径6センチ以下の若いキノコを採取する。キノコについている枯葉やゴミをとり、苦い皮をはぎ取り、きれいにしてから、冷水に浸します。日に2回(塩)水を取りかえて、2~3日間。その間に苦味と不快な臭いが取り除かれます。この方法ともうひとつ、茹でる方法もあります。この方が手っ取り早いです。きれいにしたクサハツを鍋に入れ、水を注いで40分以上茹でます。

下処理をしたら、塩漬け、まれに酢漬け、あるいはいためたり、蒸し焼きにしたりできます。塩漬けにすることが一番多く、クサハツは高級キノコとは決して言えませんが、通人はクサハツの塩漬けは他のたくさんのキノコにまさるとしています。

ロシアでクサハツは毒キノコではありません。よく知られている毒キノコにベニテングタケがあります。猛毒ではありませんが、有毒キノコです。これも食べ方によっては、おいしいんですって。 「ロシアで食されるやばいキノコ6種」 (RUSSIA BEYOND)に調理法があります。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ロシアはキノコシーズン真っ盛り

2018年08月18日 | ロシア

 ロシアではキノコ狩りシーズン真っ盛りの時期です。

ご存知のようにロシア人はキノコ狩りが大好き。ネットでも特に今はキノコの記事がいっぱいになります。『ロシアのグリブニーク(キノコ狩り人)』のサイトにある「国と世界のキノコのニュース」はキノコについてのさまざまなニュースが集められていて、最近毎日見ています。(7月には森へキノコ狩りに行って行方不明といった記事がけっこうありました。キノコ狩りの大きな危険は森での行方不明と毒キノコによる中毒です。)

どんどん新しいニュースが入って来るのですが、昨日関心をもったのは「8月中旬のキノコ:クサハツ、ベールイ、ベニタケ(類)」。ベールイというのはロシアで「キノコの王様」と言われていて、ベールイで籠いっぱいの自慢気な動画をよく見かけますね。このキノコは、かの有名なポルチーニなんです。ベールイがポルチーニであるとは聞いたことも書いてあるのも見たことないのですが、私が保証します。えっ、心配? 大丈夫!! ベールイはポルチーニです。

モスクワ地方は8月上旬暖かくて乾燥した天候だったので、キノコは今いちでしたが、先週雨が降り、今は出ているそうですよー、ぞくぞくと。キノコは湿った、暖かな気候が好きなんです。それでモスクワ郊外の森での今が盛りのキノコが「クサハツ、ポルチーニ、ベニタケ類」だそうです。ポルチーニが盛りって、すごいですね。

クサハツ(ヴァールイ)」ってどんなキノコか、ネットで検索。あら、「臭い初茸」の名前の通り不快臭がして、味は辛くて、しかも有毒、「最悪ですね」なんて書いてあるサイトも。この有毒キノコをロシア人たちは今採集している???? クサハツだけでなく日本で有毒とされていてロシアで「食用」とされているキノコはけっこうあります。なぜでしょう?

次の機会にロシア人は毒キノコをどうやって食べるか、それをクサハツで紹介しますね。 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする