お二人の作家の対談集です。
この中に、なぜ若いとき(子ども時代)に本を読むことが大事かということについて触れていてくれて、「そうよ!」と思ったので、自分のメモのためにも、ここに書いておきます。
宮本 ぼくはおじいさんだから、おじいさんみたいなことを言うけれど、ばななさんともこの対談で、いまの二十代、三十代の精神年齢がなかなか上がっていかないね、という話題がなんども出ましたね。その理由を考えてみるに、やっぱりいい小説を読んでいないからに尽きると思うんです。高校生や大学生や、若い人たちがいわゆる名作に触れていない。
吉本 そうかもしれませんね。
宮本 なにも、書籍の売り上げのことを話しているんじゃないんです。文学に触れなきゃいけないときに、インターネットやゲームばかりにかまけると、精神的な成長がそこでぱたっととまる気がします。小説を読む効用というのは、ぼくはそこにあると思っています。
というやりとりがあって、宮本輝さんは、「忍耐とか、本当の意味の悲しみといったものを小説で教えてもらうこともできる。いきなり実際に体験してはつらいような、大失恋も、肉親の死も、小説で予習しておける。小説で説教しようとは思わないけれど、なんらかの示唆は可能。
自分の実人生と、自分が読んださまざまな小説が、あるとき歯車のようにガチッとはまるときが必ずくる。それが大人になるということかもしれない」
とおっしゃっています。
そしてそして、「ぼくは、小説の世界では、心根のきれいな人々を書きたい。理想を思い切り小説にしてやろうというのが、究極の目標」とも!!
ああ。私は、大人向けの小説を書くとどうしても負の部分に焦点をあてがちになり、児童文学の分野の方が希望を描けると思っていたのですが、大人向けでそれができないなんてことはない! あがいてもあがいても、一筋の光を見出すような文学に大人向けも子供向けもないと、今さらながら思います。二つの間に(大人向けと子供向け)境界線をひいたほうが書きやすいのかもしれないけど、文学ということでは同じ・・・なんて、いろいろと思います。
また、実際に経験できないことを予習できるという意味では、映画もにているなと思うのですが、やはり小説のほうが内面に深く入りこんでくる(と、書くと映画ファンに怒られる? いや、映画もいいのですよ、もちろん。なんていうか、脳の刺激を受ける部分が違う気がするんですよね)
それから、この本の中で、とても意外で、そして嬉しかったのが、宮本輝さんが、毎年必ず読み返す3冊の本をあげていらして、その中のひとつが、「赤毛のアン」シリーズだということ。アンの子どもの話も含めて10冊シリーズ全部を読むのだそうです。あとの2冊は、島崎藤村の『夜明け前』、西行の歌集。
私にとってのそういう本って何かなあと思ったけど、これというのはなかったりして、少し寂しい。時々読み返すというのはあるのですけどね。
『赤毛のアン』読もうっと。