『しゅるしゅるぱん』の画家さん、古山拓さんと河北新報社を訪問しました。ロビーでお約束していた論説委員のAさんをお待ちしていたのですが・・・。
河北新報といえば、そうだった! あの震災のあと、情報を伝えるため、一丸となって記者魂、報道のあり方を示した新聞社さんだったのでした!! 当日の新聞、そしてそれから後の一面がロビーには、ずらりと並んでいました。
ああ、原発事故は15日だった・・・。
なんとも言いようのない思いになりました。この場を訪れることができてよかった。
仙台は大都市。街を歩いていると、震災の傷は見えません。でも、この新聞社のロビーに立って、(そうじゃない)と頭をガツンとやられたようでした。
そのとき、別の記者さんが通りがかり、お名刺をいただきましたが、その方のブログが「余震の中で新聞を作る」。記者ならではの冷静なデータと熱いマグマのような思いのこもったブログです。(リンクを貼ろうとしたけれど、できませんでした。ぜひ、検索してごらんになってください)
やはり、思いが違います。あの日は・・・という話になります。
食事をするため、外に出たときも、「あの辺りのビルが、プリンのように揺れていた」と。いやあ、死ぬと思ったと。
『しゅるしゅるぱん』をご紹介いただいた日の新聞を頂戴しましたが、この新聞とりたい。仮設住宅のこと、避難先で生活している方の記事。毎日「忘れるな。終わっていない」という声が聞こえてくる新聞でした。
河北から出た震災の本もたくさんあるので、読もう。
*相変わらず、ブログの記事と現在私がいる場所とは一致していません。