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fromイーハトーヴ ーー児童文学(筆名おおぎやなぎちか)&俳句(俳号北柳あぶみ)

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散歩で出会う花② 地獄の釜の蓋・ぎしぎし

2020年04月18日 | 自然観察
        きらん草。俳人は、地獄の釜の蓋と呼びます。

  
 ぎしぎし。羊蹄 という字だけど、覚えられない。

 このところ散歩に行くと、だいたい雉に遭遇しています。でも、その時に限って、カメラを持ってない。きょうなんて、最高のポジションにいたのに。
 明日は、カメラを持っていこう。でも、そうすると、いなかったりするんですよね。

散歩で出会う花~榠樝(かりん)

2020年04月10日 | 自然観察
        

 花梨 というのが一般的な漢字。でも、俳人は、榠樝 と書きます。そのつど調べないと書けませんが。歳時記には、この漢字がまずあり、副題として、花梨 と出ます。榠樝 だけだと、実を指すので、今の時期だと、榠樝の花 ですね。

 はっきり言えば、どなたかの土地なのですが、散歩途中にあり、家が建っているわけでもなく、秋になると、実がぽたぽたと落ちています。道路から柵があるわけでもなく。で、毎年その実を1~3個くらい拾って、ざくざく切って、はちみつ漬けにします。喉にいい。
 今の時期のこの花も、好き。決して桜のように派手ではなく、葉っぱもいっしょに出てるので、木全体を写真で撮ると、目立ちません。

今の時期、少しでも、ここを訪れる方がほっとできるよう、時々は、こういうのもアップするようにしますね! こうやってブログで書く、ツイッターで書いて、会話をする。これが、ストレス軽減になっています。ありがとうございます。

杏日記⑥

2020年03月31日 | 自然観察
       
 
 今、東京の桜は満開。散り始めています。
 そして、杏は、こうして若葉が出てきています。
 
 

 先日は、雪でした。
 
 
 脚立にも杏の葉にも春の雪  あぶみ
 なんて、俳句を作ったけど、杏の葉っぱが出る時期は、もう春たけなわ。そこに雪が乗るというのは、今見た人にはわかるけど、数年後には? ということは、捨てるべき。あるいは、別の形にするべき句だということです。
 現実がそうだったというのが、説得力がある場合もあれば、こうして、特殊な例になってしまう場合もあります。

連休はいいお天気でした~雲雀

2020年03月20日 | 自然観察
           

 河原はいつもより、走ったりサイクリングをしている人がいました。
 
 雲雀の声も。ひばりは、声はしても、なかなか姿をとらえることはできません。ラッキーでした。

 きょうは、寒いですね。三寒四温。

杏日記③

2020年03月13日 | 自然観察
  この写真は、数日前。
 それが、きのうには、満開になりました!
 うちのせまーい庭で、道路ぎりぎりにあるため、枝が伸びると電線にかかりそうになります。なので、今年も先月にはバサバサと伐って・・。つまり枝ぶりはよくありません。
 伸び伸びした杏の木を、見たいです。



 

 花は梅に似ています。でも、木の感じは桜に似てます。桜は、枝からぶら下がるように咲きますからね。そこが違う。
 このあと、葉っぱが出て、実が成って・・・。あ、成らない年があるけど、今年はどうかな。

 

杏(あんず)日記①

2020年03月06日 | 自然観察
 庭の杏がつぼみになっています。

 桜もそうですが、つぼみのときは、色がぎゅっと凝縮されていて赤いんですよね。
梅が終わりかけ、桜はまだつぼみになっていません。杏はちょうとこの二つの花の間で、ひっそりと咲き始めるのです。桜か梅と思っている方も多いでしょう。こういう私も、自分ちのは杏とわかりますが、よそのお宅のは、これが「杏」とわかったことがありません。
  写真では、よくわかりませんね。すみません。記録なので。

 私は物語を書いていますが、その中で自然描写をよく取り入れます。
 春の物語なら、春の花を、秋の話なら秋の空を。などなど。
 
 そのとき、たとえば、春の象徴として「たんぽぽ」を書くと、物語は平凡なまま。

 先日も、主人公のもとに鳥がとんできて春を告げる一文を書きました。
 「タンポポが咲いたよ」でもいいんです。でも、私は、
 「カタクリが咲いたよ」と書きました。カタクリがどんな花か、どこに咲いたかは描写していません。字数制限もあったし(笑)。でも、カタクリを見たことがなければ、カタクリを見て「春だなあ」としみじみとした経験がなければ、この一文は書けないと思うのですよ。
 今ネット検索すれば、画像も情報も手に入りますけどね。実際に見たことなくても、この一文は書ける。でも、何かが違うと思う。

 このブログに、四季折々のヤマナシを見に行っている様子も書いていました。最近、これも役立ちましたよ(笑)
 
 こうして、自然を実感することが、作品に反映できるのは、俳句をやっているおかげかもしれません。物語にリアリティと深みを与えられると思っているけど、どうでしょうか。

 と書いて、以下は、追加で書き足したことです。

 「カタクリが咲いたよ」
 山も、春になりました。

  これだけで、小さい読者が共感できるかどうか? 共感には、相手もカタクリを知らなければなりません。
  もう少し字数がとれたら、カタクリは、早春、日当たりのいい場所に咲くむらさき色の花です。とか書けて、見たことのないにも子も「へえ。見て見たい。春の花なんだね」と思ってもらえるのですがね。編集者さんによっては、ここ、もっとわかりやすい花に と言ってくるかもです。
 じゃあ、何? スミレ? イヌフグリ? ハコベ? 「コブシの木に花が咲いたよ」とか? と、こんな風に悩む日々です。←結論、出ないんかいっ! 
 以前書いたカタクリの記事。