我が国の学校で,
学校そのものとして
リーダーシップ育成に特化した教育課程の編成は
できないようになっているが,
学校の精神性として,
リーダー育成を掲げる学校はかなりあるようである。
しかし,
リーダーとは何かということについての理解は,
まちまちであろう。
以前にも述べたことだが(TB参照),
我が国には戦後,
階級社会を背景とした
固定的なエリート層が存在しないことから,
エリートといっても,単に知的エリートであって,
その実態は,多くは賃金労働者である。
その意味では,
支配的なリーダーシップを
持続的に発揮しうる場面などほとんどない。
そのような状況の中での,
リーダー教育とはどのようなものであるべきか。
それは,民主的リーダーシップに徹することである。
すなわち,自らの知的優越に奢らず,
自分の身を低くすることのできる謙虚さを
骨の髄まで叩き込むことである。
自分が他人より優れていると思ったとき,
その人間は,リーダーたるの資格を失うのである。
リーダーが永続的にリーダーであるわけにはいかず,
リーダーとフォロワーが常に交代する可能性の強い社会であってみれば,
よきリーダーシップとは,
よきフォロワーシップと相通ずるものでなければならない。
自分が他より優れているから,
他を導く権利があるのだなどとは,
ゆめゆめ思わせてはならないのである。
リーダーの位置にあるのは,単なる偶然であって,
他に仕えさせていただくためであると
思えるリーダーでなければならない。
そして,いつでもリーダーを他に譲り,
フォロワーに転じることのできる気構えを
もっていなければならないのである。
この点をはきちがえたリーダー教育はむしろ危険である。
学校そのものとして
リーダーシップ育成に特化した教育課程の編成は
できないようになっているが,
学校の精神性として,
リーダー育成を掲げる学校はかなりあるようである。
しかし,
リーダーとは何かということについての理解は,
まちまちであろう。
以前にも述べたことだが(TB参照),
我が国には戦後,
階級社会を背景とした
固定的なエリート層が存在しないことから,
エリートといっても,単に知的エリートであって,
その実態は,多くは賃金労働者である。
その意味では,
支配的なリーダーシップを
持続的に発揮しうる場面などほとんどない。
そのような状況の中での,
リーダー教育とはどのようなものであるべきか。
それは,民主的リーダーシップに徹することである。
すなわち,自らの知的優越に奢らず,
自分の身を低くすることのできる謙虚さを
骨の髄まで叩き込むことである。
自分が他人より優れていると思ったとき,
その人間は,リーダーたるの資格を失うのである。
リーダーが永続的にリーダーであるわけにはいかず,
リーダーとフォロワーが常に交代する可能性の強い社会であってみれば,
よきリーダーシップとは,
よきフォロワーシップと相通ずるものでなければならない。
自分が他より優れているから,
他を導く権利があるのだなどとは,
ゆめゆめ思わせてはならないのである。
リーダーの位置にあるのは,単なる偶然であって,
他に仕えさせていただくためであると
思えるリーダーでなければならない。
そして,いつでもリーダーを他に譲り,
フォロワーに転じることのできる気構えを
もっていなければならないのである。
この点をはきちがえたリーダー教育はむしろ危険である。
生徒のリーダーは、生徒が民主的な手続きで決めますよね。学級委員、生徒会役員、運動会のチームリーダー、委員会の委員長・・・なぜ他の生徒がその生徒をリーダーとして選ぶのか。その判断基準は何か。それは、選挙の前の抱負、意気込みはもちろん、学校での日常生活の送り方、授業中の態度、過去の人間関係・・・多くのデータに基づいて決まるわけです。
心構えとは別の話として、このような過程は決して「単なる偶然」ではなくて、他の生徒の支持が前提にあるわけです。
もしこうして選ばれたリーダーが独善的になったり、公約を守らなかったり、命令的な態度が増えていったら、当然、当初の支持は失っていくわけです。
そこで本人が気が付けばよし、そうでなければ教師の出番ということになります。
リーダーとは、他の生徒から「優れた点、実力を認められ、リーダーとしてふさわしいと支持されている」存在であって、資格の有無は、「その支持に応えうる奉仕の精神やポジティブなエネルギー、学び続ける態度を発揮し、成果が出せているかどうか」で問われるものだと考えています。
ですから自分より優れたリーダーシップを発揮できる生徒からはその資質を学ばなければなりませんし、そのときはフォロワーとして学ぶ立場になってもよいのですが、決して無批判なフォロワーになるのではなく、より質の高い活動を求めて新しい提案を発信していくことも大切な資質であると思います。
リーダーの資質のうち、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」的な面を指導することも大切だと思いますが、その他にどのような資質・能力が必要かを考えさせる教育も大切だと思います。
批判ではなく、勝手な意見でしたが、コメント欄に書き込ませていただくのは不適切だったでしょうか。
>リーダーとフォロワーが常に交代する可能性の強い社会
>自分が他より優れているから,
他を導く権利があるのだなどとは,
ゆめゆめ思わせてはならないのである。
>リーダーの位置にあるのは,単なる偶然であって,
他に仕えさせていただくためであると
思えるリーダーでなければならない。
読んでいて、養老先生があることを機会に、民主主義社会ではいつでも誰でもが権力者になりうる社会であるというようなことを書いていらっしゃったのを思い出しました。
相通じるものを感じました。