学期ごとに学習者による授業評価を行うというのが,
大学ばかりではなく,中学校,高等学校でもはやっている。
多くの場合,
マークシートを利用したアンケート形式になっているようだ。
この授業評価項目というのは,さまざまあるのだが,
ある項目について,その項目の評価を敢えて下げる授業や
上げる授業というのを試みてみた。
ところが,なかなかうまくいかないのである。
評価を下げる授業をしているのに下がらなかったり,
評価を上げる授業をしているのに上がらなかったりするのである。
こうなると,
評価項目に対する評価の妥当性がはなはだ危ういものに
思われてくる。
結局のところ,項目が何であったとしても,
たいして評価の変動はなく,
授業者の人物評価,あるいは授業者と学習者の相性診断に
なってしまっているのではないかと危惧されるのである。
こんなことなら,
教師の人気投票でもしたほうが,
まだましである。
このようなアンケートの結果でもって,
授業評価の眼目であった授業改善に資するという目的を
達成することははなはだ難しい。
これは,自由記述の場合も同じである。
授業について,肯定的な意見を書くか,
否定的な意見を書くか,
あるいは書かないかということは,
その学習者の性格に依拠するところが大である。
したがって,異なる学級で,
全く同じ授業をやっても,
学級の構成員が違えば,
評価は全く異なるということがままある。
このような評価を分析的・客観的にみて
授業改善をしようというのは,
ずいぶん不都合な話である。
大学ばかりではなく,中学校,高等学校でもはやっている。
多くの場合,
マークシートを利用したアンケート形式になっているようだ。
この授業評価項目というのは,さまざまあるのだが,
ある項目について,その項目の評価を敢えて下げる授業や
上げる授業というのを試みてみた。
ところが,なかなかうまくいかないのである。
評価を下げる授業をしているのに下がらなかったり,
評価を上げる授業をしているのに上がらなかったりするのである。
こうなると,
評価項目に対する評価の妥当性がはなはだ危ういものに
思われてくる。
結局のところ,項目が何であったとしても,
たいして評価の変動はなく,
授業者の人物評価,あるいは授業者と学習者の相性診断に
なってしまっているのではないかと危惧されるのである。
こんなことなら,
教師の人気投票でもしたほうが,
まだましである。
このようなアンケートの結果でもって,
授業評価の眼目であった授業改善に資するという目的を
達成することははなはだ難しい。
これは,自由記述の場合も同じである。
授業について,肯定的な意見を書くか,
否定的な意見を書くか,
あるいは書かないかということは,
その学習者の性格に依拠するところが大である。
したがって,異なる学級で,
全く同じ授業をやっても,
学級の構成員が違えば,
評価は全く異なるということがままある。
このような評価を分析的・客観的にみて
授業改善をしようというのは,
ずいぶん不都合な話である。
「学力不足は本人責任だ」と突き放す教師ではなく、「学力不足で悩んでいる問題にもしっかりよりそって、学習しやすい環境をつくるよ」と励ましてくれる教師が多いことを望みます。
より楽で問題のない現場だけを想定してしまっていては、公教育の信頼性は上がりませんよ。
客観性を重視するために、子どもの評価をふまえ、公開授業などを行って、第三者や研究者、管理職による評価も行っていませんか?
授業改善に必要なのは、必ずしも客観性だけが大切な評価とは限らないのでは?
ひとつ申し上げておけば,おっしゃっておられることは,とりもなおさず評価の客観性を損なう要因のご指摘であるということです。
優れた授業者は子どもの性格をよく知っているでしょうから、足し算したり、引き算したりして、「何を望んでいるのか」「何が足りないのか」を判断する材料になるのでは?
>したがって,異なる学級で,全く同じ授業をやっても,学級の構成員が違えば,評価は全く異なるということがままある
当たり前です。ちなみに、構成員が違う学級での授業が、「全く同じ授業」になるという発想はちょっと疑問です。
全く同じ指導案で授業はやるのでしょうが、導入のときに出てくる発言・反応が異なれば、展開も変わってくるでしょうし、展開で発展的な意見が出て、内容が深まる授業になることもあります。
評価が変わるのも当然です。
誘導役が足りないクラスでの授業方法とか、発言がやたら活発なクラスでの授業展開とか、指導のあり方を変えるのが普通の教師でしょう。
その授業方法について、子どもからの率直な意見で、実はもっと当ててほしいとか、もっとじっくり考える時間がほしいとか、そういう授業改善に役立つようなものがでてくる可能性もあるでしょう。
子どもに全く理解されていない、あるいは多くの子どもと「相性の悪い」「人格者」ってあり得ますか?
さまざまな理由をつけて言い訳をするのではなく
授業を受ける子供のことを中心に考える姿勢を教師に求めたいですね。