学校教育を考える

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「高大接続テスト」の報道に触れて

2009-02-08 | 教育
「高大接続テスト(仮称)」が検討されるという新聞記事を目にした。学力低下が著しい大学生の質の確保につなげる狙いもあるそうである。どうも解せない話である。

大学生の学力低下が起こるのはなぜかというと,大学の入学試験が機能不全を起こしているからである。少子化の影響で,大学は定員確保に必死である。大学等進学率は高校卒業者の50パーセントを超えた。この状況では,何を最優先にするかをはっきりさせなければ,実効ある対策は立てられない。

現在の大学が存続するための定員確保を優先するのであれば,学力よりも頭数が優先されるわけであるから,大学生の学力低下はやむを得ないこととして,大学そのものの教育を考え直すべきである。

大学生の学力維持を優先するのであれば,定員充足はあきらめるべきである。学力が一定水準に満たない場合には決して合格させてはならない。その場合,大学経営が支えられなくなるから,政策的な援助が必要となる。

このどちらかしか選択肢はないように思われる。このどちらかを選ぶことをせずに,いくら高大接続テストをやったからといって,大学生の学力が向上する可能性は薄いように思われる。また,もしこのテストによって,高校の教育に影響を与えようとする意図が仮にあるとすれば,それは本末転倒である。大学生の学力維持の責任は,高校にではなく,大学にあるからである。

A0入試や推薦入試が学力低下の原因であるならば,それをやめればよいだけのことである。それをやめることができない理由がありながら,学力を確保しようとする新たなテストを導入するなど,コストと労力の無駄に思えてならない。

本来の姿をもう一度見直すべきである。高校は高校の教育を行う。大学入試には関わらない。大学は,自分の大学で教育を受けるに必要な十分な資質と能力をもった学生を確保するための独自の入試をつくり,十分な資質能力をもった学生しか入学させない。その結果,経営が破綻しても,それはやむを得ないとするぐらいの気迫が本当は必要なのであろう。

もともと,教育と経営は両立しないものである。