学校教育を考える

混迷する教育現場で,
日々奮闘していらっしゃる
真面目な先生方への
応援の意味を込めて書いています。

価値観のゆらぎが学校を滅ぼす

2008-07-16 | 教育
学校は,
「けんかをしてはいけない」と教えるところである。

「子どもはけんかをして育つものだ」という価値観を
決して認めてはいけない。
それは,学校外の世間の価値観である。
世間の価値観にはもちろん意味がある。
しかし,それを学校に持ち込んではいけないのである。

学校は,あくまでも,「けんかをしてはいけない」という
価値観(倫理観)を貫くべきなのである。

そのあたりの価値観がゆらいでいる。

学校自体のもつ価値観がゆらぐと,
学校教育のバックボーンが失われ,
教育が成り立たなくなる。

また,学校に会社経営的な発想を持ち込んではいけない。
学校は,利潤追求をする組織ではないからである。

学校経営,学級経営という訳語がよくない。
managementは,「管理」とでも訳すべきだったのではないか。

そのあたりが,こんがらがって,
「我が校の「売り」は,○○です」などと言い始めたら,
その学校はもう終わりである。

児童生徒や保護者は,学校という共同体を構成する
メンバーではあっても,顧客や消費者ではない。
あえていえば,「同志」である。

同志であるからには,
苦難も共有してもらわなければならない。

そのあたりの価値観がゆらいでいる。

教育は,
形があるものを作り出す営みではないという意味で,
サービスと言ってもよいが,
いわゆる顧客サービスという場合のサービスと混同するのは,
はなはだ軽率である。

また,
「我が校は,生き残りをかけて,入学者を集める」などと
言っている学校は,もはや学校ではない。
入学者がいなくなったときは,役割を終えた時なのである。

役割を終える時まで,粛々と,日々の教育に専心すべきである。

そのあたりの価値観がゆらいでいる。

無理に入学者を集める必要などない。
入学者を集めるための「改革」ほど,
教育にとって害悪となるものはない。

このような価値観のゆらぎの危うさに,
教師は気づいているはずなのだが…。