学校教育を考える

混迷する教育現場で,
日々奮闘していらっしゃる
真面目な先生方への
応援の意味を込めて書いています。

学校教育の意味

2008-07-05 | 教育
学校教育の意味を考え直してみたい。

学校を英語で言うと,schoolであり,
これが,ギリシア語のスコレー(閑暇)から来ていることは
よく知られていることである。

学校が日常生活における仕事(business:BUSY+NESS)と
全く対置されるべきものであることは明らかであろう。

そもそも学校とは,
日常生活における食べるための仕事から
解放された空間なのであって,
実用性の故に学校があるわけではない。
我が国の実学主義にみるような実用的な学問を重視する姿勢は
後から付け加わったものである。

そういった意味で,
本質的に学校は,
日常生活と隔絶した異空間を形成する。

学校の教室空間は,不思議なことに,
現実社会のなかにありながら,
未来の社会の縮図なのである。

そこにいる子どもたちが,
未来において社会の形成者となる。

教師は,
未来の社会と直接に触れ合っていることを忘れてはいけない。

それゆえ,
未来の社会はこうなるはずだといった浅薄な類推に基づいて
学校教育を構成することには慎重でなければならない。

未来は,あくまでも未知である。
未来社会がどんなものであろうとも,
そこでよりよく生きていくためには何が必要なのか,
そういった視点から,学校教育を構成すべきであろう。

世の中には,現実には争いが絶えないが,
未来において争いがなくなることを祈りつつ,
争いのないクラス作りをめざし,
世の中には,気の合う,気の合わないがあることは十分知りつつも,
未来において誰もが仲の良い社会がくることを祈りつつ,
誰とでも仲よくするように教師は説くのである。

学校は,子どもが日常性を離れ,
日常生活において背負っているさまざまな重荷を
安心しておろすことのできる空間であり続けたいものである。