学校教育を考える

混迷する教育現場で,
日々奮闘していらっしゃる
真面目な先生方への
応援の意味を込めて書いています。

リーダーシップを育てるということ

2008-07-06 | 教育
我が国の学校で,
学校そのものとして
リーダーシップ育成に特化した教育課程の編成は
できないようになっているが,
学校の精神性として,
リーダー育成を掲げる学校はかなりあるようである。

しかし,
リーダーとは何かということについての理解は,
まちまちであろう。

以前にも述べたことだが(TB参照),
我が国には戦後,
階級社会を背景とした
固定的なエリート層が存在しないことから,
エリートといっても,単に知的エリートであって,
その実態は,多くは賃金労働者である。

その意味では,
支配的なリーダーシップを
持続的に発揮しうる場面などほとんどない。

そのような状況の中での,
リーダー教育とはどのようなものであるべきか。

それは,民主的リーダーシップに徹することである。

すなわち,自らの知的優越に奢らず,
自分の身を低くすることのできる謙虚さを
骨の髄まで叩き込むことである。

自分が他人より優れていると思ったとき,
その人間は,リーダーたるの資格を失うのである。

リーダーが永続的にリーダーであるわけにはいかず,
リーダーとフォロワーが常に交代する可能性の強い社会であってみれば,
よきリーダーシップとは,
よきフォロワーシップと相通ずるものでなければならない。

自分が他より優れているから,
他を導く権利があるのだなどとは,
ゆめゆめ思わせてはならないのである。

リーダーの位置にあるのは,単なる偶然であって,
他に仕えさせていただくためであると
思えるリーダーでなければならない。

そして,いつでもリーダーを他に譲り,
フォロワーに転じることのできる気構えを
もっていなければならないのである。

この点をはきちがえたリーダー教育はむしろ危険である。