学校教育を考える

混迷する教育現場で,
日々奮闘していらっしゃる
真面目な先生方への
応援の意味を込めて書いています。

教育改革と学校の文化

2006-01-30 | 教育
学校は,本来,教師と児童生徒のつくる共同体であった。

当然,共同体には共同体としての文化がある。
そして,その文化が熟成するためには,
安定的な環境が必要である。
安定的な環境の中でこそ,
文化が安定的に育まれるのである。

学校の教育力のかなり大きな部分は,
この学校共同体の文化の力に負っている。
とくに,中等教育段階の学校にあってはそうである。

現在進められている教育改革の危険性は,
この文化に与える影響を顧慮していないところにある。

学校が,その歴史を誇るのは,
実は幾多の学校で学んだ先達が,
独自の文化を育んできたそのことを誇っているのである。

学校の卒業生や在学生は,
その学校の文化に対して
懐かしさやノスタルジーを感じているか,
もしくは複雑な反発心を抱いているものである。

性急な学校改革は,
その学校に反発する者の心は満たすであろうが,
数多くのその学校を愛する者にとって,
ふるさとを失うほどの打撃を与えるものなのである。

急に学校を変えれば,
学校の文化が瓦解する。

文化が瓦解すれば,人の心はすさむ。
すさんだ人々のつくる学校に教育力などはない。
瓦解した文化に変わる文化が熟してくるまで,
長期的に悪影響が出てくるのである。

学校を改革するのならば,
その学校の文化を踏まえたうえで,
穏やかに行うべきである。

学校は教師と児童生徒のつくる共同体である。
また児童生徒の生活圏である地域社会の共同体とも
文化の波長が重なり合っているものである。

この共同体の文化は,
人為的に破壊することはできても,
つくることはできない。

難しいのは,この学校文化の教育力は,
数値化することもできず,
理論的に解明することもできないことである。

ただその学校に長年連なる者は,
その文化の存在を知っている。

かつて校歌などその学校の歌には,
この学校文化が歌い上げられていたものである。
校章や校訓,校庭の石碑などを見れば,
その学校文化が確かに存在することがわかる。
否,学校に一歩足を踏み入れただけで,
文化は感じられるものなのである。

すでに廃校となった古い木造校舎にも,
その文化の残滓が感じられるではないか。

これからの学校に,
このような学校文化を期待することが
果たしてできるのだろうか?

大いに疑問である。

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