Cape Fear、in JAPAN

ひとの襟首つかんで「読め!」という、映画偏愛家のサイト。

『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

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2019-03-24 00:10:00 | コラム
「テレビ観ないんだよね」とか「テレビ観ないから分からない(知らない)」というひとに、ときどき出会う。

ほんとうだべか? と、ちょっとだけ思う。

そりゃ自分だって、連続のテレビドラマは滅多に観ない。

ただそれは何遍もいっているように「映画を追うのに精一杯だから」という意味であって、テレビを下に見ているとかそういうのはない。


敢えて上だとか下だとか書いたのは、「観ないんだよね」と発するひとの一部が、テレビを(なにかと比べて)下に捉えているように感じたから。


帰宅してから、ふだんやることを順番に書き出してみる。

手を洗う。

「とりあえず」テレビをつける。

「とりあえず」パソコンを起動させる。

風呂を沸かしながら、洗濯物を取り込む。
(このとき、テレビのニュースかネットのYoutubeを流す)

新聞を読む。

コーヒー飲みながらメールのチェック。

風呂に入る。

酒呑みながら、録画していたテレビ番組を観る。


こんな感じか。

この「とりあえず」テレビをつけるというひと、多いと思うのだけれども。。。


地震などの災害が起こった際は、とりあえずNHKにあわせない?

スポーツの大きな試合がおこなわれる日って、やっぱりテレビつけない?

『天空の城ラピュタ』(86)がテレビ放映される日、Twitter上に「バルス」の文字が溢れまくるっていうよね?
つまりネットのヘビーユーザーでさえ、テレビを無視出来ないってことでしょう。


だから「テレビなんか観ないし…」と、なぜか優位に立つかのように発するひとの気持ちが、ぜんぜん分からないのだった。


そして。
映画表現だって、テレビというメディアを無視するわけにはいかない。

以下、映画のなかで描かれる「テレビの世界あるいはテレビを通した映像」。


『アンストッパブル』(2010)

旦那の頑張りをテレビで目撃した妻は、関係を修復することに決める。

ちょっと単純だが、死を賭して戦う姿を見ればね、誰だってこころを動かされるでしょうよ。




『アルマゲドン』(98)

流れは『アンストッパブル』と同じだが、その流れを作ったのは本作だったのかもしれない。




『模倣犯』(2002)

天才モリタがメディア論を展開した失敗作・・・だと思っていたのだが、早過ぎる野心作だったのかもしれない。

いまいちど、観返す必要があると(最近になって)思うようになった。


『アイアムアヒーロー』(2015)

「異変」を最初に伝えるのは、やはりテレビなのだった。


『ダイハード』(88)

コイツの報道によって、犯人ハンスにマクレーンとホリーの関係性を知られてしまう。




『身代金』(96)

身代金を要求するほうもされるほうも、テレビやネットを駆使する。

個人的にこの映画を観て、時代は変わりつつあるんだな・・・と実感した。


『トゥルーマン・ショー』(98)

メディアの持つ暴力性をシニカルな視点で捉え、高度な文明批評を展開した快作。




そしてやっぱり、
『ネットワーク』(76…トップ画像)を外すわけにはいかないでしょう。

40年前に発表されたこの映画は、未だ多くの映画人にとって最良のテキストとなっている。

テレビの可能性と危険性の両方を「ほぼ完璧」に描いてしまっている、じつにおそろしい作品だから。

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明日のコラムは・・・

『そういや凶作の年を知らない』
コメント (2)
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