Cape Fear、in JAPAN

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『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

映画監督別10傑(16)チャールズ・チャップリン

2018-05-25 00:10:00 | コラム
~チャールズ・チャップリンのキャリア10傑~

身体表現だけで満員の観客を虜にしていたキャリア前期と、「ことば」を獲得し命がけで独裁者や国家を批判したキャリア後期。

結局、この世界で最大の功績を残した映画人といえばチャップリンになるのかもしれない。


その面白さ、鋭さは21世紀のアンチャンネーチャンにも通ずる。


しかし。
最近はテレビ放映もされないし、新作映画も続々と公開されるものだから、画質がよいとはいえないモノクロームの作品なんて「特別な機会」が訪れないかぎり観ることがないだろう。

「ネットで」「たまたま」観たという19歳の映画青年が、「牧野さん、チャップリンってすげー面白いですね!」と興奮気味に話しかけてきたことがあり、ほんとうにうれしかった。

なんの関係性もないのに、「エラソーに」チャップリンを誇らしく思い、観てくれた彼に礼をいってコーヒーを奢った。


黒澤や小津、ジョン・フォードにフェリーニ。
スコセッシとヒッチコック、キューブリック、ゴダール。

そのすべてに触れてほしいけれど、なにはなくとも、まずはチャップリン。


だよね、映画の神様?


(1)『モダン・タイムス』(36)

最後のサイレント作品。

なぜサイレントにしたかは、この作品のテーマに直結する。


ただこのシーンだけは、トーキーとして表現。

それにしてもポーレット・ゴダードはかわいい。



(2)『独裁者』(40)

独裁者と善良な理髪師が、うりふたつだったら・・・という「ifもしも…」的な社会派喜劇。



ムッソリーニ(の、そっくりさん)との、子どもの喧嘩のような争いが好き。

(3)『街の灯』(31)

盲目の少女を救うために、奮闘する浮浪者の物語。

感動的に映るラストシーンは、しかし、少女側の視点で捉えてみると・・・というのが深い。

(4)『ライムライト』(52)

10代のころは、あまり好きではなかった。

けれども20代のころに観返して、落涙してしまった。


バスター・キートンと初共演を果たしているところも、ひじょうに感動的。



(5)『担へ銃』(18)

ほとんど使い物にならない兵士を通し、戦争の無意味さを描く。

これが、のちの『独裁者』につながっていく。

(6)『黄金狂時代』(25)

おかしくて、哀しい。

靴をステーキのように食すシークエンスは、名場面であるとともに、戦慄的でもある。

(7)『殺人狂時代』(47)

ストレートに戦争批判を繰り広げる後半よりも、ひとごろしがうまくいかず、作り笑いで誤魔化すチャップリンの演技に感心。



ほとんど名人芸なんだもの。

(8)『サーカス』(28)

チャップリン入門篇としては、このあたりが最適か。

このひとの笑いの要素が、満遍なく散りばめられていると思うから。

(9)『キッド』(21)

しっかり笑わせ、最後には泣かせる。

ファースト・ナショナル時代に撮られた佳作の数々は、そのあとにむかえる黄金期の習作といっていいのかもしれない。

(10)『偽牧師』(23)

定住出来ない孤高の浮浪者は、誰にも惜しまれることなく街を「逃げ出すように」去っていく。

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明日のコラムは・・・

『漱石もひとの子じゃ』
コメント (3)
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