Cape Fear、in JAPAN

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『Cape Fear』…恐怖の岬、の意。

シネマしりとり「薀蓄篇」(52)

2013-09-16 00:30:00 | コラム
りーとんぷ「そん」→「そん」ぐふぉーゆーえすえー(Song for U.S.A)

「タカモク」こと高杢禎彦が、いちばん好きだった。
ヒゲを生やし、ちょっと老けた感じのメンバーね。

次に童顔の鶴久政治。

チェッカーズの話。
だからタカモクの暴露本や、解散後に沢山出てきた不仲説というものに、軽く動揺なんかもした。

が、男7人だものね、最初から最後まで仲良しというほうが違和感ありあり、かもしれない。

彼らが絶頂期だったころ、自分は小・中学生で。
クラスの半数以上の女子はジャニーズLOVEだったと記憶しているが、少し派手な子、あるいは「あきらかに」ヤンキーだった子から、チェッカーズは熱烈な支持を受けていた。

ファッションも音楽も、彼ら自身は「ワル」という感じではなかったのにね、そこらへんが面白いなぁと。

自分はどうだったかって?
何度も書いている気がするが・・・
斉藤由貴、明菜、おニャン子という流れ。

おニャン子後期あたりで映画に夢中になり、しばらくは日本の音楽界に疎くなっていく、、、と。

基本は女子ばかり注目していたが、たとえば、いまカラオケに行ったとして、チェッカーズやC-C-B、少年隊の歌であれば大抵は歌詞を見ずに歌えたりする。
チェッカーズだったら『I Love you、SAYONARA』とか、かなり好きだものね。

なんだ自分、けっこう夢中になっていたんじゃないか?

そんなチェッカーズだが、映画への貢献という点では「あんまり、、、」というキャリアである。

売れたらスクリーン―という伝統的な流れはあるので、絶頂期に2本の映画には出演しているけれども。

85年の『CHECKERS IN TAN TAN たぬき』、
そして86年の『Song for U.S.A』。




自分、両方とも公開時に観ている。
公開1周目ということもあり、劇場は満員。
男女比はたしか、2:8くらいだったか。
窓口で販売するグッズは馬鹿売れで、上映時だってフミヤが大写しになるだけで悲鳴が上がったりしていた。

前者はタヌキがミュージシャンに化けるというファンタジーだが、硬派な感じで軟派な映画を撮る川島透が監督をしていることに驚く。
敢えて書くが、「仕方なく」引き受けた仕事だったのではないか。
自分が撮りたいもののために、その後の交渉をうまく進めていくために、イヤだけど撮る・・・というような話をすると不快な顔をするひとも居るが、あのスコセッシだってそういうことせざるを得ないのだよ、
当たり前のことだが、映画って商業なんだ。

後者は、物語はあってないようなもの―実際のチェッカーズが「冗談で」解散宣言をおこない、想像以上の騒動が巻き起こる。日本から「避難」した彼らが、米国で久し振りの休日を取る―だが、蜷川幸雄が俳優しているのが面白い。

音楽のみで評価すれば、印象に残るのは断然後者。
しかし映画としては、誰もが前者を選ぶのではないか。
後者は100分ちかいPVのようで、「映画を観た!」という感慨が生まれない。

フミヤの弟、藤井尚之なんて「俳優顔」しているのに、もったいないなぁ! と思った。


チェッカーズはその後、映画俳優していない。

解散後、「俳優している」メンバーも居ない。

あまり、いい思い出がないのかな?


次回のしりとりは・・・
そんぐふぉーゆーえす「えー」→「AK」。

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明日のコラムは・・・

『ぶりっ、ぶり。』

コメント (2)
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