顕正会問題に取り組んでいる人は気付いていると思うが、顕正会に関する問題点の1つが組織の在り方である。
在りし頃の“あっつぁの顕正会体験記”(通称、あっつぁブログ)では、この点を面白おかしく取り上げているのも特徴であった。
特にポテンヒットさんネタの“サトー様”は、実は顕正会の組織の在り方を端的に捉えているものであったのだ。
具体的には、大した器の無い人間が幹部になってしまい、害毒まみれの状態で部下を煽り、疲弊させていくというものだ。
大した器のある幹部は、逆に消えて行った。理由は【お察しください】。
私は顕正会では組長止まりで、実はこれが仏法・世法問わず、社会に出てから初めての役職であった。
後にも先にも、長の付く役職に就いたのはこれだけである。
まあ、私は上長を立てることはなく、尻尾も振らなければ揉み手も一切しない、野次を飛ばしているだけの人間なので、役職に推薦されないのは当たり前であろうか。
逆を言えば、仮に私が何か役職に就いたとしても、下の者が私に尻尾を振ろうが揉み手をしようが効かんということだが。
なので、私が組長に推薦されたのは純粋に弘通が進んだからの結果だったし、変な誓願も無かったので、当時の隊長からの推薦を受けただけに過ぎない。組長誓願なんてのがあったら、断ってたよ。冗談じゃないっての。
2000年代半ば頃かな。その頃からテキトー信心だった私は、何度か支隊長から注意を受けたが、
「出世の為の折伏はしたくないんでねぇ」
と、言い返してやった。
最初、
「あんたの出世の為の折伏はしたくないんでねぇ」
と、言うところだったが、それはさすがに言い過ぎだと思い、頭部分は略して言い返した。
そしたら、
「何を言うか。偉くなって行けば功徳も倍増、そして浅井先生からの直接指導も受けられるんだぞ」
ということだったので、こりゃダメだと思った。
ちょうどその頃、トチローさんからのコンタクトもあったしね。
潮時だと思ったさ。
法華講だとどうなのかっていうと、ヒラでも猊下に御目通りできるんだから、やっぱり大したことないなと思った。
私なんざ日如上人猊下への御目通り、2回だぜ。ヒラなのに。
いや、さすがに2回目は気まずかったけどね。理由は、【自主規制】。
いやいや、ばつ悪過ぎて、メチャクチャ帰りたかった。
講頭さんは立派な人達が多いのは認めるよ。
だけどね、ちょっとある法則があることに気付かないかな?
妙信講もそうだったけど、妙観講の大草講頭、そして事実上の講頭的立場であるトチローさん。
皆、社長さんなんだよね。
前々からどうしてかなと思っていたのだが、恐らくこういうことだと思う。
いや、御供養の額とかじゃなくてさ。それもあるんだろうけど。
意外と大企業の社長さんって、信心深い人が多いのだそうだ。
それは、宗教的思想が人を動かすことを知っているからなのだそうで、講頭クラスともなれば会社だけでなく、講中の信徒達を動かす立場でもあるから、余計にその技術が培われているのだと私は思う。
だから講頭職やその立場にいるあの人やこの人は、変な言い方をすれば、それこそ独立して教団を運営できるくらいのカリスマを持っていたりする。
その典型たる人物が、浅井会長や池田名誉会長だったのだろう。
確かに講頭職にいる人達は立派だと思うし、彼らの体験発表を聞くと、それだけで1つのドラマができるくらいの濃い内容だ。
私にもう少し文才があれば、是非ともそういった人達の誰かをモデルにしたサクセス小説を書きたいと思うのだが。
とどのつまり、私には向いていないということだな。
いや、小説じゃなくて、講中内でも何かの役に就くことが。
もうしばらくはヒラ信徒という立場が続くだろう。
……失礼、言い間違えた。
多分、このまま一生、ヒラ信徒という立場が続く。
これだな。
私の作品で、藤谷春人がどうして班長やってるのか今更疑問になってきた。
在りし頃の“あっつぁの顕正会体験記”(通称、あっつぁブログ)では、この点を面白おかしく取り上げているのも特徴であった。
特にポテンヒットさんネタの“サトー様”は、実は顕正会の組織の在り方を端的に捉えているものであったのだ。
具体的には、大した器の無い人間が幹部になってしまい、害毒まみれの状態で部下を煽り、疲弊させていくというものだ。
大した器のある幹部は、逆に消えて行った。理由は【お察しください】。
私は顕正会では組長止まりで、実はこれが仏法・世法問わず、社会に出てから初めての役職であった。
後にも先にも、長の付く役職に就いたのはこれだけである。
まあ、私は上長を立てることはなく、尻尾も振らなければ揉み手も一切しない、野次を飛ばしているだけの人間なので、役職に推薦されないのは当たり前であろうか。
逆を言えば、仮に私が何か役職に就いたとしても、下の者が私に尻尾を振ろうが揉み手をしようが効かんということだが。
なので、私が組長に推薦されたのは純粋に弘通が進んだからの結果だったし、変な誓願も無かったので、当時の隊長からの推薦を受けただけに過ぎない。組長誓願なんてのがあったら、断ってたよ。冗談じゃないっての。
2000年代半ば頃かな。その頃からテキトー信心だった私は、何度か支隊長から注意を受けたが、
「出世の為の折伏はしたくないんでねぇ」
と、言い返してやった。
最初、
「あんたの出世の為の折伏はしたくないんでねぇ」
と、言うところだったが、それはさすがに言い過ぎだと思い、頭部分は略して言い返した。
そしたら、
「何を言うか。偉くなって行けば功徳も倍増、そして浅井先生からの直接指導も受けられるんだぞ」
ということだったので、こりゃダメだと思った。
ちょうどその頃、トチローさんからのコンタクトもあったしね。
潮時だと思ったさ。
法華講だとどうなのかっていうと、ヒラでも猊下に御目通りできるんだから、やっぱり大したことないなと思った。
私なんざ日如上人猊下への御目通り、2回だぜ。ヒラなのに。
いや、さすがに2回目は気まずかったけどね。理由は、【自主規制】。
いやいや、ばつ悪過ぎて、メチャクチャ帰りたかった。
講頭さんは立派な人達が多いのは認めるよ。
だけどね、ちょっとある法則があることに気付かないかな?
妙信講もそうだったけど、妙観講の大草講頭、そして事実上の講頭的立場であるトチローさん。
皆、社長さんなんだよね。
前々からどうしてかなと思っていたのだが、恐らくこういうことだと思う。
いや、御供養の額とかじゃなくてさ。それもあるんだろうけど。
意外と大企業の社長さんって、信心深い人が多いのだそうだ。
それは、宗教的思想が人を動かすことを知っているからなのだそうで、講頭クラスともなれば会社だけでなく、講中の信徒達を動かす立場でもあるから、余計にその技術が培われているのだと私は思う。
だから講頭職やその立場にいるあの人やこの人は、変な言い方をすれば、それこそ独立して教団を運営できるくらいのカリスマを持っていたりする。
その典型たる人物が、浅井会長や池田名誉会長だったのだろう。
確かに講頭職にいる人達は立派だと思うし、彼らの体験発表を聞くと、それだけで1つのドラマができるくらいの濃い内容だ。
私にもう少し文才があれば、是非ともそういった人達の誰かをモデルにしたサクセス小説を書きたいと思うのだが。
とどのつまり、私には向いていないということだな。
いや、小説じゃなくて、講中内でも何かの役に就くことが。
もうしばらくはヒラ信徒という立場が続くだろう。
……失礼、言い間違えた。
多分、このまま一生、ヒラ信徒という立場が続く。
これだな。
私の作品で、藤谷春人がどうして班長やってるのか今更疑問になってきた。