Linkman#41  乱読の後始末

-乱読、精読、積読-

書籍に触発されて「思考と空想」は、知の荒野を駆け巡るのか…

ペレ自伝   Pele 伊達 淳 訳(白水社)

2016年08月30日 | 
Hitorigaten

 中学校の部活を通じてサッカー道に入門した切欠は、1968メキシコオリンピック日本チームの銅メダルであったと記憶している。
 そして、レベルは兎も角、中・高・大、社会人チームにおける草サッカー選手生活にのめりこんでいった理由はただ一つ、「神様Pele」…
 およそ半世紀前の家庭にビデオ等がない時代、三菱ダイヤモンドサッカー(東京12ch)で放映された1970メキシコW杯のPeleのプレースタイル(天使のドリブル、40mループシュート、ジャックナイフヘッド等々)を視たときの感動や喜びは、今でも目を閉じると、鮮やかに脳裏に甦ってくる…
 そして、本書では、未だ世界中の人々から愛され続けて止まない「人間Pele」の秘密の一端を垣間見た思いである。


○フットボールは格別です。チームスポーツであり、一人では試合になりません-チームメイトたちとの間に完璧なハーモニーが生まれたときは、何か魔法に掛かったような高揚感を覚えます
○絶妙のタイミングでフォワードに渡ったパスは、ゴールそのものと全く同じレベルで重要なのです
○全てが噛み合った時、その美しさはまるで、細部に至るまで丁寧に振り付けられたダンスを踊っているかのようです
○そういうプレーができたときの観客のみなさんにスリルを味わってもらうこともできますし、試合の醍醐味、美しさを理解してもらうことも可能になります
○父は私をエドソンと名付けました。電球を発明したトーマス・エジソンに敬意を表したのです
○空腹がそれなりに満たされ、ちょっとした玩具でもあって母親の近くにいられれば、幼い時はそれでも十分なのです。人生は輝くのです!
○わたしたちは自分の原点をいつまでも覚えておくべきだと思います。後にわたしは多くのことを経験できるように、なりましたが、それでも濃密で美しい下積み時代があったからこそ、その後の色んな出来事があったのです
○三十年の現役生活のなかで、わたしは後ろから来た選手にボールを奪われた記憶がありません
○ボールの受け方を知っている者は多くありませんでした
○技術的に優れた子供はたくさんいるのですが、ボールを待つと若干遅くなるのです。わたしはそこのスピードが違いました
○わたしが神から授かった才能の一つは、ワールドカップの優勝のメンバーになっても変わることのなかった性格だと思います
○自分の息子を裁くつもりなどありません。何があっても、どんなことがあっても、息子が無罪になって釈放され、再び人生をあゆみはじめられるようになってほしいと願うばかりです
○贅沢とは豊かに生きることであり、家の中が快適であること-Pele
コメント
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