日々の暮らしに輝きを!

since 2011
俳人杉田久女(考)、旅行記&つれづれ記、お出かけ記など。

井上靖 著 『わが一期一会』

2012年07月16日 | 読書

九州はここ数日梅雨前線の影響で大雨に見舞われ、場所によっては1時間に100ミリを越す豪雨となりました。この雨で福岡県の矢部川など河川が氾濫し、九州各地で38万人に避難指示、勧告が出され、亡くなられた方も20名を越えています。

このブログを書いている最中にも、北九州地方、筑豊に大雨洪水注意報が出たとの緊急ニュース速報が流れています。被災された方には心よりお見舞い申し上げます。

終日の雨で家にこもりきりになり、本棚にある井上靖 著『わが一期一会』(知的生き方文庫)を取り出して読みました。この本は20年以上前から、いつも私の本棚にあり、ゆったりした時間が出来た時や気持ちが疲れた時などに、時々ページをめくっています。

Photo_3 <『わが一期一会』>

著者の人生において再び繰り返す事のない一度だけの出会い、別れ、旅、文学、又その時々の感情、旅行中に強く印象づけられる旅情、あるいは自分の著書についての見解など、一つ一つ丁寧につづられていて、私にとって、ほんとにそうだな~と共感できる部分が多いエッセイ集です。

「穂高の月、ヒマラヤの月」の項目で、月に照らされた山について、昼の明るい山と違がって、夜の山は陰うつに押し黙り、ふてぶてしく居座っているという表現があり、ずっと以前に、穂高岳の様な高い山ではありませんが、山でまったく同様に感じたことがあり、感性が一緒なんだと嬉しい気持ちになったこともありました。

又ご自身の著書『額田女王』や『青き狼』などについての見解、解釈なども記されています井上靖さんは史実に基づいた事に、ご自身の解釈を加えて小説世界を創り出されていた様ですね。

『青き狼』の中に、主人公のチンギスカンと彼が戦場に伴う程愛していた側室、クランとの愛情が綴られた箇所があります。そして二人の間に生まれたガウランという皇子を無名の雑兵達の群に投じ、そこから出発させたのに対し、その他の側室達との間に生まれた皇子達は、権力者の子供として特別のスタートラインから出発させたとあります。

その理由は戦場に伴うほど愛していたクランへの愛情が特殊であったのと同じ様に、二人の間に生まれたガウランにも、他の皇子達とは違う特殊な愛情を持っていた。なのでチンギスカンが自分自身そうであった様に、自分の運命を自分で開拓してほしいという願望をこの皇子にかけた、という設定にしたと、この本の中で説明されています。

クランを戦場に伴った事、ガウランを雑兵の中に投じた事、この二つは文献にも出てくる事実だそうで、この事実を基に井上靖さんは小説世界を創りだされたんですね~。

そのように設定した理由について、なるほどね~とは思うものの、私はホントは今でも納得がいかないんですけどね(笑)。

そして事実、無名の雑兵の中に投じられたガウランは、再びその存在を社会の表に出してくる事は無かったのに対して、特別のスタートラインから出発した他の皇子達はチンギスカンの後継者として次代をになう人物に育っていったのだそうです。

本の表題の一期一会は茶道の言葉だそうですが、そこから取り出して日常のなかに於いても、まったく当てはまる言葉だと思います。考えてみれば生きていく上で、すべてが一期一会で、あらゆることが再び繰り返される事は無いのですよね。こう考えると、今までの荒っぽい自分の生き方を反省し、もう少し丁寧に過ごしていかなければとは思うものの、これはなかなか難しい。

そこで茶の湯という特殊な約束の世界を設定し、せめてそこに於いてだけでも、一期一会の精神を生かそうというのが、茶道の開拓者達の考えであったのでしょうと著者はあとがきの中で書いておられます。

この本は、もう20年以上も前から折にふれ読む本で、私にとって座右の書といっていいかもしれませんが、自分の年齢によって新しい発見というか、見方が変わって来る本で、なかなか手放せない大切にしている本の一つです。

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福岡市西はずれの隠れ家レストラン

2012年07月07日 | お出かけ

友人数人と福岡市の西はずれ、今宿近くにある、隠れ家風(?)のイタリアンレストラン「Di Mare(ディマーレ)」に行ってみました。

今宿は博多湾に面した風向明媚な所で、近年福岡市のベッドタウンとして開け、すぐお隣は前原市です。

その今宿から、山手へ2km程、下の写真の様な田植えが終わったばかりの田んぼの中の道や、住宅地の中を車で通り抜けると、道は極端に狭くなってきて、ホントにこんな所にレストランがあるの?という感じの所をさらにしばらく走り続けるとお目当てのイタリアンレストラン「Di Mare(ディマーレ)」に到着です。

Photo <田んぼの中の道>

イタリアの田舎風の赤茶色の外壁にツタの絡まったロマンティックな建物が私たちを迎えてくれました。

Photo_2 <Di Mare(ディマーレ)>

Photo_3 <お店の入り口>

紫陽花の咲き乱れる前庭を通り抜けて中に入ると、意外な空間が広がっていました。

Photo_4 <入り口ホール>

Photo_5 <ワイン棚>

メニューにはアラカルトはなく、前菜、スープ、パスタ、メイン、デザートとキッチリしたコース料理になっています。料理の素材には近くの糸島の肉や野菜、博多湾でとれる魚などが多く使われているのだそう。

Photo_6 <前菜>

Photo_7 <メイン料理>

静かな半個室で、シンプルな味付けの美味しいお料理が、お客さんの様子を見計らって絶妙なタイミングで運ばれてくるので、友達とのお喋りも楽しく、忙しい日常を忘れ、どこか別天地にいるような気分になりました。

食事の後は外に出て、お庭や周りの景色を楽しみました。

Photo_11

Photo_12

Photo_13

道に出ると遠くに博多湾が望めます。

Photo_14 <遠くに博多湾>

「Di Mare(ディマーレ)」は、福岡市の西の中心、西新、藤崎地区からでも、車で30分程かかる、今風にいう「隠れ家レストラン」です。なので車がないと、行くのに苦労する感じの場所にありますが、何かの記念日などをここで過ごすと、一層印象深い時間が過ごせるかもしれません。

町から離れた場所にあるにも関わらず、今年が開店10周年なのだそうで、リピーターのファンが多くいらっしゃるのでしょうね。

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染矢敦子さんのミニコンサート

2012年07月04日 | お出かけ

染矢敦子さんのミニコンサートを聞きました。

Photo <染矢敦子さん(ネットより拝借)

場所はナント近くの公民館!

公民館の4回ある人権学習のうちの一つに染矢さんが来て下さったのです。

昨年大好評だったので、今年も、となったのだとか(これは館長さんのお話)。

染矢敦子さんって、初めて聞くお名前でしたが、彼女は福岡を中心に活躍されているシンガーソングライター。

コンサートのほかに、学校、児童福祉施設、公民館などで命の授業、人権の授業などの活動をされているそう!

登場された時の第一印象はふわっとした方!

自然な歌声で、ご自身の生い立ちをはさみながら、常日頃思っている事、体験などを歌とともに届けてくださいました。

歌と歌の間に、自分が今ここにある事を当たり前だと思ってはいけない、あなたはあなたでだいじょうぶ、言葉が持っている大切さ、大きさなどなどのお話。

どれもストンと心に入ってくるお話ばかりで、爽やかな歌声とともに、何だかとても大切なものを受け取った気持ちになりました。

並べてあった椅子だけでは足りずに、又椅子をだしてホールいっぱい、ぎゅうぎゅうにつめて聞きました、70~80人位?

最後は皆で「さあ手をつなごう」を歌い、すっごく大きな拍手でお開きに。

染谷敦子さんありがとう!

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2030年、原発比率15パーセント

2012年07月01日 | つれづれ
 
ここ数日消費税増税法案の採決や民主党の分裂問題に押され影が薄くなっている、わが国の将来のエネルギー問題ですが、これが国家の重要課題であることには変わりはありません。
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北海道電力泊原発3号機が5月5日に定期点検の為停止し、先日、関西電力大飯原発3、4号機の再稼動の決定がされたものの、まだ準備期間中ということなので(明日7月2日稼動開始)、現在日本は国内にある50基の原発すべてが停止した状態です。これは原発黎明期をのぞいて、42年ぶりの事なのだとか。
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原子力発電の是非については、日本の将来のエネルギー像にかかわることで、簡単にブログ記事に出来るテーマではありませんが、それについての不安や疑問を書いてみようと思います。
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今回の原発事故で未だに自宅に帰る見込みも立たないまま、多くの方々が苦しんでおられるのに、又原発に対して不安の声が国民の間に根強いのに、意外な程早々と大飯原発の再稼動が決まった気がします。すべての原発を震災前と同じ状態に稼動させたいと考える大きな力が働いているのでは、と思うのは考え過ぎでしょうか?
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原発がある地区の自治体の長が、早く再稼動させたいと政府に申し入れをしたのも、原発補助金が自治体の予算の大きな部分を占めている事を思えば分からないではありませんが、何か腑に落ちません。実際にそこに住む人々の多くが、ホントにそう考えているのかなと思ってしまいます。
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一方で現在原発ゼロの状態なのに、今のところ産業にもそんなに大きな影響が出ていないではないか、原発ゼロでもやっていけるのではという声も時々聞きますが、これもあまりにも安易な考えの様に思われます。これから夏場にかけて、産業用電気の不足という不安が少しでもあれば、工場は稼動させられないでしょうし、そうなるとさらなる景気の悪化になるのではと思われます。
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折りしも、昨日(6/30)の毎日新聞に、「政府は29日、エネルギー・環境会議を開き、新たな中長期のエネルギーと地球温暖化対策に関する三つの選択肢を決めた」という記事が出ています。
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三つの選択肢とは、2030年の総発電量に占める原発の比率は①0%(脱原発)、②15%(依存度低減)③20~25%(一定程度維持)の三つで、国民の意見を踏まえて政府が8月にも決める、となっています。
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③については、震災前の原子力発電の割合が約30%だったので、僅か5%減にしただけで、一定程度維持という表現はそぐわない様に思いますが...。現状維持に限りなく近く、今回の事故があったので、形だけ減らしたと思われても仕方ないでしょう。もし③に決まれば20~25%ではなく、25%の線に落ち着くのは、今までの経緯をみると明らかなのですから。
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記事では、2030年の総発電量に占める原発の比率を、国民の意見を踏まえ政府が8月にも決めるとなってはいますが、様々な賛否の論議をセレモニー的に経て、最終的に震災前稼働率より僅か5%減の25%の③に決まってしまうのではと、一人気をもんでいます。
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もし③の決定がなされたら、それは多くの国民の希望とはだいぶ違う形だと思うのです...。ずっと先の将来的には脱原発が理想だとは思いますが、今を考えると必要最小限の原発の稼動はやむを得ないのではないでしょうか。しかし震災前と僅か5%減の稼働率で原発を動かす事に、賛成する人は多くはいないでしょう。
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これほど大きな事故を体験したのに、原発を震災前より僅か5%減の稼働率で再び動かそうとする人の考えが、私にはよくわかりません。私は上の案でいうなら②の15%(依存度低減)くらいなら仕方ないのではと思います。2030年までに原発依存度を震災前の半分の15パーセントにし、15%の目標をテコに、自然エネルギーによる発電の研究、開発、創出に邁進する事が今一番重要で、その過程の中でこそ、遠い将来の脱原発の知恵が生まれると信じたいのです。
 
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