日々の暮らしに輝きを!

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俳人杉田久女(考)、旅行記&つれづれ記、お出かけ記など。

クリスマス会

2018年12月25日 | つれづれ

昨日、我が家で子供達と孫達合わせて13人でクリスマス会をしました。福岡市に住むようになって、大きなクリスマスツリーを買って以来、毎年クリスマス会をしています。最初は孫の数も少なく、今よりだいぶ少人数だったのが、いつの間にか13人になりました。ひょっとしてまだ増えるかも(^-^)  


私もだんだん歳をとって来て、このための買い物などが億劫になり、またすぐ大晦日、お正月と皆が集まることも多いので、「クリスマス会は今年はやめにしない?」と皆に提案したところ、孫達から「毎年、とても楽しみにしているのでやめないで!」との声があがり、それを聞くと私も嬉しくなって、今年も頑張ることにしました。

今年は夫の提案でビンゴゲームを取り入れました。賞品の買い物は娘がやってくれましたが、このゲーム、非常に盛り上がりますね~。みんな真剣で大盛り上がりでしたよ(笑)

お開きになって皆が帰ったあと、夫と「13人全員が風邪もひかず元気に集まることが出来たのでよかったね」と話し、来年もまたビンゴゲームをしようということで今年のクリスマス会の〆としました(^-^)

                             

今年も残り少なくなりました。細々と続けている拙いブログに、お越し頂いて有難うございました。今度のお正月
は平成最後のお正月ですね。来年はどんな年になるのでしょう? どうか天変地異のない穏やかな年であってほしいと願うばかりです。

皆様、お体にお気を付けて年末年始をお過ごし下さい。新しい年にまたお会い致しましょう。それまでごきげんよう








秋の東北紅葉狩り ~松島~

2018年12月22日 |    東北(2018)

県庁見学の後、ホテルに戻り朝食など一息入れた後、松島へ向かいました。松島へは仙台中心部から車で45号線を通って40分位で着きました。松島は言わずと知れた宮島、天橋立と並ぶ日本三景の一つです。

遊覧船乗り場の近く、松島湾の海岸線沿いに五大堂がありました。五大堂はもともと坂上田村麻呂が建立し、17世紀初めに伊達政宗が改築した東北地方最古の桃山建築で、国の重要文化財に指定されているそうです。
<五大堂>

お堂の中の厨子内に慈覚大師手彫りと伝わる五大明王が安置され、それは平安時代中期に作られた秘仏と言われているそうです。五大明王がお堂内にあるから五大堂なんですね!海に向かって建てられたお堂で、海側から見るとこんな感じでした。


五大堂近くの乗り場から遊覧船に乗り松島湾を巡りました。この日の朝は小雨がぱらつくお天気で、遊覧船に乗る頃は雨はあがっていましたが、今にもまた降り出しそうな、どんよりした曇り空でした。松島湾に浮かぶ小さな島々の木々も、松島の名の通り松が多く日本的な景観でした。



遊覧船からの景色の素晴しさは、お天気に左右されますね。この日のお天気は今一つで、日本三景の一つに数えられる天下の絶景、松島も形無しといったところで、非常に残念でした。

遊覧船から降りた後、松島湾を見下ろす小高い場所に在る「西行戻しの松公園」内にある、カフェ「ロマン」に行ってみました。少し高いところから松島湾が見渡せて、なかなか良いお洒落カフェでした。
<カフェ「ロマン」>



松島を観光した後、その日の夕方に福岡市の我が家に戻りました。


                 

10月下旬に行った旅行の記事をのんびりと書き続け、終わってみれば年末になっていました。いつも拙い記事を覗いて下さってありがとうごさいます。これからも細々とではありますが、ブログ綴りを続けようと思いますので、よろしくお願い致します。

 

 


秋の東北紅葉狩り ~宮城県庁(18)~

2018年12月16日 | 県庁めぐり

宮城県庁は前日の夕方に見学の予定でしたが、東北地方は私が住む北部九州より日没が早いのですね。それを忘れて、鳴子峡から仙台に着いた時は少し暮れかかっていたので、予定していたその日の見学は取りやめ、翌日の早朝にホテルから一人で県庁見学に出掛けました。

まずJR仙台駅に寄ってみました。仙台駅前を西に走る、クリーンベルトのある片側4車線の立派な通りは青葉通りと呼ばれています。ケヤキ並木がキレイですね~。この通りを2km位西に走ると広瀬川が流れています。広瀬川の向こうの高台には西公園や仙台城址が広がり、東北大学の一部の学部もここにあるようです。
<JR仙台駅>
<青葉通り>

この通りに限らず、仙台市中心部は道幅が広くスッキリした感じがしました。タクシー運転手さんに聞いた話ですが、市の中心部は戦災で焼け野原になってしまい、戦後に市長になられた方の考えで、現在の街の原型が出来たのだそうです。その時「こんな広い通りが何故必要なのか」と随分批判を浴びたそうですが、彼の考えに沿って都市計画され、現在のスッキリした景観になったとのことでした。

宮城県庁はJR仙台駅の北西約1.5km位の所にあります。県庁周辺は緑が多く、「杜の都」と呼ばれるにふさわしい景観を醸しています。特に庁舎前の銀杏並木は綺麗でした。
<宮城県庁>



県庁HPによると、現在の県庁舎は、平成元年5月に完成したそうで、地上18階、地下2階建て、高さが89.8メートルだそう。雨水利用システムやソーラーシステム,空調や照明などの自動監視制御により、省資源・省エネルギーに対応した建物で、地方自治体では初めて本格的なLAN(構内情報通信網)を取り入れたインテリジェントビルなんだそうです。

丁度朝の出勤時間で、県庁職員の方々が次々に庁舎に入られるのと一緒に私も中に入りました。入るとすぐに予想外に広いロビーになっています。まだ早くて受け付けも閉まっていたので聞けませんでしたが、おそらくここでは色々な催しが行われたりもするのではと思います。
<ロビー>

18階が展望ルームになっていて、仙台市の街並みが一望でき、林立するビル群や秋の深まりを感じさせる景観をじっくり見ることが出来ました。
<18F展望ルーム>


下の写真は展望ルーム南側の窓からの景色で、下側に少し緑が写っていますが、写真には写っていない更に下は「匂当台公園」と呼ばれる公園があり、木々で覆われ秋の深まりが感じられる公園でした。左下方に交差点が写っていますが、この交差点を広瀬川方面に右折すると、七夕まつりが行われる通りの一つの定禅寺通りです。


定禅寺通りを何故か一枚も写していないのが自分でも不思議ですが、定禅寺通りは立派な通りで道の両側にはケヤキ並木が続き、道の中央部には遊歩道付きの緑地帯が設けられていました。そこにもケヤキが植わっていて、いわば「杜の都、仙台」を象徴する様な通りだと感じました。

                    

宮城県は肥沃な沖積平野が広がる米どころで、「ササニシキ」「ひとめぼれ」などはよく知られています。

又、全国屈指の水産県で、金華山・三陸沖合には親潮(寒流)と黒潮(暖流)の潮目が形成される世界有数の漁場を有し,マグロ,カツオ,カジキ,サンマをはじめ多種多様な魚が豊富に漁獲されます。沿岸ではノリ,カキ,ワカメ,ホタテガイ,ギンザケ,ホヤなどの養殖が盛んです。

県庁HPによると、【東日本大震災により,水産業は甚大な被害を受けましたが,国内外の皆様からの御支援と関係者の懸命な努力により着実に復旧しています。引き続き,関係者が一丸となって「水産みやぎの復興の総仕上げ」の実現に向かって取り組んでまいります。】と書かれています。

宮城県の人口はH.30.11.30現在で推計2,313,443人

(県庁所在地 宮城県仙台市青葉区本町3丁目8番1号)

(県庁見学日 H.30.10.31日)

 

 


秋の東北紅葉狩り ~厳美渓、鳴子峡~

2018年12月08日 |    東北(2018)

平泉から東北自動車道を15~6㎞南下すると一関市ですが、ここに厳美渓(げんびけい)があります。この旅行の手配をお願いした旅行社の方が、厳美渓は東北の有名な紅葉スポットですと言われていましたが、時期が少し早かったのか、紅葉真っ盛りという程ではなかったです。
<厳美渓>

それでも奇岩の連なる素晴しい渓谷美を楽しみました。それともう一つここの名物は、「かっこう団子」と呼ばれるものです。空の籠にお金を入れて渓谷の対岸にあるお店にロープ伝いに籠を届けると、お店からお団子を入れた籠がまたロープ伝いにこちら側に戻って来ます。私はしませんでしたが、大勢の観光客がこの遣り取りを楽しんでおられました。

東北自動車道を更に南下し、古川ICから1時間程で次の目的地の鳴子峡に着きました。平日にも関わらず、広い駐車場は何台もの大型観光バスやマイカーなどでほぼ満車状態でした。これを見ただけでもここが人気の紅葉スポットなのだとわかりました。

紅葉観賞地点のレストハウスまで歩く途中から人々の歓声が聞こえて来ました。そして、そこに着くと見えたのは、色とりどりの美しい紅葉に彩られた圧巻の秋景色でした。どうも最高の時期に来合わせたらしく、今までにこんなに美しい紅葉を見たことがありません。このめぐりあわせに感謝するとともに、ここを離れがたく思いました。                                 <鳴子峡>

渓谷に架かるのは大深沢橋と呼ばれるアーチ型の鉄橋で、鳴子峡のシンボルです。この橋は人も車も通行可能で橋の上から鳴子峡を眺めることもできます。

この美しいダイナミックな一面の秋景色をいつまでも眺めていたかったのですが、明るいうちに仙台に着かなければいけないので、思いを残しながら鳴子峡を後にしました。




 


秋の東北紅葉狩り ~中尊寺~

2018年12月03日 |    東北(2018)

四日目は中尊寺、厳美渓、鳴子峡を巡りました。盛岡から東北自動車道を南下すること約1時間で平泉前沢ICに着き、そこから10分ちょっとで中尊寺でした。

中尊寺は藤原四代の栄華に触れる場所です。道の両側に杉の大木が続く表参道の月見坂をしばらく登ると中尊寺本堂に着きますが、途中に杉並木が途切れて、はるか向うを見渡せる物見台があります。そこにはこんな景色が広がっていました(私が作った切り張り写真なので見にくいですが)。
       

上の写真の右寄りに白っぽく写っているのが、蛇行する北上川です。蛇行しているので写真では一部しか写らず池の様に見えていますが、北上川はこの写真の右側へと流れています。北上川の左手は、写真の様に今は何もなく畑や田んぼがずっと広がっていました。

12世紀頃、藤原清衡から泰衡まで四代にわたり栄えた平泉。ガイドブックによると当時の人口は京都に次ぐ規模を誇っていたそうで、今は畑や田んぼが広がっている、上の写真の辺りには多くの人々が住み、商業が盛んでとても賑わっていたと言われているそうです。

往時を想像しながら、物見台からここを眺めていると、一瞬当時の町の賑わいが聞こえて来た様な気がしました。遥かな時の流れと、その中でまばたきの様な一生を終える私達のことを思い、悠久の時の流れや悠久の自然の中で生きる人間というものを改めて考えました。そして中尊寺にある沢山の歴史あるお堂より何より、私にとってこの物見台から見える景色は感慨深いものでした。

中尊寺境内は観光シーズンでもあり多くの人々が訪れていました。金色堂は、本堂前の道をはさんで斜め前辺りの木立の中にある現代建築の覆い堂内にあります。堂内は写真撮影は禁じられていましたが、その内陣は螺鈿細工、蒔絵などの漆工芸や細密な彫金で飾られ、まばゆいばかりでした。中央の須弥壇下には藤原四代のご遺体がミイラ状で埋葬されているそうです。
<覆い堂内に金色堂があります>

藤原四代の清衡公、基衡公、秀衡公、泰衡公は、12世紀のこの奥州平泉の地に100年の平和をもたらしたという意味において、偉大な為政者であったのだと思いながら平泉を後にしました。

        夏草や 兵どもが 夢のあと
                          松尾芭蕉