日々の暮らしに輝きを!

since 2011
俳人杉田久女(考)、旅行記&つれづれ記、お出かけ記など。

原木椎茸

2012年03月19日 | つれづれ

昨日、佐賀県唐津市に住む友人から宅急便で椎茸が送られて来ました。

<届いた椎茸>

友人は定年退職した後、椎茸栽培に取り組み、4年で 佐賀県しいたけ品評会で優秀賞を受賞するまでになられました。

Photo_2 <佐賀県しいたけ品評会(ネットより拝借)>

送られて来た椎茸は傘の径が15センチ程もある新鮮なジャンボ椎茸で、ビックリするほど肉厚で、品評会での優秀賞受賞の名にたがわない、それはそれは立派なものです。

昨日はさっそく、軽く塩を振りグリルで焼いて酢じょう油で、今日はしいたけの裏表にバターとお醤油を塗り、グリルで焼きレモンをかけて頂きました。今までスーパーなどで買っていたものと違い、味といい香りといい、食感といい、格別の美味しさでした。

Photo_2 <塩グリル焼き>

Photo_3 <バターグリル焼き>

友人によると、椎茸には原木椎茸と菌床椎茸の2種類があるそうです。

友人が栽培しているのは原木椎茸ですが、これは原木にキノコ菌を人の手で植え(ほだ木)、キノコを発生させる方法です。原木椎茸の特徴は、農薬や肥料を使わず自然の中で育つので、味や香りが良いこと、丈夫で肉厚である事などで、収穫の時期は11月~4月までだそうです。日本全国で原木椎茸の取り扱いは2割程度らしく、原木椎茸の栽培には大変な体力が必要で、栽培の最初の数年はかなりの資金を必要とするのだそうです。

菌床椎茸は薬品などを使い大量に工場生産するので1年中収穫出来るそうで、普通スーパーなどで売られているのは大部分が菌床椎茸だそうです。

椎茸といえばヘルシーで低カロリーというイメージで、和風、洋風どちらにも使える食材なので、これから需要はますます増えるのではと思います。美味しい原木椎茸ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

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がれき処理に思う

2012年03月18日 | つれづれ
 
東日本大震災から11日で1年が過ぎ、各地で追悼式や慰霊の祈りが捧げられました。津波が押し寄せ、すべてをのみ込むテレビ映像を見て、呆然とした日から早1年が経ちました。被災された方々のこれまでのご苦労を思うと、胸がつまり、励ましの言葉も見つかりません。
報道によると、震災後1年たった現在、インフラ整備や工場再建は進んでいるそうですが、がれき処理に関しては遅々として進まないということです。
東北3県のがれき推計量は、約2,247万トン(岩手県約449万トン、宮城県約1,570万トン、福島県約225万トン)で、これは全国の年間一般廃棄物総量の2分の1に相当するそうです。
一言でがれきといっても木材や畳、布、プラスチック製品、コンクリート、石など様々で、積みあがった現場で大まかな選別をした後、被災したそれぞれの沿岸市町村の仮置き場へ移し、ここでも再度選別し、これを受け入れを承諾してくれた全国の自治体に搬送する広域処理を計画しているそうですが、受け入れを拒否する自治体が多く、計画は大幅に遅れ、現在、広域処理されたがれきは全体の6.7%だけなんだそうです。
これはあまりにも情けなく、残念な事だと思います。「がんばろう、日本」「がんばれ、東北」などのスローガンはいったい何だったのだろう?と考えざるをえません。
がれきの処理は東北の復興にまず必要な事であり、受け入れを拒否する事は、被災地の方々の気持ちを逆なですることになると思います。
自治体の受け入れ拒否の大きな理由は、放射線量が不明確なので、住民が受け入れに反対しているからという事ですが、国の基準値を満たした数字であれば、たとえ低レベルの放射線量があったとしても、受け入れるべきだと思います。ある程度の放射線量は通常の環境の中にもあるものですから。
日本列島は火山列島であり、いつ自分の住んでいる所が東北の被災地と同じ状態になるかもしれません。がれき処理はそれぞれが自分のこととして考え、日本全体で引き受ける覚悟が必要だと思います。
野田総理は3月11日に「震災により岩手、宮城両県で出たがれきを、災害廃棄物処理特別措置法に基づき、被災県を除く全都道府県に受け入れるよう文書で正式に要請する」と表明しました。
3月16日現在、9の都道府県が、がれき受け入れを表明しているだけですが、この要請により、がれき受け入れが早々に全国に広がって、がれき処理が少しでも早く完了する事を願っています。
しきりに言われている「絆」という言葉が本物かどうかが、今、問われているのではないでしょうか?

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美空ひばり展 「夢」

2012年03月15日 | お出かけ

昨日、福岡三越で買い物をした際に、8Fの催事場で開催中の "美空ひばり展「夢」(3月13日~18日)" の招待券を頂いたので、買い物の後、行ってみました。

昭和を代表する歌手・美空ひばりさんが平成元年6月に52歳という若さで亡くなられ、平成23年6月が23回忌にあたります。この催しも23回忌追悼記念と銘打って昨年から全国各地を巡回している様です。

Photo <ポスター>

Photo_2 <ポスター裏>

私は美空ひばりさんの大ファンという程でもありませんが、彼女は昭和史にその名を大きく刻み、今なお私達の胸に生き続けています。

今回の展示には、自筆の詩や画、手紙、写真、パスポートやチケット、ステージ衣装、プライベートで着用したドレス、その他、貴重な思い出の品々が数多く出され、彼女の仕事、生活が偲ばれました。

ひばりさんは森英恵さんデザインの洋服がお好きだった様で、ステージ衣装、プライベートな洋服など森さんデザインの洋服が多く展示されていました。そして思いの外、小柄な方だったんですね~。ウエストサイズなどは予想外に細かったですよ。

特に目を引いたのは、彼女が日常使用していた机の上に並べられていた品々です。すべて彼女が愛用した品々で、ありし日のまま再現したということです。広辞苑、大辞林、故事ことわざ事典など辞書が多いのは、彼女が勉強家だったことを物語るもので、特に大辞林は使い込まれていました。ひばりさんと辞書、意外な取り合わせですね~。

今回の催しの目玉だと思いますが、ひばりさんの目黒区青葉台の自宅寝室が再現され、普段使っていたダブルサイズのベッド、洋服箪笥、鏡台などが展示されていました。どの家具もそれ程豪華なものではなく、鏡台は意外にも小ぶりで驚きました。

先を急いでいたので、私は見れませんでしたが、会場内にはひばりさんのステージ映像が見られるコーナーもありました。

会場を出た場所に、ひばりさんのCDやDVD、写真、ひばり関連グッズ等を売っているコーナーがありましたが、かなりの人だかりが出来ている様でした。

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祖原公園(元寇遺跡)

2012年03月12日 | お出かけ

めっきり春らしくなって来た昨日、福岡市西新の南にある祖原公園に登ってみました。この公園は小高い丘の上(標高約35m)にあり、松ぼっくりやどんぐりが拾える雑木林は付近の子供達の格好の遊び場になっています。

ここは又、今から738年前の1274年の文永の役の際、蒙古軍(元軍)が博多湾に上陸して本陣を構えた場所です。百道浜の海岸線から約3Kmの所にあり、ここまで攻め込まれていたのですね~。

Photo_2 <元寇遺跡碑>

元軍は室見川河口から上陸し、祖原山に本陣を構え、日本軍は鳥飼、赤坂一帯で迎え撃ったと言われています。公園の中には「元寇租原戦跡」の石碑が建っています。

Photo_3 <「元寇租原戦跡」の石碑>

日本軍と元軍とでは合戦の作法がまったく異なっていたのだそうです。日本の武士達の戦いは一騎打ちでお互いが名乗り合い、相手を確認してからの合戦で、元軍の戦いは大将の指揮による集団戦だったといわれています。

日本軍はいまだ経験したことがない戦い方にとまどい、多くの武士が討たれ、鳥飼、赤坂辺りで激しい戦闘を繰り広げました。日本の武士達の活躍にもかかわらず、元軍が優勢で日本軍は太宰府の水城まで退却したのだそうです。

ところが翌日の朝、元軍が上陸した海の方を見渡したところ、元の船は皆いなくなっていました。神風は1274年の文永の役と1281年の弘安の役の2度起こったと広く信じられていましたが、確実に起こったの1281年の弘安の役の時のみで、文永の役の際には補給の不備などから元軍が自ら撤退したものであり、暴風は起こらなかったとする説が今では有力なのだそうです。

今から3、40年前までは、祖原公園から蒙古軍が上陸した百道浜方面がよく見えましたが、今は手前のビル群にさえぎられて、海岸線はまったく見えなくなりました。

Photo_5 <ビル群にさえぎられた百道浜方面>

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曽野綾子著 『老いの才覚』

2012年03月03日 | 読書

福岡市は3月に入って寒さが急に和らいで来ました。1、2月の朝の、身を切るような寒さがいつの間にか消えて、春の訪れを感じる穏やかさが漂ってきました。皆様の所は如何でしょうか。

書店で「2011年(新書ノンフィクション)年間ベストセラー第1位 (100万部突破)」との帯が巻いてある、曽野綾子さんの『老いの才覚』が積み上げられているのを見つけ、買って来ました。

Photo_4 <老いの才覚>

曽野綾子さんは私の好きな作家の一人で、若い時から彼女の小説、エッセーをよく読みました。彼女は約40年ほど前に、老いについて書いた『戒老録』、更にその10年後に増補新版『戒老録』を出版されていて、増補新版の方は私も読み、今でもその本は本棚にあります。

3_2 <戒老録>

今回の『老いの才覚』も同じ著者の老いについてのエッセーですが、この2つのエッセーは、ひとりの作家が老いをどんな風に考えるか、 自分はどんなふうに老いることを望むか、 40年ほど隔てた 二つの時間軸で「老い」を眺めた文章で、重複する部分が多いながらも、興味深いです。

『老いの才覚』にも以前からの彼女らしい歯に衣着せぬ表現で、老人の甘えを諌める言葉が多く出てきます。その主張はかなり手厳しいですが正論だと思います。

「高齢化社会を迎えているが、年を重ねても自立した老人になる方法を知らない人が増えている。この年のとり方を知らない、わがままな老人が増えている事こそ大問題である。老いの基本は『自立』と『自律』、他人に依存しないで自分の才覚で生きるべきだ。そして、気負うことなく自分のできる範囲で生きていけばいいのだ」というのが本書の主張でしょうが、まったく同感です。

が、しかし、自分が著者と同じ様に、もし80歳まで生きたとしても、その時も同じ気持ちでやっていけるかどうか、まったく自信がありません。これから老いを迎えるにあたって、周りに依存した老人にだけはなりたくないと、いつも思ってはいるのですけどね~...。「年のとり方を知らないわがままな老人」にならない為にも、今からしっかりこころの準備、覚悟が必要な様ですね。

【その人の生涯が豊かであったかどうかは、その人が、どれだけこの世で「会ったか」によって、はかられるように私は感じています。人間にだけではなく、自然や出来事や、もっと抽象的な魂や精神や思想にふれることだと思うのです。何も見ず、だれにも会わず、何事にも魂を揺さぶられることがなかったら、その人は、人間として生きてなかったことになるのではないか、という気がします。(114ページ)】

上の様な文章を見つけると、思わずドキッとしますね~。ただただ時間に流されて過ごしている今の自分に、冷や水を浴びせられた様な、又、焦りにも似た気持ちが湧いてきます。

この本は今まで何となくイメージしていた自分のこれからに、一つのヒントを与えてくれる、そして、しっかりしなさいと叱咤激励してくれる本で、老いを迎える元気(?)が湧いて来る不思議な本です。

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