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俳人杉田久女(考)、旅行記&つれづれ記、お出かけ記など。

俳人杉田久女(考) ~久女の箱根丸見送りの真相~(63)

2016年05月30日 | 俳人杉田久女(考)

『杉田久女ノート』の著者、増田連氏は高浜虚子の『渡仏日記』、日原方舟が俳誌『無花果』4月号に載せた「舟・人・梅」という文章、矢上蛍雪の書いた「門司の虚子先生」、久女の弟子で、久女が指導していた俳句サークル小倉白菊会々員の縫野いく代さんを直接取材した話から、箱根丸見送り時の久女の行動を追っておられます。
<増田連著『杉田久女ノート』>

それによると、久女は2月21日に美しい花籠を持参して門司港に入港した箱根丸を訪れました。虚子を訪ねて次々に人々が詰めかけていて、久女は虚子に挨拶した後、持参した花籠を手渡しました。その花籠には

        「 虚子楽し 花の巴里へ 膝栗毛   久女 」

という短冊が添えられていました。 人々からの餞別の花の鉢は船内いたるところに置かれていたらしく、久女が持参した花籠と短冊は機関長室に置かれていたと矢上蛍雪が書いているそうです。

翌22日に久女は、10人程の自分が俳句指導をしている白菊会の会員を連れて、鯛や赤飯などを持参し(この日は虚子の誕生日だった)、ランチに乗って箱根丸を訪れました。

久女にすれば自分が指導している白菊会の会員達を一目でも虚子に引き合わせたいと思ったのでしょう。久女と白菊会々員達は広い甲板の一隅に集まり虚子が出てくるのを待ちました。

がしかし、待っても虚子は現れませんでした。久女達は虚子は船内で来客中とばかり思っていましたが、実はこの時、彼は門司の風師山にドライブし、景観を楽しんでいたのです。

虚子が船にいないという事を久女達に教える人は誰もいなかったようです。久女の弟子の縫野いく代さんの記憶によれば、白菊会の面々は虚子が船にいると思い込んでいたとのことです。

そのうち退船時間が来てしまい、久女達は芳名簿にサインだけして退船し、門司港岸壁まで戻り、岸壁の上に立って箱根丸が出港するのを見送ったそうです。「岸壁と箱根丸の距離はかなりあり、岸壁側から船上の人の姿は見分けられませんでした」というのは縫野いく代さんの証言です。

虚子の『渡仏日記』によれば、久女の退船と入れ違いに帰船し、〈11時半船に帰る、...  12時出港〉となっているそうです。完全なすれ違いだったんですね。

これが久女達の箱根丸見送りの真相でした。実際はこの様であった箱根丸見送り時の久女の行動を、彼女の死後、高浜虚子は「墓に詣りたいと思ってをる」という一文で、まったく別の行動をしたかの如く描き出しています。つまり嘘を書いています。そのことについては後でふれましょう


4か月後の6月11日に箱根丸は門司港には寄らず直接神戸港に入り、15日に横浜港に着岸、虚子は無事故国の土を踏みました。この時の虚子の句です。

       「 夏潮を 蹴って戻りて 陸に立つ 」

渡欧と同じく虚子の帰国も新聞で報道され、「あちらで作った俳句」として

      「 フランスの 女美し 木の芽また 」

      「 ベルギーは 山なき国や チューリップ 」

などが紹介されました。久女はそれを読みつつ、虚子がヨーロッパで得た句が『ホトトギス』や『玉藻』で発表されるのを待ち遠しく思ったことでしょう。

久女は数か月後に『ホトトギス』除名という運命が待っていることなど予知出来るはずもなく、まったく無邪気なものでした。

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俳人杉田久女(考) ~高浜虚子の渡欧~ (62) 

2016年05月26日 | 俳人杉田久女(考)

いよいよ久女の俳句人生にとって最大の事件、「同人除名事件」が起きた、昭和11(1936)年の久女について書くことになりました。

昭和11年の2月に久女の師、高浜虚子は欧州航路の箱根丸に乗り渡欧し、ベルギー、フランス、ドイツ、イギリスを旅しました。この虚子の渡欧は、今の時代とは違い大きなニュースになり新聞にも載ったようです。

2月16日に多くの弟子たちが見送る中、横浜港を出発、翌日名古屋港寄港、18日大阪港寄港。なんともゆったりした船旅ですね。その日のうちに神戸へ。神戸港には3日停泊して21日に日本最後の寄港地、門司港に着きました。

記録を読むと、各港で弟子たちの出迎え、見送りを受けていて、まさに俳壇の帝王という感じがします。虚子はこの欧州旅行中、ずっと羽織袴、草履という和服姿で通したそうです。

久女は門司港で師、虚子の乗った箱根丸を出迎え、見送りました。昭和7(1932)
頃からずっと句集出版の志を持ち、序文を虚子に懇願すれども、無視され相手にされず、2度の上京の際にも会おうともしなかった虚子を、彼女は野暮なまでの思いを込めて見送った様です。出迎えの一日目は美しい花籠を携えて、出港の二日目は虚子の誕生日のお祝いの赤飯と鯛を持参して。

久女の死後、高浜虚子が「墓に詣りたいと思ってをる」で、松本清張が「菊枕」で、この箱根丸見送りの時の久女の様子を書いています。もっとも、松本清張の「菊枕」は虚子の「墓に詣りたいと思ってをる」を参考にした様ですが...。両方とも事実を故意に捻じ曲げて書いており、非常に紛らわしいです。

この虚子の曲筆文「墓に詣りたいと思ってをる」については、後で触れることにして、箱根丸見送りの時の久女の様子を増田連著『杉田久女ノート』によって見てみたいと思います。
<増田連著『杉田久女ノート>

この本は杉田久女研究書として、久女の長女、石昌子さんの書かれたものとともによくまとまった労作で、足を使って調査研究した本であるとの評価を、今日
受けています。

長くなりますので、久女の箱根丸見送りシーンは次回に。


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俳人杉田久女(考) ~鶴の句~(61)

2016年05月24日 | 俳人杉田久女(考)

前回の(60)で書いた様に、鶴の肉を得たことで久女は鶴へのあこがれを持ったのでしょう。久女年譜によると、この年(昭和9)年12月23日に山口県八代(やしろ)村に鶴を見に行っています。八代盆地は鹿児島県の出水と並ぶ鶴の飛来地として知られている所です。

『杉田久女句集』には「鶴の句」として、この時詠んだ61句が載っています。それにしても一つの場所で61句とはすごいですね。その場の色んな情景を細かく観察し、時間をかけ、一つ一つ作句して行くんでしょうね。出来た句をしばらくあたため、その後手を入れたりするかもしれません。

幾つか見てみましょう。

       「 鶴舞ふや 日は金色の 雲を得て 」

       「 鶴の影 舞い下りる時 大いなる 」

       「 ふり仰ぐ 空の青さや 鶴渡る 」

       「 歩み寄る われに群鶴 舞ひたてり 」

       「 親鶴に 従ふ雛の やさしけれ 」

泊まった宿のことを詠んだこんな句も。

       「 山冷えに はや炬燵して 鶴の宿 」

       「 投げ入れし 松葉けぶりて 暖炉燃ゆ 」

八代村を詠んだ句も。

       「 鶴鳴いて 郵便局も 菊日和 」

       「 鶴の里 菊咲かぬ戸は あらざりし 」

鶴の里に鶴を見に行ったこの時のことを、野鶴飛翔の図」という一文に綴っているのが、『久女文集』に載っています。鶴の飛来を見て久女の心も昂揚しているようで、非常に美しい文章です。 何度も言うようですが、同じ頃(昭和9年)に来たという高浜虚子の書く『国子の手紙』の中での、久女の手紙から受けるイメージとの落差に驚くばかりです。
     

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俳人杉田久女(考) ~エッセー「鶴料理る」~ (60)

2016年05月22日 | 俳人杉田久女(考)

久女は昭和9(1934)年に俳誌『かりたご』に「鶴料理る」という短いエッセーを書いています。

これが『杉田久女随筆集』に載っていますが(昭和9年3月17日記の記述あり)、さち女という俳句のお弟子さんが、先生にと言って持って来てくれた鶴の肉を切り分けて、数種類の野菜とともに彩りよく盛り、周りの人々におすそ分けする話です。
<杉田久女随筆集>

この文中の久女はとても楽し気で生き生きとし、風雅を愛する俳人らしい姿です
。文章もキッチリ引き締まり乱れはまったくありません。高浜虚子の書く『国子の手紙』の中での、久女の手紙から受けるイメージとの落差に驚くばかりです。

この辺りのことを『花衣 わが愛の杉田久女』の著者の田辺聖子さんは、〈創作というものの解けぬ不思議となぞがある〉と表現しておられます。

このエッセーの最後に、久女家の三片の鶴の肉は〈節分の夜に81歳の老母と主人と私とが1片づゝ、千年の寿にあやかるようにと語り合いながら賞味したのであった〉と書いているのを読む時、久女の家庭に平安がおとずれたのだなぁとホッとした気持ちになります。

『杉田久女句集』にこの時に出来たと思われる、下の句があります。

       「 盆に盛る 春菜淡し 鶴料理(りょう)る 」


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松田の2ランもフイに!

2016年05月20日 | お出かけ

ヤフオクドームでソフトバンク vs 日本ハム戦を観戦。

今日はホントに疲れる試合だった。

点を入れると、すぐ追って来るし、

更に引き離すと、すかさず打たれて同点になる。

ついに8回表、ホームランで1点勝ち越されるも、

土壇場の9回裏、ソフトバンクもヒットと犠打で同点に。

これはイケると思った延長10回表、レアードに2ランを浴び、6:8に。

その裏に、ソフトバンクは加点できず6:8でゲームセット。

結局、松田の5回裏の2ランもフイになり、手痛い敗戦。

このカード、1勝2敗の負け越し。

ソフトバンクは、勢いに少し陰りが出て来た様にも。

少し前の8連勝を思い出して頑張ってほしい。

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