日々の暮らしに輝きを!

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俳人杉田久女(考)、旅行記&つれづれ記、お出かけ記など。

北欧 ~ベルゲン~

2012年09月02日 |    北欧

ベルゲンはスカンジナビア半島の西側の南部、ノルウェー海に面した位置にあり、人口26万人のノルウェー第2の都市です。12世紀から13世紀にかけては首都の時代もあったのだとか。現在は商業都市であり、又港湾都市でもあります。

ベルゲン周辺の地形はフィヨルド地方特有のもので、入り組んだ海岸線のすぐそばまで山が迫っていて、山肌にも白い家がはりつくように建っています。

Photo <山肌に貼りつく家々>

ユーロ圏の景気が冷え込む中で、ノルウェーは今、北海油田の採掘で、経済は非常に堅調なのだそうです。だからでしょうか、下の写真の様にベルゲン港にも油田採掘関連の船が多く入港しているのが見られました。

Photo_2 <石油採掘関連の船>

ベルゲン港の岸壁に沿って、壁の様にカラフルな三角屋根の木造家屋が並ぶ一帯は、ブリッゲンと呼ばれています。木造家屋であり、又密集しているので過去に幾度もの火災で焼け落ちたそうですが、その度に復元修復されて現在の姿になった様です。

Photo_3 <ブリッゲン一帯>

Photo_4 <三角屋根の木造家屋>

ベルゲンは14世紀~15世紀に、北海周辺諸国の商業発展と各国共通の利益を目指したハンザ同盟に加盟し、その事務所が置かた都市で、上の写真の木造家屋は、ドイツのハンザ商人の家や事務所として利用されていたのだそうです。

この木造家屋はかなり奥行きがあり、家と家との隙間を入って行くと、まるでうなぎの寝床の様な感じになっています。両側に板の壁がそそり立つ薄暗い細い道を歩いていると、何だか中世に迷い込んでしまった様な感じもしてきます。

Photo_6 <板壁がそそり立つ細い道>

建物の正面は観光客相手の土産物屋、裏の細い路地に面した部分はオシャレなショップや工房になっているものが多いようですが、ベルゲンではこのブリッゲン周辺が一番観光客で賑わっていました。これらの木造家屋はハンザ商人の隆盛を今に伝える建物として、ユネスコ世界文化遺産に登録されているそうです。

ブリッゲンにはハンザ商人達の建物を利用したハンザ博物館もありました。18世紀始めの建物で寝室、事務所、倉庫などがあり、生活用品や家具などが当時のまま保存され、展示されていました。当時の交易品である干しダラが展示された部屋もありました。

Photo_7 <ハンザ博物館(食堂)>

Photo_8 <ハンザ博物館(干しダラの展示)>

ベルゲン港の一番奥まった所には魚市場がありました。私達が訪れた時は魚卵やカニ味噌の缶詰、チューブ入り明太子などの旅行者向けの商品が多く売られていました。ムール貝やロブスターをシンプルに調理して、横の簡易テーブルで頂く様なお店も多数ありました。

Photo_9 <魚市場>

宿泊したホテルの近くにあるケーブルカー乗り場から、標高320mのフロイエン山に登りました。ここからはベルゲン港とその周りに広がる素晴らしい眺めを一望できました。

Photo_10 <フロイエン山々頂から>

写真はフロイエン山々頂からベルゲン港方面を見たもので、手前の深く入り組んだ入江がベルゲン港です。ベルゲン港の右側の茶色の屋根の部分がブリッゲン地区です。ベルゲン港の一番奥まった所、写真下方中央辺りに魚市場がありました。魚市場から少し西の白やクリーム色のビルがある辺りが、歩行者天国になっているベルゲンのメイン通り、メイトーグアルメニング通りです。しかし観光客はブリッゲン、魚市場周辺が圧倒的に多かったです。

Photo_11 <メイトーグアルメニング通り>

今まで、北欧については高福祉、オシャレで洗練された家具等のイメージしか無かったのですが、この旅行で、美しい自然環境や豊な暮らしぶり(ヨットや別荘を持つ割合が日本とは比べものにならない程高い)、高い物価等の別の面も知り、旅行前より僅かですがイメージが広がったような気がしています。

今回の北欧旅行についての記事を7編書かせていただきました。拙い旅行記ですが、読んで下さった皆様ありがとうございました。これからも日々の暮らしを綴った記事を書いていきますので、お気が向いたら、又お遊びにいらして下さい、よろしく~(^-^)

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北欧 ~いよいよフィヨルド観光~

2012年08月27日 |    北欧

宿泊先の「スタルハイムホテルは」、つづら折の道が続く渓谷を眼下に望む崖の上に建っていました。ホテルの庭に出ると切り立った山々がV字谷を作り、山が今にも迫ってきそうな迫力ある景観が望めました。また下を見ると目もくらむ様な断崖でした

Photo_13 <スタルハイムホテル(絵葉書を写しました)

この迫力ある景観は氷河による侵食で作られたものだそうで、部屋の中からも同じ様な景色が望め、夜カーテンを開けると何だか怖いような感じもしました。

V <氷河の侵食によるV字谷>

宿泊していた「スタルハイムホテル」に程近いグドバンゲンから、いよいよこの旅行のハイライト、フィヨルド観光に出発です。

Photo_2 <フィヨルド観光出発>

幾つかあるフィヨルドの中で私達がクルーズしたのはソグネフィヨルドの支流、ネーロイフィヨルド~アウルランフィヨルドの最奥部です。旅のお仲間の方も言っておられましたが、私も船に乗り込む前には「何故ソグネフィヨルドの入り口の広い部分をクルーズしないのかな?何故支流の最奥部なのかな?」と不思議に思っていました。

が、クルーズが始まるとその訳がわかりました。切り立った崖が直接海に落ち込んでいる所や深い海、つまりフィヨルドの景観は最奥部でしか見られないんですね~。氷河で運ばれて砕かれた岩石は、海の入り口付近から堆積していくので、奥に行くほど切り立ったフィヨルドらしい美しい景観になっていくのです。

クルーズが始まると程なく、両岸の切り立った崖が海に直接落ち込んでいる美しい景色と、水深が深いのでしょう、波静かな深緑色の海の水が目に迫ってきました。この辺りは結構雨が降る地域らしいですが、この日は好天気で前日降った雨が美しい景観を作っていました。

Photo_3 <フィヨルド観光>

Photo_4

Photo_5

Photo_6

Photo_7

Photo_8

切り立った山の斜面には行く筋もの滝が流れていました。

Photo_9 <幾筋もの滝>

クルーズ船にカモメがついて来ました(^-^)

Photo_10 <カモメ>

突然山の中腹に山羊出現! こんな所で放牧をやっているのかな?

Photo_11 <放牧の山羊>

途中、おとぎの国の様な小さな村も幾つか見えました。

Photo_12 <小さな村>

次々に現れる美しい景色をみているうちに、約2時間でフロムに到着し、楽しみにしていたフィヨルド観光が終わりました。8月の初めなので一年中で一番暑い頃ですが、フィヨルドクルーズ中はかなり寒く、日本の晩秋の服装で丁度よかったです。

フロムからバスに乗り換え、 車窓からハダンゲル氷河を望みながら、最終目的地ベルゲンに向かいました。

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北欧 ~スカンジナビアの山越え~

2012年08月22日 |    北欧

オスロからヤイロまではバス移動でした。なだらかな牧草地帯や森林、美しい湖等が次々に車窓に現れては消えを繰り返しながら、ヤイロ到着。途中ノルウェーの北極探検家、ナンセンが「ノルウェーで一番美しい湖」とたたえたクローデレン湖でしばしの休息をとりました。

Photo_11 <クローデレン湖>

ヤイロからはベルゲン鉄道で、スカンジナビアの山々を登りながらミュールダールまで移動しました。最初は下の様な普通の夏山の景観が、山を登るにつれて次第に雪景色になり、ついには氷河(ハダンゲル氷河)まで現れ、そして美しい湖と雪渓の絶景になりました。一番高い場所では1000mを越えていたでしょう。

Photo_2 <スカンジナビアの夏山>

Photo_12 <万年雪の山>

Photo_13 <氷河と湖>

Photo_14 <湖と雪渓>

列車の中では外の美しい景色に歓声があがっていましたが、シーンとした静かな景色で、何故か引き込まれる様な景観でもありました。ミュールダール駅到着後、フロム山岳鉄道に乗り換え標高差867mを下りました。

ガイドブックによるとフロム山岳鉄道は【標高差867m、全長約20kmの急勾配を約1時間かけて進む、ノルウェー国鉄の最高傑作と呼ばれる鉄道】だそうです。山の斜面から流れ落ちる滝や、小さな村を眺めながら1時間程で海抜0メートル近くのフロム駅まで下りました。

Photo_10 <フロム山岳鉄道>

Photo_7 <小さな村>

Photo_8 <フロム駅>

途中列車が一時停止するのが「ショースの滝」です。この滝は落差、93メートルの巨大瀑布でフロム鉄道の一番の見せ場のようでした。写真には写っていませんが、滝の側で妖精の姿をした女性が、どこからともなく聞こえてくる音楽に合わせて、ロマンティックなダンスをしていました。ヨーロッパらしい演出だと思いました。

Photo_15 <ショースの滝>

フロムはソグネフィヨルドの最奥部、アウルランフィヨルドにある小さな町で、豪華客船も停泊するフィヨルド観光の拠点です。

下の写真ようにフィヨルドの奥まで船が入ってきています。山が迫っているのに船があるなんて、最初この光景を見た時は驚きました!

Photo_9 <山に船が!>

フロム駅で待っていたバスに乗り込み、グドバンゲンに近い宿泊先のスタルハイムホテルに向かいました。明日はいよいよこの旅行のハイライト、フィヨルドクルーズです。

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北欧  ~オスロ~

2012年08月19日 |    北欧

デンマークのコペンハーゲンからノルウェーのオスロまでは大型フェリーでの移動でした。

Photo_15 <オスロ港付近>

船が音もなく静かにオスロ港付近に近づくと、少し霧がかかった美しい森とその中に点在する赤い屋根に白い壁の家々(別荘?)が見えてきました。ガイドさんによると首都オスロは外海から100km程奥まったフィヨルドの奥の部分に位置するそうで、船で港に到着すると、これが首都かと感じる程、緑が多くて静かな街です。

街の中心部から少し離れたバイキング博物館やフログネル公園(ヴィーゲラン公園)を見学した後、中心部に戻り、市庁舎、国会議事堂、王宮、国立美術館などを駆け足で見て廻りました。

バイキング博物館に入ると、パッと目に入って来るのがオーセバルグ船です。この船は800年代から約50年間使われた女王の船で、女王の死後遺体とともに埋葬され1904年に発掘されたのだそうです。

Photo_2 <オーセバルグ船>

他にも900年代に使われた喫水線が低い船や、当時の道具などが展示されていました。

Photo_3 <喫水線が低い船>

とても1000年以上前の船とは思えない造形美ですよね~。その優美な形に驚きました!優美だけれど、ひ弱な船の様な気もしますが、19世紀終わり近くに、これらの船を真似た船で、実際に大西洋を横断しカナダまで到達したのだそうです。バイキング達は、この様な船で外洋に乗り出していたんですね~。

フログネル公園は彫刻家ヴィーゲランの作品が置かれた彫刻公園で、老若男女の喜怒哀楽を表現した200点もの彫刻があるそうです。彫刻のテーマは「人の一生」だそうで、なるほどと思いました。又園内には菩提樹の並木道があり、濃い葉陰が素敵な散歩道を作っていました。

Photo_4 <彫刻>

Photo_16 <菩提樹の並木道>

オスロ市庁舎はオスロ港近くにありました。1Fの大広間に入るとまず目に入って来るのが、正面のヨーロッパ最大とも言われている絵画で、ノルウェーの生活、文化が描かれています。

Photo_8 <オスロ市庁舎>

Photo_9 <巨大な絵>

そして毎年12月10日にこの大広間でノーベル平和賞の授与式が行われるのだそうです。授与式を描いた絵が額装して飾られていたので、パチリして来ました。

Photo_10 <ノーベル平和賞授与式>

オスロのメイン通りはカール・ヨハン通りで、王宮からオスロ中央駅までまっすぐ延びています。国会議事堂もこのメイン通り沿いにあり、国会議事堂前からオスロ大聖堂前までの通りは歩行者天国になっています。

Photo_11 <王宮>

Photo_12 <カール・ヨハン通り>

Photo_13 <国会議事堂>

オスロを訪れる観光客の多くが必ず行くのが、ムンクの代表作、『叫び』が展示されている国立美術館のようです。美術館は王宮近くにあり、『叫び』のほか、ゴーギャン、ピカソなど著名な画家の絵が数多く展示されていました。館内はフラッシュ撮影以外は可でしたが、『叫び』だけは撮影厳禁でした。

Photo_14 <国立美術館>

一日の観光が終わりホテルで一息入れた後、夕方の自由時間に孫達へのお土産のセーターを買おうと、夫とカール・ヨハン通りをのんびり散策していました。その時、フッと、日暮れが日本よりだいぶ遅いのに気付き、「あぁ~、今、北欧にいるんだぁ~」としみじみとした気持になりました。

今回の旅行で訪ねるまで、自分の中でオスロの街のイメージがありませんでしたが、オスロはとても静かで落ち着いた雰囲気の街で、高層の建物はなく、緑あふれる自然と、博物館や美術館などの施設が調和する美しい文化都市(人口56万人)でした。

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北欧 ~シェラン島北部の古城めぐり~

2012年08月17日 |    北欧

デンマークの首都、コペンハーゲンがあるシェラン島の北部に建つお城を幾つか廻りました。

最初のクロンボー城までは、シェラン島東部のオーレスン海峡沿いをバスで北上し、その途中ホムルベックという所に立ち寄りました。その昔、この辺りは小さな漁村で、当時の漁民の茅葺屋根の家が、今も何軒も残っています。どの家も百年以上は優に経っているそうですが、とてもその様には見えず、よく手入れが行き届き、周りもキレイに整備され、可愛らしい家並みでした。

Photo <茅葺屋根の家>

Photo_2 <茅葺屋根の家>

クロンボー城はシェラン島北部にあり、元々は15世紀にエリック7世王が通行税徴収の為に建て、シェクスピアの「ハムレット」の舞台ともなったお城です。お城からオーレスン海峡をはさんで、対岸のスウェーデンまで5kmという近さで、お城の庭から対岸のスウェーデンの町がみえました。私達のバスの運転手さんは、ここを泳いで渡った事があると言っておられました。隣国とのこの近さ故か、過去に幾度かの戦争を経て、1924年にこのお城は現在の姿に改修されたのだそうです。

Photo_3 <クロンボー城>

お城の内堀には白鳥の雛が育っていました(^-^)

Photo_4 <白鳥の雛と親鳥>

Photo_5 <対岸はスウェーデン>

クロンボー城の約10km程南西にある、フリーデンスボー宮殿にも立ち寄りました。フリーデンスボーとはデンマーク語で「平和」という意味なのだそうです。以前、日本の皇太子殿下も、デンマークの皇太子様の結婚祝賀行事出席の為に、ここに来られたのだとか。このお城は現在は王室の夏の別荘として使われているそうです。

Photo_6 <フリーデンスボー宮殿>

フリーデンスボー宮殿の南西6~7kmにフレデリクスボー城があります。

ガイドブックによると、【クリスチャン4世は父から受け継いだこのお城を、1560年から60年の年月をかけてルネッサンス様式の壮麗なお城に修復したが、1859年に大火にあい、お城の大部分は失われた。民主憲法のもとで王室は既に経済力を失っていたが、ビール王、J・Cヤコブセン  の援助で再建され、完成後は国立歴史博物館として、デンマークの歴史を物語る装飾品、絵画、宝物などが展示されている】となっています。

このお城へは、お城を囲む湖の対岸に作られたバロック式庭園がある方から、入城しました。

Photo_7 <フレデリクスボー城とバロック庭園>

Photo_8 <中庭>

そして1859年の大火の際に焼失をまぬがれた、礼拝堂を中心に見て廻りました。礼拝堂内部はすべて当時のもので、天井の装飾は素晴らしかったです。私達が見学した時、二階席(?)中央にある1610年製パイプオルガンが開けられていて、観光客が次々に通り過ぎる中、オルガニストが当時の音色を奏でていました。

Photo_9 <礼拝堂内部>

Photo_10 <パイプオルガンの演奏>

又、礼拝堂内には銀箔で覆われた見事な黒檀製の説教壇などもありました。

Photo_11 <説教壇>

謁見の間にはデンマークで初めて用いられたエレベーター(人力)がありました。

Photo_12 <謁見の間>

Photo_13 <エレベーター>

 

Photo_14 <大広間>

フレデリクスボー城で見学した部屋は、すべてが当時のオリジナルというわけではなく、後に再建された部分も多かったのですが、それでも煌びやかに装飾された壮麗な部屋々々を見ていると、当時の王達の栄華を極めた様子が偲ばれ、興味深いものでした。

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