昨年5月にサンフランシスコに行きました(だいぶタイムラグがある記事ですが、お許し下さい)。この旅行は自由観光の旅でしたので、普通の団体旅行ではあまり行かない所へも自由に行くことが出来たのですが、その様な場所の一つがゴールデンゲートクラブでした。
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昨年(H.22年)の秋にドイツ旅行をした時に見聞きした話を書いてみようと思います。ホントかな?とも思いますが、案内してくれた日本人ガイドさんから、たしかに聞いた話です。
ドイツミュンヘン郊外にニンフェンブルグ城というお城があります。このお城は、バイエルン王ヴィッテルスバッハ家の夏の離宮で、広大な敷地には運河あり、いくつもの庭園ありの立派なお城です。特に豪華な内装や調度品があるロココ調の大広間は典雅で優美で素晴らしいものでした。このお城に美人画ギャラリーと呼ばれている場所があります。
そこにはルートヴィッヒ1世が愛した女性を描いた36点の美人画が並んでいます。ルートヴィッヒ1世はノイシュヴァンシュタイン城を建てたルートヴィッヒ2世の祖父に当たり、彼は踊り子ローラ・モンテス嬢に夢中になり、王の座を追われたのだそうです。そのローラ・モンテス嬢やその他の彼が愛した36人の女性の肖像画が飾られている場所が美人画ギャラリーとよばれています。
今上天皇が皇太子時代に美智子妃殿下と共にドイツ訪問をされた時、この場所を訪れられ、案内役の人から「殿下はこの美人画の中のどの女性がお好みですか?」と問われ、「自分はこの女性が好きだ」とおっしゃったのが、下の写真の女性だそうです。
名前は忘れましたが、確かにこの女性には美智子皇后のお若い頃の面影が何となくありますね~。
でも後になってみると、皇太子殿下にそんな質問をする人がいるのかな?とか皇太子殿下が、はたしてそんな風に気軽にお答えになるのかな~?等と考えてしまい、この話は今では何となく腑に落ちないと思う様になりましたが(笑)...。
ちなみに、ルートヴィッヒ1世が退位に追い込まれるほど寵愛したローラ・モンテス嬢は下の写真の方だそうです。
昨年の旅行の事なので撮ってきた写真をメモリーカードから全部削除してしまい、上の4枚の写真は厚かましくもネットよりお借りしました。
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最近、子供が『田辺聖子の古典まんだら(上)・(下)』(新潮社)をプレゼントしてくれました。私が時々この著者のエッセーを読んでいるのでこの本を選んだのでしょう。
本書は2000年4月~2002年3月まで大阪リーガーロイヤルホテルで行った「古典まんだら」「古典の楽しみ」という連続講演がもとになっているようです。
『古事記』『万葉集』から西鶴・芭蕉の江戸文学まで、わが国の古典中の古典ともいうべき21の作品が古い方から順に解りやすく解説されていますが、以前読んだ同じ著者の『文庫日記』と似ている様な気もします(同じ著者の古典解説なので当然といえば当然ですが)。
私に古典を読み解く力は無く、本書のような入門編で読むしかないのですが、どの著者のであっても入門編ゆえか、同じ様な作品が取り上げられ、またその中の同じ場面が解説してあるように思います。
本書でも『大鏡』の項目の話題の一つに、村上天皇と中宮安子のやり取りが取り上げられています。今までに私が読んだ古典入門書にもよくこの場面が出てきて、これは素人受けする話題なんだと面白く思う反面、その昔の高貴な人々も現代の私達と同じ情緒をもった人間なんだな~という嬉しい思いになります。
『百人一首』の項目の最後に著者が“その通り”だと紹介している藤原清輔の歌、
「長らへばまたこの頃やしのばれむ
憂しと見し世ぞ今は恋しき」
には私もその通りだと思います。この歌には人生の真実が含まれているんでしょうね~、多分...。
以前小倉にいた時、小倉リーガーロイヤルホテルで田辺聖子さんの「久女とわたし」という講演を聞いた事があります。目の前の田辺さんはとても小柄で、オシャレな細い杖を軽くつきながら登場されました。服装は和服地で仕立てたクリーム色のロングドレスだった様に思います。お話になる言葉は関西弁ではなく標準語でした。高い澄んだきれいなお声で話されたのですが、自信に満ちた話し振りで、自由闊達なお人柄にお見受けしました。
本書も講演をもとに本にしたとあるので、その時の田辺さんの様子を思い出しながら読みました。
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5月19日のブログ記事でふれた、愛新覚羅社についてもう少し書いてみようと思います。
愛新覚羅社は下関市綾羅木本町の中山神社の敷地内にあります。このお社に祀られているのは、元満州国皇帝の弟の愛新覚羅溥傑氏とその妻の浩夫人、長女の慧生さんです。妻の浩夫人は嵯峨侯爵家出身で中山神社は嵯峨家ゆかりの神社という縁で、お三人がこのお社に祀られているのだそうです。
ご夫妻の事は7、8年前にTVドラマ「流転の王妃・最後の皇弟」が、竹野内 豊、常盤貴子主演で放送され、話題を呼んだので憶えていらっしゃる方も多いと思います。
日満親善の美名のもと、、日本の軍部の仕組んだ政略結婚により結ばれたご夫妻ですが、日本の敗戦で満州国崩壊、溥傑氏は中国で監獄へ、浩夫人は一年以上の流転の末に日本に帰国され、離れ離れに。お二人が再会されたのは十六年後の昭和36年だったそうです。(上の婚礼写真はネットより拝借)
その後ご夫妻は北京で幸せな老後を過ごされたそうですが、浩さんが昭和62年、溥傑氏が平成6年に亡くなり、長女の慧生さんとお三人をこの地にお祀りしたのが中山神社の中に境内摂社として造られた愛新覚羅社です。
中山神社の宝物殿にはお二人の遺品や遺墨が展示されていましたが、特に溥傑氏の立派な書体の屏風や浩夫人とお二人で書かれた掛け軸等が目を引きました。
浩夫人が婚礼に着られた十二単衣もここに展示されているとの事でしたが、私が行った時は展示はなかったようでした。
政略結婚により結ばれたご夫妻でしたが、仲睦まじいご夫婦であり、日中の架け橋として生きていきたいという強い意志を持っておられた様です。神社や社は普通、東か南向きに建てるのだそうですが、この愛新覚羅社はご夫妻の日中友好の志を踏まえ、中国大陸を望む西へ向けて建っています。
お社の左手には浩夫人の和歌が刻まれた歌碑がありました。
“中日親善の為に”
「ふた国の永久のむすびのかすがいに
なりてはてたき我がいのちかな」
愛新覚羅 浩
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