日々の暮らしに輝きを!

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俳人杉田久女(考)、旅行記&つれづれ記、お出かけ記など。

旅の思い出(ゴールデンゲートクラブ)

2011年06月28日 | 旅の思い出(ブログ開設以前の旅)

昨年5月にサンフランシスコに行きました(だいぶタイムラグがある記事ですが、お許し下さい)。この旅行は自由観光の旅でしたので、普通の団体旅行ではあまり行かない所へも自由に行くことが出来たのですが、その様な場所の一つがゴールデンゲートクラブでした。

サンフランシスコには有名なゴールデンゲートブリッジがあります。橋のサンフランシスコ側の周りは公園として整備されていましたが、以前はここにプレシディオ陸軍基地があったのだそうです。このゴールデンゲートブリッジを眼下に見下ろす公園の中にゴールデンゲートクラブはありました。
Photo_4 <ゴールデンゲートクラブ>
 
あまり知られていませんが、この建物の中で、最初の日米安全保障条約が締結されたのだそうです。
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サンフランシスコ講和条約締結は戦後6年目の1951年(昭和26年)9月8日に 当時の吉田茂首相を主席全権として、サンフランシスコ市庁舎に隣接するオペラハウスで行われ、6人の全権全員で署名しました。
 
Photo_2 <オペラハウス>
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サンフランシスコ講和条約締結の数時間後、吉田茂首相一行はこのゴールデンゲートクラブに来て、吉田首相一人で日米安全保障条約に署名したのだそうです。条約締結の責任を一身に背負い、他の全権委員たちを安保条約反対派の攻撃から守る為だったといわれています。彼の強い信念を物語る話だと思います。
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昨年訪問した時は、ゴールデンゲートクラブの観光客は少なく、私達夫婦以外は欧米人夫婦の一組だけのようでした。部屋の入り口には下の様なプレートが貼ってありました。
 
Photo_5 <入り口プレート>
 
日本の国旗の下には
【1951年9月8日、この地で日米両国は日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約に署名した。50年に渡る両国の緊密な協力と固い友情を振り返り、ここに我々は、アジア太平洋地域の平和と安定の礎である日米同盟関係に対する誓いを新たにする。 日本国政府  アメリカ合衆国政府  2001年9月8日】
と書かれています。おそらくアメリカの国旗の下にも同じ意味の事が書かれているものと思います。
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条約が締結された部屋は当時のままらしく、そんなに広くはなく、簡素な造りの部屋でした。
 

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旅の思い出(ニンフェンブルグ城 美人画ギャラリー)

2011年06月26日 | 旅の思い出(ブログ開設以前の旅)

昨年(H.22年)の秋にドイツ旅行をした時に見聞きした話を書いてみようと思います。ホントかな?とも思いますが、案内してくれた日本人ガイドさんから、たしかに聞いた話です。

ドイツミュンヘン郊外にニンフェンブルグ城というお城があります。このお城は、バイエルン王ヴィッテルスバッハ家の夏の離宮で、広大な敷地には運河あり、いくつもの庭園ありの立派なお城です。特に豪華な内装や調度品があるロココ調の大広間は典雅で優美で素晴らしいものでした。このお城に美人画ギャラリーと呼ばれている場所があります。

Photo <ニンフェンベルグ城>

そこにはルートヴィッヒ1世が愛した女性を描いた36点の美人画が並んでいます。ルートヴィッヒ1世はノイシュヴァンシュタイン城を建てたルートヴィッヒ2世の祖父に当たり、彼は踊り子ローラ・モンテス嬢に夢中になり、王の座を追われたのだそうです。そのローラ・モンテス嬢やその他の彼が愛した36人の女性の肖像画が飾られている場所が美人画ギャラリーとよばれています。

Photo_2 <美人画ギャラリー>

今上天皇が皇太子時代に美智子妃殿下と共にドイツ訪問をされた時、この場所を訪れられ、案内役の人から「殿下はこの美人画の中のどの女性がお好みですか?」と問われ、「自分はこの女性が好きだ」とおっしゃったのが、下の写真の女性だそうです。

Von_hagn

名前は忘れましたが、確かにこの女性には美智子皇后のお若い頃の面影が何となくありますね~。

でも後になってみると、皇太子殿下にそんな質問をする人がいるのかな?とか皇太子殿下が、はたしてそんな風に気軽にお答えになるのかな~?等と考えてしまい、この話は今では何となく腑に落ちないと思う様になりましたが(笑)...。

ちなみに、ルートヴィッヒ1世が退位に追い込まれるほど寵愛したローラ・モンテス嬢は下の写真の方だそうです。

Photo_3 <ローラ・モンテス嬢>

昨年の旅行の事なので撮ってきた写真をメモリーカードから全部削除してしまい、上の4枚の写真は厚かましくもネットよりお借りしました。

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田辺聖子の『古典まんだら(上)・(下)』

2011年06月24日 | 読書

最近、子供が『田辺聖子の古典まんだら(上)・(下)』(新潮社)をプレゼントしてくれました。私が時々この著者のエッセーを読んでいるのでこの本を選んだのでしょう。

Photo_2

本書は2000年4月~2002年3月まで大阪リーガーロイヤルホテルで行った「古典まんだら」「古典の楽しみ」という連続講演がもとになっているようです。

『古事記』『万葉集』から西鶴・芭蕉の江戸文学まで、わが国の古典中の古典ともいうべき21の作品が古い方から順に解りやすく解説されていますが、以前読んだ同じ著者の『文庫日記』と似ている様な気もします(同じ著者の古典解説なので当然といえば当然ですが)。

私に古典を読み解く力は無く、本書のような入門編で読むしかないのですが、どの著者のであっても入門編ゆえか、同じ様な作品が取り上げられ、またその中の同じ場面が解説してあるように思います。

本書でも『大鏡』の項目の話題の一つに、村上天皇と中宮安子のやり取りが取り上げられています。今までに私が読んだ古典入門書にもよくこの場面が出てきて、これは素人受けする話題なんだと面白く思う反面、その昔の高貴な人々も現代の私達と同じ情緒をもった人間なんだな~という嬉しい思いになります。

『百人一首』の項目の最後に著者が“その通り”だと紹介している藤原清輔の歌、

   「長らへばまたこの頃やしのばれむ

                        憂しと見し世ぞ今は恋しき」

には私もその通りだと思います。この歌には人生の真実が含まれているんでしょうね~、多分...。

以前小倉にいた時、小倉リーガーロイヤルホテルで田辺聖子さんの「久女とわたし」という講演を聞いた事があります。目の前の田辺さんはとても小柄で、オシャレな細い杖を軽くつきながら登場されました。服装は和服地で仕立てたクリーム色のロングドレスだった様に思います。お話になる言葉は関西弁ではなく標準語でした。高い澄んだきれいなお声で話されたのですが、自信に満ちた話し振りで、自由闊達なお人柄にお見受けしました。

本書も講演をもとに本にしたとあるので、その時の田辺さんの様子を思い出しながら読みました。

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舞鶴公園の紫陽花

2011年06月20日 | お出かけ
 
梅雨らしいお天気続きの福岡市ですが、舞鶴公園に紫陽花を見に行きました。
 
 
舞鶴公園は福岡城址に広がる公園で、四季を通じて様々な花が咲き市民の憩いの場となっています。紫陽花はそんなに多くはないですが、清楚に咲いていました。
 
 
下の写真は、明治通りから下の橋大手門へ向かう通路両側に咲いている紫陽花です。株数は少ないですが、色鮮やかに咲いていました。私は紫陽花はこのブルーが一番好きです。
 
Photo <お堀端紫陽花>          
 
紫陽花ってホントに雨が似合うお花ですね~。雨に濡れた時、花びらも葉も生き生きとして来るのを見るといつもそう思います。
 
 
下の写真は母里太兵衛邸長屋門横の紫陽花苑(?)の紫陽花です。ここは樹木が多く少し暗い為でしょうか、薄い色の紫陽花が多い様に思いました。でもこれはこれでとても清楚でエレガントで素敵です。
 
Photo_3 <長屋門横紫陽花>
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長崎のオランダ商館の医師シーボルトが紫陽花をヨーロッパに紹介する時に、自分の愛する「お滝さん」の名前をとって「オタクサ」と紹介したのはよく知られていますが、海を渡った「オタクサ」はヨーロッパで様々な品種改良を受け、今ではそれらが日本へ里帰りしているそうですから、ちょっと意外な感じがしますね~。
                

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愛新覚羅社

2011年06月17日 | つれづれ

5月19日のブログ記事でふれた、愛新覚羅社についてもう少し書いてみようと思います。

愛新覚羅社は下関市綾羅木本町の中山神社の敷地内にあります。このお社に祀られているのは、元満州国皇帝の弟の愛新覚羅溥傑氏とその妻の浩夫人、長女の慧生さんです。妻の浩夫人は嵯峨侯爵家出身で中山神社は嵯峨家ゆかりの神社という縁で、お三人がこのお社に祀られているのだそうです。

Photo 愛新覚羅社>

ご夫妻の事は7、8年前にTVドラマ「流転の王妃・最後の皇弟」が、竹野内 豊、常盤貴子主演で放送され、話題を呼んだので憶えていらっしゃる方も多いと思います。

Photo_2<ご夫妻婚礼写真>

日満親善の美名のもと、、日本の軍部の仕組んだ政略結婚により結ばれたご夫妻ですが、日本の敗戦で満州国崩壊、溥傑氏は中国で監獄へ、浩夫人は一年以上の流転の末に日本に帰国され、離れ離れに。お二人が再会されたのは十六年後の昭和36年だったそうです。(上の婚礼写真はネットより拝借)

その後ご夫妻は北京で幸せな老後を過ごされたそうですが、浩さんが昭和62年、溥傑氏が平成6年に亡くなり、長女の慧生さんとお三人をこの地にお祀りしたのが中山神社の中に境内摂社として造られた愛新覚羅社です。

中山神社の宝物殿にはお二人の遺品や遺墨が展示されていましたが、特に溥傑氏の立派な書体の屏風や浩夫人とお二人で書かれた掛け軸等が目を引きました。

Photo_3 <合作掛け軸>

浩夫人が婚礼に着られた十二単衣もここに展示されているとの事でしたが、私が行った時は展示はなかったようでした。

政略結婚により結ばれたご夫妻でしたが、仲睦まじいご夫婦であり、日中の架け橋として生きていきたいという強い意志を持っておられた様です。神社や社は普通、東か南向きに建てるのだそうですが、この愛新覚羅社はご夫妻の日中友好の志を踏まえ、中国大陸を望む西へ向けて建っています。

お社の左手には浩夫人の和歌が刻まれた歌碑がありました。

Photo_4 <歌碑>

  “中日親善の為に”  

      「ふた国の永久のむすびのかすがいに

                なりてはてたき我がいのちかな」

                             愛新覚羅 浩

 

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