日々の暮らしに輝きを!

since 2011
俳人杉田久女(考)、旅行記&つれづれ記、お出かけ記など。

お雛様

2020年02月26日 | つれづれ

二月になると毎年、今年はお雛様を出そうか、どうしようかと迷うのですが、

今年は例年になく忙しいので、出さないでおこうと決めていました。

その代わりと言っては何ですが、

昨年、友達にこんな可愛い色紙雛を頂いたので、

リビングのテーブルに飾って楽しんでいました。

この色紙雛は友達の手作り作品ですが、

非常に丁寧に作られ、キレイな仕上がりに
感心しました。

Mさんありがとう!


そんな中、お客様がいらっしゃることになったので、

急に気が変わり、お雛様にお出まし頂いて季節感を出そうと思い、

いつものお雛様を、来られる直前に大慌てで飾りました。

お客様に見て頂けるとなると急に張り合いが出て来ます!

30分ちょっとで飾り終えました。


お客様がお帰りになった後、

今年もお雛様に対面出来てよかったな~としみじみ思いました。

今年は出さないでおこうと決めていたのに、こんな気持ちになるなんておかしいですね。

でも、偽わらざる気持ちです(^-^)

もうすぐ3月、春が近づき心も弾みますね。






映画 『パラサイト 半地下の家族』 

2020年02月22日 | お出かけ

昨年のカンヌ映画祭で最高賞のパルムドール賞を受賞し、今年、アカデミー賞4部門(作品賞、脚本賞、外国語映画賞、監督賞)を受賞した韓国映画『パラサイト 半地下の家族』を観ました。

特に韓国映画が好きというわけではありませんが、そんな高い評価を受けた映画とはどんな映画だろうと興味が湧き観て来ました。最後はどんでん返しがあったりもするのですが、結構面白い映画でしたよ。一緒に見た夫は、「全然面白くない、マンガ、マンガ」と言っていましたが(笑)。この映画を観た翌日に、テレビのBSプレミアムでフランス映画『最強の二人』を観ましたが、夫はこの映画の方がずっと面白いと言っていました。それは私にもわからないではないですが(笑)。

韓国特有の下町の半地下に住む、家族4人全員失業中でその日暮らしのキム一家。一方は高台の高級住宅街の豪邸に住むIT企業社長のパク一家。ひょんなことからキム一家の浪人中の息子がパク家の娘の家庭教師の面接を受けに行くところから物語が始まります。

浪人中というのを隠して家庭教師に採用された後、自分の妹だということを隠して言葉巧みに妹をパク家の小学生の息子の絵の家庭教師にさせ、次々に同じような方法で人のいいパク夫人に取り入って、自分の父親や母親をパク家の
運転手や家政婦にさせるという筋書きです。

キム一家の四人が家族だということを隠して次々にパク家に寄生していく過程が、少し強引ではあるけれど面白く又、観客を納得させてしまう展開が巧みだな~と。

中盤からは少し様相が変わって来て、富豪のパク一家の住むこの豪邸には台所の棚の後ろにパク一家でさえ知らない地下室があり、そこに以前の家政婦の夫が住み着いていました。つまり、パク家の豪邸にはもう一人のパラサイトがいたのです。

ソウル近郊の豪邸には北朝鮮の核攻撃にそなえて頑丈な地下室を備えている家があるそうで、有名建築家が建てたこの家を、中古で買ったパク家はそのことを知らないという筋書きで、知っているのは有名建築家の時代からこの家で働いていた家政婦だけという設定で、笑ってしまいますね(^-^)

そして、パク家の庭で賑やかなガーデンパーティが行われている最中に、地下室にいた元家政婦の夫やキム一家の父親が、見ている私達には何が何だか分からないうちに、ホラー映画のような凄惨な殺人劇を繰り広げるのです。ホントに驚愕の展開です。

元家政婦の夫は地下室でキム一家からひどい仕打ちを受けたので、キム家の母親を襲ったのだろうと思いますが、キム家の父親は何故IT企業の社長を襲ったのでしょうね。それまでこの父親は豪邸に住むパク社長に何の反感も持ってない様に描かれていたのですがね~。下流の生活から這い上がれない不満に、社長のちょっとした言葉が火をつけたのでしょうか? よくわかりませんね~。

日本を含めた世界的な問題の格差社会を問題提起する場合、ドキュメント的に、あるいは悲観的に描くことになりがちですが、この様な面白い形にして、その結果多くの人に見てもらえるエンターテインメント作品に仕上げ問題提起したことが、この映画のすばらしさではないでしょうかね~。



 


てくてく歩きのパリ ~シャン・ド・マルス公園からアンバリッドへ~

2020年02月16日 |    パリ(2019)

エッフェル塔展望台を降りた後、塔真下のシャン・ド・マルス公園を散策しながらアンバリッドに向かいました。シャン・ド・マルスとは軍神の園という意味らしいですが、公園のエッフェル塔とは反対側にナポレオンが卒業した陸軍士官学校があるので、そう呼ばれているのでしょう。真夏の真昼でしたが、爽やかな風が吹き渡る気持ちの良い日だったからか、公園内でお弁当を広げているグループもチラホラいましたね。この時期の日本だと公園でピクニックなんて考えられませんが。

また、19世紀末から20世紀にかけて5回のパリ万博が開かれたそうですが、ここはそのパリ万博の舞台としてパリ近代化の歴史を見続けてきた公園でもあるようです。
<シャン・ド・マルス公園>

<陸軍士官学校>

その年によって違いはあるでしょうが、旅行中(2019年7月27日~8月9日)に感じた夏のパリの気候は、日本の同じ頃よりほぼ7~8度位気温が低く非常に過ごしやすいものでした。昼は湿気が少なくカラッと快適な気温でも、夕方になると冷っとする日も多く、薄い上着が必要になりました。昼間でも私はいつも何かを羽織っていましたが、暑いと感じることはまったくありませんでした。

アンバリッドはナポレオンの墓所として知られていますが、黄金のドームを頂くこの建物、重厚壮麗で美しいですね。ガイドブックによるとフランス古典様式とバロック様式が見事に調和した宗教建築の傑作と言われているそうです。

<アンバリッド>

ナポレオンの棺はこの黄金のドームの真下の地下に安置されていましたが、
想像以上に大きく驚きました。死後パリに帰還を許された彼の為、ヴィスコンティの設計で1842年から9年がかりでこの地下聖堂が造られたそうです。下の写真の様に緑色花崗岩の台座に乗った赤色大理石の棺でナポレオンンはこの中に6重の棺に入れられて眠っているのだそうです。
<ナポレオンの棺>

棺の真上は黄金のドームの内側になっています。天井画が見事でした。
<天井画>

ドーム教会の祭壇です。絢爛豪華でした。


ドーム教会から中庭方面に歩いているとサン・ルイ教会がありました。ここは兵士の教会らしくシンプルな内装で祈りの席の上部に色とりどりの旗が掲げてありましたが、これはフランス軍が敵から奪った戦利品だそう。
<サン・ルイ教会>

サン・ルイ教会から少し歩くと中庭に出ました。中庭への出入り口の上には、中庭を見下ろすようにナポレオン像がたっていました。








てくてく歩きのパリ ~エッフェル塔~

2020年02月06日 |    パリ(2019)

世界中から親しまれ、その名を知らない人はいないパリのモニュメント、エッフェル塔に上りました。15年程前に娘と来た時に一回上ったことがありますが、その時は3月末頃だったので、今回と違い待ち時間も少なく割合楽に上れた気がします。今回は9時ちょっと前にエッフェル塔の真下に行ってみるとチケット売り場に既にぐるぐると長蛇の列が出来ていて、これは半日仕事だなという感じでした。
 

第3展望台までのチケットを買って、辛抱強く待っていると1時間半位で順番が来て、エレベーターでまず第1展望台に上りました。真夏の明るいパリの景色が目に入ってきた時は、嬉しくてちょっと興奮しましたね(^-^)

下の写真は第1展望台から撮ったもので、エッフェル塔斜め下辺りにあるセーヌ川真ん中に浮かぶ「白鳥の小径」が写っています。「白鳥の小径」には3つの橋が架かっていますが、一番手前の橋は2層式のビル・アケム橋で上部は地上に出たメトロ6号線が走り、下部は人と車が通れるようになっています。この時は6号線は閉鎖中でしたが、写真にも線路に工事用の車が写っていてそれがわかりますね。「白鳥の小径」の先端にはニューヨークの7分の1の大きさの自由の女神(11.5m)が立っていて、この写真にも小さく写っています。これはフランスがアメリカに贈った自由の女神のお返しに、在仏アメリカ人より贈られたものだそうです。

<「白鳥の小径」>

 
<シャイヨ宮>                    <シャン・ド・マルス公園>

上の写真は第1展望台から見たシャイヨ宮やエッフェル塔真下のシャン・ド・マルス公園ですが、第一展望台は低いところから見るので、見たいものがはっきり見えていいですね。

第1展望台をひと回りした後、エレベーターで第2展望台に上がりました。第2展望台も塔の周りを廻れるようになっていて、下の写真ではセーヌ川をはさんで右岸、左岸が写っています。


セーヌ右岸のこんもりした木立の中に、5日前に観光したプチパレやグランパレが写り、アレクサンドル3世橋で左岸につながっています。写真の真ん中辺りにコンコルド広場が写っていますが、コンコルド広場北側一帯は
パリの中心部です。


見にくいですが写真のほぼ真ん中に、これから行くつもりのアンバリッドが写っています。右側に小さく写っている黒い高層ビルは209mのモンパルナスタワーで、
写っているのはセーヌ左岸一帯です。


エレベーターで第3展望台にも上がりましたが、第3展望台は屋内だけで屋外に出られず、とても狭く、窓も曇っていて写真を撮る気になれず、すぐに下りて来ました。

以前娘と上った15年前は、展望台では日本語が時々耳に入ってきましたが、今回は全くといっていい程日本語は聞こえて来ませんでした。夫と二人で慣れない自撮りで写真を撮っていたら、ロバート・レッドホード似の中年のハンサム氏が近づいて来て撮ってあげましょうと言われ、私達の写真を撮ってくれました。二人で写っている写真が少ない今回の旅行で、貴重な思い出の一枚になりました。