前日、約400㎞バス移動し、夜にプリトヴィッツエ湖群国立公園内にあるホテルに到着しました。翌朝小鳥のさえずりで目を覚まし窓を開けると、旅のこれまでは暑さを感じる位だったのが、ヒヤッとした爽やかな空気が流れ込んで来ました。
遊覧船で湖を渡った後に遊歩道を歩きながら、上の湖から下の湖に流れ落ちる何本もの美しい滝を眺めるのだろうと楽しい予想をしていましたが、遊覧船を降りたところで夫が、一昨日昨日とドブログニクを歩きとおしたので、足の調子が何だかよくない。今日の午後はザクレブの街歩きもあるし、遊歩道ハイキングは参加しないでおこうと言いだしたので、歩く気満々の私は少し慌てました。
そんな訳でこの旅行のもう一つのハイライトの遊歩道ハイキングはせず、皆様とは別れて、公園の一部をを最短距離で歩くコースをとったので、流れ落ちる美しい滝を近くで見ことは出来ませんでした。美しいこの公園をある程度は楽しめましたが、ちょっとガッカリでしたネ。
午後から130㎞程バス移動しクロアチアの首都ザグレブに着きました。ザグレブは小高い丘の上に立つ緑豊かな街で、トラムが街中をのんびり走り、まちゆく人々の表情も何となくゆったりした感じです。
イェラチッチ広場が街の中心らしく、この広場より北側に旧市街、南側に新市街が広がっています。首都だけあって、ドブログニクと街の雰囲気が違い、多様な様式の石造りの建築が並び、落ち着いた雰囲気を醸し出しています。イェラチッチ広場から坂を上り、おもに旧市街を観光しました。
<イェラチッチ広場>
<聖母昇天教会>
クロアチアはネクタイ発祥の地らしく、坂の途中にネクタイの老舗「クロアタ」などもありました。
<ネクタイの老舗「クロアタ」>
下はモザイク屋根が可愛いい聖マルコ教会で、屋根の右側の紋章がザグレブ市の紋章だそうです。この教会の周りはおそらく官庁街だと思いますが、聖マルコ教会の右側が国会議事堂、左側には首相執務室がある建物がありました。
<聖マルコ教会>
<国会議事堂>
<首相執務室がある建物>
中には入りませんでしたが、街歩き中に失恋博物館なんていうのも見かけましたよ。失恋の思い出の品々が世界中から寄付され、展示されているのだそうです。入ってみると結構面白いかも(^-^)
<失恋博物館>
イェラチッチ広場のまわりにたくさんあるお土産物屋さんで、こんな可愛いものを買いました。ザグレブでは男性が好きな女性にハート形クッキー、リツッタルを贈るという習慣があるそうで、それにちなんで街にはハートをモチーフにしたこんな感じのグッズがいっぱいありました。私はこれをクリスマスツリーのオーナメントにするつもり。
街歩きの後、ザグレブで宿泊し次の日にフランクフルト経由で帰国の途につきました。
2年ぶりの海外旅行のスロベニア、クロアチアへの旅を10の記事にしてみました。長々とした記事にお付き合い頂き有難うございます。いつの間にか当地も梅雨に入り、改めて時間の経つのの速さに驚きます。季節柄、皆様体調にお気を付けてお過ごし下さいね
城壁巡りの後、昼食をはさんでドブログニクの向い側にある島、ロクルム島をクルーズしました。クルーズ船は旧市街の東側にある旧港から出発します。ここはその昔ドブログニクの交易を支えた港で 、ここを拠点に沢山の交易船が往来したことでしょう。現在は個人所有のボートなども係留されているようです。そして今も旧港の周りは、レストラン、カフェ、各種チケット売り場などが密集していて、沢山の人々で賑わう活気ある場所でした。
<旧港>
ロクルム島はドブログニクの旧市街から600m位の距離にあり、約1時間でクルーズ出来ます。旧港からは色んな会社が運航するロクルム島クルーズが次々に発着していました。
<左上がロクルム島>
旧市街沿いの海をしばらくクルーズし、ロクルム島へ向かいます。城壁上を歩いている時は判りませんでしたが、城壁は厚い岩盤の上に建てられているんですね。海側から街を見るとそれがよく分りました。
カヌーを楽しんでおられるグループに出会い、手を振り合いました。皆さん楽しそう(^-^)
私達はこの島に上陸はしていませんが、上陸するクルーズも多い様です。この島には起源を11世紀にまでさかのぼる修道院があり、いまも美しい廃墟として残っていたり、18世紀のフランス軍の城砦跡もあるようです。また現在ここは無人島だそうですが、自然公園として保護されており、動物がいっぱいいて孔雀などは自由に歩き回り、容易に触れる距離まで近づいて来るそうです。
島の周りは岩場で覆われているようですね。こんな洞窟も見えました。
しばらくすると、船はドブログニクの旧市街からは見えない島の南側に周ります。島の南側はヌーディスト達が集る岩場で有名らしいですが、残念ながらこの日はそれらしい人々はいませんでした(^-^) ちなみに今はヌーディストとは言わないで、ナチュラリストと呼ぶのだそうですよ。
アドリア海沿いの島の南側をしばらく航行していると、向うに旧市街が見えてきました。海から見るとドブログニクはこんな感じなんですね。
だんだん旧港の様子がハッキリ見えてきて、船はまた港に戻って来ました。約1時間の爽快なクルーズでした。
<旧港>
ドブログニクに戻った後は、昨日歩けなかった旧市街のメイン通りから少し入った所に沢山ある小さな路地を歩いてみました。カフェや土産物屋さんが多いメイン通りとは一味違って、狭い路地の両側にはペーパークラフトの店、ファブリックなどを売っている店、額縁などを売っている店など、規模は小さいけれどヨーロッパらしいお洒落なショップが多かったように思います。
狭い路地を歩いていると、マルシェが催されている小さな広場に突然出たので驚きました。そのマルシェでレース編みなどの手芸品を売っているおばあちゃんから、クロアチア刺繍の特徴がよくわかる下の様な花瓶敷を買い求めました。よく見ると非常に丁寧に作られている品物で感心しました。
<クロアチア刺繍の花瓶敷>
雑誌やテレビで見て、いつか行ってみたいと憧れていた、「アドリア海の真珠、ドブログニク」ですが、非常に良いお天気に恵まれ夢見心地で過ごした2日間でした。
ドブログニク滞在2日目は楽しみにしていた城壁巡りをしました。
ドブログニクの旧市街は外敵から町を守るため14、5世紀に造られた約2㎞の堅牢な城壁で囲まれており、現在は城壁の上は遊歩道になっていて、一周すると1時間程かかります。城壁の出入り口は4か所ある様ですが、私達はピレ門から入りました(城壁巡りは有料で100クーナ(約2000円)でした)。
城壁上に上がると、下のオノフリオの噴水前の広場やメインストリートのプラツァ通りが、こんな感じで見えました。
<噴水前広場>
<プラツァ通り>
<のんびり城壁巡り>
お天気が最高に良かったので、微風が吹く海側の城壁上を歩くのは気分爽快で、紺碧のアドリア海を独り占めにした気がしました。
城壁上からは、旧市街の通りを歩いていても見えない、日々の暮らしがかいま見えることもありました。
学校もありましたよ。
途中見晴らしがいいところにはこんなカフェも。
下の写真の手前2軒の家の屋根瓦はキレイなオレンジ色ですが、一番奥の家の屋根瓦は古びていますね。これは手前のきれいな屋根瓦の家は、ユーゴスラビア連邦共和国崩壊への幕開けとなった1991年のユーゴ政府軍の砲撃で甚大な被害を受けた家で、紛争終結後修復された屋根だそうです。
城壁の上から旧市街を見ると大部分の家々が新しいオレンジ色の瓦でした。この事からもこの時の砲撃の激しさがわかりますね。この狭い旧市街に2000発の砲弾がうちこまれたそうですから、市民は逃げ場がなかったのではないでしょうか。こんな写真が通りに掲示してありました。
クロアチアがユーゴスラビア連邦からの独立を求めるこの紛争は長期化し、ドブログニク旧市街は甚大な被害を受け、多くの市民が犠牲になりました。1995年に和平合意がなり、危機遺産登録されたドブログニクは市民に加え、世界中から集まったボランティア達が残骸の中から建築材料を拾い出すという作業から修復が始まったのだそうです。そして現在もまだ修復作業は地道に続けられているそうです。
二十数年前のこの紛争は、日本人の私にとって今一つ訳がわからない感じがしましたが、この旅行で現地のガイドさんの説明を聞き、そうだったのかと少し理解出来た気がします。
観光客として訪れると目の前の美しい街並みだけしか目に入りませんが、その背後にはこの様な歴史が秘められているのですね。
ボスニア・ヘルツェゴビナの町、ネウムを出発後、1時間半位経った頃でしょうか、ついにこの旅のハイライトであるドブログニク入口に到着しました。ドブログニクはドリア海に面した都市で城壁に囲まれた旧市街と西側の新市街からなっています。城壁に囲まれた旧市街には中世の面影が残り「アドリア海の真珠」と称えられています。
テレビなどに映ることはあまりありませんが、町の入り口にはこんなドブログニク大橋があり、この橋を渡ってドブログニクの町に入ります。橋の向こうの町はよく知られたドブログニク旧市街ではなくドブログニクの新市街です。写真の様に、この日も大型船が入港していました。
<ドブログニク大橋>
新市街からしばらく走行してドブログニク旧市街に入ります。旧市街西側にあるピレ門が見えてきました。
<ピレ門>
旧市街に入り、町の後ろにそびえるスルジ山にロープウェイで登りました。この日は最高のお天気で山頂からは思っていた通りの美しい景色が望めました。紺碧のアドリア海とオレンジ色の屋根瓦の対比は息をのむほどの美しさでした。
西側には新市街が続いています。
<新市街>
ロープウェイから降りて、世界中から訪れた観光客であふれる旧市街を自由に散策しました。旧市街は徒歩で充分歩き回れる広さで、歴史的な石造りの建物が続く石畳の道をのんびりと散策しました。堅牢な石造りの建物が続いています。
<大聖堂>
<総督邸>
下の写真の奥の建物はかっての税関、保税倉庫跡ですが、その後ろに一部写っているのが先程登ったスルジ山です。
<税関(スポンザ宮殿)>
下は世界中からの観光客がそぞろ歩く、メイン通りのプラツァ通りです。他の通りより道幅が広く、カフェのテラス席や土産物店が軒を連ねています。フランシスコ会修道院の鐘楼がずっと奥に小さく見えています。
<プラツァ通り>
フランシスコ会修道院の前辺りは広場になっていてオノフリオの噴水と呼ばれる15世紀からの噴水があります。何度も修復されて現在の姿になったそうですが、写真に写っている蛇口部分の四角い石の彫刻だけはオリジナルだそうです。大勢の人がこの広場に集まっていて賑やかな場所でした。
<オノフリオの噴水>
オノフリオの噴水の横で絵を描きながら売っている絵描きさんから、ドブログニクの思い出にこんな小さな絵を買いました。
非常にいいお天気の日で憧れの旧市街をそぞろ歩き、うっとりする様な一日を過ごしました。
クロアチアのスプリットを出発後バスで約200㎞程走行し、いよいよこの旅のハイライト、ドブログニクへ向かいました。
途中ネウムというアドリア海沿いの町でバスを下り休憩しましたが、この町はクロアチアの町ではなくクロアチアのお隣のボスニア・ヘルツェゴビナという国の町なのです。つまりドブログニクはクロアチアの飛び地になっていて、スプリットからドブログニクへ行くにはこのネウムを必ず通ることになります。アドリア海沿いにあるこの町の海岸線約9kmだけがボスニア・ヘルツェゴビナの海岸線なのだそうです。
なので、ネウムはクロアチアを分断する町なのですが、と言ってクロアチアとボスニア・ヘルツェゴビナが仲が悪いという訳ではない様です。ここの小さなスーパーマーケットで買い物をしましたが、通貨はボスニア・ヘルツェゴビナの通貨マルカ、クロアチアの通貨クーナと勿論ユーロも使えました。
ネウムは物価が安いらしく、このスーパーマーケットはクロアチアから日用品を買いに来る人々でいつも賑わっているそうで、私達が行った時も、その様な人々を多々見かけました。
この日はとてもよく晴れていて、スーパー入口の展望所から見える海の美しさに目を奪われました。
<ネウムの海岸線>