日々の暮らしに輝きを!

since 2011
俳人杉田久女(考)、旅行記&つれづれ記、お出かけ記など。

ポカポカ陽気

2019年01月27日 | つれづれ

きのうの夜、明日は雪かもしれないなんてブロ記事を書いて申し訳ない。

けさ起きて雨戸を開けると、とても良いお天気。

昨夕うっすら積もっていた雪はどこに行ったのか?


この様子を見た瞬間、昨夜書いた自分の記事が気になりだした。

「あぁ~、どうしよう?」なんて思ってもどうしようもないし、

朝の家事が終った後は、

花壇の手入れや家の前を掃くことにする。

あまりもポカポカ陽気で着ていた上着を脱いでしまった。

この時期に外仕事の時、上着を脱ぐなんて珍しい。

昼からウオーキングに出かけると、

202号線をオープンにして走っているスポーツカー2台に遭遇!

ホントに春が来たような温かさ。

一瞬、まだ一月下旬だというのを忘れそう~。

このまま春になると嬉しいのだけれど、そんなに甘くはない。

これから必ずやって来る寒波に備えて、気を引き締めなくっちゃ(^-^)









これから次々に寒波襲来の予感

2019年01月26日 | つれづれ

今日一日、福岡市のお天気はちょっと変だった。

昨日から、明日は寒くなるとの予報が出ていたけれど、

けさ、起きた時は「なぁ~だ、そんなに寒くないな~」という気がした。

ところが、お昼少し前に出かけようと、

カーテン越しに外を見たら、なんと雪が降っていた!

しかも、かなりの降りだった。

ところがそれから3、4分経つと、すぐに止んでしまった。

出掛ける時は、雲が多い鬱陶しい空模様だったのが、

いつの間にか青空になり、

しかも薄日さえ差し出して明るい冬の日に。

でも瞬く間に少し前の鬱陶しい空模様に逆戻り。

そして雨も少し降りだした。

しばらくすると、雷さえ鳴り出した。

夕方になり少し暗くなって、今日は変なお天気だったなぁ~と外を見ると、

何と、お隣の屋根に薄っすらと雪が積もっていた。

明日も雪が降るかもしれない。

これから何度かの寒波襲来の後、明るい春が来る。

まちどおしい!

 

 


写真展 オードリー・ヘップバーン

2019年01月19日 | お出かけ

友達と三越ギャラリーで開かれているオードリー・ヘップバーン展に行って来ました。


オードリーの映画は実際に何本も見ているのに、テレビで放映されるとまた見たくなりますネ。「ローマの休日」から「麗しのサブリナ」、「ティファニーで朝食を」、「マイ・フェア・レディ」などで人気をはくし、世界的な女優になるまでの彼女の姿を写真で追っています。

彼女が亡くなったのは1993年だそうなので、かれこれ26年も経つのに、各地で開かれる写真展にこれだけ多くの人々が集まるというのは、その可憐な姿が私達の胸に焼き付いているからでしょうネ。

それにしても白黒写真というのはカラー写真より、多くの何かを物語る様な気がします。本展もすべて白黒写真でしたが、撮影中の彼女の表情やプライベートでの彼女の様子を生き生きと写し取っていました。

(会場内は写真撮影禁止でした)










蓮池 薫さんの講演会

2019年01月14日 | お出かけ

昨日、都久志会館で北朝鮮による拉致被害者の蓮池薫さんの講演、「夢と絆をもとめて ~翻弄された運命のなかで~」を聞きました。

13時30分開場でしたが、開場30分前には既に多くの方々が並んでおられ、途中で整理券が配られましたが、会場に入りきれない方々は、会場外で音声だけ聞くことになった様です。これだけ沢山の人々が集まるのをみても、この問題に関心のある方々が、いかに多いかということでしょう。

講演は前半で拉致問題全般について、後半では北朝鮮でご自分が体験されたことなどを話されました。

蓮池さんは新潟の海辺で彼女(後の奥様)とデートをしていた時、たばこの火を貸してくれと流暢な日本語で話しかけられたのが発端で、寝袋様の物に入れられ拉致されたのだそうです。

政府認定の17名の拉致被害者の他に、拉致の可能性を排除できない883名(2018年10月1日現在)もの方々がおられます。私は、こんなに多くの人々が拉致されたことに関して、日本政府の怠慢があるといつも思っています。というのは、高校時代(1965年前後)の社会科の時間に先生が言われたことを忘れることが出来ません。

先生は「日本海側をドライブしていると、【不審な人を見かけたら届け出て下さい】という看板が所々に立っている。このとりとめもない看板の意味は、北朝鮮が日本人をさらいに来ているらしい。そんな人(工作員)を見かけたら警察に届けなさいという意味なのですよ」と教えて下さいました。当時は拉致という言葉は使われていなかったので、先生は人さらいという言葉を使われました。

こんな看板を立てる位なので、日本政府は北朝鮮が日本人をさらいに来ているらしいことを警察を通じて薄々気付いていたと思われます。それなのに何の対策もうたず、日本海側のパトロールを強化することもなかった様です。

パトロールを強化していれば、人さらいに来た工作員によってその情報は確実に北朝鮮側に伝わり、こんなに易々と長期間にわたって、多くの人々が拉致されることは無かったのではないかと思わずにはいられません。

蓮池さんの「いかなる時も、拉致問題の解決なくして、日朝国交正常化をするべきではない」という言葉に全く同感です。








小さな揺れに動揺

2019年01月05日 | つれづれ

1月3日の夕方、6時過ぎ頃に突然小さな揺れを感じました。

揺れは7~8秒位だったでしょうか、瞬時に地震だと思いました。

外は薄暗くなっていて、家には私一人でした。

これまでは、揺れがおさまれば何ということはありませんでしたが、

この時は揺れがおさまっても、非常に動揺し不安を感じました。

それは、外が薄暗かったのと一人だったからなのかもしれません。

私は、動揺しながら自分でも思いもよらない行動をしていました。

それはウオーキング中の夫に「今、地震があったんじゃない?」と電話したのです。

夫は「そぉ~、何にも感じなかった」と呑気な声。

それから私は、夫に現在地を聞き、あわててそこまで歩いて行ったのです。

十数分後に夫と会えた時、私からの電話の直後に市の防災メールが入ったらしく、

夫は先程の地震についての情報を得ていました。

歩きながら、福岡市は震度2だったと教えてくれました。

そして二人で家まで歩いて帰りました。

家に帰ってテレビを付けると、先程の地震のことが大きく報道されていました。

それによると、震源は熊本県熊本地方で、

地震の規模を示すマグニチュードは5.1と推定されるとのこと。

熊本県和水町(なごみちょう)では、震度6弱を観測したらしい。

私が感じていたより大規模な地震で驚きました。

それにしても、震度2でこんなに動揺し不安を感じ、

ウオーキング中の夫の所まで行って、


一緒に帰って来るとは、自分のこんな行動にびっくりしています。

それは、自分が歳をとって気弱になった為かもしれませんね。

いやいや、周りには気が強いと思われていても、

もともとこんな自立性のない性格だったのかも...。