日々の暮らしに輝きを!

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俳人杉田久女(考)、旅行記&つれづれ記、お出かけ記など。

てくてく歩きのパリ ~モネの庭~

2019年11月25日 |    パリ(2019)
この日の午前中はオプショナル旅行に参加して、ジヴェルニーにあるモネの庭や家を見学しました。ジヴェルニーはセーヌ川沿いをパリから西へ80㎞位のところにあり、バスで行くと1時間ちょっとかかりました。パリを出て30分もすると写真の様な田園風景が広がり、フランスが農業国だと実感できましたね。


ジヴェルニーは町というより村の雰囲気でした。
<ジヴェルニー> <モネの家の近く>                   

最初にお庭から見学しましたが、モネの庭には花の庭と水の庭があり、私が想像していたよりずっと大掛かりなものでした。花の庭は母屋の前に作られ、その2Fからはさえぎるものなくこの広大とも言える花の庭を眺めることが出来るようになっていました。また水の庭は道路を挟んだその向う側にありました。この水の庭も、日本で言う庭に池があるという様な規模ではなく、橋が幾つもかかり川から水を引き込む大掛かりなもので驚きました。そして写した写真をみると、その規模と美しさをまったく捕らえきれていないのが分かりガッカリです。

<母屋の前から花の庭に入りました>

<花の庭>
<花の庭>
<花の庭>
<花の庭>

真夏でしたが沢山のお花が咲いていました。
 
 

花の庭を見た後、水の庭(睡蓮の庭)を見学しました。

<睡蓮の庭>

水の庭(睡蓮の庭)もまた大掛かりなもので、いくつもの橋がかかり、池の周りには柳の木が何本も植えられ、またお花も咲いていました。見ていると池の水面が光を反射し、時間と共に刻々とその表情を変えて行くのが分かり、それをモネは絵の中に捕らえようとしたのでしょうね。

池の周りにも沢山のお花が咲いていました。
  

花の庭と水の庭を合わせた広大な庭の手入れをするために、モネは常時6人の庭師を雇い入れていたというのですから驚きです。モネは「私は花のお蔭で画家になれた」と言っていた人ですから、彼自身も庭仕事を楽しみ、園芸雑誌を読破しその知識は玄人はだしでした。アイリス、つつじ、タンポポなど浮世絵の中に描かれていた日本の花さえ手に入れて、一人悦に入っていたと言われているそうです。

お庭を見学後、家の中を見ました。ここが入口です。


リビングルームですが、この部屋は当時のままなのだとか。


モネの家は大家族だったそうで沢山の部屋がありましたが、どの部屋もお洒落で彼の豊かな生活が偲ばれました。
 
 
   

 
驚いたのは食堂、寝室、2Fに上がる階段、トイレの中にまで浮世絵が飾られていたことです。彼は浮世絵コレクターで、二百数十枚に及ぶ浮世絵を持っていました。睡蓮やその他の彼の絵を見ても、こちらが素人なので浮世絵の影響を見つけ出すことは出来ませんが、当然その絵の深いところで浮世絵の影響を受けているのでしょうね。

モネは40代半ば位から生涯を閉じる86才までの約40年間をこの家で過ごしたそうです。そしてライフワークとして描き続けた「睡蓮」のシリーズなど、ここジヴェルニーで数々の名作を生み出しました。





てくてく歩きのパリ ~レ・ピュブリック広場~

2019年11月21日 |    パリ(2019)

地下鉄レピュブリック駅は5路線が交わる交通の要所で、ここで下車し上に上がるとレ・ピュブリック広場に出ます。日本語では共和国広場と訳されますね。この広場に来たのは初めてですが、予想以上に広い広場でした。スケートボードやローラースケートや楽器を楽しんでいる人がいたり、またダンスパフォーマンスをやっているグループの周りには大勢の人々が集まったりの平和な広場の風景でした。この広場には写真の様にフランスを象徴する女性像のマリアンヌ像が立っています。
 
<レ・ピュブリック広場>

ガイドブックによると、このマリアンヌ像は古代ローマやギリシャでは解放された奴隷がかぶっていたとされる自由の象徴のフリジア帽をかぶり、右手にはオリーブの枝を持っています。また台座にはフランスの歴史が刻まれています。
<マリアンヌ像>

私がこの広場に関心を持つ様になったのは、2015年1月にイスラム過激派のテロリストが風刺新聞のシャルリー・エブド社を襲撃し10人以上の死者が出た事件や、その年の11月にパリ市と郊外のサン・ドニ地区でイスラム国(IS)の戦闘員とみられる複数のテロリストグループによる銃撃、爆発が同時多発的に発生し100人以上の死者、300人以上の負傷者が出た、いわゆるパリ同時多発テロ事件などの後のことでした。

これらのテロ事件の後、犠牲者を追悼するシンボル的な場所になり、広場には毎日大勢の人々が集まって、マリアンヌ像の周りに献花台が出来、沢山のお花やろうそくや寄せ書きが手向けられているのを、連日日本のテレビが映し出していました。ここはどこの広場だろうと調べていくうちにレ・ピュブリック広場だとわかったのです。

レピュブリックとはその名の通りフランス共和国を意味していて、マリアンヌ像はフランスを象徴する女性像というだけではなく自由の象徴ということでしょう。なのでこの広場は国民の意志で政治形態を選んできたフランスの象徴とも言える場所で、国家の一大事という様な時にはこの広場に集まり、皆で連帯感を確認する広場になるのだろうと思います。









健康ツーリズム

2019年11月18日 | お出かけ

福岡市早良区役所主催の健康ツーリズムに参加して、

曲渕ダム、ダムパーク、野河内渓谷に行って来ました。

この辺りは早良区の南部で、

特に曲渕ダム一帯は紅葉の名所として市民に親しまれています。

丁度見頃で日曜日でもあり、

沢山の方々が紅葉狩りをされていました。

飛び込んで来たのは、山肌を赤く染める一面の美しい紅葉。



葉の一枚一枚がキレイに紅葉し、

晴れた空に映える繊細なモミジの木々。


野河内渓谷への道筋で出会った、何かを語りかけて来るような一本の銀杏の木。

その存在感に思わず見とれてしまいました。


美しい清流と豊かな緑に囲まれた野河内渓谷は福岡市内にある唯一の渓谷です。


ここには紅葉と呼ばれる程のものはない様ですが、

岩間を流れる清流や大小様々な滝があり、

<鮎返りの滝>

沢登りが出来る小路も整備され、マイナスイオンを胸一杯吸い込んできました。



区役所主催の健康ツーリズムなので、

インストラクター指導の健康体操も行程に組み込まれ、

気持のよい秋の一日を過ごしました。







てくてく歩きのパリ ~バスチーユ広場など~

2019年11月16日 |    パリ(2019)

マレー地区を散策しバスチーユ広場まで行ってみました。この広場は1789年7月14日、この地にあったバスチーユ監獄が市民の襲撃によって陥落し、フランス革命の火ぶたが切られた場所です。広場中央には写真の様に「7月の円柱」が建っていて、この円柱はそれから約40年後の1830年の7月革命の犠牲者を祀ったもので、円柱の頂には新しいフランスを象徴する自由の天使像が立っています。
<7月の円柱>

バスチーユ広場はその様な歴史を秘めた場所ですが、現在はメトロの3つの路線が交わる交通の要所であり、広さはそんなにありませんが、多くの人々が行き交い周りにはお洒落なショップやカフェなどもあり、又下町の雰囲気も色濃く残る賑やかな場所になっています。

バスチーユ広場からメトロでレ・ピュブリック広場まで行くつもりにしていましたが、ふと思いついて途中の駅で下車し、その駅近くにある今人気のセレクトショップ、メルシーに寄ってみようと思い立ちました。

駅を降りてメルシーを探したのですが、なかなか見つかりません。その辺りを行きつ戻りつしていると、お店が続いている通りにそこだけ通り抜け出来る感じになった所があり、進んでみると雑誌などでよく見る赤いクラッシックカ―がオブジェとして置かれた入口があり、そこがメルシーでした。
<ここから入る>
<メルシー入口>

お洒落な店内にはキッチン用品、男性、女性用の洋服、靴、鞄、家具、ファブリック類など様々なアイテムが揃っていて、入口からは想像がつかない程、お店の中は広かったですね。ここでこんな一輪挿しを買いました。何か一つと思い何となく買った物でしたが、家で使ってみるとガラスの厚みに雰囲気があり安定感もあり、結構いいな~と思えてきました(笑)。
<店内>


売られている商品がセンスよく、特に家具などは軽快さとお洒落さを兼ね備えたものが多い様に思われ、ゆっくり見ているうちに時間が経ってしまい、気がつくとかなりの時間をこのお店で過ごしてしまいました。あわてて次の目的地のレ・ピュブリック広場へと急ぎました。

 

 


映画『マチネの終わりに』

2019年11月09日 | お出かけ

ヤフオクドームの前に新たに出来たショッピングモール、マークイズの中にある映画館「ユナイテッドシネマ福岡ももち」で『マチネの終わりに』を観ました。


この映画館に行くのは今回が初めてです。ここはマークイズの最上階の4Fにあり、中に10のシアタールームが造られています。『マチネの終わりに』が上映されたシアターは第8ルームで横に18席、縦に階段状に12段、全部で216席ありました。私が見た12:20~上映の観客は30人程でしたでしょうか。やはり映画の内容から中高年の観客が大部分でしたね。若い方はおられませんでした(平日だったから?)。

<通路を挟んで両側にシアターが造られています>

映画『マチネの終わりに』は、2015年3月から毎日新聞で連載された平野啓一郎さんの同名の小説が映画化されたものです。その連載小説の読者だった私は、この小説の映画化を心待ちにしていましたので、今回早速観て来ました。小説『マチネの終わりに』の拙ブログ記事は

今回の映画の内容は原作に忠実であるようで、又、そうでないところもあり、でもなかなかよい映画に仕上がっていると感じました。天才ギタリスト蒔野聡史と国際ジャーナリスト小峰洋子(この設定からして何だか普通ではない)の二人、たった三回の出会いで恋に落ちた二人の切ない物語。

蒔野と洋子の会話や心の動きにはちょっと理解しがたいところもありますが、二人が惹かれあっているのは充分感じられました。パリやニューヨークの美しい景色や、緊迫した洋子のパリの取材現場のシーンも二人の仲の進み具合に無縁の様で、またひょっとして一役かっているのかも。

自分の音楽の追求に苦悩する槇野や、過酷な取材現場に身を置きPTSDに苦しむ洋子に対比する様に、槇野の女性マネージャー三谷の犯した、二人の仲の妨害はあまりにも身勝手過ぎますね。それによりその後、お互いへの強い感情を心に残したまま別々の道を歩きだした二人。

その日から5年の歳月が流れ、時の流れと共に二人の環境も変わり、槇野のニューヨークでの復活リサイタル(?)の後、二人はセントラルパークで再会します。過去にあれだけ惹かれあい、心を残した二人なので、その後の成り行きは想像がつくものの、小説と同じように映画でも結末は観客に委ねられる形になっていました。

ところで、『マチネの終わりに』という題ですが、マチネとは演劇、音楽などの興行で昼の部を言いますので、昼の部の終わりにということで、明るい青春時代が終わり40代を迎える槇野と洋子のことと、槇野のニューヨークでの復活リサイタルが昼に行われ、それが終わった後、槇野と洋子がセントラルパークで再会すること、この二つを著していると思うのですが、どうでしょうかね~?