カズオ・イシグロの「忘れられた巨人(The Buried Giant)」に描かれている世界の在り方、
霧の中に消えていく記憶のような昔日に想いを寄せてみる。
( カズオ・イシグロの世界に呼吸を合わせてみる )
サクソン人とブリテン人のように、かつて日本にも海民(平氏)と騎馬民族(源氏)がいた。
海と風を操る異能者と、当時最速であった馬という野生動物を制御する異能者の対立。
陸には白旗、沖には赤旗という、陸と海の図式的な対立が源平合戦の基本構図であり、
運動会の赤白に至るまで、源氏と平氏の対立構造が、日本人の考え方の軸になっているという。
( 聖地巡礼 )
武田勝頼が天目山の戦に敗れ自刃した後、敗残の兵が大菩薩嶺の山麓にある雲峰寺(うんぽうじ)に奉納したのが
日本最古と云われる日の丸の御旗。
甲斐武田氏が源氏の嫡流である証しとして、武田家代々の重宝であったと伝わる。
(近くでみると縫い目まで見えて、これが平安期の手仕事なのか、と思いましたが、
現存するのは室町期の作だとのこと。)
雲峰寺の名前の通り、勝沼のワイン畑を抜け、雲を眼下にした山上にありました。
風林火山で有名な「孫子の旗」は、7旒のうち1旒が恵林寺に、残り6旒が雲峰寺にあります。
(武田神社にも特別展示として1旒ありましたが、様式や大きさが違っていて別物のようです。
ここ雲峰寺でも展示されているのは3旒で、残り3旒は損傷が酷い為にしまわれているとのこと。
”京都南禅寺で小僧をしていた”というご住職に教えていただきました。)
陣頭に立てていた軍旗「諏訪神号旗(すわしんごうき)」は、信玄直筆。
信玄の居場所を示す「馬標旗(うまじるしき)」は、武田家家紋の「武田菱(四菱)」を花模様に変化させた
「花菱」と呼ばれる控え紋が使われている。
直筆の筆致もそうだが、花菱を自分の影のように使ったり、
信玄は一般的なイメージよりも美意識の高い人だったようにも思える。
昔日のことを思い出せば、めずらしく父と行った映画が影武者だった。
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