浄土真宗には「土徳」という言葉があって、その土地が持つ徳のようなものに人は育てられているという考え方があるのですが、
数年前から大阪に帰省するたびに織田作之助ゆかりの土地を訪ねたりして、大阪の持つ土徳のようなものを感じることが多くなったように思います。
その土地の水が合わないとか、水が変わるから気をつけて、とか言いますが、
人間の身心は、土地の持つ霊気のようなものから、何らかの影響を受けているのだと思う。
年の瀬、そんなわたしの大阪帰りのお伴にぴったりだったのがこの本。
大阪天満宮、上町台地に始まって、四天王寺に至るまで、
不思議なくらいに、ここ数年、足が向いた場所をなぞるように歩いておられるのです。
(正月、織田作之助を訪ねて)
(ジョージハリスン的 四天王寺散歩)
(Magical Mystery Tour @道頓堀/Osaka in 2012)
土地の持つかすかな霊性を感じ取るというのが、この本のテーマでもあるのだが、
大阪という猥雑な土地の持つ霊性とはどのようなものなのか。
例えば、上町台地にある生魂神社の周辺は、お墓とラブホテルが交互に屹立する、いわゆる典型的な″悪所"に感じられます。
ほとんど世界中の人が褒めてくれる京都や神戸、奈良と違って、大阪にはこの″悪所"のイメージが強い。
ほっといても、世界中の人がほめてくれる京都や神戸や奈良とは違い、
大阪は、たしかに行ったこともないのに嫌いだという人が多いような気がします。
かつて大和朝廷の時代には、ほとんどが湿地帯や海で、文字通り、「河の内」だったのが、埋め立てられ、どんどん地形が変わり、人が住み着いていったのが大阪。
大和や京都、海や淀川から、いろいろなものが流れてくる「吹き溜まり」のような土地。
京都や奈良のように、東西南北の方位を通して、様々な神社仏閣を勧請(かんぜい)して、霊的な抑えを利かせるといったような、秩序だった土地とは来歴がちがいます。
「わたの原(大海原) 八十島かけて 漕ぎ出てぬと 人には告げよ 海人の釣り船」
と歌われた八十島は、島がたくさんあった大阪湾、難波八十島のことを歌っているのだという解釈が新鮮でした。
京都から隠岐に流される道程が瀬戸内海を経由して、というのも、どうしてそんなに回り道をするのか不可解なハナシだと思いますが、
古代と現代ではそもそも水陸の様子が全然違うのだと思えば、合点がいきます。大阪から隠岐へと通じる海路があったに違いありません。
大阪は水の都どころか海そのものだと思った方がイメージが湧くのだと思います。
谷町は、上町台地の西側の堀江だったというし、船場、難波、と、水にまつわる地名が都市部の随所に見られる。
砂州のような低い土地が、そこから拡がっていたという「上町台地」は、古代から一度も海没していない大阪中心部における唯一の土地だそうで、
上町台地の先端に大阪城があり、そこから生魂(生國魂、生玉)神社、四天王寺、住吉大社までが、大阪の宗教性の背骨になっている。
いわば、大阪の宗教ライン。
そして上町台地は、古代、神武天皇が日向からやってきた岬なのである。
大阪の上町台地、ここはお寺が約二キロにわたって立ち並んでいる。世界中どこへ行ってもモスクや教会がそんなに並んでいる場所なんてないです。
寺の門も墓石もみんな西を向いていますからね。
大地がひとつの生命体みたいなデザインになってるんです。
古代まで遡れば、生魂神社が祀る生島・足島は、上町台地のみならず日本列島の土地神であったということで、
″生玉さん″の理屈で言うなら、日本人全員が生魂神社の氏子ということになるらしいのです。
まるでアダムとイブに行き着く人類の起源、みたいで、少々乱暴な話ですが、
荒ぶる海民が日本人の起源であった、というのは、なかなかにロマンを感じる物語でもあります。
(縄文土器や弥生土器をこしらえて、コメを作ってたんだよ、といわれてもピンとこない時もある。)
日本という国の成り立ちを考える時に、普通は農耕民族を中心に考えるが、
海民の視点から日本を見るとまた別の姿が見えてくる、という指摘はなかなかに鋭いと思う。
平氏と源氏の争いって、海と風を操る異能者と、当時最速であった馬という野生動物を制御する異能者の対立と読み替えることができる。
海民と騎馬民族(海部(あまべ)と飼部(うまかいべ))、荒ぶる自然力のどちらを制御するものが、列島を支配することができるのか。
陸には白旗、沖には赤旗という、海と陸の図式的な対立が源平合戦の基本構図であり、
室町時代に成立した「能」のレパートリーは四分の一くらいが源平がらみの話とのこと。
運動会の赤白に至るまで、源氏と平氏の対立構造が、日本人の考え方の軸になっている。
源氏が勝利し、武家社会が日本の歴史の本流を形成するにつれて、
私たちは、(海民的でない)農耕民族的な、身体感覚を身につけていったのかもしれません。
海民的武士道というものがあったとすれば、今日の武士道に象徴されるものよりも、もっと荒々しいものになったのではないか、と思わせます。
武田騎馬隊に対した織田信長の鉄砲隊などの舶来の砲術や、カンフーとヌンチャクなど、持てるものを総動員した戦い方。
大阪という、水陸の交わる異界スポットは、海民的であるがゆえに、農耕型日本人にはなじまないのではないかと思えます。
京都のように万人に愛されることもなく、異端として、京都や東京に次ぐ都市でしかありえない理由がわかったような気がします。
( ↓ ) 東西南北という方位に対する身体感覚への言及がすばらしい。
(アメリカ人も、国の端から端までという」ときに、ニューヨークは自由の女神から、サンフランシスコのゴールデン・ゲート・ブリッジまでを思い浮かべるらしい。
東西方向重視の意識は、海民的、移民的なものなのか)
僕たちが空間認知をする時って、まず南北のラインを決めて、それから東西を決めるという順番なんですね。
なんでだか知らないけど、道場を建てる時も、南北が長くて東西が短い長方形にするのが基本なんです。
長安とか洛陽とか、平城京や平安京の都市のかたちと同じ長方形。
別に決まっているわけじゃないけど、そのほうがあきらかに身体を動かしやすいんです。
ところが、海民の場合は海からやって来るので、東西が気になる。
大阪の御堂筋という通りは、北御堂・南御堂の鐘が聞こえる所で暮らしていたいという真宗門徒の人々の宗教的感受性に基づいて形成されたんですよね。
鐘の音や振動を肌で感じ取ることを生活設計の基本に据えていた。
かつては、御堂さんの屋根より高い建物を建てないという習慣があったそうなんです。
そうした霊的感受性が今はほんとうに衰微している。
なんでこんな気持ちのいい道にこんな邪魔なものを建てるんだという憤りを今日は何度も感じました。
半世紀前までは、この道を歩くと何となく気持ちいいとか、ここはどうしてもこちらに曲がりたいとか、そういう体感を普通の市民でも備えていたはずです。
″ここはどうしてもこちらに曲がりたい″
この感覚って、失いかけているというか、無自覚でいると、そのような感覚を自分が持っていることすら忘れてしまう類の感覚だと思いませんか。
内田先生が、霊性を感じる感覚について口にしていますが、
わたしも、四天王寺界隈を数年前にあらためて歩いてみたとき、同じような違和感を抱きました。
四天王寺の持つ、浄土信仰の極みのような、あまりの広大無辺さに目が眩んでしまったとか、そういう頭で理解しようとする範囲を越えたプリミティブな違和感です。溢れ出る霊気に圧倒されているがゆえなのか。
法然、親鸞、一遍上人もここに来て、「日想観」をしたといわれる四天王寺西門で、
能曲「弱法師」を吟じながら沈む夕日を眺めようとも思いましたが、今の私には、水の合わないことのように感じられて、足が向きませんでした。
足が向かないから行かない、というのも霊性をみがく旅の選択肢としてある。
実は、今日の巡礼の最後の四天王寺を見たとき、ちょっとショックだったんです。
だって、まるでタイガーバームガーデンでしょう。おいおい、四天王寺ってこれかよ、って。
聖徳太子の造営というから期待していただけに、旅の終わりがこれかとやや気持ちが萎えているところに、最後ここ(四天王寺境内の五智光院)に連れてきていただいて、ほっといたしました。
今日、この五智光院に来てよかったのは、ここがすごく懐かしい場所のような感じがしたからなんです。そうそう、こういうところに来たかったんだよっていう。
ここの懐かしさって、個人的な経験として懐かしいのではなく、自分自身の霊性の深いところにあるものと、この場が同期している感じがするんです。
これ、四天王寺の講堂や五重塔では感じなかったんです。あそこに行ったときは、正直言うとかなり違和感があって、造形的にも皮膚感覚的にも全然同期しない。人生の最期に「君はここだよ」っていわれたら、「いや、俺はこの五重塔の中で息絶えるのはちょっと勘弁してほしいな」っていう感じがしたんです。
ところがこの場所はいいですね。こういうところで臨終の時を迎えるのなら、いい気分だろうなって。
先日亡くなった大滝詠一さんが、「聖地はスラム化する」と語った通り、
人間の世界で受け止めるには強すぎる霊力を制御する時に俗悪なもので飾り立てるというのは、ある意味仕方がないことで、それが自然過程なのだ。
道頓堀の派手な看板文化のそばにある法善寺横丁、
織田作之助の夫婦善哉の舞台にもなった場所で、横丁っぽい風情を醸そうとする意匠も見られるのですが、不思議と落ち着かない。
情緒というより、もっと強力でざわざわした感じがする。
いまや日本の主流をなす農耕型・狩猟型だけでなく、関西には海民のパワーも色濃く残っているがゆえ、霊力も強いのだと思います。
大阪を読み解くカギは「海民」にあるのではなかろうか。
まるで「沖には赤旗」の荒ぶる海民ソングです、赤いひこう船による移民の歌。
Led Zeppelin - Immigrant Song
近年とみに恋焦がれるようになった牛すじ、
決して土手焼き風のではなく、透明なスープに入った柔らかいやつ、
原点はこれでした。弟が涙したという「シチュー」の味、またいずれのときかに。
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