日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

鯖街道熊川宿で そしてある因縁話

2009-10-20 19:57:20 | Weblog

承前、1000円ドライブで303号線を通り小浜に向かう途中で、「若狭 熊川宿」なる道の駅の標識が目に入ったので休憩がてら立ち寄ることにした。


ところが駐車場が満車である。珍しいこともあるものだとしばらく待っていたら、運良く一台が出て行ったので駐めることが出来た。それにしては人出が目立つし、周りを見渡すと道路沿いを始め車の駐められそうな所はみな車で埋められている。何か特別の催しでもあるのかな、と思ったら、やはりそうであった。道の駅が昔の宿場町熊川宿の町並みにつながっていて、そこで年に一回の「お祭り」が開かれていたのである。



まず小浜藩熊川番所があった。その昔、「入り鉄砲に出女」を厳しく取り締まっていたところである。その前を堂々と通り抜けるていかにも鄙びた趣のある宿場町に入る。かずかずの催しが行われていたが、餅つきのところでは、つき上がったお餅に砂糖入りきな粉をまぶしたのがいかにも美味しそうで、つい手を出してしまった。





元村役場が資料館になっており無料開放されていたので入ってみた。そこで偶然にもある人物に出会った。伊藤竹之助氏である。


説明によるとこの熊川の逸見勘兵衛家(地図の河内川にかかっている中条橋のたもと)に生まれた竹之助は、明治33年滋賀県立商業学校に進み、卒業と同時に、大阪市伊藤本店(現在の伊藤忠商事の前身)に就職し、やがて初代社長伊藤忠兵衛にその人格才量を認められ、娘と結婚し伊藤忠商事二代目社長となったとのことである。偶然にも、というのは、先週、私も観るのを楽しみにしている山崎豊子原作「不毛地帯」のテレビドラマが始まったばかりで、その主人公の壹岐正が大本営参謀であった瀬島龍三をモデルにしたことはよく知られており、したがって壹岐正が就職した近畿商事は伊藤忠商事ということになることを思い出したからである。しかし因縁はそれだけではなかった。この竹之助が二男の結婚にあたり、兄嫁に宛てた結婚式の案内状が公開されていて、それによると二男とは阪大理学部で私も知っている物理の教授であった。念のために家に帰って調べてみるとその教授はこの1月に94才で亡くなっており、その喪主が阪大生物の後輩で同僚でもあった人物なのである。時には侃々諤々の議論をした相手でもあったので、これには驚いてしまった。と、私の好きな因縁話の一つとして書き記しておくことにする。