日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

万波誠医師のチャレンジとヘルシンキ宣言

2006-11-11 17:50:05 | 学問・教育・研究
宇和島徳洲会病院の万波誠医師による生体腎臓移植が臓器売買事件に発展し、その経緯を調査している間に、今度は病人の健全ではない腎臓を別の患者に移植していた事実が浮かび上がってきた。1990年頃に始めて行われて、全体の件数は不明とのことであるが、報道によると10件以上はあるらしい。

『臓器売買事件』となった移植で、ドナーとレシピエントが全くの他人であった。その関係を、万波医師が念を入れて確認していなかったようなので、いい加減な医師だなという印象を私はまず持った。ところが『病気腎移植』に問題が移り、マスメディアがここぞとばかりに『いいかげんさ』を取り上げるに及んで、ひょっとしてこの『いいかげんさ』が万波医師のある信念によるものではないか、という気になった。そのつもりでこの問題をみると、不思議と私もいったんその様に思った『いいかげんさ』自体が、実はいいかげんな思いこみによるのではないかと思い始めたのである。

マスメディアが取り上げる『いいかげんさ』はこのようなものである。

①インフォームド・コンセントの有無があいまい。
②腎臓の摘出や移植についてどのように双方の患者に説明していたのかどうなのかが分からない。
③万波医師らは日本移植学会に所属せず、生体移植を親族間に限定する学会指針も順守していなかった。
④腎臓の提供を受ける患者側に万波医師は口頭で説明して同意文書は受け取っていない。

要は万波医師は『手続き』をちゃんとしていないじゃないか、と責められているのであり、これが『いいかげんさ』の中身なのである。

何事であれ『手続き』はそれなりに重要である。しかし医療において『手続き』が最優先事項なのかと云うと私はそうは思わない。最優先事項は患者の健康であるべきだからだ。

ヘルシンキ宣言なるものがある。「ヒトを対象とする医学研究の倫理的原則」で、1964年にヘルシンキで開かれた第18回世界医師会総会で採択されて以来、5回の修正を重ねてきている。上にも出て来たインフォームド・コンセントについての詳細な指針が、1975年に東京での第29回総会での修正で出て来たという経緯もある。この最新版では「A 序言」、「B 全ての医学研究のための基本原則」、「C メディカル・ケアと結びついた医学研究のための追加原則」の三つに分けて、32項目にわたる指針がある。

その第3項目は次のように述べている。

「世界医師会のジュネーブ宣言は、「私の患者の健康を私の第一の関心事とする」ことを医師に義務づけ、また医の倫理の国際綱領は、「医師は患者の身体的及び精神的な状態を弱める影響をもつ可能性のある医療に際しては、患者の利益のためにのみ行動すべきである」と宣言している」

これによると、万波医師は「私の患者の健康を私の第一の関心事とする」ことを実践したのであって。まさに医師として義務を遂行したことになる。『手続き』は二の次であっていいのである。

ヘルシンキ宣言の最後にある第32項目はさらに注目に値する。

「患者治療の際に、証明された予防、診断及び治療方法が存在しないときまたは効果がないとされているときに、その患者からインフォームド・コンセントを得た医師は、まだ証明されていないまたは新しい予防、診断及び治療方法が、生命を救い、健康を回復し、あるいは苦痛を緩和する望みがあると判断した場合には、それらの方法を利用する自由があるというべきである。可能であれば、これらの方法は、その安全性と有効性を評価するために計画された研究の対象とされるべきである。すべての例において、新しい情報は記録され、また適切な場合には、刊行されなければならない。この宣言の他の関連するガイドラインは、この項においても遵守されなければならない」

医師にとって患者の健康が第一の関心事であるならば、医師には「まだ証明されていないまたは新しい予防、診断及び治療方法が、生命を救い、健康を回復し、あるいは苦痛を緩和する望みがあると判断した場合には、それらの方法を利用する自由があるというべきである」と医療に於ける大きな裁量権があってしかるべきなのである。

万波医師はその裁量権を行使したチャレンジャーとみなすこともできる。

ただしこの第32項では、この医師が裁量権を行使するに当たって、患者からインフォームド・コンセントを得ることを前提としている。万波医師は口頭で説明したとのことであるので、たんなる『手続き』である文書の有無は意に介さなかったのだろうか。「患者の健康が第一の関心事」とあれば、ヘルシンキ宣言をも超越する医師の存在があっても不思議ではない。ヘルシンキ宣言自体がある面では『手続き』でもあるからだ。

医療の本質から云って、問題になるのは、ドナーとなった患者の『病気腎』摘出の妥当性であろう。この患者の健康が腎摘出医師の第一関心事であったのか、これは調査によって明らかにされなければならない。

宇和島徳洲会病院の貞島博通院長によると、病気腎の移植は、2004年9月から06年9月の間に行われ、摘出した腎臓の内訳は尿管狭さく3件、腎臓がん3件、動脈瘤(りゅう)2件、良性腫瘍(しゅよう)2件、ネフローゼ1件で、その11件とも『病気腎移植』はすべて成功しているとのことである。終わりよければ全て良し、とまでは言い切れない諸問題の存在が浮かび上がったことを含めて、私はこれが日本における医療の発展の新たな契機として受け止められるべきだと考える。


追記(2007年4月1日)

万波誠医師のかかわる病気腎移植問題について、次のような記事を追加しています。

万波誠医師のその後は?

病気腎移植問題とピロリ菌

万波誠医師をテレビで拝見して

病気腎移植問題のこれから

万波誠医師の米移植学会での症例報告中止のなぞ

一弦琴「牡丹」

2006-11-10 17:02:11 | 一弦琴
山城一水 作曲 花崎采えん(王扁に炎)訳詞、昭和の曲である。

 鳳凰さし対ふ 金襴の衣
 一夜の雨に ぬるる牡丹花の
 鏡にうつる 爽やかな そがよそほひ
 鬢かろく張る 細おもて
 画楼(おばしま)に 眺め久しき ものおもひ
 てすりの外の 糸柳
 まてど戻らぬ おとづれや
 ひがんの燕 飛びめぐる

このように想ってくれる人がいるなら、私ならホイホイと戻っていくものを。

今年の演奏会でこの曲を奏でたが、不満足の出来だったので、男性版で唄い直してみた。全曲演奏の公開は今日の深夜までとさせていただく。その後は部分演奏に変更の予定。

一弦琴「秋の御幸」男性版

2006-11-08 16:15:58 | 一弦琴
現在の一弦琴の調弦は女性向きにされている。

大西一叡著「一弦琴 一つ緒のみち」(京都修学社)に次のような記述がある。

《東京の糸は、関西にくらべて、やや太めである。しかし、関西でも、明治ごろまでは、今よりも、太い糸を使っていた。もともと男性によって弾かれていた一弦琴が、明治時代になって女性にとってかわられるようになると、声に相応して、糸も細くなったようである。細ければ細いほど、音は軽く、優美にきこえる。》(84-85ページ)

その結果として、現在の調弦では、弦の振動数と女声の振動数は同調するが、男声は2オクターブも低い振動数の音声で歌うことになってしまう。明治時代以前の弦は今より太かった、と云うことなので、取りあえず邦楽器店で一番太い絹糸の弦を買い求めて張った。ちなみに直径は1.0ミリ、従来のが0.75ミリである。

その張り方であるが、一番低い音である一弦琴の開放弦(0)を、自分の歌える一番低い音に合わせた。調子笛でFシャープ(十)の2オクターブ下、振動数では92ヘルツである。「十二」の徽を押さえて弦を弾くと2オクターブ上の声を出すことになるが、それでも一点fis、370ヘルツである。これより高音を出す曲は滅多にないので、最低音を引き揚げるつもりでG(98ヘルツ)で調弦してもいいし、逆に高音の部分を1オクターブ下げて歌うつもりなら、A(110ヘルツ)で調弦しても良いと思う。

弦を太くしたことで弦の振動数と音声の振動数が一致するようになった。そして弦の響きに落ち着きと深みがあるように感じられる。倍音の寄与が効いているのだろうか。「秋の御幸」をFシャープの調弦で唄ってみた。

千葉優子著「日本音楽がわかる本」を読んで

2006-11-06 15:53:17 | 音楽・美術

日本音楽は私には知識が乏しい分、得体の知れぬ代物である。そのかわりに本を読んでいて興味のあるところに出会すと、すーっと頭の中に入ってくる。それが多ければ多いほど、私にとってはいい本なのである。「日本音楽がわかる本」(音楽之友社)もいい本だった。私は一弦琴を習っており、琴の音や声の出し方でいろいろと考えることが多いものだから、ヒントを追い求めてこの本を読んだ。為になる内容がいくつもあったので、以下、それを思いつくままに列記する。《》内はこの本からの引用であるが、もともとが対話調なので文体を変えていることをお断りする。

日本音楽の「音」について、

《日本音楽では(西洋音楽と対比して)むしろさまざまな音色を十分に味わうところに真髄がある。日本の楽器は一般的に倍音を多く含んだ音色を出すのだが、さらに噪音の要素を含んだ音が好まれる。だから日本音楽では楽音と噪音が混じっていて、区別することが難しいことが多い》(16ページ)

最近一弦琴の調弦などを実験しているが、太い弦に変えると倍音がすごく増えることに気付いた。お師匠さんには受け入れてもらえそうもない音で、これはまずいかな、と思っていた矢先だけに、これが日本楽器の特徴だと云われたようなものだから安心した。たしかに一弦琴でも芦管で弦を擦ったり弾いたりして、噪音を作っているのである。「透明さ」に重きを置く必要なないということなのだろうか。

森進一的発声法の勧めが出てくる。

森進一の発声に、日本人が永年培ってきた声の美学が存在するとは團伊玖磨氏がかねて指摘したことである。ところがその発声法とは《長唄なんかの喉をしめたような発声法》(21ページ)ということだから、私は困ってしまう。というのも西洋音楽のヴォイストレーニングでは、喉を開く発声法の訓練を受けているからである。あちらを立てるとこちらが立たず、いつになったら切り替えがスムーズに行えるようになるのか、前途遼遠のようである。しかし嬉しいことも書いてあった。

《日本音楽では澄んだ声を単純で深みのない素人声として嫌う。サビのある渋い声、つまり噪音を多く含んだ声を、深みのある声として好む》(22ページ)とのことである。ボーイソプラノだった頃を懐かしがることもないんだ、と力づけられた。

さらに《一般に日本音楽では、高い声が好まれる傾向にある》とのこと。それなのに私は一弦琴では女声に合わせるがゆえに、無理しても出ないような声音を含む低い音域で、唄うことを余儀なくされていたのである。

しかし日本音楽の発声法と一口にいっても一筋縄ではいかないようだ。《雅楽、声明、能、義太夫、箏曲地歌に長唄などと、種目や流派によって、発声法が違うのも日本音楽の特徴》(22ページ)であるとのこと。現在取り組んでいる一弦琴の発声法すら五里霧中の私にとって、雲の上の世界の話である。

唄い方にも直接に関係するのであろうが、日本音楽では一拍の長さが伸び縮すると言うようなことが述べられている。

《日本音楽の実際の演奏では、拍が伸縮することがけっこう多くて、完全な等拍のリズムは、むしろ一般的ではない。等拍のリズムを「雨だれ拍子」といって、基本的で初歩的なリズムとして、否定的なニュアンスで使う種目もある》のだそうだ。これまでそうであったが、一弦琴を演奏しながら頭の中でメトロノームを刻む必要はないのだ。でも最近は歌の流れをいったん掴めば、拍子を数えなくなっているので自然と日本音楽的になりつつあるのかもしれない。

日本の伝統的な音楽の九割以上が声楽曲だとか、ところがその歌い方となると《長唄は娘の色気、常磐津は奥さんの色気、清元は芸者の色気、新内は花魁・遊女の色気》(216ページ)なんだそうである。男の私には出せようがない色気だが、逆に一弦琴では男の色気を存分発揮できるような気がする。「気がする」というのと現実に「出せる」とはもちろん別のはなし。まあ人間修養を重ねて色気が滲み出るようにいたしましょう、としか云いようがなさそうである。

《清元節の特徴は、イキでイナセでアダっぽく、軽妙洒脱。発声法は甲高い声を裏声で出したり、ハナに響かせたり、かなり技巧的》(217ページ)とのこと。一弦琴にこれを持ち込めば「下品」と云われそうな気もするが、一考の余地はありそうである。

唄い方ではないが、作曲法について面白い指摘があった。日本の伝統的な音楽では作曲をするのに型が重んじられるということである。

《日本音楽の作曲では、昔から数多くある定型化した旋律型、慣用的な音型を応用して作曲する》(69ページ)。

《他の曲から旋律を借用することもある。盗作じゃない。適材適所に使えば「なかなかやるね」なんて誉められる》(70ページ)。

《伝統的な日本音楽では、作曲の専門家はいなくて、演奏家が作曲をする。膨大な旋律型から適切なものを選んで、それをいかにうまく組み合わせて連結させるかが、作曲家の腕の見せどころ。そして、こうした厳しい制約のなかでも、やはり節付けする人の個性はあって、それを昔から「風」「風格」といって重視してきた》(71ページ)。

なんともうれしいご託宣である。これなら私にも作曲家としての道が開かれているではないか。一弦琴の自作自演、けっして夢物語ではなさそうである。

同じ著者に「箏曲の歴史入門」がある。これも読みたくなった。

「いじめ」はいじめる子が悪い

2006-11-03 15:40:31 | Weblog
新聞、テレビなどでしばらく「いじめ」の報道が続いた。

昨日(11月2日)朝日新聞の夕刊に出ていた記事の導入部分はこうである。

《岐阜県瑞浪市立瑞浪中学2年の女子生徒(14)がいじめで自殺した問題で、学校側はいじめを原因と認めて謝罪するまでに、見解を二転三転させた。背景には、学校側のいじめに対する認識や、実態把握の甘さがあった。》

この件でマスメディアの報道姿勢も同工異曲、いつものことながらの学校側の対策・対応非難と云って良いだろうか。

この報道では学校側がいじめを女子生徒の自殺の原因と認めて謝罪したとのことである。しかし私は事件が起こってまだ10日も経つか経たないうちに、そのような結論が出たことに驚く。こういう調査の専門家でもない中学校の教員が、このような短期間に事実関係の調査、そして因果関係の解明をやってのけたとは私には思えないからだ。事件を報じるマスメディアの熱気と、それに刺激された父兄の言葉による圧力に、学校側が屈したのであろうか。

いじめによる自殺が事実であったとすると、悪いのはいじめた側の生徒ではないか。元来はいじめた生徒、そしてその生徒そのように躾けた親を責めるべきである。学校側が認めたことになっている因果関係が本当なら、この生徒は加害者である。この加害者を厳しく矯正しないことには、また別の相手に同じようなことをするに違いない。今回の事件でもこの四人とされる加害者の両親が自殺した女子生徒の両親に謝罪したと報じられている。それはそれでよいのだが、四人の加害者も両親に付き添われて謝罪に訪れたのかどうか、報道ではわからない。自分の子供が悪いことをしたと本当に認めるのなら、子供が嫌がってもむりに引っ張っていき相手に謝罪させるのが親というものではないのか。親が代わりですむという問題ではない。

この中学校で開かれた保護者への説明集会の様子が一部テレビなどで流れた。「人が一人死んでいるんですよ」との怒声が耳に入ってきた。前後の事情が分からないだけに、この人が何故このようなことを声高に言っているのか、その相手が学校側なのか保護者なのかが気になった。

常識的に想像すると、この保護者たちは自分の子供がいじめの被害者になっては大変との思いで事情を聞きにこの集会に参加したのであろう。いじめを察知できず、またそれを防ぎ得なかった学校側へのいらだちが、学校側への責任追及となったのであろうか。

保護者に望みたいのは、自分の子供が被害者になることを恐れるよりは、いじめの加害者にならないよう、日頃から子供に説いてきかせるということである。人の嫌がることをしてはいけないとか、悪い言葉で相手をののしってはいけないとか、そんなことは小学校に上がるまでに躾けておくべきことである。その躾が出来ていないことが今回の事件の背景にあるのだろう。学校という場でいじめを防止する責務は学校側にもあるだろうが、いじめをするような子供に育て上げたのは親の責任である。

同じ新聞はこうも報じている。《PTA総会で保護者の不満が噴出した。「先生は、言葉だけで子供が死ぬことがあると思わないんですか」。そう問いかけられ、その場にいた教員全員が「そう思う」と手を挙げた。》

教師に詰め寄るのもいいが、自分の子供にこの言葉を拳々服膺させるほうが先決だ。




一弦琴「泊仙操」 調弦法を変えて唄う

2006-11-02 13:13:31 | 一弦琴
一弦琴の定期演奏会は毎年10月最後の日曜日にある。今年こそ最後の舞台と意識しすぎたのか、私の演奏曲目「牡丹」の出だしを失敗した。プロでなくてよかった、というのが私の言い訳である。

それはともかく、この日は同門の方と年に一度の顔を合わせる日でもある。全員女性の中なので緊張はあるが、次第にうち解けていろいろとお話しできるのが楽しい。そこで現在の調弦で低音の部分が唄いにくくはないか、と言うようなことをお聞きした。すると戻ってきた返事は「そんなことはありません」であった。「やっぱり」と思った。現在の調弦は女性向きで男性向きではないのである。女には分からぬ男の悩みを私一人だけが苦しんでいたのである。どこが異なるのか。

現在の調弦は開放弦を音階でDの高さに合わす。調子笛ではその振動数が294ヘルツで、高音記号付き五線紙で「レ」の音に相当する。

この調子笛に合わせて女性が声を出すと振動数は290ヘルツ前後であるが、私が同じように声を出すとこの半分、145ヘルツ前後になる。ところがこれまで私は一弦琴の「六」の徽を押さえて弦を弾くときに、この高さの声を出しているのだ。だから開放弦「0」を弾く時に、私は振動数が73ヘルツの声音を出さなければいけないことになる。

私の声の音域は一応テナーである。声域は振動数で大体110ヘルツから370ヘルツの範囲で、この範囲だと唄っていても気持ちが良いし聴いていただくのにもいいかと思う。ところが「0」で73ヘルツ、「三」でも83ヘルツは私の気持ちよく唄える声域外である。女性にはかかわりのない領域なのである。

男にしか分からぬ痛み、それを癒すには女性を当てには出来ない、とばかりに、遅まきながら私が気持ちよく唄える男性向けの調弦を行った。そして「泊仙操」の「秋」と「冬」の出だしを唄ってみた。女性向けの調弦で1オクターブ高く唄った前回のと較べていただきたい。いかに男性が無理を甘受してきたかが分かるであろう。

一弦琴はかっては男のなすことであった。それが女に取って代わられたときに、調弦法に変化があったのかどうか、私は変化があったはず、と推測するが、歴史的な考察はこれからの課題である。