日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

千葉優子著「日本音楽がわかる本」を読んで

2006-11-06 15:53:17 | 音楽・美術

日本音楽は私には知識が乏しい分、得体の知れぬ代物である。そのかわりに本を読んでいて興味のあるところに出会すと、すーっと頭の中に入ってくる。それが多ければ多いほど、私にとってはいい本なのである。「日本音楽がわかる本」(音楽之友社)もいい本だった。私は一弦琴を習っており、琴の音や声の出し方でいろいろと考えることが多いものだから、ヒントを追い求めてこの本を読んだ。為になる内容がいくつもあったので、以下、それを思いつくままに列記する。《》内はこの本からの引用であるが、もともとが対話調なので文体を変えていることをお断りする。

日本音楽の「音」について、

《日本音楽では(西洋音楽と対比して)むしろさまざまな音色を十分に味わうところに真髄がある。日本の楽器は一般的に倍音を多く含んだ音色を出すのだが、さらに噪音の要素を含んだ音が好まれる。だから日本音楽では楽音と噪音が混じっていて、区別することが難しいことが多い》(16ページ)

最近一弦琴の調弦などを実験しているが、太い弦に変えると倍音がすごく増えることに気付いた。お師匠さんには受け入れてもらえそうもない音で、これはまずいかな、と思っていた矢先だけに、これが日本楽器の特徴だと云われたようなものだから安心した。たしかに一弦琴でも芦管で弦を擦ったり弾いたりして、噪音を作っているのである。「透明さ」に重きを置く必要なないということなのだろうか。

森進一的発声法の勧めが出てくる。

森進一の発声に、日本人が永年培ってきた声の美学が存在するとは團伊玖磨氏がかねて指摘したことである。ところがその発声法とは《長唄なんかの喉をしめたような発声法》(21ページ)ということだから、私は困ってしまう。というのも西洋音楽のヴォイストレーニングでは、喉を開く発声法の訓練を受けているからである。あちらを立てるとこちらが立たず、いつになったら切り替えがスムーズに行えるようになるのか、前途遼遠のようである。しかし嬉しいことも書いてあった。

《日本音楽では澄んだ声を単純で深みのない素人声として嫌う。サビのある渋い声、つまり噪音を多く含んだ声を、深みのある声として好む》(22ページ)とのことである。ボーイソプラノだった頃を懐かしがることもないんだ、と力づけられた。

さらに《一般に日本音楽では、高い声が好まれる傾向にある》とのこと。それなのに私は一弦琴では女声に合わせるがゆえに、無理しても出ないような声音を含む低い音域で、唄うことを余儀なくされていたのである。

しかし日本音楽の発声法と一口にいっても一筋縄ではいかないようだ。《雅楽、声明、能、義太夫、箏曲地歌に長唄などと、種目や流派によって、発声法が違うのも日本音楽の特徴》(22ページ)であるとのこと。現在取り組んでいる一弦琴の発声法すら五里霧中の私にとって、雲の上の世界の話である。

唄い方にも直接に関係するのであろうが、日本音楽では一拍の長さが伸び縮すると言うようなことが述べられている。

《日本音楽の実際の演奏では、拍が伸縮することがけっこう多くて、完全な等拍のリズムは、むしろ一般的ではない。等拍のリズムを「雨だれ拍子」といって、基本的で初歩的なリズムとして、否定的なニュアンスで使う種目もある》のだそうだ。これまでそうであったが、一弦琴を演奏しながら頭の中でメトロノームを刻む必要はないのだ。でも最近は歌の流れをいったん掴めば、拍子を数えなくなっているので自然と日本音楽的になりつつあるのかもしれない。

日本の伝統的な音楽の九割以上が声楽曲だとか、ところがその歌い方となると《長唄は娘の色気、常磐津は奥さんの色気、清元は芸者の色気、新内は花魁・遊女の色気》(216ページ)なんだそうである。男の私には出せようがない色気だが、逆に一弦琴では男の色気を存分発揮できるような気がする。「気がする」というのと現実に「出せる」とはもちろん別のはなし。まあ人間修養を重ねて色気が滲み出るようにいたしましょう、としか云いようがなさそうである。

《清元節の特徴は、イキでイナセでアダっぽく、軽妙洒脱。発声法は甲高い声を裏声で出したり、ハナに響かせたり、かなり技巧的》(217ページ)とのこと。一弦琴にこれを持ち込めば「下品」と云われそうな気もするが、一考の余地はありそうである。

唄い方ではないが、作曲法について面白い指摘があった。日本の伝統的な音楽では作曲をするのに型が重んじられるということである。

《日本音楽の作曲では、昔から数多くある定型化した旋律型、慣用的な音型を応用して作曲する》(69ページ)。

《他の曲から旋律を借用することもある。盗作じゃない。適材適所に使えば「なかなかやるね」なんて誉められる》(70ページ)。

《伝統的な日本音楽では、作曲の専門家はいなくて、演奏家が作曲をする。膨大な旋律型から適切なものを選んで、それをいかにうまく組み合わせて連結させるかが、作曲家の腕の見せどころ。そして、こうした厳しい制約のなかでも、やはり節付けする人の個性はあって、それを昔から「風」「風格」といって重視してきた》(71ページ)。

なんともうれしいご託宣である。これなら私にも作曲家としての道が開かれているではないか。一弦琴の自作自演、けっして夢物語ではなさそうである。

同じ著者に「箏曲の歴史入門」がある。これも読みたくなった。

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