「漁火」を久しぶりに唄ってブログにアップロードしたのが11月16日、それから2週間お浚いを重ねてきた。とにかく弾いてみた、という最初のゆとりのない状態から少しは脱却でき、音楽性もある程度顔をのぞかせてきたように思う。
口幅ったい言い分であるが、音楽をどのように作り上げるか、そのイメージを自分なりにまとめ上げることから、一弦琴の演奏が始まると思う。大きく云えば、オーケストラの指揮者と同じような仕事をしなければならない。その独自の世界を、一枚の板に一本の弦を張っただけの、世の中でもっともシンプルな楽器と、声というもっとも身近な楽器のアンサンブルで作り上げるのだから、なんとも大したものである。
とはいいながら、今のところ「漁火」のイメージの出来は八分で表現は七分足らず。目指す到達点の前途遼遠なのがまたよい。
口幅ったい言い分であるが、音楽をどのように作り上げるか、そのイメージを自分なりにまとめ上げることから、一弦琴の演奏が始まると思う。大きく云えば、オーケストラの指揮者と同じような仕事をしなければならない。その独自の世界を、一枚の板に一本の弦を張っただけの、世の中でもっともシンプルな楽器と、声というもっとも身近な楽器のアンサンブルで作り上げるのだから、なんとも大したものである。
とはいいながら、今のところ「漁火」のイメージの出来は八分で表現は七分足らず。目指す到達点の前途遼遠なのがまたよい。