私の部屋のエアコンが故障してどうにもならない。ブログ書きにも支障を来し、これは一昨日(21日)のことなのである。
土曜日にはお昼から西宮の芸文センターでコンサートがあるので、避暑がてらにと早々と家を飛び出した。まず目指したのは西宮ガーデンズである。お目当てはDRAGON RED RIVERのサンラータン麺で、私がこれまで日本で食べた限り(といってもそれほど多いわけではないが)一番のお気に入りのものなのである。アメリカのチャイナタウンにあるような趣の店なのがまたよい。一人だったのですぐに席に案内されて待つ間もなくサンラータン麺が運ばれてきた。

スープが容器の縁からあふれそうだし、見た目がぞんざいで彩りもあまりよくないが、まずはスープをスプーンで味わう。スープとたまたま紛れ込んできた具材のみをひたすら味わううちに液面が少しずつ下がって、1センチ以上空間が生まれてくる頃からいよいよ本格的に取り組んだ。山海の具材が実に豊富に入っていて10種類は優に超える。スープといってもデンプンでとろみをつけているので、なかなか冷めない。でも夏の盛りに熱いものを口に入れていると、いかにも健康的に感じられるのが面白い。唯一の難点は量が多すぎることで、私には三分の二もあれば十分である。食後、暑さをものともせずに道を隔てた芸文センターに向かった。
催し物はMOLLEコンサート協会主催のの「MOLLE Gala Concert」。MOLLEとはラテン・イタリア語で「柔らかい、丸い」を意味すそうで、♭を表す古語であるとか。ヴォイス・トレーニングの先生にチケットをいただいた。どうしたことか無料の催しなのである。主に関西一円で活躍している声楽家たちの競演で、3部に分かれて出演者は26人、それになぜかヴァイオリンが一人いた。伴奏はモレ弦楽四重奏団。会場は神戸女学院小ホールで、演奏が始まった頃は400人余りの座席のほぼ4分の3が埋まっていた。

歌は聴いても歌っても楽しい。そしてこのようなコンサートでは地元の声楽家という親近感のせいか、技倆定めの意識がつい働いてしまう。まずは歌唱の安定感である。安定感がないと落ち着いて聴いておれなくなる。ところが最初はおかしくても歌っているうちに緊張がほぐれたのか曲に乗ってくると、ああ、よかったとこちらまでほっとする。
この日の演奏で私がいいなと思ったのは『宝石の歌』(「ファウスト」より)、『田舎娘を演じる時は』(「こうもり」より)、二重唱『アルヴァーロよ、隠れようとしても無駄だ』(「運命の力」より)、『あなたの声に心は開く』(「サムソンとデリラ」より)、四重唱『告別のアリア―さようならは甘い目覚めよ』(「ラ・ボエーム」から)などであった。驚いたのはテナーとバリトンの二重唱『アルヴァーロよ、隠れようとしても無駄だ』で、二人が並ぶとテナーはがっしりした体格で顔も立派なのに対して、バリトンはほっそりとして顔も面長、まずテナーが歌い出してこれは聴かせると思った反面、このバリトンで二重唱が支えられるのかと心配になってしまった。ところがバリトンが歌い出すと、どこから出てくるのだろうと訝しく感じるほど豊かな声量で艶やかな歌声が流れ出てくる。歌が進むにつれて二人の歌声の妙なる調和にうっとりとし、終わったときには感動で身が震えた。こういう自分なりの発見が出来るのもこうしたコンサートの醍醐味の一つである。
一方、ちょっと気になる観客がいた。私の真後ろなのである。数人の若い女性連れで来ている丸刈り?の男性で、事情通らしく歌手のことなどをあれこれと説明している。それはいいのだが、歌い終わるやいなやこちらは余韻に浸っているのにしゃべり始める。一度は振り返ってにらみつけたが、この調子でずっとやられたら、と気になりだした。ところが思いがけないことでこの男性は自滅してしまった。
以前に歌うのは楽しいで触れた知り合いの歌手が『夜うぐいす』を歌っているときに、たとえ歌そのものは知らなくても歌手の構えや歌の流れからまだ歌の最中であるこことが明らかなのに、この男性が「ブラボー」と叫んだのである。連れの女性だろうか、一人二人拍手をしたが直ぐにおさまってしまった。歌手がまた歌い続けたからである。チョンボもいいところである。この失敗でさすがにこの男性、ええかっこし、を続けられなくなって、なんだかボソボソと言い訳がましいことを連れに言っていたが、それで大人しくなってしまったのでヤレヤレである。
最後には「浜辺の歌」を全員で歌った。出演者が客席の間にも散らばり、私のすぐ前横にはあの二重唱のバリトンが立っている。嬉しくなって私も思いっきり声を張り上げたのである。
土曜日にはお昼から西宮の芸文センターでコンサートがあるので、避暑がてらにと早々と家を飛び出した。まず目指したのは西宮ガーデンズである。お目当てはDRAGON RED RIVERのサンラータン麺で、私がこれまで日本で食べた限り(といってもそれほど多いわけではないが)一番のお気に入りのものなのである。アメリカのチャイナタウンにあるような趣の店なのがまたよい。一人だったのですぐに席に案内されて待つ間もなくサンラータン麺が運ばれてきた。

スープが容器の縁からあふれそうだし、見た目がぞんざいで彩りもあまりよくないが、まずはスープをスプーンで味わう。スープとたまたま紛れ込んできた具材のみをひたすら味わううちに液面が少しずつ下がって、1センチ以上空間が生まれてくる頃からいよいよ本格的に取り組んだ。山海の具材が実に豊富に入っていて10種類は優に超える。スープといってもデンプンでとろみをつけているので、なかなか冷めない。でも夏の盛りに熱いものを口に入れていると、いかにも健康的に感じられるのが面白い。唯一の難点は量が多すぎることで、私には三分の二もあれば十分である。食後、暑さをものともせずに道を隔てた芸文センターに向かった。
催し物はMOLLEコンサート協会主催のの「MOLLE Gala Concert」。MOLLEとはラテン・イタリア語で「柔らかい、丸い」を意味すそうで、♭を表す古語であるとか。ヴォイス・トレーニングの先生にチケットをいただいた。どうしたことか無料の催しなのである。主に関西一円で活躍している声楽家たちの競演で、3部に分かれて出演者は26人、それになぜかヴァイオリンが一人いた。伴奏はモレ弦楽四重奏団。会場は神戸女学院小ホールで、演奏が始まった頃は400人余りの座席のほぼ4分の3が埋まっていた。

歌は聴いても歌っても楽しい。そしてこのようなコンサートでは地元の声楽家という親近感のせいか、技倆定めの意識がつい働いてしまう。まずは歌唱の安定感である。安定感がないと落ち着いて聴いておれなくなる。ところが最初はおかしくても歌っているうちに緊張がほぐれたのか曲に乗ってくると、ああ、よかったとこちらまでほっとする。
この日の演奏で私がいいなと思ったのは『宝石の歌』(「ファウスト」より)、『田舎娘を演じる時は』(「こうもり」より)、二重唱『アルヴァーロよ、隠れようとしても無駄だ』(「運命の力」より)、『あなたの声に心は開く』(「サムソンとデリラ」より)、四重唱『告別のアリア―さようならは甘い目覚めよ』(「ラ・ボエーム」から)などであった。驚いたのはテナーとバリトンの二重唱『アルヴァーロよ、隠れようとしても無駄だ』で、二人が並ぶとテナーはがっしりした体格で顔も立派なのに対して、バリトンはほっそりとして顔も面長、まずテナーが歌い出してこれは聴かせると思った反面、このバリトンで二重唱が支えられるのかと心配になってしまった。ところがバリトンが歌い出すと、どこから出てくるのだろうと訝しく感じるほど豊かな声量で艶やかな歌声が流れ出てくる。歌が進むにつれて二人の歌声の妙なる調和にうっとりとし、終わったときには感動で身が震えた。こういう自分なりの発見が出来るのもこうしたコンサートの醍醐味の一つである。
一方、ちょっと気になる観客がいた。私の真後ろなのである。数人の若い女性連れで来ている丸刈り?の男性で、事情通らしく歌手のことなどをあれこれと説明している。それはいいのだが、歌い終わるやいなやこちらは余韻に浸っているのにしゃべり始める。一度は振り返ってにらみつけたが、この調子でずっとやられたら、と気になりだした。ところが思いがけないことでこの男性は自滅してしまった。
以前に歌うのは楽しいで触れた知り合いの歌手が『夜うぐいす』を歌っているときに、たとえ歌そのものは知らなくても歌手の構えや歌の流れからまだ歌の最中であるこことが明らかなのに、この男性が「ブラボー」と叫んだのである。連れの女性だろうか、一人二人拍手をしたが直ぐにおさまってしまった。歌手がまた歌い続けたからである。チョンボもいいところである。この失敗でさすがにこの男性、ええかっこし、を続けられなくなって、なんだかボソボソと言い訳がましいことを連れに言っていたが、それで大人しくなってしまったのでヤレヤレである。
最後には「浜辺の歌」を全員で歌った。出演者が客席の間にも散らばり、私のすぐ前横にはあの二重唱のバリトンが立っている。嬉しくなって私も思いっきり声を張り上げたのである。