日々是好日

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阿部豊監督の「細雪」あれこれ

2011-01-21 20:31:17 | 音楽・美術
「細雪」を見終わった。約2時間20分、すっかり心を奪われてしまって、まるで自分自身も映画の中に入り込んで、登場人物と言葉を交わしているような不思議な思いをした。冒頭は昭和12(1937)年、大阪の街のシーンで、御堂筋通りには市電の線路が見える。場面は上本町九丁目にある船場の旧家、蒔岡本家の門先に移り、外出先から三女雪子が帰って来るところから物語が始まった。長女鶴子から見合したことへの返答を迫られた雪子がはかばかしい返事をしないまま、芦屋川の分家、次女の幸子(さちこ)の元へいそいそと出かける。

芦屋の家では音楽会に出かける幸子の帯選びに、四女の妙子にやって来たばかりの雪子が加わって盛り上がっている。息すると帯がキュウキュウと鳴るのは帯が新しいせいやと私にはもう分かっているから、次から次へと帯を取り出しても「そんなのあかん」とつい傍から口を出してしまう。

四女妙子もこの分家に身を寄せているが、不断は夙川のアパートに借りた部屋で仏蘭西風とか歌舞伎趣味の人形を作り、また弟子をとって教えている。四人姉妹では唯一の「職業婦人」であるが、かって船場の貴金属商の息子である奥畑と駆け落ちした過去がある。妙子が人形の個展を開く場所が小説では神戸の鯉川筋の画廊となっているが、四五日前、散髪したついでにその鯉川筋にある行きつけの中華料理の店で食事をしたばかりなので、その画廊はどこら辺りにあったのだろうとつい思ってしまった。妙子は舞踊も習っていて、芦屋川の分家で開いた温習会では、富崎春昇、富山清琴に富崎富美代の地唄に合わせて舞う。その踊りに先立ち控えの間で立ち姿などを写真師の板倉に撮らせるが、その姿の実に美しいこと。もうこれで高峰秀子にポーッとなってしまう。



そして昭和13(1938)年の阪神大水害である。当時の凄まじい光景を災害写真で見ることが出来るが、冠水している国道2号線の業平橋のさらに上にある阪急電鉄芦屋川駅が、映画の中ではプラットフォームまで水が上がってきている。その日は妙子が洋裁学院に行く日で、先生に誘われてコーヒを飲んでいたところ山津波に襲われて死を覚悟していたところ、駆けつけて来た板倉の必死の働きで救われる。これが切っ掛けになって二人の付き合いが始まり、六甲山、須磨、奈良など、二人で出かけた場所の映像が次々と出てくる。

小説「細雪」が完成したのは昭和23(1948)年で映画が作られたのは昭和25(1950)年だから、戦災の名残があるとしても映画の撮影された昭和25年ごろの各地の光景は、この小説の時代背景となっている昭和12年から昭和16年にかけての光景と、大きくは変わっていないのではなかろうか。芦屋川の分家の門の外は川沿いの松並木であるが、おそらくは芦屋川沿岸であろう。映画の撮影された1950年の前後には、私もよく松並木を通った覚えがある。母の長姉である伯母の嫁ぎ先が芦屋の平田町にあったので、阪神芦屋駅を降りて川沿いに下って行ったからである。高い塀に囲まれた邸宅の多い区画であった記憶がある。伯母の嫁ぎ先は船場で繊維問屋を営んでおり、そういうことからも映画の醸し出す世界に強烈なノスタルジーを感じてしまった。

「細雪」は三回映画化されている。第二回目は島耕二監督による大映版で第三回目が市川崑監督の東宝映画版である。私は大映版は観ていない。何故かと言えば阿倍監督の「細雪」が私の頭の中にこれが「細雪」と刷り込まれてしまったので、それを崩したくなかったのである。市川「細雪」こそ観たが、私の頭は作り物として拒否してしまっていたようである。それほどすべてが素直にそして生き生きと描かれていた阿倍「細雪」への思い入れが強かったのである。

今回60年ぶりに阿倍「細雪」を観て、何故この作品の虜になっていたのか、その疑問の一端が解けたような気がした。四人姉妹があまりにも役柄ぴったりで、文芸作品というよりは「蒔岡姉妹」のドキュメンタリー・フィルムのようになっていたからある。それも当然といえば当然、四人の女優の実年齢が「蒔岡姉妹」の年齢と見事に重なっていたのである。

「細雪」では冒頭から次女幸子がこのように描かれている。

姉の襟首から両肩へかけて、妙子は鮮やかな刷毛目をつけてお白粉を引いてゐた。決して猫背ではないのであるが、肉づきがよいので堆く盛り上がってゐる幸子の肩から背の、濡れた肌の表面へ秋晴れの明りがさしてゐる色つやは、三十を過ぎた人のやうでもなく張り切って見える。

また三女雪子については

幸子の直ぐ下の妹の雪子が、いつの間にか婚期を逸してもう卅歳にもなってゐることについては、深い訳がありさうに疑ふ人もあるのだけれど、実際は此れと云ふほどの理由はない。

とあるし、三女妙子について

それは今から五六年前、当時廿歳(はたち)であった末の妹の妙子が、同じ船場の旧家である貴金属商の奥畑家の倅と恋に落ちて、家出をした事件があった。

とある。これから妙子が25、6歳、雪子が30歳、幸子、そして鶴子が30歳過ぎであることが分かる。一方1950年当時、1918年生まれの花井蘭子は32歳、1917年生まれの轟夕起子は33歳、1921年生まれの山根壽子が29歳で1924年生まれの高峰秀子が26歳であるから、実年齢と役年齢がものの見事に一致していることが分かる。しかも四人が四人とも「細雪」の時代にはすでに俳優として活躍しているので、その時代の陰翳が心身に染みわたっているのである。まさに「蒔岡姉妹」がはまり役であったと言えよう。

板倉の急死に妙子の生活が乱れ、あげくはバーテンダー三好の子を宿すが死産して、本家からは出入り差し止めを喰ってしまう。一方、雪子は見合遍歴の果てに子爵家の庶子との話がまとまり、ついに婚礼を挙げることになった。雪子の婚礼道具万端が整えられた芦屋川の分家から、その華やかさとは対照的に、当座必要な荷物だけを唐草の風呂敷包みにして持ち出した妙子が、姉たちに別れを告げて三好の元に向かう。映画は此で終わりであるが、四人姉妹のなんとも言えない濃厚な交わりが、人情希薄な平成の世に対する警世ともなっているようであった。そしてこの後ほどなくして「蒔岡姉妹」は日米開戦を迎えることになるのである。

阿部豊監督の「細雪」をこれから何遍観ることになるだろう。その度に新しい発見があるような気がする。たとえば虚実取り混ぜた時の流れである。戦争が始まり、高峰秀子が南方にタイピストとして出かけるのが成瀬巳喜男監督による「浮雲」の世界であるとすれば、板倉の妹として少しだけ顔を出した香川京子が今井正監督の「ひめゆりの塔」では看護部隊の女学生を演じることになる。この「細雪」を時代の生きた記録として見ての発想とも言えよう。


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