日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

「ぜいたくは(素)敵だ」 そして「欲しがりません勝つまでは」の呪文

2010-01-02 16:45:40 | Weblog
ぴりっとした冷たさに新たな年の到来を感じつつ、元旦は地元の神社と生田神社に初詣をした。参詣客がかなり詰めかけているようにみえたが、人の流れに身を任せると思いの外すいすいと拝殿に近づくことができた。世界平和、人類共存共栄、知己家族の健康、ついでに私もあと5年ぐらいは健康に生かしていただくよう祈願する。

夜は例年のごとくウイーンフィルのニューイヤーコンサートを楽しむ。ちょっとおめかししたようなお祭り騒ぎがいい。世界70カ国ほどに同時衛星中継されているというから巨大ビジネスである。ワルツに合わせて踊るバレリーナ一人ひとりのコスチュームを、世界の名だたるデザイナーがデザインし、仕上げるまでの実に手間のかかる工程を紹介していたが、こういう贅沢のできるのも資金が豊富だからであろう。このデザイナーは自家用ジェット機に何匹もの犬を連れて乗り込み、あちらこちらに移動するような人なのである。まさに贅沢の極みと言えよう。やはり贅沢は素敵だなのである。この言葉をわざわざ強調にしたのには理由がある。戦前・戦時中、軍費調達に狂奔した時の政府は「ぜいたくは敵だ」とのスローガンで国民に窮乏生活を強いた。街の目につくところに立てかけられた立て看板のその「敵」なる文字の前に、「素」と書き加えた素晴らしい諧謔精神の持ち主がいたと言う話に私が心惹かれるからである。

贅沢と言えばこの観客の中に毎年必ず日本人女性が何人もいる。着物をまとっているから日本女性とすぐに分かる。このコンサートのチケットを入手にするのは大変だと聞くから前もって計画し、そしてはるばる日本から来たのだろうか。それだけでも贅沢なのに、このような場でそれなりの身なりであるからには着物・帯・履き物など一式で相当なものになるのだろうと想像する。海外で、かっての薩摩治郎八に及ばずとも、洗練された贅沢をさりげなく楽しむ日本人の存在は嬉しい。贅沢は素敵なのである。

今日、元日二日の正午のニュースでは東京の老舗デパートで福袋の初売りに8千人の行列が出来たと報じていた。食費を切り詰めてでも福袋を、と買いに来た人が言っていたが、これも考えようによれば贅沢なのかも知れない。私の世代はそれこそ戦時中で「欲しがりません勝つまでは」と吹き込まれ、そのまま戦争に負けてしまったものだから、いわば呪文がかけられっぱなしの状態になっている。そのおかげでものに対する執着が薄いのは有難い。無いならないで諦める、が身についてしまっている。その上、自分で出来ないものだから、ものにお金を使うという他者の行為に寛容になれるのである。その代わりというか、お金で買えないものへの傾斜が大きいようである。物欲が精神文明希求に転化したといえば格好が良すぎるが、お正月に免じて少々の大口を許していただこう。

ますます自由な心でこの一年を送りたいと思う。