日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

文学者の文章 MetaphorがJargonを生む

2009-02-22 19:54:23 | 放言
村上春樹さんのエルサレム賞の受賞スピーチを一読して、《私の読解力が劣っているせいかも知れないが、一体この人は何を言いたかったのか私にははっきりとしなかったのである。》と村上春樹氏の分かりにくいメッセージで述べた。

受賞スピーチの中で村上氏は《To make judgments about right and wrong is one of the novelist's most important duties, of course.》と言っているのだから、話の流れからガザ地区を攻撃しているイスラエル(軍)と被害を被っている人民について、どちらが「right」でどちらが「wrong」なのか村上氏には自分の判断があるものだと思った。ところがどのようなやり方で「判断」を第三者に伝えるかは小説家一人ひとりが決めること、となんだか勿体をつけて村上氏は回りくどい「たとえ話」を持ち出したのである。

"Between a high, solid wall and an egg that breaks against it, I will always stand on the side of the egg."》と言う話がそれで、さらに

The wall has a name: It is The System. The System is supposed to protect us, but sometimes it takes on a life of its own, and then it begins to kill us and cause us to kill others - coldly, efficiently, systematically. 》と「wall」=「The System」なる言い換えを持ち込む。これに対して私は

《村上氏は「wall」を「The System」なるカフカ的言辞に止めたが、私なら暗喩ならざる暗喩になってしまうが「The Nation」としただろう。これだとメッセージが間違いなく強力に伝わったと思う。》と私なりの考えを述べた。

私は自分ならこう書く、と主張したまでで、村上氏が本当に言いたいことは何か、などと忖度したわけではない。私は言葉というものは伝えたいメッセージを一義的に相手に伝えるための道具であると思っている。言葉の受取手がそのメッセージを一義的に了解してこそ言葉が言葉たる機能を発揮したと思っている。ところが私には村上氏のメッセージが彼の言葉を介して一義的に伝わってこないものだから、何を言いたいのか分からないと述べたのである。では他の人はどのように村上氏の言葉を正しく受け取った(と主張できる)のだろうかと疑問に思っていたら、内田樹さんの文章「壁と卵(つづき)」にぶち当たった。私のように村上氏の「たとえ話」が分かりにく人が多いと思われたのか、「伝道者」役を買って出られたようである。この中で内田さんは

System というのは端的には「言語」あるいは「記号体系」のことだ.
私はこのスピーチをそう理解した。
「政治」とは「記号の最たるもの」である。
現に、このスピーチの中の「システム」を「記号」に置き換えても意味が通じる。》と述べている。

この方は凄いと思った。独自の文章解析眼でもって私が理解をあきらめた「wall」の「metaphor」である「The System」を「言語」あるいは「記号体系」のことだと理解されたのである。ところが、である。「The System」がさらに「言語」あるいは「記号体系」あるいは「記号」と言葉を換えたものだから、「The System」だけでチンプンカンプンな私にはますますお手上げでなのである。でも私が世間の人に比べて文章理解力がそれほど劣っていることはあるまいとの自負心も多少はある。と思ったら「The System」も「言語」も「記号体系」も「記号」も、「metaphor」ではなくて「jargon」に見えてきたのである。

jargon」とは研究社新英和大辞典(第六版)に、
《1(職業上の)専門用語、隠語、(特殊な人たちだけに通じる)通語;(学者間の)むずかしい専門語》と出ているので、私が何を言いたいのかお分かり頂けると思う。「The System」、「言語」、「記号体系」、「記号」は村上春樹さんとか内田樹さんとか特異な知性に恵まれた方の間だけで通じる言葉なのである。ちなみにこの大辞典には引き続き《2a (ちんぷんかんで)わけのわからない言葉;たわごと》と出てくる。私の今の心情にぴったりの説明になっている。

私はお二人ほどの知性を共有しないから「The System」を村上氏の文脈での理解を諦めた上で、《私なら暗喩ならざる暗喩になってしまうが「The Nation」としただろう》と、村上氏の文章を換骨奪胎してしまったのである。

実はこれからが本論なのである。

村上氏が《To make judgments about right and wrong is one of the novelist's most important duties, of course.》と言っているのだから、では、その通りにしたらどうだ、と私は言いたいのである。それも受取手が言葉の解釈をめぐって侃々諤々の議論をせざるを得ないような曖昧な言葉遣いをすべきではない。ましてや「metaphor」などはもってのほかである。村上氏の英文原稿に使われた「metaphor」の原義はWebster's Third New International Dictionaryによると

《:a figure of speech in which a word or phrase denoting one kind of object or action is used in place of another to suggest a likeness or analogy between them (as in the ship plows the sea or in a volley of oaths) :an implied comparison (as in a marble brow) in contrast to the explicit comparison of the simile (as in a brow as white as marble)》である。

これによると「metaphor」は「a figure of speech」、すなわち「言葉のあや」であり、「言い換え」はするもののその意味する内容が変わってはいけないのである。と言うことは「wall」であり「The System」の意味する内容が厳然と存在しており、村上氏はその内容を誰もがそれと分かる言葉で表現できるはずである。それが出来ておらず、このままでは理解されにくいと思ったからこそ内田さんがわざわざ「伝道師」の役割を果たそうとしたのであろう。しかし内容を包み隠したままでの「metaphor」は「jargon」を誘発するだけで終わってしまった。

私もそうであったが科学者が科学論文を書く際に、自分の伝えたい内容が受取手に正しく伝わることを第一に考える。そのために曖昧な表現は排除する。一つの文章がああともこうとも取れるようでは論文の体をなさないからである。また言葉で表現できた概念こそ実体なのであって、言葉で表現できないような概念が論文に現れることはあり得ない。相手に伝わらないからである。その伝で言うと村上氏が「The System」が意味する内容を誰もがそれと分かる言葉で表現していないのは、書き手の怠慢としか言いようがないのであるが、「伝道師」を必要とする文章を喜ぶ大衆が多いと言うことなのだろうか。文学者はそれほど高い存在なのだろうか。