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日々是好日

身辺雑記です。今昔あれこれ思い出の記も。ご用とお急ぎでない方はどうぞ・・・。

体罰容認発言の橋下知事は戦後の『間違った教育』の申し子?

2008-10-29 18:33:51 | 学問・教育・研究
この頃ついテレビのニュースを見逃すし、新聞も見出し程度で終わることが多い。ところが《橋下知事「手を出さないとしょうがない」 体罰容認発言》(asahi.com 2008年10月26日22時49分)が目を引いた。現在、教育の場で体罰がどのように行われているのか私はなにも知らないが、この見出しからは元来体罰が禁止されているにもかかわらず橋下知事が容認したとのニュアンスで受け取ったからである。それで「ウィキペディア(Wikipedia)」で「体罰」を調べてみると、昭和22年制定の学校基本法第11条に体罰についての規定がなされているのである。

《第11条 校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、児童、生徒及び学生に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。》

ところで体罰とはなにか。ウィキペディアは《日本の学校で、正課教育に関連して伝統的に行われている/行われていた体罰の主なものには、以下のものがある。》として、

  ○教鞭などで頭を打つ。
  ○廊下等に立たせる。
  ○頬を平手で打つ。
  ○顔を殴る。
  ○尻を打つ。
  ○正座をさせる。

などの例を挙げている。

昔はどうだったか。戦時中の国民学校で女先生が鞭で生徒の手の甲をピシッと叩いたのを見たし、また私自身、男先生に額を爪弾きされたことがあった。国民学校で罰を受けたことは後にも先にもこのことだけなのでその状況は今でもよく覚えている。授業の最中に鼻を親指と人差し指でつまみ鼻の穴を押しつぶし、口をつぐんで空気を吸い込む。その頃ははな垂れが珍しくなかったので鼻汁の粘着力で鼻の穴が引っ付いてしまう。そこで指を離しどれだけ長い時間鼻の穴をふさいで居られるかを隣席の友達と競い合っていた。それを先生に見つかって二人ともパッチンとやられたのである。その上あろうことかそのことを通信簿に書かれてしまった。母が朝鮮から引き揚げの時に持ち帰ってくれた通信簿の通信欄にある「時々粗野ナル言動アリ」の実態は上のような大気圧を視覚化する独創的理科実験だったのである。なんだ、教師はえらい大げさな物言いをするものだな、と思ったものである。



ところがウィキペディアに次のような文章が続いているのを見て驚いた。《誤解が多いが下記(上記の体罰例、注)のような体罰が行われ始めたのは主に戦後からであり、戦前は小学校令(戦時中に制定された国民学校令も同様)により体罰は一貫して禁止されており、小さな体罰でも教師が処分されることがあった。》なんと、体罰は戦後になって行われるようになったというのである。そういえば教師は鞭で頭を打つことはせずに手の甲を打ったし、私も額を爪弾きされたことは上の体罰例には当てはまらない。『小さな体罰でも教師が処分されることがあった』ということを教師はちゃんと心得ていたのだろうか。となると戦後の体罰はリンチが横行した旧日本軍の復員兵士が教壇に立って始めたことなのだろうか。

そこで橋下知事が実際にどう云ったのか知りたくなって探すと、ちゃんとyoutubeに記録が残っているのである。




これを見て私は橋下知事は戦後の体罰世代なのだな、と思った。自分たちが学校でそのような目にあってきたから、「ちょっと叱って、頭をゴッツンしようものなら、やれ体罰と叫んでくる。これでは先生は教育が出来ない。口で言ってわからないものは、手を出さないとしょうがない」のような言葉が素直に出てきたように思えてきた。

そう思えばこのyoutubeは橋下徹知事と府教育委員らが教育行政について一般参加者と意見を交わす「大阪の教育を考える府民討論会」を録画したものだが、要は全国学力調査で大阪府の成績が振るわなかったから成績を上げなければ、ということに問題の発端があったのだろう。漏れ聞くところではあの全国学力調査は当時文部科学相であった中山成彬氏が「日教組(日本教職員組合)の強いところは学力が低いんじゃないか」との思いつきを調べたくて始めたとか。結果的には中山説を実証できなかったようであるが、そういう無駄なことに国費を使うこともさることながら、その点数という結果に振り回されている橋下知事は体罰に対する姿勢にも現れているように、戦後の『間違った教育』の申し子のようにも見えてくるのである。視野をもっと拡大すべきであろう。

この録画にあるように自分の言葉を語ることの出来る橋下知事はたしかに希有の為政者である。しかし主張の後には人の意見を聞き入れる度量を同時に期待したい。

日本分子生物学会「論文調査ワーキンググループ報告書」の何が問題なのか

2008-10-20 20:50:23 | 学問・教育・研究
私のサイトに急にアクセスが増えたのはどうも日本分子生物学会「論文調査ワーキンググループ報告書」に失望しての記事のせいのようである。現にGoogleで『日本分子生物学会「論文調査ワーキンググループ報告書」』を検索すると次のような結果で三番目に顔を出している。一番目、二番目の分子生物学会の公式サイトにひき続いての場所なので人目を引いたのであろうか。ところが私はこの記事の中で《論評するにも値しないような出来であるのに失望した》とこの報告書に断罪を下しているのである。具体例を一つ挙げてなぜ私が失望したかを述べているので、私の意味するところは読者にご理解いただけるとは思っているものの、「論評するにも値しない」とは年甲斐もなく木で鼻を括ったような決めつけであることが気になりだした。なぜ「論評するにも値しない」のかもう少し説明をすべきではないかと思い始めたところに、都合良くこのGoogleの検索に出てきた二つの記事が私の目にとまったのである。


   (2008/10/19 17:33現在、20日午後6時25分現在ではトップに出ている。)

六番目のエントリーは「地獄のハイウェイ」さんの分子生物学会のカミングアウトという記事で、分子生物学会が《「学生の資質が低下」「学位審査が甘くなっている」とはっきりと書いてあるし自立した若手研究者の育成が、実際にはほとんど行われていない》ことなどを分子生物学会がよくぞ自ら認めたものよ、との趣旨のものである。

また七番目のエントリーは「ある理系社会人の思考」さんの大学院教育がイマイチだと学会が認めたという記事で、そのタイトルように趣旨は「地獄のハイウェイ」さんと共通するところがある。現役のお二人は報告書のこの部分の文章を違和感なく受け取られたようであるが、一昔前に現場を離れて大学事情に疎くなった私には引っかかるところだらけなのである。そういうことから論評に値しないと云いきってしまったのである。そこで「地獄のハイウェイ」さんが引用されている報告書3ページにある次の文章を例に、そのどこがどう問題なのかを順を追って述べたいと思う。

《しかし、大学院の重点化で学生の資質が相対的に低下し、自立を促すような教育が以前より難しくなっていること、および最終的な学位審査が甘くなっていることが懸念される。また、学問の専門性の深化に加え、大学の法人化等による組織の変動や研究者への職務の負荷の増大のため、研究者間の交流がより難しくなっていることは憂慮するべきことであろう。今一度、単に研究成果だけを求めるのではなく、自立心のある若手研究者の育成を可能とし、相互批判できる研究者社会の再構築を考えるべき時期にあるのではないだろうか。》(強調は引用者、以下同じ)

この文章全般の問題は、具体的な内容が伝わってこないのに、自己反省的な弁が一人歩きをして、それにほだされてか多くの人が満足してしまうところにある。

まず強調部分の『大学院の重点化で学生の資質が相対的に低下し』とはどういうことなのか。大学関係者が折に触れて仲間内でこのようなことを話しているのかも知れない。しかし国民をも視野に入れての報告書となると仲間内での言葉は通用しない。大学院の重点化で学部教育より大学院教育が重視されるようになり、大学院生のより手厚い教育が可能になったと世間では受け取るのではなかろうか。そう思っているところに『学生の資質が相対的に低下し』なんて唐突に云われると、頭脳が思考停止してしまう。しかも『相対的』とは何に対してどうだと云うのだろう。この『学生』が大学院重点化を遂げた大学の内にいるのか、外にいるのか、それとも内外を問わずなのか、それすら分からない。このように説明が絶対的に不足しているものだから、並べられた言葉が何の意味も持たないのである。

次に『自立を促すような教育が以前より難しくなっている』とはどういうことなのか。まず早い話が『自立を促すような教育』とは何を指すのか。というよりそもそも院生や若い研究者をテクニシャン代わりに使ってきた指導者に『自立を促すような教育』という意識が一欠片でもあったのだろうか。

私が博士課程の院生を指導していた頃は、研究テーマを与えてからは論文の作成、投稿に至るまで、一貫して院生が研究を主導した。その間、新しい実験結果が出る度に共に検討を行い、お互いが納得するまで実験を繰り返してそれが完成すると次の実験に移っていくのが常であった。論文執筆ももちろん院生が一から始めて原稿がまとまったところで私が査読し、徹底的に朱筆を入れる。それをもとに院生がまた書き直す。私の朱筆が気に入らないと自説を強硬に主張する院生もなかには居て、十回近くもやりとりを交わす場合もあった。全過程を通じて徹底的な議論は当然の前提であった。

これが私の行ってきた『自立を促すような教育』で、この「しごき」に堪えられた院生のみが晴れて博士の学位を得ることが出来た。私の周辺ではこのような研究指導・教育が至極当たり前のことで、指導者と院生の共通認識であった。この『自立を促すような教育』を念頭に置いて上記の文章を見ると、次のような疑問が生じてくる。

私のやり方で『自立を促すような教育』をすることが『以前より難しくなっている』とは具体的にはどういうことなのか、私には理解できない。そこで報告書の中の気になる部分に注目しよう。4ページの真ん中からやや下がったところの《PIが、筆頭著者となる大学院学生などには論文を書く実力が足らないと考え、また、研究競争に不利にならないよう、自らが効率よく複数の共著者のデータをとりまとめ論文の執筆を行うことは、昨今ではしばしば耳にする。》という文章である。

『昨今ではしばしば耳にする』とはまるで他人事のようであるが、この報告書を作成した委員全員が自分の行っていることをこのように婉曲に表現したとしよう(反論があればどうぞ)。とするとこの強調部分は私が云う『自立を促すような教育』なんて、もともとから分子生物学会関連研究室では行われていなかった、と云っているようなものである。『自立を促すような教育が以前より難しくなっている』の『より』は「比較」の基準を示す格助詞ではなく、時間的起点を示す格助詞と受け取って『以前から難しくなっている』と解するべきなのであろうか。それはそれなりに意味が通じることになる。しかし報告書を読む者に、このように「一体何を云いたいのだろう」とあれやこれやと考えさせる文章なんて最低で、これが私が以前のエントリーで《国語能力の欠如》と指摘したものの一例である。

『最終的な学位審査が甘くなっている』のは、当たり前のこと。上の強調部分にあるようにPIが自分の欲望追求のために研究指導・教育をないがしろにし、PIが執筆した論文で院生に学位を取らせているのだから。

これではっきりしているのは、研究指導者がまともに研究指導・教育を行っていないことが『自立を促すような教育』の欠如になっていることなのである。まさにそれを裏付けるように報告書の引用部分で『学問の専門性の深化に加え、大学の法人化等による組織の変動や研究者への職務の負荷の増大のため、研究者間の交流がより難しくなっていることは憂慮するべきこと』と述べ、外的環境の変化を研究指導・教育に十分時間を取ることの出来ない言い訳としている。

しかしこの引用箇所も具体的に何を云っているのか理解しにくい。『学問の専門性の深化』とは何を意味するのか。私が現役時代の昔でも『学問の専門性の深化』は存在していた。たとえば実験で新しい測定技術を導入する。それも自分で工夫したその当時は世界でただ一つしか存在しない装置で新しい現象を発見する。これこそ『学問の専門性の深化』で、私自身それを成し遂げたという些かの自負はある。それにより世界のあちこちから共同研究を申し込まれる機会が増えたのだから、『学問の専門性の深化』で『研究者間の交流がより難しくなっている』とは私の経験とは真っ向に相反していることになる。だからこの報告書を素直に受け取れないのである。報告者は一体何を云いたかったのだろう。

同じく『大学の法人化等による組織の変動や研究者への職務の負荷の増大』とは何を指すのか、これも具体的な事例で昔の大学人にも分かるように説明していただきたいものである。最近私にもよく理解が出来るある酵素に関して特許申請がされていて、たまたま私は申請書に目を通すことが出来た。私は研究結果を特許の種にすることにはもともと反対なのであるが、その立場を離れたとしても、なんと無駄、無益なことに今の研究者がエネルギーと時間を浪費しているのかとの思いを深くした。そしてそのような駆り立てられる研究者に一面では同情の念を抱いた。しかしそのような行為がただ特許申請という実績作りのためだけのもので、いかにその申請内容、申請行為が馬鹿げているかは申請者自身が一番よくご存じのことであろうと私は確信している。となればそのような馬鹿げたことを自分でやらなければ済む話である。今の評価システムで研究者の評価を上げることにはならないが、そんなことはどうでも良いではないか。自分が何をなすべきか、それを真摯に考えれば、研究や教育を阻害しかねない一切の余計なことを勇敢に廃することが出来るではないか(機会があればこのような特許申請がいかに愚行であるのか詳しく論じたいと思う)。

また新しいご時世というのか、大型予算が組まれるようになり旅費が潤沢になったせいだろうか、研究室を留守にして出張にあけくれる研究者をけっこう見聞する。私の大学時代の恩師はそれこそ海外には一度もお出かけにならなかった。その代わり外国からノーベル賞クラス(実際の受賞者も)の学者が多く訪れてきた。もうすでに恩師は実験はされなかったが、教授室には居られるのが普通のことであったので、教授室の前を通る時は足音を忍ばせたものである。ノーベル物理学賞の益川博士がパスポートを持たれたことがなかったことが大きな話題になったが、私の恩師はまさしくその先駆者でもある。このような教授を身近に見て私は育ったものだから、研究室を留守にすることの多い教授の存在が理解できないのである。この報告書では《杉野元教授は、米国NIEHS/NIH に長期的に出張し、研究室を不在にすることが多かった。例えばここ数年は、数名の学生とともに夏に1ヶ月以上滞在していた。》と、教授の研究室からの不在を問題視しているが、教室員に教授の勤務評定をさせたら杉野氏なみに、もしくはそれ以上に、研究室を留守にすることの多い教授が続出するのではなかろうか。

話がやや横に逸れたが、要するに研究指導者が研究・教育以外の『雑務』を切り捨てる勇気があれば、私が云うところの『自立を促すような教育』に真正面から立ち向かえる時間てら十分にひねり出せるであろうと私は云いたいのである。それなのに『大学の法人化等による組織の変動や研究者への職務の負荷の増大のため、研究者間の交流がより難しくなって』なんてただ受け身となって託っているようでは不甲斐ないとしか云いようがない。

日本分子生物学会「論文調査ワーキンググループ報告書」は今ここに取り上げた数行の文章に対してすら、これだけの疑問を私は抱くのである。もしこの報告書全体を私が閲読するとすれば無数のクエスチョンマークと朱筆で埋め尽くされること必定である。これでもって私が以前のエントリーで《全般的に科学者の報告書とは思えない曖昧さを多く残したままにしており、稚拙な論理の組立と国語能力の欠如と相まって、この報告書は真面目に読もうとするものを苛立たせるだけなのである》と述べたことの理由をご理解いただけたかと思う。

日本分子生物学会「論文調査ワーキンググループ報告書」に失望して

2008-10-16 12:18:03 | 学問・教育・研究
科学論文のデータの捏造と改竄を教授自らが行ったという特異なケースとして注目を浴びたいわゆる阪大杉野事件が表沙汰になったさいに、私は阪大杉野事件への関連学会の対応は?で、以下のような問題提起を行った。

《今回は杉野教授がJBCに発表した論文の『不正』がことの発端であったが、「Genes to Cells」にも杉野研究室からの論文が掲載されている。私は日本分子生物学会がこれらの論文についても信憑性を独自に検討するべきだと考えるが、現在のところかりに動きがあるにしても外部には伝わってきていない。

日本分子生物学会といえば、同じ仕事仲間同士が集まっている、その意味ではもっとも血の濃いいもの同士の集団である。なにか『徴候』を感じる人が一人ぐらいはおってもいいような気がするが、今はそのことを深く問わない。しかし現実に他誌への投稿論文に不正があったことが判明した以上は、この学会誌への掲載論文について学会として何らかの対応をなすべきである。自浄能力は大学だけに問われているのではないことを、学会員は心に銘記すべきなのである。

日本分子生物学会は何がどの程度まで明らかにされうるかはさておいても、阪大杉野事件にそれなりのコメントがあってしかるべきだろう。極めて難しい問題ではあるが、関係者の前向きの取り組みがお互いの信頼感をより強めることになることは間違いない。》

この10月10日に日本分子生物学会が「論文調査ワーキンググループ報告書」ならびに「意見書(杉野元教授)」を公開したのである種の期待をもって目を通したが、結果を先に述べると、論評するにも値しないような出来であるのに失望した。その不誠実さの一つを取り上げると、なぜ私が失望したかお分かりいただけると思う。

5人のメンバーからなる「日本分子生物学会論文調査ワーキンググループ」が設置されたのは、私の問題提起から半年以上も過ぎた2007年4月である。《杉野元教授を主要著者としてこれまで発表された論文について、あらためて共著者への聞き取り等をもとにして調査した》ところ、《最近発表された下に掲げる論文5 報の図のいくつかについて疑義が呈された》というのである。その論文とは以下の5編である。

  1. JBC. 2006, Epub on July 12 (already withdrawn)
  2. JBC. 2006, 281; 21422-21432. (already withdrawn)
  3. JBC. 2002, 277; 28099-28108: Fig. 1E, 3, 5C
  4. JBC. 2002, 277; 37422-37429: Fig. 2, Table 3
  5. Genes Cells 2005, 10; 297-309: Fig. 3, 6, 7

5番目の「Genes Cells」は正しくは「Genes to Cells」ではないかと思うが、それはともかく、これが日本分子生物学会の学会誌であるので、ここに掲載された杉野氏の発表論文の信憑性の追求を私は望んでいたのである。この論文に関する報告書の部分は次の通りである。

《論文5に関しては、共著者から提出された資料にもとづいて、本WGで内容に誤りがあると判断し、ここに新たに報告する。杉野元教授は、実験データの一部が何者かに持ち去られてしまったので有効に反論できないと主張されている。》(強調は引用者、以下同じ)

「ここに新たに報告する」とあるから、大阪大学大学院生命機能研究科研究公正委員会の行ったような精緻な調査報告が続くのかと思ったら、なんとなんと、ただこれだけで終わりなのである。あまりの呆気なさに私は目をぱちくりとさせてしまった。日本分子生物学会はこの報告書の「はじめに」で《杉野元教授の論文問題に対する説明責任を果たす》と宣言している。その答えがもう一度引用するが後にも先にも、《論文5に関しては、共著者から提出された資料にもとづいて、本WGで内容に誤りがあると判断し、ここに新たに報告する》、ただこれだけなのである。杉野氏の「Genes to Cells」に掲載された論文が何編で、それを全部調査したのかどうかも分からないが、論文5の内容に誤りがあったことだけを鬼の首でも取ったかのように吹聴してそれで終わり、これには杉野氏も反論のしようがないだろう。

以上はこの報告書のクオリティを示すほんの一例で、全般的に科学者の報告書とは思えない曖昧さを多く残したままにしており、稚拙な論理の組立と国語能力の欠如と相まって、この報告書は真面目に読もうとするものを苛立たせるだけなのである。嘘だと思ったらどうぞ論文調査ワーキンググループ報告書にお目通しあれ!杉野氏の意見書も含めて9ページのPDFファイルである。

本当はこれで終わりにしたかったのであるが、ひとつ見逃すことの出来ない次のような言説があったので取り上げる。その言説とは「おわりに」に出てくる以下の部分である。

《今回の論文問題を含め、昨今研究社会で稀ならず露見する研究不正問題は、研究の競争環境も背景にあり、もし今後、競争的研究環境が強まる中で研究者社会が性善説で成り立っていかない状況になれば、上記のような事後処理的なしくみだけでは不十分であるということになるおそれがある。そのような場合には、内部告発に頼ることなく、研究者による調査機関、あるいは第3者の調査機関が、定期的に研究グループの研究体制を調査し、また発表論文については抜き打ち的に研究者の保有する生データと発表内容を対比するような調査をすることが必要となることも考えられないことではない。》

強調の部分は、たとえば永井荷風の「断腸亭日乗」などに出てくるが、戦前、私娼窟の取り締まりを抜き打ち的に行っていた警察の臨検を思い出させるものがある。こういうことを連想する私も古いが、その私が驚く学問・思想の自由に真っ向から対立する『臨検』なる発想を研究の場に持ち込む可能性をこの報告書は示唆しているのである。そのような報告書を公表する日本分子生物学会の体質とは一体なんだろうか。

「杉野元教授の論文問題の背景についての考察」の冒頭に《杉野研究室における個々の研究指導は、一般的な研究室のものと大きくかけ離れてはいなかったと思われる。》と記しておきながら、その数行後には研究指導の実態として《1つの研究課題に必要な実験を細分化して複数の学生や若手研究者に分担遂行させる研究体制》とも、《研究の全体構成を把握しているのは杉野元教授だけであることが多く(ただし、杉野元教授は、説明はしていたと主張している)、個々の担当者の研究内容は必ずしも系統的でなく、その時に必要な実験を場当たり的に分担する状態であったようである。また、共同研究者や学生が全体構成を把握しているか否かにかかわらず、このような分担の指示があった場合には、立場上、断れない状況であったとの関係者の指摘もあった。》とも述べられている。また「PI (principal investigator;研究責任者)を中心とした研究グループ」では、それに続いて《今回の事例では、特有の背景を指摘することもできるであろうが、グループ構成員とPIとの議論や研究進行中のグループ内の交流は確保されていたことも認められる。その点ではごく一般的な状態の研究室で起きた事件であり、今後の研究者の姿勢について多くの教訓を示している。》とも記されている。

私がかねてから指摘しているように学生や若手研究者をテクニシャン代わりに使っているとしか思えない杉野元教授の研究指導が、分子生物の「一般的な研究室のものと大きくかけ離れてはいなかった」とか、「ごく一般的な状態の研究室で起きた事件であり」と云うのであれば、これはこれでおおごとである。これが『臨検』的発想が日本分子生物学会内ですんなりとまかり通る風土ということになるからである。

論評するに値しないといいながら、ついつい筆が滑ってしまったので、もう一つ当今の学者・研究者のだらしなさを指摘しておこう。それはこの報告書につけられた杉野元教授の意見書の次の一文にある。

《今回の件で最も致命的なことは、阪大調査委員会の為の資料提出の準備中、大学の私の教授室の書架に置いていた1999年から2006年までの私の実験ノートファイルが紛失しているのが判明したことです。2006年8月11日以降(8月10日には書架に実験ノートファイルがあったことを私の秘書が確認しています)、私がアメリカ出張から帰国して大学に出勤した8月31日迄の間に何者かがこれらを持ち去ったと考えられます。このノート紛失がこれら全ての件に関して私が行った実験の生データの証拠提出が不可能となり、私の立場がより一層不利になってしまいました。》

Dan BrownやMichael CrichtonのSFでもあるまいに、このレベルの弁明で世間が納得するとでも思っているとしたら杉野氏は文字どおりの学者馬鹿である。当然警察へは盗難届が出されていることと思うが、捜査の進捗具合を知りたいものである。これに対して報告書はなにも触れていないので読む者にフラストレーションを残すだけとなっている。

学問・思想の自由を守ることに鈍感な日本分子生物学会の会員から、これからも不祥事が露呈したとしても私は少しも不思議には思わないだろう。若い将来のある学問の担い手が不祥事に巻き込まれないよう、ただそれを祈るのみである。

阪大杉野事件に関して、私なりの考えは阪大杉野事件の結末・・・にまとめたつもりである。


ノーベル賞雑感 そして思うは巨大粒子加速器より人材育成を

2008-10-10 11:10:18 | 学問・教育・研究

昨日の朝刊に続いて今朝の朝刊も日本人ノーベル賞受賞の記事が一面トップに大きく出た。昨日はノーベル物理学賞、今日は化学賞でその下村さんの受賞がなければ間違いなく東証終値952円安、過去三番目となる下落率の記事が一面を真っ黒に埋め尽くしていたことだろう。ノーベル賞様々である。ついでに医学生理学賞も日本人が取っておれば良かったのに、と、これは叶わぬ願いであった。受賞された方々には心からお祝いを申し上げる。

今夜のNHKクローズアップ現代に益川敏英、小林誠両氏が生出演されていたが、お二人の人柄が素直に感じられて良かった。マスメディアに追い回されて少々お疲れの様子であることが、ノーベル賞受賞がまさに社会的現象で、そのインパクトが株価大暴落を上回るものであることを図らずも証明しているようであった。

ノーベル物理学賞が素粒子理論で米国シカゴ在住の南部陽一郎氏と上記の二氏に与えられたと聞いて、私はこれぞノーベル賞らしいノーベル賞だと思った。理論物理だからアイディアだけが勝負の世界、研究費は「紙と鉛筆」があれば十分だから、いわば誰でもレースに参加できる。研究費がないから研究できない、なんて言い訳が通らないこれほどフェアな世界は他にない、と思ったからである。

ところが昨日の日経夕刊に掲載された益川博士の記者会見での発言に、私は一瞬、はてなと首をかしげた。「自然科学は研究のための大変な予算を国民の皆様から頂いており、成果を還元していかなければならない」がその発言である。益川さんに実感のある自然科学とは、「紙と鉛筆」があれば十分にやっていける素粒子理論の研究であるだろうに、なぜ「大変な予算を国民の皆様から頂いており」と言うことになるのだろうと素朴な疑問を抱いたからである。しかしふと思い当たった。「小林・益川理論」はもともとは仮説で、それが実験により正しいことが確認されたがゆえに理論として意味を持つようになったのであろう、と。その実験設備に膨大なる国家予算が使われているのである。そのことを益川博士がいわれたのだとすると私も納得できる。自然科学ではまず仮説があり、その正しさが何らかの手段によって確認されてこそ始めて仮説が理論に昇格するのであって、実験による証明があるなしで、同じことを言っていてもその重みに雲泥の差がある。科学者が同じ社会的発言をしていても、ノーベル賞を貰うと俄然世間がそれを重く受け取る、それ以上の差が仮説と理論の間にはある。

となると私の素朴な疑問は「小林・益川理論」の提案者である両氏と、その正しさを実験的に確認した研究者とのセットでノーベル物理学賞になるのではないのか、ということである。ところが巨大設備を動かすには多くの研究者・補助者が共同で作業することになるので、その成果をまとめた論文には、場合によれば無数の著者名がずらりと並ぶことになる。ノーベル賞は一つの分野で受賞者は三人までの原則を拡大しない限り、関係者の誰もが異存のないかたちで実験担当者を受賞者に選ぶことは不可能であろう。それではいくら巨大設備を作っても、作った側にノーベル賞がやってくるという意味でのメリットは無いことになる。このようなミミッチイ話になるのも、読売新聞の伝える次のニュースを見たからである。

《河村官房長官は8日午前の記者会見で、日米欧などが進める巨大粒子加速器「国際リニアコライダー」(ILC)計画について、「政府として本格的に取り組むときが来た。関係府省で検討する仕組みをつくる必要がある」と述べ、日本国内への誘致に前向きな姿勢を示した。(中略)ILCは、全長約40キロ・メートルのトンネル内で高速の電子と陽電子を衝突させ、宇宙誕生のビッグバンに相当するような高エネルギーを発生させる大規模な実験装置だ。建設費は数千億円ともいわれ、候補地や費用の負担が計画の関係国の課題となっている。》(2008年10月8日19時29分 YOMIURI ONLINE)

「政府として本格的に取り組むときが来た」そうであるが、早くもこの件で閣議決定でもなされたのだろうか。そうではあるまいと思う。河村官房長官は小泉内閣で一年間ほど文部科学大臣をなさった方なので、当然職務上この巨大粒子加速器計画のことはご存じであったのだろう。それでノーベル物理学賞三氏受賞のニュースに、乃公出でずんばとつい舞い上がって、政治家のお好きな箱物作りを短絡的に唱道なさっているな、と私は思った。ノーベル賞でしか科学研究の価値を判断できない政治家の方に申し上げるが、上にも述べた理由で、巨大設備が巨大設備であるほど、それを作った側からはノーベル賞は遠のくのである。いかに基礎科学の発展に欠かせないとしても、このような巨大設備はもはや一国がその国威発揚をかねて建造する時代はもう過ぎ去った。科学は全人類のものである以上、国際協力が主軸となるのは必然の成り行きで、わが国は国力に見合った寄与は当然行うべきであると私は思う。しかし今のわが国にとって巨大設備作りよりも遙かに大切なものがある。私がかねてからタンパク3000プロジェクトとB29の絨毯爆撃などで唱えている人作りである。物理学賞の南部博士と化学賞の下村脩博士の経歴にますますその思いを深くした。

物理学賞の南部博士は1961年に発表した論文が、また化学賞の下村脩博士の場合は1962年のイクオリンとGFPの発見が基になっているとのことある。ともに四十代、三十代に米国で挙げられた業績で、もう40年以上も前の出来事である。「長生きしてラッキー」という下村さんの言葉が新聞紙上にあらわれたが、まさにご本人の実感であろう。南部さんにしても同じようなことが云えるように思う。そしてこのお二人を学問的に育てたのが米国であるという事実に私は思いを馳せる。

朝日新聞は下村さんの次のような言葉を伝えている。「米国に居続けたのは?」と聞かれて「昔は研究費が米国の方が段違いによかった。日本は貧乏で、サラリーだってこちらの8分の1。それに、日本にいると雑音が多くて研究に専念できない。一度、助教授として名古屋大に帰ったんだけど、納得できる研究ができなかったので米国に戻った」と答えている。この下村さんの経歴を拝見して、私は野口英世博士を連想してしまった。 南部さんにも米国に定住し、1970年には米国籍を取得されたそれなりの重い決断がおありになったのであろう。そのお二方が選ばれた日本ではない新天地での業績が今回の受賞に繋がったことの意味することは大きい。私が渡米したのは1966年でお二方の時代よりやや下がるが、それでもその頃の時代背景の多くを共有していたと思う。事実私自身も米国に留まるよう具体的な提案を頂いたし、私の知己・友人が何人も米国に定住している。それに関する身近な出来事を以前ブログで取り上げたこともある。米国移住は他人事ではなかったのである。

ノーベル賞ダブル受賞ニュースで沸き立つ興奮が落ち着いたところで、南部、下村の両氏に米国での研究環境をできれば日本での環境と対比してじっくりと語っていただき、日本における人材育成のシステム作りにぜひとも生かすべきである。 二十代、三十代の若い研究者に思う存分能力を発揮させる人材育成のシステム構築こそ、行き所のないポスドクを拙速に乱造した政府の反省の言葉すらまともに聞こえてこない今、巨大粒子加速器建造よりも焦眉の急である。益川さんも「日本の科学 安泰でない」と、「入試のあり方なども含め、この機会に教育環境を再検討した方がいい」と警鐘を鳴らしておられるのも同じ思いからなのではなかろうか。

書き始め(10月9日)てから書き終わるまでに日付が変わってしまったことをお断りする。


文科省の「女性研究者増やせ」には男が変わらなくちゃ

2008-10-07 22:59:56 | 学問・教育・研究

一昨日(10月5日)の朝日新聞朝刊に載っていた記事である。現在わが国の女性研究者の割合は12.4%であるが、女性研究者を増やすために第3期科学技術基本計画(06~10年度)は採用の25%を女性にする目標を掲げた、とのことである。文部科学省が来年度から《女性の割合がとくに低い理・工・農学系を対象に、人件費の一部と初期の研究費として、女性研究者の新規採用一人当たり年600万円を3年間補助する》、というのが注目を引く。

女性研究者の割合を増やすとの趣旨は結構なのであるが、この強調部分が何を意味するのかこの記事だけでは分かりかねる。従来の定員外に女子研究者を別個に新たに雇用するという意味だろうか。それとも定員内ではあるが大学が女性研究者を一人雇うとその大学に600万円余分に支払うということなのだろうか。いずれにしても女性研究者を増やすために予算措置を考えているのだから、文科省はかなり真剣なのであろう。

私は予算面で女性研究者個人を男性研究者に比べて優遇する必要はないと思う。女性であるが故にもし研究費が何百万円も余分に与えるというのに大義名分があるとは思えないからである。しかし女性研究者が働きやすい環境を整備するのには十分な予算を注ぎ込むべきで、たとえば大学における保育所の完備などがまず挙げられるだろう。しかし女性研究者の採用やその昇進に関わる男性の意識が変わらない限り、なかなか実効が上がらないのではないかと恐れる。

私の限られた見聞の範囲ではあるが、女性研究者は間違いなく差別的に扱われてきたように思う。私が理学部の生物出身であるせいか、数学、物理、化学などに比べて周りに女性研究者が多かったと思う。ある時期には六研究室からなる生物学教室に、正規の教員として勤めている夫婦が二組いたことがある。ご本人たちをよく知る者の間では研究者としては奥さんの方の評価が高いのにもかかわらず、旦那が教授で奥さんが助手でいるのを不思議と思う人はまずいなかったと思う。数の限られたポストを夫婦で二つも占めることに対するある種の遠慮のようなものが夫婦にあり、となると女性が一歩下がって旦那を立てることになったのかも知れない。一方、奥さんを教授に旦那を助手にする手もあっただろうが、当時の男性社会ではただただ異端視されて終わりであっただろう。口さがない連中の評価が必ずしも的外れでなかったことに、研究者夫婦のなかで晩年には奥さんの方が学界において遙かに活発に活動していたという事実がいくつかある。

大学で研究者として職を得た女性は、その後の処遇にいろいろの不満があったとしても、職を得たということだけでも恵まれていたのであって、十分能力があるのにもかかわらず、男性社会であった大学・研究機関に受け入れられなかったり、また正当に扱われなかった女性研究者に同情の念を覚えることがままあった。この当時と今と、男性の意識がどのように変わっているのだろう。この新聞記事を読んでそう考えさせる伏線が私にはあったのである。

かれこれ30年ほどは前になるだろうか、私はあるユニークな学会が出す隔月刊機関誌の編集委員長をしていた。その時に私のある提案が編集会議で認められて動き出すことになった。その提案とは、手元に資料がないので正確なタイトルではないが、「女性研究者の座談会」を催して学会所属の女性研究者に云いたいことを思う存分云っていただき、その記録を機関誌に掲載して男性の蒙を啓こうと云うものであった。編集委員から寄せられた候補者をもとに参加者を人選したが、その中には何人か私の意中の方が含まれていた。

そのユニークな学会とは日本生物物理学会である。「生物物理」とは当時科学研究費の申請でも確か「複合領域」に分類されていたと思うが、新しい学問領域で、面構えからしてやる気満々の若手が寄り集まって出来た学会で、女性とても例外ではなかった。そのなかでやる気があるだけではない、学会でも高く評価される成果を挙げつつある女性研究者に出席をお願いしたのである。座談会は京大会館で開かれ、黒一点の私が司会を務めさせていただいた。

そのお一人GMさんは、私にもある程度理解できる分野で素晴らしい理論的なお仕事をされていた。ヘモグロビン遺伝子の塩基配列と、ヘモグロビンのX線結晶解析で得られた原子座標とというまさに生物と物理の究極データをそれぞれ使いながら解析プログラムで両者の相関を解き明かし、タンパク分子の立体構造を特徴付けるドメインを構成するサブ構造の存在を見出したのである。このサブ構造がマウスのような真核生物では遺伝子のエクソンに対応しており、いくつかのサブ構造がドメインを構成する際に、タンパク質に翻訳されない部分のイントロンでエクソンが分離されていることを明らかにされた。のちにこのサブ構造はモジュールと名づけられたが、GMさんはこの生物物理の理論的研究の論文を単独名でNatureに発表されていたのである。当時世界的に大いに注目された業績であった。GMさんは現在母校の大学学長として社会的にも幅広く活躍しておられる。

この座談会に出席された女性研究者の多くは助手クラスであったが、その後各分野で活発に研究を推し進め、それぞれ立派な業績を挙げて教授に昇進された。その中でもう一人取り上げさせていただくのがOTさんで、この方は私が1940年朝鮮に渡る前に神戸で幼稚園に通っていた頃、同じ社宅のご近所さんだったという不思議な因縁がある。OTさんは同じく研究者であった夫君と共に日本を飛び出して米国の大学で私と同じ研究分野の物理化学的な仕事で時代をリードする業績を挙げておられた。たまたま来日中だったので座談会への出席をお願いしたのであるが、OTさんは研究の話に加えてある意味ではエポックメイキングな話題を提供されたのである。今(1980年前後)米国の大学でセクシャル・ハラスメントが大きな問題として取り扱われている、ということで、その実情を報じる大学のキャンパス新聞を回覧された。いずれ日本でも問題になるでしょうから、女性としてはその横行を許すようなことがあってはならないと警鐘を鳴らされたのである。

「ウィキペディア」によるとセクシャル・ハラスメントと言う概念が《日本では、1980年代半ば以降にアメリカから日本に輸入された》と記されているが、この座談会の記事が機関誌「生物物理」に掲載されたのは遅くとも1980年代の始めである。従って日本でセクシャル・ハラスメントが公の形で紹介されたのはこの座談会をもって嚆矢とするのではなかろうかと私は思っている。それはともかく、OTさんが警鐘を鳴らしたように日本でも大学における女性へのセクシャル・ハラスメントが根強く蔓延しており、マスメディアでもしばしば報じられている。職場における男性の女性に対する卑劣な振る舞いこそ今では刑事罰の対象となっているが、セクシャル・ハラスメントを頂点として男性の女性に対する蔑視とは云えないものの、ある種の差別感が大学における女性研究者の処遇に現れているように私は思う。

米国でおいてすら大学や研究機関で女性研究者が採用や昇進で不利な扱いを受けていると云われている。それに関連してMITの利根川進博士が二年ほど前にニュース種になったことがある。「The Boston Globe」は《Eleven MIT professors have accused a powerful colleague, a Nobel laureate, of interfering with the university's efforts to hire a rising female star in neuroscience.
The professors, in a letter to MIT's president, Susan Hockfield , accuse professor Susumu Tonegawa of intimidating Alla Karpova , ``a brilliant young scientist," saying that he would not mentor, interact, or collaborate with her if she took the job and that members of his research group would not work with her.》のような記事を載せている。本当に女性差別があったのかどうか真偽は定かではないが、このように11人の女性教授から女性研究者のMITでの採用を利根川博士が妨害したと訴えられた事実は残る。そしてこの2006年をに利根川博士は突然MITのThe Picower Institute for Learning and Memory所長の職を辞している。

男女共同参画白書平成20年版にある「研究者にしめる女性割合の国際比較」を見る限り、日本の大学・研究機関で女性研究者の採用・昇進に関与する立場にある男性の意識がこの30年間に大きく変わったとは私には思えない。



保育所のような女性研究者が働きやすい環境を整備するにはある程度お金があればよい。しかし女性研究者を採用する際に、育児休暇や子育てなどで女性が時間を取られることを一切問題にせずに、ただ研究者としての資質のみで判断するように男性の意識を変えることは至難の業のような気がする。場合によれば保育所を作るよりも男性の意識改革のための教育プログラムを走らせる方が先決であるかも知れない。採用・昇進に公正な選考プログラムが動き出せば、ことさら女性優遇策を採らなくても女性研究者の割合が自然増加することは疑いなしと私は見る。北京五輪での女性の活躍を観れば誰でも納得できるのではなかろうか。


大学院期間を共済組合加入期間に入れるべきでは?

2008-09-19 20:57:00 | 学問・教育・研究
机の周りを整理していたら「ねんきん特別便」の封筒が出てきた。年金加入記録回答票に必要事項を書き込んで送り返すらしいが、未だにほったらかしにしている。知らせて貰った「あなたの加入記録」を見ると、私のデータは6項目が横並び一行に納まっている。あまりにも簡単なので、わざわざ送り返すこともなかろうという気があったのだろう。その記録とは国家公務員共済組合に組合員としての資格を取得した年月日、資格を失った年月日、そして加入月数がおもなもので、最後の加入月数は私の場合404ヶ月となっている。それを見ると大学院博士課程を修了してから16ヶ月は私はいわゆる博士浪人で無職であったことを今更のように思い出した。それに加えてこの404ヶ月というのを眺めていると、これまでも釈然としない思いが甦ってきた。それはこいうことである。

大学院の5年間はまだ学生の身分なのである。だから授業料を大学に納めていた。その頃はそれが当たり前のこととしてなにも疑うことはなかったが、年金生活に入って暇に任せて考え出すと、あれやこれやの疑問が生じてきたのである。1950年代、私の所属していた研究室では学部を卒業するとすぐに助手に採用された先輩がいた。その時から給料が頂けたのである。次の年に卒業した先輩はもう助手のポストが埋まっていたので大学院に進んだ。給料を貰うどころが反対に授業料を払わないといけなかった。しかし両者が研究室でやっていることは目立って違わない。同じように後輩の指導に当たっていた。大学院の先輩は課程博士として博士号を取得したが、助手の先輩も同じ頃に論文博士としての博士号を取得した。表面的には両者に違いは見えなかったが、実は大きな違いがすでに生じていたのである。課程博士の先輩が大学に職を得た時点で、助手の先輩より年金支給額計算の元になる組合員加入期間が最低5年間、すなわち60ヶ月も少なくなってるのである。組合員加入期間は年金はもちろん退職金の計算に効いてくるので、60ヶ月の違いはきわめて大きい。

私たちの頃は大学院に進む以上は大学に残ることを前提にしていたと思う。院生はいずれは大学を背負って立つ教員になるのだから、大学を会社にたとえるともう立派な新入社員である。会社では大卒を社員として採用してからは給料を払いながら一人前の社員に育てていくのが普通であろう。それが大学では社員に相当する院生に給料を出さずに授業料まで取っているのである。院生は将来の大学教育の担い手として、元来国が育て上げるべきところ、真理探求の知的欲望に世間を見る眼が視野狭窄に陥っているのをいいことに、国は実に阿漕なことをやって来たのだと見ることも出来る。わが国の高等教育費の支出水準が国際比較できわめて低いレベルであることが指摘されているが、一番費用のかかる人件費を個人の負担に押しつけているのだから当然である。

大学の重要な構成要員である教員の養成は元来国の仕事であるべきなのに、それを個人(院生)の持ち出しに頼るとはあまりにも不甲斐なき政府の仕業である。自衛隊員は全部国費で養成しているではないか。大学教員の重要性が自衛隊員にも及ばないとは到底思えない。大学院教育の抜本的見直しの前提として、将来の大学・大学院教育を担う院生の社会的位置づけを明確なものにすべきで、それは院生期間を共済組合加入期間に組み入れられるような性格のものでなければならないと思う。この実現に向けて大学人の奮起を期待したい。給料なしに授業料は払わされるは、年金はぐんと減らされるは、とかっての院生はダブルパンチを食らわされているにもかかわらず、なんと健気に教育に研究という社会的責務をちゃんと果たしてきたことだろうと、しばらくの自己陶酔をお許し頂こう。


大分教員汚職 衆知をあつめて対応策を

2008-09-02 23:54:54 | 学問・教育・研究
昨日(9月1日)の朝日朝刊によると、08年度の教員採用試験で、得点改ざんにより不正に合格したとされる教員21人に大分県教育委員会は自主的に退職するかどうかの回答を9月3日までに求め、退職しない教員は5日をめどに採用を取り消す方針を明らかにしたとのことである。

件の教員が自らの意志で退職するのならいざ知らず、教育委員会が自主的退職を促すこと自体責任逃れであるが、さらに退職しない教員に採用取消処分を科すのは、教員が不正の行われたことを一切関知しない場合には社会正義に反すると私は意見を述べた。どうしたことかこのブログと、引き続いて述べた教員採用試験の見直し提言のブログがGoogleの検索でそれぞれトップに出てくるのである。内容の妥当性が評価されてのランク付けとは思わないが、それでも発言への責任を実感させられた。




そこで重ねての提言である。採用取り消しは公職選挙法での連座制の適用を連想させるが、教員汚職の処分としてはどのような法的根拠があるというのか。法的根拠なしの恣意的な処分であろうと思うが、それなら採用取消処分に先立ちまず教育委員会が連帯責任を負って委員総入れ替えを行うべきであろう。新しい教育委員会で社会正義を損なうことなく県民の、そして国民の納得のいく解決法を見いだすために衆知を結集して頂きたいと思う。

教員採用試験の見直しこそ

2008-09-01 16:53:20 | 学問・教育・研究
私が理学部に入学したのは昭和28(1953)年で、その頃、先行きの見通しはきわめて暗かった。それで多くのクラスメートがなにはともあれと教員免許を取った。そのためには教育原理や教育心理など教職課程用の単位を取得して、また中学校や高等学校で定めら時間数の教育実習を行わなければならなかった。必要単位を取得するとその証明書を自治体の教育委員会に提出して免許状が頂けるのである。教育実習の時期になると多くのクラスメートがそれぞれの出身校に出向いていったが、私ははやばやと教員免許を取らないことに決めたので無縁であった。なんとしても研究者になりたいと思っていたので背水の陣を敷いたのである。

いろんな種類の教員免許があるようだが、それを持っているだけですぐにも学校の教師になれるわけではない。公立学校の教員になりたければ、各自治体の教育委員会が行う教員採用試験に合格し、採用候補者名簿に載せて貰わないといけない。この名簿に従って教員に採用されることになる。大分県教育委員会での教員採用試験の汚職はこの段階で発生した。

教員採用試験には一次と二次があり、概ね一次が学力試験、二次が人物試験となるようである。学力試験と云っても一般常識から専門知識にわたるようであるが、点数が改ざんされたのは、このような筆記試験の答案だったのだろうか。特定の受験者を合格させたいのなら筆記試験の採点をいじくって改ざんの痕を残すのではなく、面接試験とか模擬試験など、採点者の一存で決められる試験で、思いっきり高い点数を与えれば済む話ではなかったのか。もし筆記試験結果の点数をいじくったとしたらやり方があまりにも幼稚である。教育委員会の組織的犯行とは到底思えない。

教員採用試験の本来の目的は、子供に愛情を持ち教育に情熱を傾け、教育者を天職と心得る人材の選抜であるべきだと私は思う。その意味では一次の学力試験なんて不要である。そのためにすでに教員免許があるではないか。教師がかって習った知識を思い出しながら教室で生徒に教える、そんな馬鹿げたことをする教師は居るまい(その昔、そんな教師が居たことを思い出したが、例外であろう)。必ずや授業に先立ち必要なことをいろいろと調べて自分なりの授業内容を準備することであろう。教育現場で必要とされるのはそのような能力であるのに、試験勉強としてつめこんだ知識の多寡を測るような学力試験はおよそ無意味である。教育委員会のベテランはそういうことを先刻ご承知だから、筆記試験の点数をいじくることに何の罪悪感も覚えなかったのかも知れない、とすら私には思へてくる。

私は採用試験は人物考査の一事に尽きると思う。そのためには学科試験を廃止して教育にかける自分の思いと子供への愛情を思う存分語らせることである。400字詰め原稿用紙に少なくとも5枚分は書かせる。私のブログではやや長めの文章になる。問題はその採点方法で、私は配点の七割から八割は字の美しさに当てるべきであると思っている。

いくら内容が立派でも読みづらい字、汚い字のいわゆる悪筆ではそれだけで落第とする。自分の考えを伝えるにはまず文章を読んで貰わなければならないが、汚い文字では相手に対して失礼である。そういうことすら分からないようではすでに教育者としては失格である。読みづらい字で相手に読む苦労を押しつける。相手を思いやらないこの独善的な態度だけで失格である。そのような字を黒板に書くような教師では生徒が苦労するし、また生徒に馬鹿にされるのがオチである。字が綺麗か下手かはまず一目見ただけで分かる。それでバサッと選抜すれば十分である。字(文章)は体を表す、のである。そういえば昔の先生は皆字が綺麗であった。私が国民学校三年生で受け持っていただいた当時推定二十歳前後の先生の筆跡をご覧いただきたいものである。

字の美しさという事の一面のみを強調したが、要は教師としての適格者を選び出す新しい選抜方法を作り上げることに関係者は真剣に取り組んでいただきたいということなのである。


大分県教育委員会の処分は社会正義に反するのでは

2008-08-30 23:50:26 | 学問・教育・研究

今日の朝日朝刊によると08年度に大分県で採用された教員のうち、得点のかさ上げによる不正合格者と特定された21名を近く採用取り消しにするそうである。不正は過去数十年にわたって行われてきているのに、すでに07年度採用者についてすら不正解明が不可能と判断し不採用の処分は見送ったとのことである。不正合格者が過去大勢いるはずなのに、たまたま判断材料の残っていた08年度採用者のみに処分を行うとはご都合主義もいいところである。この不真面目な姿勢には開いた口がふさがらない。無責任さと機能不全を露呈した教育委員会の総入れ替えからまず始めるべきである。

採用取消処分を受ける教員の全てが、自分が採用されたのは試験成績の不正操作をして貰ったからであると知っていたのだろうか。勝手に親が手加減を依頼したことを得々と自分の子供に喋るのだろうか。処分予定者がまったくあずかり知らないところで行われた不正行為に一体どのような罪があるというのだろう。私にはこの辺りの事情がわからないだけに、余計にこの処分に釈然としないものを感じる。本人が一切関知しないところで不正行為が行われ、その処分を本人に科すのは社会正義に反すると私は思うからだ。

確かに教員採用試験での不正はよくない。教員縁故者の採用にはなにか裏があるようだと(教員縁故者を除く?)国民のほとんどがそう思っていても、実際に不正が行われることを認めるものではない。金品のやりとりはもってのほかである。これは厳しく糾弾されるべきであるが、一方、私は教員縁故者に一定の優先枠を与えたらどうなのだろうと考えたりもする。

親子二代に始まり三代、四代教員を続けている家はかなり多いと思う。世襲議員よりも遙かに多いだろう。教育一家として世間に認められるのはこのような家系であろう。すでに文化的存在になっているのである。両親が教員の子弟が時々新聞種になるような事件を引き起こすが、きわめて稀少な例であるからこそ新聞種になるのだと思えば、稀少例を除くほとんど全ての教育一家はまともであると云える。そういう教育一家では、教員採用試験では測り知り得ない天職意識とでも云うモーティベーションが子弟をして教職に駆り立てるのではなかろうか。これこそ教員に求められる基本的な資質であると私は思う。かって日本中がバブルに浮き足立って猫も杓子も企業へ流れ教員不足が憂慮された時期に、踏ん張りを見せたのが教育一家の子弟ではなかったのか。

教師の子弟に教員採用の優先枠を設けると云っても、もちろん無条件で希望者を全員入れるのではない。縁故者には独自の選抜方法を適用するのもよいし、また受験生全員同じところからスタートしてある段階で一定の優先的配点を行うとか、よい方法を考え出していけばよい。そして優先枠で採用されたらそれと分かるバッジを着用させるとかすればよい。周りの見る目を意識して本人はますます職務に精励することだろう。特別扱いが嫌ならもちろんその他の受験者と同じように試験を受ければよい。

私は今回の事件で現場の混乱を最小限に止めることに関係者は全力を尽くすべきだと思う。今更過去に遡って「不正」採用者を洗い出しにかかっても、本人が関知しない場合が続出するであろうと私は推測する。贈賄・収賄の直接の当事者のみを罰すればよいのであって、累をすでに採用された教員に及ぼすのは筋違いというものである。本人が自らの判断で進退を決するのであれば、その意志を尊重すればよいのである。そして、繰り返すが、教育委員会を総入れ替えするのである。

教員にも通信簿というご時世? 自己評価制度を作る阿呆に乗る阿呆

2008-08-26 17:37:54 | 学問・教育・研究
今朝、目覚めた時、ほのぼのとした思いに心がふわふわしていた。現役を引退したはずなのに私の家に若い男女の学生が何人かやって来て、私も中に入ってワイワイいいあっている。一人は勝手に私のパソコンをいじくっているので何をしているのだろうと見ると、一生懸命データ解析をやっていろんな図形をディスプレイしている。あれ、そんなソフトをパソコンに入れていたかな、と思って確かめようとしたら目が覚めた。昔の仲間の出てくる夢を見た時は目覚めがいつも心地よい。しかしこのような夢を見た時には何かきっかけが見つかるのである。今朝の夢はどうも昨日の朝日朝刊の次のような見出しで始まる記事のせいだと思った。



岡山大学の例が紹介されていた。個人評価制度と呼ぶ制度で、教授から助教まで全専任教員約1300人が対象となり、教育、研究、社会貢献、管理・運営の領域で、まず教員一人ひとりが自己評価をするらしい。膨大な項目があって評価を点数で表すようである。教授の一人によると、一年分記入するだけで一日かかり、印刷すると100ページ以上になるとのことである。ほんとご苦労なことである。ここの学長さんは「個人評価は店の領収証と同じ。クライアントである学生の授業料と税金で成り立っている以上、活動を目に見える形で示す義務がある。プロ意識を高め、国際的な競争の中で大学全体が信用を得るためにも、必須だ」と仰っている。でも「個人評価は店の領収書と同じ」だなんて、云っている意味が私には分からない。

岡山大学が発足したのは昭和24(1954)年4月で、この制度が始まったのはつい最近の2002年である。この学長さんは岡山大学のホームページで「岡山大学は、全国有数を誇る広大なキャンパスに11学部と、人文社会学系、自然科学系、環境学系、生命(医療)学系、ならびに教育学系の充実した大学院を擁し、学部生と大学院生合わせて約14,000人に加え、世界各地から集まった約500人の留学生、ならびに約2,700人の教職員が在籍する全国屈指の総合大学です」というようなことを述べておられる。これを見る限り、今問題にする個人評価制度がなかった過去50年間に、岡山大学が全国有数を誇る・・、全国屈指の総合大学に成長しているではないか、今さら何を余計なことを、と突っ込みを入れたくなってしまう。

私は単純だから大学に余計な仕事を持ち込むとか増やすということを悪と見なすことにしている。この見方から云うとこの個人評価制度は悪である。教員に余計な仕事を増やすからだ。(ここで私は岡山大学にも学長さんにも個人的に含むことは何もないことをお断りしておく、たまたま新聞記事にでてきたから取り上げたまでのことである。)

個人評価制度が今年1月の調査では国立大学の87%で実施されているという。現時点で個人評価制度が人事・給与査定に使われているわけではなさそうであるが、いずれ取りざたされるようになるような気がする。人間には評価がついて回るものであるから、無いに越したことはないが評価自体を否定するものではない。まずは紹介されているような煩雑な手続きを要する制度を批難しているのである。どうしても評価が必要なら教育、研究、社会貢献、管理・運営の領域で自分自身を5段階で評価すれば済む話である。たとえば現役時代の私なら教育は時間をかけて準備をしまじめにやっている自信があるから5点、研究はもちろん5点、社会貢献は教育・研究職に就いていること自体大きく評価出来るのだろうが、そこは謙虚に3点、管理・運営は苦手だし嫌いなので1点、これで終わりである。

少し考えれば分かることである。裁判であれやこれや多くの証言、証拠をもとに長時間の審理をしても、導かれる結論は有罪か無罪なのである。ここに云う自己評価はこの裁判での結論のようなものである。裁判では自分以外の他人に納得させねばならない。しかし個人評価は自分で自分を判断するわけだから、必要なのは自分を判断する智恵だけなのであって、膨大な項目を数えたて一々配点するなど不必要なのである。さて、そこで上に述べた私流の評価が何かお役に立ちましたかと聞いてみたい。「あほなことを聞くな」とどやされるのがオチであろう。

この自己評価制度、これも文部官僚の入れ知恵と断言してまず間違いなかろう。複雑な記入を求められる調査書類を作成するような管理者的発想に長けている大学教員がいるとは思えないからである。もしいたとすれば間違いなくもぐりの教員である。簡単に素性をあばくことが出来るはずだ。官僚は仕事を増やすのが仕事だから、まじめに自己評価制度を作ることを無下には批難しない。いくら文部官僚が新しい制度を考えついても採用しなければそれまでである。だから問題はこの制度の取り入れを決定したところにある。

新聞によると岡山大学が長崎大学と共に国立大学では最も早くこの制度を導入したとのことである。こういう「おっちょこちょい」がどの世界にも必ずいる。自己の存在理由に確信を持てないと、他の存在の意を迎えることで自己の存在を際だたせようとするのである。ここで「他の存在」とは文部官僚のことと受け取っていただこう。ではここに述べたことはどういうことなのか、少し説明する。

旧帝国大学(旧帝大)とは私も時々口にする言葉であるが、これはかってわが国の帝国大学令により設立された大学のことである。東京帝国大学、京都帝国大学、東北帝国大学、九州帝国大学、北海道帝国大学、大阪帝国大学と名古屋帝国大学、これに加えて戦前は朝鮮に京城帝国大学と台湾に台北帝国大学の計九つの帝国大学が存在していた。これから私が旧帝大という場合には、日本国内に現存する七つの前身が帝国大学を云うのであって、現在は上記の名称から「帝国」を消したものが通用している。この七つの大学だけがかっては国立大学の全てであった。

わが国に七つの国立大学しかなかった頃、大学生は同い年で百人に一人の選良であった。大学生は人口比でたったそれだけの存在だったのに、歴史的事実を述べると、戦前の日本の繁栄の礎となり、米国、英国をはじめとする世界の列強を相手として闘いを挑むところまで国力を培ったそのリーダー格であった。この規模の大学卒業生でも近代国家を作り上げるには十分であったということを云いたいのである。国立大学が急増したのは戦後のことで、現在は86の国立大学がある。国立大学が7の時代に比べて12倍強の増加ぶりである。旧帝大の大学の質を基準に考えれば、他のほとんどの国立大学は局所的には例外があるだろうが、一般的には大学としての質が大きく劣っていることは常識的に考えれば分かることである。「自己の存在理由に確信を持てない」大学とはこのような新興大学を指す。例に挙げた岡山大学、長崎大学がそれである。

私は国立大学の大規模な統廃合が避けられない時期が必ずやってくると見ている。最終的には旧帝大を核としてその倍ぐらいは残るかも知れない。道州制の先行きとも密接に関連してくるだろう。その生き残りを可能にするには教員、学生とも優秀な人材を集めてこなければならない。試みにノーベル賞を狙えるような学者を招聘する際に、当大学では自己評価制度というのがありまして、授業一齣が1点、論文指導は修士が1点、会議に出たら5点等々、正確な評価のために何百という項目を設けておりますので、一つ一つ間違いのないように正しく記入して提出していただくことになっています、と説明したとしよう。それでも喜んで行かしていただきますと返事するような学者は間違いなく「天一坊」である。それぐらいのことは誰が考えても分かるではないか。

私が懸念するのは「おっちょこちょい」大学に引っ張られて、旧帝大までがそのような馬鹿な制度を導入することである。幸い現時点で導入済みの国立大学が87%というから、11大学はまだ導入していないことになるので、この中に旧帝大の全部が入っているものと信じたい。個人評価制度を導入するのは自己の存在理由に確信を持てない大学をふるい落とすためのものであったのなら、そろそろゲームオーバーを宣言したらどうだろう。潮時である。ふるい落としのために個人評価制度を導入しようとしたというのなら、私は文部官僚を逆に評価するが、それはまずあるまい。だから自己評価制度を作る阿呆に乗る阿呆を糾弾せざるを得ない。こういう阿呆をのさばらせないような大学人の勇気と行動を期待したいものである。