JR大阪駅から普通電車で一番遠くへ行けるのは福井県の敦賀市なんですわ。
大阪人の感覚では敦賀市は福井県の嶺南地区なので若狭地方と考えてました。
ところが敦賀市に在る氣比神宮にお邪魔したら越前の国の一之宮でおます。
江戸時代には若狭・小浜藩の領地でしたから風俗も若狭に近いと言われてまぁ。
確かに北陸地方と言うよりは関西圏の雰囲気を感じる気もしますんや。
(福井県敦賀市 マンホールの蓋)
(越前の国一之宮 氣比神宮)
(福井県敦賀市 氣比の松原)
日本三大松原である「氣比の松原」に立町岬をあしらった綺麗なデザイン。
福井県敦賀市は人口が6万4千人の中小都市ですが明治の初めは現在の福井県の
県庁所在地が3年半ですが置かれていた、重要な港湾都市でもおました。
鉄道は軍事的な面もあり、明治の早くに名古屋から敦賀港まで開通した訳ですわ。。
戦前には敦賀港とロシヤのウラジオストクを結ぶ定期航路もおましたんや。
(JR北陸本線 敦賀駅舎)(2011年4月撮影)
(関西方面から 到着する新快速電車)
関西からの新快速はここで折り返しになりますんや。
ここまでは直流電化区間で、その先は交流電化区間になりまぁ。
2023年(令和5年)には、ここ敦賀駅まで北陸新幹線が延伸だとか?
それじゃ北陸トンネルを抜けて福井県の県庁所在地になる
JR福井駅に向かいまっせ、トンネルを抜けたら嶺北地区と言いまぁ。
(JR北陸本線 福井駅舎) (2011年4月撮影)
(福井県福井市 マンホールの蓋)
福井市のマンホールの蓋には福井市のシンボル不死鳥が描かれてまぁ。
1945年の福井大空襲(死者1583人)及び1948年福井地震(死者3769人)
その直後の九頭竜川の大洪水で壊滅的な被害を受けたそうですわ。
それから不死鳥のごとく復活し、戦前の人口の2倍に達したそうでんな。
だから不死鳥は福井市のシンボルとして今も語り継がれているんだって。
続いてJR北陸本線を北上して石川県の金沢市に向かいまっせ。
(JR北陸本線 金沢駅舎)(2014年10月撮影)
人口が46万3千人と北陸三県では最大の都市に成るようでんな。
加賀百万石の城下町で戦争中の空襲に会わなかった珍しい都市の一つ。
現在は東京からの北陸新幹線の終着駅として賑わってますかな。
そんな関係でJR大阪駅からの特急電車は概ねJR金沢駅で打ち切りに。
(金沢市内で 北陸電力のマンホールの蓋)(2014年10月撮影)
てっきり金沢市のマンホールの蓋だと勘違いしてたようですわ。
ネットで調べたら北陸電力のマンホールの蓋だとのコメントが。
実は兼六公園の近くでデザインマンホールの蓋を探してたんですが
探し切れずにJR金沢駅に戻って駅前で撮影したものですけど。
(金沢市の 兼六公園 有名な石燈籠)
こんな感じで描かれたマンホールの蓋が有ることを承知でしたが
その日は2時間かけて探したんですが、見事に失敗で退散でした。
機会が有ればもう一度ぐらい金沢市内へと考えてますんや。
今度はネットで調べて撮影したいと考えてますけど。
現在は「IRいしかわ鉄道」に変わった第三セクターの電車で
JR富山駅へ向かいます、電車は直通ですが富山県にはいると
こんどは「あいの風とやま鉄道」に成るようでんな。
画像を撮影したのは北陸新幹線が開通する半年前でしたかな?
だから当時はJR北陸本線のJR高岡駅で下車しましたんや。
(富山県高岡市 雨晴海岸のマンホールの蓋)
(JR氷見線 雨晴駅名標)
JR高岡駅でローカル線のJR氷見線に乗り換えて
雨晴海岸(あまはらしかいがん)へ立ち寄りましたで。
海の向こうに立山連峰が、手前に男岩と女岩が海中にあり
特に残雪の頃は絶景に成る人気のスポットでんな。
いつ見ても雨晴海岸の風景は素晴らしいですよ。
鉄ちゃん爺や、お勧めの鉄道スポットの一つでおます。
カメラフアンで年中賑わうローカル線の駅裏が海岸なんですわ。
(雨晴海岸の風景)
(富山県高岡市 マンホールの蓋)
こちらは高岡市の標準規格品のようで地味な図柄ですわ。
江戸時代の初めまでは富山市よりも、こちらが中心の街だったとも。
高岡市は鋳物や錫製品の街で高岡大仏もその象徴の作品だそうですわ。
(高岡大仏の お姿)
(曹洞宗 瑞龍寺)
加賀百万石の初代藩主の前田利長公をお祀りした富山県で唯一の国宝なんですよ。
30歳ほど年下の弟・前田利常公に藩主を譲りここ富山県の高岡に隠居されたとか。
恩義を強く感じた前田利常公が菩提寺とし、兄の為に建立したとされてますんや。
加賀百万石はこの前田利常公が徳川将軍家から嫁を貰ったことで安泰に。
(前田利長公の銅像) (高岡城址公園内)
前田利長公は徳川将軍家に臣下の礼を取らされて憤慨の隠居との説も。
徳川家康公ならともかく徳川秀忠公など元は自分より目下の存在でしたからね。
前田利長公は前田利家公が死亡の後は短期間ながら五大老のひとりでしたから。
(JR北陸本線 高岡駅舎)
(JR高岡駅に到着の 特急サンダーバード号)
(JR高岡駅~JR大阪駅 普通乗車券)
現在はサンダーバード号はJR金沢駅が終点で、高岡駅からは乗れまへん。
昔なら国鉄時代の特急雷鳥号など懐かしい風景がもうみれませんのや。
それでは富山県第二の都市である高岡市を後に富山市へ向かいまっせ。
(JR富山駅舎) (2014年10月撮影)
北陸新幹線の開通目前で新しく建設中のJR富山駅舎でおます。
撮影後の2015年に北陸新幹線は開通したように聞いてまぁ。
昔の富山駅は毎年2~3度ぐらい出張で来ましたが様変わりの風景でした。
(富山県富山市の マンホールの蓋)
当時は市の草花だった「あざみ」ですが最近は富山県でも見れなくなったとか。
マンホールの蓋だけが昭和の時代を思い出させてくれる風景になりました。
現在は人口が41万5千人と石川県の金沢市に迫る大都市になりました。
なんでも日本の県庁所在地で面積が静岡市に次いで第二位の大きな街だとか。
(富山市内の路面電車)
この路面電車もJR富山駅が高架に成り北側から新駅を潜り抜けて
南側の路面電車と合流できるようになったと聞いてまぁ。
(富山城の遠景)
戦後に出来た観光用のお城だと思いまっけど。
JR高山線で暫く走れば越中八尾(やつお)がおますんや。
ここも現在は富山市に編入されてしまったとのこと。
(富山市八尾町 マンホールの蓋)
(越中八尾 風の盆)
毎年9月1日から3日間催される有名な盆踊りですがご存知かしら?
この図柄のマンホールの蓋を探したんだけど発見できませんでした。
現在は富山市に編入されて無くなったのかもしれまへんけど。
さらに南下すると普通電車の終着駅となるJR猪谷駅でおます。
(富山県の猪谷駅前 マンホールの蓋)
(JR高山線 猪谷駅名標)
冬場は富山県でも豪雪地帯と言われるところで3m~5mの積雪。
JR西日本とJR東海さんの接続駅で普通電車は100%乗り換えで
山間部をトンネルで抜けながら、飛騨の高山や下呂温泉に出ますんや。
今日はこれでお仕舞にしまひょかな。
次回に信州のマンホールの蓋などを紹介しまっさ。
ほんなら~ これで、さいなら~♪
大阪人の感覚では敦賀市は福井県の嶺南地区なので若狭地方と考えてました。
ところが敦賀市に在る氣比神宮にお邪魔したら越前の国の一之宮でおます。
江戸時代には若狭・小浜藩の領地でしたから風俗も若狭に近いと言われてまぁ。
確かに北陸地方と言うよりは関西圏の雰囲気を感じる気もしますんや。
(福井県敦賀市 マンホールの蓋)
(越前の国一之宮 氣比神宮)
(福井県敦賀市 氣比の松原)
日本三大松原である「氣比の松原」に立町岬をあしらった綺麗なデザイン。
福井県敦賀市は人口が6万4千人の中小都市ですが明治の初めは現在の福井県の
県庁所在地が3年半ですが置かれていた、重要な港湾都市でもおました。
鉄道は軍事的な面もあり、明治の早くに名古屋から敦賀港まで開通した訳ですわ。。
戦前には敦賀港とロシヤのウラジオストクを結ぶ定期航路もおましたんや。
(JR北陸本線 敦賀駅舎)(2011年4月撮影)
(関西方面から 到着する新快速電車)
関西からの新快速はここで折り返しになりますんや。
ここまでは直流電化区間で、その先は交流電化区間になりまぁ。
2023年(令和5年)には、ここ敦賀駅まで北陸新幹線が延伸だとか?
それじゃ北陸トンネルを抜けて福井県の県庁所在地になる
JR福井駅に向かいまっせ、トンネルを抜けたら嶺北地区と言いまぁ。
(JR北陸本線 福井駅舎) (2011年4月撮影)
(福井県福井市 マンホールの蓋)
福井市のマンホールの蓋には福井市のシンボル不死鳥が描かれてまぁ。
1945年の福井大空襲(死者1583人)及び1948年福井地震(死者3769人)
その直後の九頭竜川の大洪水で壊滅的な被害を受けたそうですわ。
それから不死鳥のごとく復活し、戦前の人口の2倍に達したそうでんな。
だから不死鳥は福井市のシンボルとして今も語り継がれているんだって。
続いてJR北陸本線を北上して石川県の金沢市に向かいまっせ。
(JR北陸本線 金沢駅舎)(2014年10月撮影)
人口が46万3千人と北陸三県では最大の都市に成るようでんな。
加賀百万石の城下町で戦争中の空襲に会わなかった珍しい都市の一つ。
現在は東京からの北陸新幹線の終着駅として賑わってますかな。
そんな関係でJR大阪駅からの特急電車は概ねJR金沢駅で打ち切りに。
(金沢市内で 北陸電力のマンホールの蓋)(2014年10月撮影)
てっきり金沢市のマンホールの蓋だと勘違いしてたようですわ。
ネットで調べたら北陸電力のマンホールの蓋だとのコメントが。
実は兼六公園の近くでデザインマンホールの蓋を探してたんですが
探し切れずにJR金沢駅に戻って駅前で撮影したものですけど。
(金沢市の 兼六公園 有名な石燈籠)
こんな感じで描かれたマンホールの蓋が有ることを承知でしたが
その日は2時間かけて探したんですが、見事に失敗で退散でした。
機会が有ればもう一度ぐらい金沢市内へと考えてますんや。
今度はネットで調べて撮影したいと考えてますけど。
現在は「IRいしかわ鉄道」に変わった第三セクターの電車で
JR富山駅へ向かいます、電車は直通ですが富山県にはいると
こんどは「あいの風とやま鉄道」に成るようでんな。
画像を撮影したのは北陸新幹線が開通する半年前でしたかな?
だから当時はJR北陸本線のJR高岡駅で下車しましたんや。
(富山県高岡市 雨晴海岸のマンホールの蓋)
(JR氷見線 雨晴駅名標)
JR高岡駅でローカル線のJR氷見線に乗り換えて
雨晴海岸(あまはらしかいがん)へ立ち寄りましたで。
海の向こうに立山連峰が、手前に男岩と女岩が海中にあり
特に残雪の頃は絶景に成る人気のスポットでんな。
いつ見ても雨晴海岸の風景は素晴らしいですよ。
鉄ちゃん爺や、お勧めの鉄道スポットの一つでおます。
カメラフアンで年中賑わうローカル線の駅裏が海岸なんですわ。
(雨晴海岸の風景)
(富山県高岡市 マンホールの蓋)
こちらは高岡市の標準規格品のようで地味な図柄ですわ。
江戸時代の初めまでは富山市よりも、こちらが中心の街だったとも。
高岡市は鋳物や錫製品の街で高岡大仏もその象徴の作品だそうですわ。
(高岡大仏の お姿)
(曹洞宗 瑞龍寺)
加賀百万石の初代藩主の前田利長公をお祀りした富山県で唯一の国宝なんですよ。
30歳ほど年下の弟・前田利常公に藩主を譲りここ富山県の高岡に隠居されたとか。
恩義を強く感じた前田利常公が菩提寺とし、兄の為に建立したとされてますんや。
加賀百万石はこの前田利常公が徳川将軍家から嫁を貰ったことで安泰に。
(前田利長公の銅像) (高岡城址公園内)
前田利長公は徳川将軍家に臣下の礼を取らされて憤慨の隠居との説も。
徳川家康公ならともかく徳川秀忠公など元は自分より目下の存在でしたからね。
前田利長公は前田利家公が死亡の後は短期間ながら五大老のひとりでしたから。
(JR北陸本線 高岡駅舎)
(JR高岡駅に到着の 特急サンダーバード号)
(JR高岡駅~JR大阪駅 普通乗車券)
現在はサンダーバード号はJR金沢駅が終点で、高岡駅からは乗れまへん。
昔なら国鉄時代の特急雷鳥号など懐かしい風景がもうみれませんのや。
それでは富山県第二の都市である高岡市を後に富山市へ向かいまっせ。
(JR富山駅舎) (2014年10月撮影)
北陸新幹線の開通目前で新しく建設中のJR富山駅舎でおます。
撮影後の2015年に北陸新幹線は開通したように聞いてまぁ。
昔の富山駅は毎年2~3度ぐらい出張で来ましたが様変わりの風景でした。
(富山県富山市の マンホールの蓋)
当時は市の草花だった「あざみ」ですが最近は富山県でも見れなくなったとか。
マンホールの蓋だけが昭和の時代を思い出させてくれる風景になりました。
現在は人口が41万5千人と石川県の金沢市に迫る大都市になりました。
なんでも日本の県庁所在地で面積が静岡市に次いで第二位の大きな街だとか。
(富山市内の路面電車)
この路面電車もJR富山駅が高架に成り北側から新駅を潜り抜けて
南側の路面電車と合流できるようになったと聞いてまぁ。
(富山城の遠景)
戦後に出来た観光用のお城だと思いまっけど。
JR高山線で暫く走れば越中八尾(やつお)がおますんや。
ここも現在は富山市に編入されてしまったとのこと。
(富山市八尾町 マンホールの蓋)
(越中八尾 風の盆)
毎年9月1日から3日間催される有名な盆踊りですがご存知かしら?
この図柄のマンホールの蓋を探したんだけど発見できませんでした。
現在は富山市に編入されて無くなったのかもしれまへんけど。
さらに南下すると普通電車の終着駅となるJR猪谷駅でおます。
(富山県の猪谷駅前 マンホールの蓋)
(JR高山線 猪谷駅名標)
冬場は富山県でも豪雪地帯と言われるところで3m~5mの積雪。
JR西日本とJR東海さんの接続駅で普通電車は100%乗り換えで
山間部をトンネルで抜けながら、飛騨の高山や下呂温泉に出ますんや。
今日はこれでお仕舞にしまひょかな。
次回に信州のマンホールの蓋などを紹介しまっさ。
ほんなら~ これで、さいなら~♪