鉄ちゃん爺やの 独り言

鉄ちゃん爺やは大阪に住んでますので
画像で隠れた関西の名所も紹介します。

鉄ちゃん爺や    京都・蓮華王院を訪ねて

2014-02-08 15:38:38 | 日記
あまり聞かないお寺だな~  そうでっしゃろ。

通称は「三十三間堂」と呼びまんねん。

こう書き込んだら納得してもらえまっしゃろか。

わても~ 学生時代に1~2度ぐらい、久しぶりですわ。

(国宝 三十三間堂)  (正式名 蓮華王院 本堂)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

わても中学校の遠足で1回、その次は高校時代だったかしら。

地方の方なら修学旅行のコースで訪れたかもしれまへんな。

(国宝 三十三間堂を 北側から撮影)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

この三十三間堂は平安時代末に後白河上皇の離宮であった
法住寺殿(ほうじゅうじどの)の西側に造られたお寺で
全盛時代の平清盛が中心になって寄進したんだって。

(法住寺殿跡の 立て札)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

1164年(長寛2年)1月に創建された頃には五重塔も有って
後白河上皇が1169年(嘉応元年)に出家されてからは
ここが後白河院政の中心になり歴史が動いたんだそうな。

鎌倉時代の1249年(建長元年)に市内の火災に巻き込まれ
本堂も五重塔も全て焼け落ちてしまったんだって。

1266年(文永3年)に本堂のみ再建された物が
現在残っている三十三間堂だと説明されてますな。

(三十三間堂 中央部分を東側から撮影)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

三十三間堂の由来はお堂の柱の間隔が33あるから。

同時に観音菩薩が三十三身に変化するという意味なんだって。

(三十三間堂を 南側から撮影)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

この位置から写した三十三間堂が最も美しいと思いまんねん。

地上16m  奥行き22m  南北約120m

この高さを16mに抑えたのが落雷にも免れたようでっせ。

京都は「千年の都」と言われますが平安時代の建物は郊外の
醍醐寺に五重塔やお堂が残っているだけなんですわ。

市中では1227年(嘉禄3年)に創建された「千本釈迦堂」が
一番古くて、その次がこの三十三間堂かもしれまへんのや。

応仁の乱などで古い神社仏閣は殆ど焼かれてしまったとか。

「応仁の乱」は11年続いた争乱ですが東西の両軍が放火して
京都市内を焼け野原にしただけで
戦死者が出るような戦は殆どなかったと言われてまんな。

だから鎌倉時代から現在まで残る寺社仏閣は珍しいんだっせ。

殆どが江戸時代に再建された建物ちゅうことになりますんや。

(国宝 本尊の 十一面千手観音坐像)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

写真撮影は厳しく禁止されてますんで、パンフレットから。

鎌倉時代に三十三間堂が再建されるのに合せて当時の仏師
湛慶(たんけい)により造られた名作だと言われてまんな。

あの有名な運慶(うんけい)の長男で82歳時の作品だとか。

ヒノキを使い寄せ木造りの手法で完成させたようでんな。

11の顔と40種の手で表現されているので
正式には「十一面千手千眼観世音」とお呼びします。

(重要文化財 千体の観音立像)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

千体の観音立像が並ぶ凄い光景はご存知でっしゃろ。

三十三間堂と言えばこの千体観音立像が有名でっかな。

本尊の左右に10段で50列づつ計1000体が並んでま。

この内124体だけは鎌倉時代の火災の時に持ち出されて
平安時代当時のお姿を今に伝えているんだって。

残りは鎌倉時代に当時の仏師が造りその本人の銘が
刻まれている観音立像も500体ほど判明できるんだとか。

(拝観券 600円) (国宝 風神・雷神のデザイン)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

俵屋送達の「風神・雷神屏風絵」のモデルになったとか
そのような言い伝えもあるこれも貴重な国宝だそうな。

(通し矢 射場 説明書き)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

三十三間堂の西縁の南端に有名な「通し矢」の射場がおますんや。

二枚目の画像の位置から120m先の的をめがけて矢を放つ。

江戸時代の初期に尾張藩と紀州藩が名誉を賭けて弓の名手が
一昼夜に渡り矢を放ち何本が的に当たるかを争ったんだって。

1686年(貞亨3年)5代将軍綱吉の頃に紀州藩のお抱え
和佐大八郎が一昼夜で総矢13053本を放って
その内8133本を的に的中させたとか、実に62%の確率。

その前の記録は1669年(寛文9年)尾張藩お抱えの
星野甚左衛門が総矢10542本を放って
8000本的中の記録更新で余力があったけど中止
その時の対戦相手が和佐大三郎の父親だったとか?

これが三十三間堂に残る「通し矢」の最高記録なんだって。

その後は百射(ひゃくい)千射(せんい)という方式に変わり
一昼夜も通し矢を続けるとの風習がなくなったそうですわ。

絵図で見たらお堂の縁に座って矢を放ってますな。

この通し矢を現代風にアレンジして1月15日に一番近い
日曜日に三十三間堂の通し矢が今も行われてまっせ。

(新成人 三十三間堂に 集合した通し矢の女性)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

現在は120mの的では的中できないので半分の60mでんな。

昔とは逆に北側から通し矢・射場の立て札付近の的へ
一人が二矢を放ち次々交代していきまんねで。

今年は1月12日の日曜日に実施されたそうですわ。

新成人は生涯一度しか参加できず、過去の優勝者や
特別な段位を持つ方は毎年ながら通し矢をできるようでんな。

昔の「通し矢」とは随分とアレンジされてまっけど
京都の初春を彩る風物詩としてテレビなどでご存知では。

特に娘の一生に一度の晴れ姿だということで
ご両親方がビデオで盛んに写してはりまんな。


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

60m先の的に届かない女性も多いでっけどそれもご愛嬌で。

大学の弓道部の女性は二矢を共に的中させて決勝戦へ進出。

衣装から弓矢までレンタルで借りて出場する女性も多いとか。


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

新成人が毎年ながら抽選で二千人が通し矢に参加するんだって。

この日だけは三十三間堂の拝観料が無料になるそうでっせ。

新成人の晴れ姿を撮影するマニアも多く集まるそうでんな。

この画像はネットで公開されている物を拝借しました。

(三十三間堂前で 自分撮り)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

このブログを作るために検索してたら面白いことを発見。

この三十三間堂は500mぐらい北東に在る「妙法院」と言う
門跡寺院が本坊になっていて所有権も妙法院なんだって。

なんでも江戸時代は元和年間に豊臣秀吉の豊国神社や方広寺を
取り壊す江戸幕府に協力して取り込んでしまったんだそうな。

方広寺や豊国神社は明治になって返却し独立したけど
ここ三十三間堂は今でも「妙法院」の境外寺院なんだって。

後白河法皇が一時「妙法院」の門跡座主だったからなのかな?

だから天台宗のお寺ちゅうことにはなりまんねんけど。

(重要文化財  太閤塀 & 南大門)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

三十三間堂の南側に豊臣秀吉が造らせた南大門と太閤塀が
残ってますんや、西側にも昔はあったそうでっけど。

現在は南側だけ塩小路とお寺の境界となっているようでんな。

豊臣秀吉は後白河法皇にあやかろうと考えたのかな。

三十三間堂や現在の国立博物館まで全て取り込んで
方広寺というお寺と大仏様を造らせたようでっせ。

次回はその方広寺と有名な梵鐘を紹介しまひょ。

ほんなら、今日はこれで さいなら~♪




 




























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22 コメント

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興味深い (hide-san)
2014-02-08 17:29:49
大変興味深いお話でした。
以前、中山道を歩いて居るときに、
「五条別れ道」の道標があり、
「左ハ五条橋 ひがし にし 六条大仏 今ぐ満(ま)きよ水道」
と書いてありました。
これは五条橋の東・西本願寺と
六条の大仏がある方広寺方面と
「今ぐ満(ま)きよ水道」は今熊野観音寺と清水寺へ行く道
と言う意味だそうで、
このうち方広寺の大仏と今熊野観音寺へ言ってみたいと思っていました。
次回が楽しみで、大仏があるかないか見てきてほしいのです。
返信する
Unknown (isikazu62)
2014-02-08 20:14:56
関東でこれほどの雪が降るのは久しぶりだそうです
私が勤めていたころ通勤バスが動かなくなって歩いて帰った以来ですから15,6年前でしょうか、あの時は今夜のような暴風が吹かなかっただけ歩きました。

三十三間堂でした、行くはずが元同僚がスケジュールを間違えへ見学が出来なかった勿体無い経験があります

でもくろださんのブログで35年ぶりに見学させてもらいました。
返信する
あでやか (karamatsu3)
2014-02-09 06:18:00
 新成人の女性による通し矢、とてもあでやかです。 
気持ちもキリリとするし、思い出深い経験になりますね。

 成人男性もするのですか?
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おはようございます (TAKAOSAN)
2014-02-09 08:44:46
すごい雪でした。
今朝も雪かきしました。
三十三間堂、修学旅行や遠足では必ず行きますね。
私も何度か小中学生時代に行った覚えがあります。
今やマイナーなのですかね。
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いつもコメントありがとう~♪ (hide-sanさんへ)
2014-02-09 09:12:17
方広寺の大仏は何度も焼失し
現在は十分の一のレプリカが
残っているだけだそうです。

詳しくは次回に書き込みますからね。
返信する
いつもコメントありがとう~♪ (isikazu62さんへ)
2014-02-09 09:18:33
平成13年1月の大雪で私も千葉から帰れなくなって
1泊したことが有りましたよ。

その記録を破ったそうですから確か
平成の9年か10年の
成人の日に大雪がありましたね。

あの時は路線バスが停まってしまい
JR戸田駅から3kmぐらい
雪道を歩いて帰った記憶があります。



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いつもコメントありがとう~♪ (karamatsu3さんへ)
2014-02-09 09:23:11
有段者の男性が通し矢をされている画像はありますが
新成人の男性は参加していないように感じましたよ。

まあ~ 振袖姿の新成人の女性だから絵になるんですよね。

的に矢を的中させる女性は弓道部の
ほんの一部の方だけですけど。
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いつもコメントありがとう~♪ (TAKAOSANさんへ)
2014-02-09 09:30:03
関西の遠足では三十三間堂は
コースに入れられますが
地方からの修学旅行では金閣寺や清水寺や嵯峨野が大半で
三十三間堂はあまり聞きませんな。

学生時代は観音様の仏像を見ただけの記憶しかなく
今回は初めて周りを一周しましたね。

周りを歩いていたのは私を含めて
数人しか見かけませんでしたけど。

返信する
昨日の雪は記録更新しました(*´Д`) (オババ)
2014-02-09 11:15:41
おはようございます(^▽^)/
 
三十三間堂!!

確か 修学旅行で・・・
でもほとんど記憶が無くて^^;

こちらでまた改めて魅せて頂き
勉強させて頂きますm(._.*)m

何時もありがとうございます。
 おみ足 お大事に為さって下さいね_(._.)_
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三十三間堂 (くちかずこ)
2014-02-09 11:59:31
行ったことが無いと思っていたのですが、先日、アルバムを見ていたら、なんと、看護学校時代の記念写真に写っていました。
ああ、記憶喪失・・・先日、テレビの特集で三十三間堂やっていましたね。
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