鉄ちゃん爺やの 独り言

鉄ちゃん爺やは大阪に住んでますので
画像で隠れた関西の名所も紹介します。

鉄ちゃん爺やの一人旅  北九州市の小倉を巡る

2019-03-28 19:06:40 | 旅行
(九州新幹線 さくら549号)




鉄ちゃん爺やが乗る「のぞみ5号」より3分遅れで隣のホームから出発。

JR鹿児島中央駅には13時31分に到着なんだって。

当然ながらJR小倉駅には「のぞみ5号」の方が早く着きますけどね。

(山陽新幹線 のぞみ5号 出発表示)


定刻通りの11時17分にJR小倉駅に到着しましたね。

不思議なことで新幹線下りの小倉駅ホームは初めての下車なんですわ。

昔は出張だったので寝台特急で早朝の小倉駅に降り立つことにしてました。

小倉から博多へまわり帰りは新幹線で新大阪駅へが日帰りの出張でしたかな。

山陽新幹線が無ければ博多で1泊できるのにな~ ぼやいたこともおました。

山陽新幹線・岡山~博多間の開業は1975年(昭和50年)3月でした。

(JR小倉駅の駅名標)


(のぞみ5号 5号車 JR小倉駅到着)


(JR小倉駅 中央コンコース)




JR小倉駅は1998年(平成10年)に建て替えられたそうですわ。

だから当時の面影は何処にも見当たらないように感じましたけど。

約25年ぶりのJR小倉駅ですから当然でっしゃろな。

(JR小倉の駅ビルに モノレールの駅が)






昔は一つ手前の平和通りがモノレールの終点でした、当時に聞いた話では
駅周辺の商店街が反対して国鉄の小倉駅に乗り入れが出来なかったとか。

駅ビルにモノレールが突き刺さったような形に見えて面白いでっしゃろ。

(小倉祇園太鼓の モニュメント)




7月に催される小倉祇園祭の勇壮な太鼓が駅前広場に置かれてまっせ。

村田英雄さんの「無法松の一生」でお馴染みの歌詞にも登場しまんな。

(北九州市のマンホールの蓋)


北九州市が選んだ「市の花」が描かれているんだと思いまぁ。

帰ってからネットで検索したら「ヒマワリ」が正解でした。

それではチェックインには時間があるが荷物だけ預けて
小倉城辺りでも散策して時間をつぶしますかな。

(アイルイン小倉 表通りから撮影)


このホテルで3泊して今回は周辺を巡ることにしましたんや。

朝食付きで30日前の予約で1泊=4850円ですから
鉄ちゃん爺やとしては小倉の繁華街なら安いと考えました。

朝食のバイキングが予想外に豪華でした、これはラッキー‼

(小倉城の天守閣を自撮り)






天守閣は工事中で3月29日まで休館でしたんや。

歴史的な価値はない戦後の改築だとのこと、良しとしまひょ。

城内で珍しいものを見つけましたで。

(小倉城内にて 珪化木の化石) 




小倉の外海である響灘で地層に埋もれた幹が化石に成ったとか。

近くに松本清張記念館が在るそうで立ち寄らせて貰いまひょ。

(小倉城内の標識)


(北九州市立・松本清張記念館 正面玄関と全景)


(松本清張記念館 拝観券)


推理小説の草分けと言える松本清張さんは昔の小倉市生まれでした。

北九州市立の施設とやらで立派な建物なので感心しました。

(松本清張記念会館 内部にて自撮り)


(松本清張さんの 著書を全て展示)








「砂の器」の特別展示が催されてましたが、当然ながら撮影禁止!

鉄ちゃん爺やも松本清張さんの「ゼロの焦点」を持っているんだけど
どんな内容だったのか、殆ど想い出せない状態になってますわ。

(北九州市役所庁舎)


鉄ちゃん爺やが若かりし頃でしたけど1963年(昭和38年)当時の
小倉市・門司市・戸畑市・若松市・八幡市の五市が対等合併でしたわ。

北九州市という名前になって九州で最大の政令指定都市ができましたんや。

当時は福岡市より人口も多く北九州工業地帯とも言いましたかな。

人口も100万人を超える時代がおましたけど、現在は県庁所在地の
福岡市に抜かれて人口も約94万人と減少し一時より元気も無いとの事。

(紫川の勝山橋から 上流を撮影)


遠くにTOTOさんの本社が見えてます、分かりずらいかも。

鉄ちゃん爺やも出張で二度ばかりお邪魔したけど25年前の話。

長くなりますので、今回はこれでお仕舞にしまひょ。

それじゃ~ さいなら~♪

コメント (16)
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