春日大社は有名なんで皆さんも訪れたことが~
有名な和歌の碑をみながら春日大社を後にしまひょ。
(安倍仲麻呂の 有名な和歌)
今回はあまり知られてない奈良公園の名所を
三つばかり選んで紹介してみまひょ。
(春日大社の神苑 万葉植物園)
ここは藤の花が咲く頃が見事でっけど今の時期は
冬枯れの万葉植物だけなんでパスしまっせ。
春日大社の「神紋」は藤の花なんですけどね。
まずは春日大社の境内を南の方へ外れまひょ。
樹木が途切れて「飛火野=とびひの」と呼ばれる
見通しのいい場所に出てきましたで。
(飛火野=とびひの & 御蓋山=みかさやま)
元々は御蓋山(みかさやま)を仰ぐ古代祭祀の地で
「春日野=かすがの」と呼ばれてたそうですわ。
奈良時代の貴族が蹴鞠(けまり)や花摘みなどで
楽しんだ場所だとも記されてますかな。
現在は芝が植えられて大きな広場になってますわ。
(飛火野=とびひの & 高円山=たかまどやま)
(鹿寄せの 看板)
冬の大和路の風物詩なんですよ、朝の10時ごろに
ホルンで「田園」の曲を奏でたら約100頭もの
鹿が林から飛び出して、ここに集まってくるんだって。
観光客に人気の写真スポットとして話題になってまぁ。
2月9日 ~ 3月12日 期間限定の催し!
(奈良公園の 案内標識)
(奈良公園 鷺池 & 浮見堂)
水面に写った六角形の東屋、ここも写真スポットでっせ。
建物の内部は休憩所になってますんや。
(浮見堂への 渡り橋)
(浮見堂の 内部)
カルガモかな? 見事な編隊で泳いでましたで。
この鷺池は春日山から湧き出た水が溜まったようで
周りには川らしきものが見当たりまへんな。
(カルガモ 編隊での遊泳)
(浮見堂を背景に 自撮り)
それでは再び春日大社の境内へ戻りまひょ。
途中でこんな土塀の遺跡を見つけましたで。
(奈良公園内の 古い土塀の跡)
やはり奈良には古い歴史を醸し出す雰囲気がおますな。
奈良公園ではあちこちで鹿に出会いますんや。
(奈良公園の鹿)
(生まれて間もない 小鹿が母鹿と散歩)
(奈良公園にて 東大寺の甍を眺める)
今回は奈良の大仏さま申し訳ないが他へ回りまっせ。
奈良市と言えば一番が東大寺の大仏さまだそうで
二番目は奈良公園の鹿と春日大社なんだって。
次は何十回も奈良市内を訪れたことが有るのに
鉄ちゃん爺やが初めて知った旧跡の地を紹介しまひょ。
(菩提院大御堂前の 説明板)
(伝説 三作石子詰之旧跡)
恥ずかしながら鉄ちゃん爺やの知らない伝説なので
戻ってからネットで色々と調べてみましたんや。
時は江戸時代のお話? ここ菩提院大御堂で興福寺の
子供僧侶が習字を習っていたそうですわ。
三作(みのさく)という子供僧侶が席を外した際に
鹿がやってきて習字の紙を食べてしまったんだって。
怒った三作(みのさく)が文鎮を鹿に投げつけた処
急所に当たって鹿が倒死してしまったんだとか。
当時は春日大社の鹿は神様の使いで殺傷したならば
石子詰めの刑で、死刑になるのが決まりだったそうな。
実際の記録では寛永5年(1628年)に春日社の
狛犬を盗んだ山伏が石子詰めの刑に処されたの記録。
(菩提院大御堂 外側から撮影)
まだ13歳の子供であっても法の裁きは死刑だとのこと。
ここ菩提院大御堂の境内で穴を掘って三作(みのさく)を
埋めてその上から、小石を詰めて死刑にしたんだって。
このお寺では明け七つと暮れ六つに「十三の鐘」を突き
市民に時を告げていたようですわ。
この鐘を撞く時刻に死刑が執行されたそうで、母親は
嘆き悲しんだとのことで、この伝説を浄瑠璃にして
近松門左衛門が「十三鐘」というのを創作したんだって。
画像の奥に見えるのが鐘楼で「十三鐘」が見えるとか
現在は興福寺管長の自宅だとのことで非公開なんだって。
伝説との話もありますが、奈良市内では江戸時代まで
鹿が自宅の前で死んだ時は死刑になることもあったとか。
此処を少しだけ下ると有名な「猿沢の池」に出ますんや。
(猿沢の池と 興福寺の五重塔)
この風景は奈良市を訪れた方なら、一度は見覚えがある
絵葉書にも登場する有名な観光スポットですかな。
でも池の南側にある率川(いさがわ)にある地蔵尊は
鉄ちゃん爺やも初めて気が付いた珍しいものですわ。
(率川=いさがわ地蔵尊)
川の中州を舟形に囲い約40体の地蔵さんが安置!
しかもすべての地蔵尊の、首がおまへんがな。
明治初めの廃仏毀釈に際して壊された地蔵尊だとか。
幕末に川を改修した際に出土した地蔵尊だとの説も。
現在は奈良町の皆さんが大事に保存維持しているそうで
夏の盂蘭盆には精霊流しの真似事もやるそうですわ。
(奈良町の 古い民家)
それでは、夕方も近づきましたんで帰ることにしまひょ。
大通りへ出た処で、こんな看板を発見しましたで。
(興福寺 中金堂再建完成図)
一昨年から工事が続けられてますけど完成は
平成30年(2018年)までかかるんでんな。
来年なら鉄ちゃん爺やもなんとか生きていて
完成した中金堂を拝観させてもらえるかも。
(奈良県庁前を 通過)
(近鉄奈良駅方向を撮影)
それでは甘党の内の奥さんに奈良の和菓子を
買って帰ることにしまひょかな。
(和菓子 萬勝堂)
関西では「三笠饅頭」と言いますんや、関東だったら
「ドラ焼き」とでもいうんでしたかしら?
(奈良市 マンホールの蓋)
(近鉄電車 通勤電車の塗装)
近鉄奈良駅からは2回乗り換えで自宅まで約1時間。
電車賃は片道で750円、近鉄は距離の割に高いでんな。
競争相手がJRだけなんで、相手にならないようですわ。
奈良県は近鉄電車の王国で鼻息が荒いんでっせ。
それじゃ、今日はこれでお仕舞い、さいなら~🎵
有名な和歌の碑をみながら春日大社を後にしまひょ。
(安倍仲麻呂の 有名な和歌)
今回はあまり知られてない奈良公園の名所を
三つばかり選んで紹介してみまひょ。
(春日大社の神苑 万葉植物園)
ここは藤の花が咲く頃が見事でっけど今の時期は
冬枯れの万葉植物だけなんでパスしまっせ。
春日大社の「神紋」は藤の花なんですけどね。
まずは春日大社の境内を南の方へ外れまひょ。
樹木が途切れて「飛火野=とびひの」と呼ばれる
見通しのいい場所に出てきましたで。
(飛火野=とびひの & 御蓋山=みかさやま)
元々は御蓋山(みかさやま)を仰ぐ古代祭祀の地で
「春日野=かすがの」と呼ばれてたそうですわ。
奈良時代の貴族が蹴鞠(けまり)や花摘みなどで
楽しんだ場所だとも記されてますかな。
現在は芝が植えられて大きな広場になってますわ。
(飛火野=とびひの & 高円山=たかまどやま)
(鹿寄せの 看板)
冬の大和路の風物詩なんですよ、朝の10時ごろに
ホルンで「田園」の曲を奏でたら約100頭もの
鹿が林から飛び出して、ここに集まってくるんだって。
観光客に人気の写真スポットとして話題になってまぁ。
2月9日 ~ 3月12日 期間限定の催し!
(奈良公園の 案内標識)
(奈良公園 鷺池 & 浮見堂)
水面に写った六角形の東屋、ここも写真スポットでっせ。
建物の内部は休憩所になってますんや。
(浮見堂への 渡り橋)
(浮見堂の 内部)
カルガモかな? 見事な編隊で泳いでましたで。
この鷺池は春日山から湧き出た水が溜まったようで
周りには川らしきものが見当たりまへんな。
(カルガモ 編隊での遊泳)
(浮見堂を背景に 自撮り)
それでは再び春日大社の境内へ戻りまひょ。
途中でこんな土塀の遺跡を見つけましたで。
(奈良公園内の 古い土塀の跡)
やはり奈良には古い歴史を醸し出す雰囲気がおますな。
奈良公園ではあちこちで鹿に出会いますんや。
(奈良公園の鹿)
(生まれて間もない 小鹿が母鹿と散歩)
(奈良公園にて 東大寺の甍を眺める)
今回は奈良の大仏さま申し訳ないが他へ回りまっせ。
奈良市と言えば一番が東大寺の大仏さまだそうで
二番目は奈良公園の鹿と春日大社なんだって。
次は何十回も奈良市内を訪れたことが有るのに
鉄ちゃん爺やが初めて知った旧跡の地を紹介しまひょ。
(菩提院大御堂前の 説明板)
(伝説 三作石子詰之旧跡)
恥ずかしながら鉄ちゃん爺やの知らない伝説なので
戻ってからネットで色々と調べてみましたんや。
時は江戸時代のお話? ここ菩提院大御堂で興福寺の
子供僧侶が習字を習っていたそうですわ。
三作(みのさく)という子供僧侶が席を外した際に
鹿がやってきて習字の紙を食べてしまったんだって。
怒った三作(みのさく)が文鎮を鹿に投げつけた処
急所に当たって鹿が倒死してしまったんだとか。
当時は春日大社の鹿は神様の使いで殺傷したならば
石子詰めの刑で、死刑になるのが決まりだったそうな。
実際の記録では寛永5年(1628年)に春日社の
狛犬を盗んだ山伏が石子詰めの刑に処されたの記録。
(菩提院大御堂 外側から撮影)
まだ13歳の子供であっても法の裁きは死刑だとのこと。
ここ菩提院大御堂の境内で穴を掘って三作(みのさく)を
埋めてその上から、小石を詰めて死刑にしたんだって。
このお寺では明け七つと暮れ六つに「十三の鐘」を突き
市民に時を告げていたようですわ。
この鐘を撞く時刻に死刑が執行されたそうで、母親は
嘆き悲しんだとのことで、この伝説を浄瑠璃にして
近松門左衛門が「十三鐘」というのを創作したんだって。
画像の奥に見えるのが鐘楼で「十三鐘」が見えるとか
現在は興福寺管長の自宅だとのことで非公開なんだって。
伝説との話もありますが、奈良市内では江戸時代まで
鹿が自宅の前で死んだ時は死刑になることもあったとか。
此処を少しだけ下ると有名な「猿沢の池」に出ますんや。
(猿沢の池と 興福寺の五重塔)
この風景は奈良市を訪れた方なら、一度は見覚えがある
絵葉書にも登場する有名な観光スポットですかな。
でも池の南側にある率川(いさがわ)にある地蔵尊は
鉄ちゃん爺やも初めて気が付いた珍しいものですわ。
(率川=いさがわ地蔵尊)
川の中州を舟形に囲い約40体の地蔵さんが安置!
しかもすべての地蔵尊の、首がおまへんがな。
明治初めの廃仏毀釈に際して壊された地蔵尊だとか。
幕末に川を改修した際に出土した地蔵尊だとの説も。
現在は奈良町の皆さんが大事に保存維持しているそうで
夏の盂蘭盆には精霊流しの真似事もやるそうですわ。
(奈良町の 古い民家)
それでは、夕方も近づきましたんで帰ることにしまひょ。
大通りへ出た処で、こんな看板を発見しましたで。
(興福寺 中金堂再建完成図)
一昨年から工事が続けられてますけど完成は
平成30年(2018年)までかかるんでんな。
来年なら鉄ちゃん爺やもなんとか生きていて
完成した中金堂を拝観させてもらえるかも。
(奈良県庁前を 通過)
(近鉄奈良駅方向を撮影)
それでは甘党の内の奥さんに奈良の和菓子を
買って帰ることにしまひょかな。
(和菓子 萬勝堂)
関西では「三笠饅頭」と言いますんや、関東だったら
「ドラ焼き」とでもいうんでしたかしら?
(奈良市 マンホールの蓋)
(近鉄電車 通勤電車の塗装)
近鉄奈良駅からは2回乗り換えで自宅まで約1時間。
電車賃は片道で750円、近鉄は距離の割に高いでんな。
競争相手がJRだけなんで、相手にならないようですわ。
奈良県は近鉄電車の王国で鼻息が荒いんでっせ。
それじゃ、今日はこれでお仕舞い、さいなら~🎵