久しぶりに京都へ出かけまひょ。
紅葉もそろそろ見頃かもしれまへん。
往きは近鉄特急に乗ってみましたんや。
(近鉄特急 22600系 京都行)
乗車した時はほとんどが空席、だけど次の大和八木駅で
お客が乗ってきて、ほとんどの席が埋まりましたわ。
普段は空席も目立つ、京都行き特急なんでっせ。
JR新快速や京阪特急や阪急なら普通料金のみで京都迄。
こちら近鉄は特急料金で900円も取られますんや。
(JR京都駅 改札口前)
この時期の京都は観光客で大賑わいでっせ。
やはり観光客は、溢れんばかりの人出でんな。
本来は東山の清水寺か永観堂もしくは高台寺辺り
でも~ この時期は紅葉見物のお客で大混雑でおます。
写真も撮れない状態なのでパスしまひょかな。
下鴨神社が良いかもと、京都駅前バスターミナルへ。
(市バス・京都バス 一日乗車カード)(500円)
(河原町通りを通過中の 京都市バス)(平成24年撮影)
京都市内のバスは1回乗ると230円なんですわ。
3回乗れば元が取れまっしゃろ。
(賀茂大橋から 平成24年撮影)
画像の左側が賀茂川で右側が高野川と言いまんねんで。
ここで合流してからは鴨川と呼び方が変りますんや。
中央に森が見えるのが「糺の森=ただすのもり」で
下鴨神社の参道にもなる、有名な処でっせ。
それじゃ下鴨神社を画像で紹介しまひょ。
(賀茂御祖神社=かもみおやじんじゃ)
普通は下鴨神社と呼んでまっけど、正式にはこのように
賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)と呼びますんや。
2kmほど先に上賀茂神社がおまして、両方を合わせて
賀茂の大神と呼び、伊勢神宮と並び皇室にとっては
平安京を鎮護する大切な神様とされてきたそうですわ。
今日では5月の「葵祭=あおいまつり」で有名でっかな。
(御手洗・三本杉の説明板)
御手洗と書いて「みたらし」と読んでくださいね。
誰でっか~ 「おてあらい」と読む人は!
「みたらし団子」の語源になったんだとか。
「みたらし団子」は下鴨神社の境内で売られていた物が
全国に広がったようで、京都では5個で1串でんな。
砂糖醤油で包んで3串で1セットになってますんや。
一番上だけが少し大きくて、下4個が小さいんでっせ。
大きいのが頭で、下4個とで人間の姿を現すんだとか?
関東では4本が1串だったような記憶がしまっけど。
(下鴨神社の 鳥居と紅葉)
京都はイロハモミジが有名なんですが、下鴨神社の
紅葉は京都市内でも、少しだけ遅いとか言われてまんな。
1週間ぐらい早かった色付きだったかもしれまへん。
(賀茂斎院=かもさいいん 御所の復元)
弘仁元年(810年)嵯峨天皇の皇女だった有智子内親王を
初代に未婚の内親王か女王(親王の娘)が3年間の禊を経て
斎院(さいいん)と呼ばれる役目に就かれたそうですわ。
約400年間続き、鎌倉時代初期の1212年(建暦2年)の
後鳥羽天皇の皇女だった礼子内親王の退下まで35代に渡り
置かれましたが、皇室の衰微により廃止となったんだって。
この建物は斎院が下鴨神社に参拝に来られる際に使用した
斎院御所を絵図面から復元したものでしょうかな。
日常は紫野と呼ばれる処に斎院御所が置かれて居たそうですわ。
現在の北野天満宮の少し北側になるようでんな。
(賀茂斎院 御所旧跡 説明板)
伊勢神宮にも斎宮(さいくう)と呼ばれる同じような方が
飛鳥時代から鎌倉時代まで居られたそうで、こちらは
内親王の母親か父親の天皇が亡くなられたら京都へ戻り
一般人として、その後の生活を送られたそうです。
賀茂斎院は5代の天皇に渡り勤められた選子内親王の様に
必ずしも天皇や母親が亡くなられても、退下することなく
長く勤められた方が多いと記されてますかな。
特に平安時代には京都に近い事も有り、伊勢神宮の斎宮よりも
京都御所に近い、賀茂斎院の方が上位に在ったとのことで
宮廷サロンと共に平安時代を謳歌する舞台となったようでっせ。
(下鴨神社の境内)
(下鴨神社 拝殿への入口)
下鴨神社の本殿は残念ながら写真では写せないようで
あちこちから眺めましたが、こんな感じしか撮れまへんわ。
(下鴨神社の本殿の一部)
(下鴨神社の本殿)(説明板から転写)
光線が入って写りが悪いのでご免なさいね。
興味の有る方は特別拝観で4万円~5万円を納めれば
予約して毎日80名限定で本殿を拝観できるとか。
HPでも本殿の画像は掲示されていないようですね。
(下鴨神社の ご祭神)
神武天皇のお母さまが東本殿のご祭神のようですね。
西の本殿には上賀茂神社のご祭神である
賀茂別雷命(かもわけいかずちのみこと)のお父様ですな。
元はこの地に住んでいた賀茂氏の氏神さんだったはず。
神武天皇のお母さまを加えて皇室の神様になったのかしら?
(下鴨神社の ご朱印)
なるほど~ 山城の国では、ここが一之宮なんだ!
右上の「二つの葵」が下鴨神社の神紋のようでっせ。
徳川家「三つ葉葵」の家紋はこれをアレンジしたとか?
本殿の手前に、こんなお詣りの説明板が
(鴨の社へ えと詣り)
(巳歳と 未歳の方の 守護社)
鉄ちゃん爺やの干支は「巳」だから、お詣りせねば~
小銭が無くて100円玉をお賽銭に、ご利益が貰えるかな?
(重要文化財 橋殿)
(下鴨神社の 境内図)
(下鴨神社 剣の間)
(重要文化財 下鴨神社の楼門)
「葵祭」で斎王代が手を水に浸して禊(みそぎ)をされる
そんな映像をテレビご覧になったことがおまっしゃろ。
現在は斎院の代わりに斎王代とよばれる方が選ばれて
「葵祭」の主役を務めておられますんや。
(下鴨神社内 御手洗社=みたらししゃ)
(御手洗社前 人工の川)
この日は水が流れてませんが、「葵祭」の日には斎王代が
手で浸せるぐらいに水を流すんでっせ。
大昔は賀茂川で禊(みそぎ)をやったんでしょうな。
(御手洗社の前から 本殿方向を撮影)
上賀茂神社と隔年の交代で、御手洗社(みたらいしゃ)の
川に見立てた処で、禊(みそぎ)をされる場所がここでっせ。
余談になりますが、斎王代は一般公募やオーデションなどでは
選びません、京都の名家から未婚の娘さんが選ばれますんや。
なんでも数千万円の費用を負担することが条件で、よほどの
名家や資産家でないと応募できないとの噂でおますけど。
だから親子三代や姉妹が選ばれるケースが多いのかも?
それでは帰りは「糺の森」を散策して行きまひょかな。
(下鴨神社 一の鳥居)
(糺の森 駐車場)
「糺の森」は大昔の原生林の名残を残す京都では珍しい森で
下鴨神社の参道として、昔から保存されてきたようでんな。
現在の樹木は約200年ぐらいと、さほど古くは無いですが
京都市民には憩いの森として親しまれているそうですわ。
(糺の森の 画像)
この参道を利用して、「葵祭」の際には、流鏑馬の神事が
現在も行われているそうでっせ。
(下鴨神社の 摂社 河合神社)
玉依媛命をお祀りしているので、日本一の美女だとか
そんな訳で、女性の参拝客が押し掛ける神社なんだって?
ここが「糺の森」の入口にもなるんですわ。
(河合神社の拝殿)
ここは「方丈記」を書いた鴨長明が禰宜としてお勤めした
神社で、彼の考案した「方丈の庵」が再現されてまっせ。
(鴨長明 方丈の庵 復元)
それでは「糺の森」に戻ってみまひょ。
ここで黄葉の写真を写してみましたで。
(糺の森 黄葉を撮影)
(史跡 糺の森 石碑)
長くなりましたので、今回はこれでお仕舞にしまひょ。
次回は足を延ばして北野天満宮を紹介しまっさ。
ほんなら~ これで、さいなら~🎵
紅葉もそろそろ見頃かもしれまへん。
往きは近鉄特急に乗ってみましたんや。
(近鉄特急 22600系 京都行)
乗車した時はほとんどが空席、だけど次の大和八木駅で
お客が乗ってきて、ほとんどの席が埋まりましたわ。
普段は空席も目立つ、京都行き特急なんでっせ。
JR新快速や京阪特急や阪急なら普通料金のみで京都迄。
こちら近鉄は特急料金で900円も取られますんや。
(JR京都駅 改札口前)
この時期の京都は観光客で大賑わいでっせ。
やはり観光客は、溢れんばかりの人出でんな。
本来は東山の清水寺か永観堂もしくは高台寺辺り
でも~ この時期は紅葉見物のお客で大混雑でおます。
写真も撮れない状態なのでパスしまひょかな。
下鴨神社が良いかもと、京都駅前バスターミナルへ。
(市バス・京都バス 一日乗車カード)(500円)
(河原町通りを通過中の 京都市バス)(平成24年撮影)
京都市内のバスは1回乗ると230円なんですわ。
3回乗れば元が取れまっしゃろ。
(賀茂大橋から 平成24年撮影)
画像の左側が賀茂川で右側が高野川と言いまんねんで。
ここで合流してからは鴨川と呼び方が変りますんや。
中央に森が見えるのが「糺の森=ただすのもり」で
下鴨神社の参道にもなる、有名な処でっせ。
それじゃ下鴨神社を画像で紹介しまひょ。
(賀茂御祖神社=かもみおやじんじゃ)
普通は下鴨神社と呼んでまっけど、正式にはこのように
賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)と呼びますんや。
2kmほど先に上賀茂神社がおまして、両方を合わせて
賀茂の大神と呼び、伊勢神宮と並び皇室にとっては
平安京を鎮護する大切な神様とされてきたそうですわ。
今日では5月の「葵祭=あおいまつり」で有名でっかな。
(御手洗・三本杉の説明板)
御手洗と書いて「みたらし」と読んでくださいね。
誰でっか~ 「おてあらい」と読む人は!
「みたらし団子」の語源になったんだとか。
「みたらし団子」は下鴨神社の境内で売られていた物が
全国に広がったようで、京都では5個で1串でんな。
砂糖醤油で包んで3串で1セットになってますんや。
一番上だけが少し大きくて、下4個が小さいんでっせ。
大きいのが頭で、下4個とで人間の姿を現すんだとか?
関東では4本が1串だったような記憶がしまっけど。
(下鴨神社の 鳥居と紅葉)
京都はイロハモミジが有名なんですが、下鴨神社の
紅葉は京都市内でも、少しだけ遅いとか言われてまんな。
1週間ぐらい早かった色付きだったかもしれまへん。
(賀茂斎院=かもさいいん 御所の復元)
弘仁元年(810年)嵯峨天皇の皇女だった有智子内親王を
初代に未婚の内親王か女王(親王の娘)が3年間の禊を経て
斎院(さいいん)と呼ばれる役目に就かれたそうですわ。
約400年間続き、鎌倉時代初期の1212年(建暦2年)の
後鳥羽天皇の皇女だった礼子内親王の退下まで35代に渡り
置かれましたが、皇室の衰微により廃止となったんだって。
この建物は斎院が下鴨神社に参拝に来られる際に使用した
斎院御所を絵図面から復元したものでしょうかな。
日常は紫野と呼ばれる処に斎院御所が置かれて居たそうですわ。
現在の北野天満宮の少し北側になるようでんな。
(賀茂斎院 御所旧跡 説明板)
伊勢神宮にも斎宮(さいくう)と呼ばれる同じような方が
飛鳥時代から鎌倉時代まで居られたそうで、こちらは
内親王の母親か父親の天皇が亡くなられたら京都へ戻り
一般人として、その後の生活を送られたそうです。
賀茂斎院は5代の天皇に渡り勤められた選子内親王の様に
必ずしも天皇や母親が亡くなられても、退下することなく
長く勤められた方が多いと記されてますかな。
特に平安時代には京都に近い事も有り、伊勢神宮の斎宮よりも
京都御所に近い、賀茂斎院の方が上位に在ったとのことで
宮廷サロンと共に平安時代を謳歌する舞台となったようでっせ。
(下鴨神社の境内)
(下鴨神社 拝殿への入口)
下鴨神社の本殿は残念ながら写真では写せないようで
あちこちから眺めましたが、こんな感じしか撮れまへんわ。
(下鴨神社の本殿の一部)
(下鴨神社の本殿)(説明板から転写)
光線が入って写りが悪いのでご免なさいね。
興味の有る方は特別拝観で4万円~5万円を納めれば
予約して毎日80名限定で本殿を拝観できるとか。
HPでも本殿の画像は掲示されていないようですね。
(下鴨神社の ご祭神)
神武天皇のお母さまが東本殿のご祭神のようですね。
西の本殿には上賀茂神社のご祭神である
賀茂別雷命(かもわけいかずちのみこと)のお父様ですな。
元はこの地に住んでいた賀茂氏の氏神さんだったはず。
神武天皇のお母さまを加えて皇室の神様になったのかしら?
(下鴨神社の ご朱印)
なるほど~ 山城の国では、ここが一之宮なんだ!
右上の「二つの葵」が下鴨神社の神紋のようでっせ。
徳川家「三つ葉葵」の家紋はこれをアレンジしたとか?
本殿の手前に、こんなお詣りの説明板が
(鴨の社へ えと詣り)
(巳歳と 未歳の方の 守護社)
鉄ちゃん爺やの干支は「巳」だから、お詣りせねば~
小銭が無くて100円玉をお賽銭に、ご利益が貰えるかな?
(重要文化財 橋殿)
(下鴨神社の 境内図)
(下鴨神社 剣の間)
(重要文化財 下鴨神社の楼門)
「葵祭」で斎王代が手を水に浸して禊(みそぎ)をされる
そんな映像をテレビご覧になったことがおまっしゃろ。
現在は斎院の代わりに斎王代とよばれる方が選ばれて
「葵祭」の主役を務めておられますんや。
(下鴨神社内 御手洗社=みたらししゃ)
(御手洗社前 人工の川)
この日は水が流れてませんが、「葵祭」の日には斎王代が
手で浸せるぐらいに水を流すんでっせ。
大昔は賀茂川で禊(みそぎ)をやったんでしょうな。
(御手洗社の前から 本殿方向を撮影)
上賀茂神社と隔年の交代で、御手洗社(みたらいしゃ)の
川に見立てた処で、禊(みそぎ)をされる場所がここでっせ。
余談になりますが、斎王代は一般公募やオーデションなどでは
選びません、京都の名家から未婚の娘さんが選ばれますんや。
なんでも数千万円の費用を負担することが条件で、よほどの
名家や資産家でないと応募できないとの噂でおますけど。
だから親子三代や姉妹が選ばれるケースが多いのかも?
それでは帰りは「糺の森」を散策して行きまひょかな。
(下鴨神社 一の鳥居)
(糺の森 駐車場)
「糺の森」は大昔の原生林の名残を残す京都では珍しい森で
下鴨神社の参道として、昔から保存されてきたようでんな。
現在の樹木は約200年ぐらいと、さほど古くは無いですが
京都市民には憩いの森として親しまれているそうですわ。
(糺の森の 画像)
この参道を利用して、「葵祭」の際には、流鏑馬の神事が
現在も行われているそうでっせ。
(下鴨神社の 摂社 河合神社)
玉依媛命をお祀りしているので、日本一の美女だとか
そんな訳で、女性の参拝客が押し掛ける神社なんだって?
ここが「糺の森」の入口にもなるんですわ。
(河合神社の拝殿)
ここは「方丈記」を書いた鴨長明が禰宜としてお勤めした
神社で、彼の考案した「方丈の庵」が再現されてまっせ。
(鴨長明 方丈の庵 復元)
それでは「糺の森」に戻ってみまひょ。
ここで黄葉の写真を写してみましたで。
(糺の森 黄葉を撮影)
(史跡 糺の森 石碑)
長くなりましたので、今回はこれでお仕舞にしまひょ。
次回は足を延ばして北野天満宮を紹介しまっさ。
ほんなら~ これで、さいなら~🎵