大阪が誇る「大正モダン建築」が又もや解体ですわ。
1922年(大正11年)~1933年(昭和8年)完成
築80年を超え、来るべき南海地震にも対応する為に
老朽化した建物を建て替えるとJフロントが発表。
現在は松坂屋と大丸が同じグループで統合されたんでしたな。
想い出もある大丸心斎橋店・本館を訪れてきましたんや。
(大丸心斎橋店 本館) (御堂筋から撮影)


完成した頃は東京が関東大震災の復興半ばだった関係で
大阪市が、日本一の経済都市として「大大阪」と呼ばれ
一番輝いた時代に完成したのが大丸心斎橋店・本館でおます。
米国生まれのW.M・ヴォーリズという方が設計したそうで
花崗岩・スクラッチタイル・テラコッタを使用した外観は
3層構成の「大正モダン」を代表する建物なんだって。
この外観の画像は御堂筋の拡張工事と大阪市営地下鉄の
完成に合わせて増築された昭和8年完成の第3期工事。
(大丸心斎橋店 本館)(北西側を拡大)

最上部はニューヨークの摩天楼を想像させるとか言われましたんや。
今年の12月30日で営業を終了し、年明けの2月から解体だとか。
大丸百貨店心斎橋店・本館は1945年の大阪空襲で5階以上が焼失
戦後に修復されましたが、外観は当時とほとんど変わってまへんで。
内部は新しい時代にマッチするように改造されてますが低層部には
当時の「アール・デコ調」と呼ばれる幾何学模様や直線を強調した
装飾や金具やステンドグラスなどが現在も残されてまんねんで。
(大丸心斎橋店・本館 正面玄関)


W.M・ヴォーリズは設計では「不死鳥」をイメージしたそうですが
完成したのは孔雀(ピーコック)で現在でもこの装飾は店舗のシンボルで
「愛と幸福」を意味するんだとか聞いたような記憶がおますんや。
大丸心斎橋店・本館は心斎橋筋側が正面玄関になりまんねんで。
完成まで3期に分けて11年間も工事が行われた際にも、第1期目は
ここ心斎橋筋側が1924年(大正14年)に完成したようでんな。
(大丸心斎橋店 エレベーター附近)



(六角の星でデザインした時計)

色んな装飾を画像で貼り付けてみまっさ。
これらは1階フロアに今も使用されてますんや。
(1階の階段附近)


(1階天井 照明器具)

(1階の天井部分)


(1階の梁に 鷹の彫刻)

(出入り口の 装飾金具)

(ステンドグラスの装飾)



Jフロントは建て替えに当たり、これらの装飾や金具を
可能な限り取り外して再利用したいと発表してまんな。
W.M・ヴォォーリズの設計した「アール・デコ」と
御堂筋側の外観も残して、現在の8階建て(40m)を
11階建て(60m)に平成31年の完成を目指すとか。
(大丸心斎橋店の 垂れ幕)

ラストの26日からは「1000万円均一」で5カラットの
ダイヤモンドの福袋も売りだされるとの情報でっせ。
鉄ちゃん爺やには、そんな高価な福袋には縁はおまへんけど。
他に「50万円均一」の福袋などは爆買いの中国人が対象?
(大丸心斎橋店 銘板)

大丸さんは1717年(享保2年)に京都の伏見で創業した
「大文字屋呉服店」がスタートになるんだって。
1726年(享保11年)に現在の場所で「松屋」と名乗り
現金正札販売で呉服店を始めたのがルーツだそうですわ。
江戸時代の後半には「大丸」の名前を使用していたとの説。
「大丸は義商なり 犯すなかれ」
1837年(天保8年)の大塩平八郎の乱では大坂市内の
豪商や大店は焼き討ちに遭ったが、大丸は難を逃れたとも。
(御堂筋側 大丸の銘板)

大丸の図柄は「丸で宇宙を表し 大は一と人を合わせて」
天下一の商人になろうとの意気込みから作られた物なんだって。
確かに1960年代には高度成長時代で小売業の業界で
売り上げ日本一を7年連続で記録したこともおましたんや。
東の三越に対して、西の大丸と言われた華やかな時代。
現在では百貨店は冬の時代を迎え苦戦してまっけど。
(大丸心斎橋店・本館 外装のランタン)

(大丸心斎橋店 本館&北館)

(大丸心斎橋店 北館)

ここは元はそごう百貨店でしたが倒産後に大丸が買収し
現在は近代的な建物に造り替えられてしまってまんな。
新しい大丸心斎橋店・本館とこの北館を2階より上部で
渡り廊下を新設して繋ぐような計画があるようでっせ。
(冬枯れの御堂筋)

(大丸心斎橋店前 名残の銀杏)

蛇足ながら、大丸は現在でも心斎橋店(しんさいばしみせ)
関西の店舗ではそのように呼ぶそうで、他のデパートでは
池袋店(いけぶくろてん)とか呼ぶのが普通でっかな。
次回は大阪御堂筋と中之島のイルミを紹介しまひょ。
ほんなら~ 今日はこれで、さいなら~♪
1922年(大正11年)~1933年(昭和8年)完成
築80年を超え、来るべき南海地震にも対応する為に
老朽化した建物を建て替えるとJフロントが発表。
現在は松坂屋と大丸が同じグループで統合されたんでしたな。
想い出もある大丸心斎橋店・本館を訪れてきましたんや。
(大丸心斎橋店 本館) (御堂筋から撮影)


完成した頃は東京が関東大震災の復興半ばだった関係で
大阪市が、日本一の経済都市として「大大阪」と呼ばれ
一番輝いた時代に完成したのが大丸心斎橋店・本館でおます。
米国生まれのW.M・ヴォーリズという方が設計したそうで
花崗岩・スクラッチタイル・テラコッタを使用した外観は
3層構成の「大正モダン」を代表する建物なんだって。
この外観の画像は御堂筋の拡張工事と大阪市営地下鉄の
完成に合わせて増築された昭和8年完成の第3期工事。
(大丸心斎橋店 本館)(北西側を拡大)

最上部はニューヨークの摩天楼を想像させるとか言われましたんや。
今年の12月30日で営業を終了し、年明けの2月から解体だとか。
大丸百貨店心斎橋店・本館は1945年の大阪空襲で5階以上が焼失
戦後に修復されましたが、外観は当時とほとんど変わってまへんで。
内部は新しい時代にマッチするように改造されてますが低層部には
当時の「アール・デコ調」と呼ばれる幾何学模様や直線を強調した
装飾や金具やステンドグラスなどが現在も残されてまんねんで。
(大丸心斎橋店・本館 正面玄関)


W.M・ヴォーリズは設計では「不死鳥」をイメージしたそうですが
完成したのは孔雀(ピーコック)で現在でもこの装飾は店舗のシンボルで
「愛と幸福」を意味するんだとか聞いたような記憶がおますんや。
大丸心斎橋店・本館は心斎橋筋側が正面玄関になりまんねんで。
完成まで3期に分けて11年間も工事が行われた際にも、第1期目は
ここ心斎橋筋側が1924年(大正14年)に完成したようでんな。
(大丸心斎橋店 エレベーター附近)



(六角の星でデザインした時計)

色んな装飾を画像で貼り付けてみまっさ。
これらは1階フロアに今も使用されてますんや。
(1階の階段附近)


(1階天井 照明器具)

(1階の天井部分)


(1階の梁に 鷹の彫刻)

(出入り口の 装飾金具)

(ステンドグラスの装飾)



Jフロントは建て替えに当たり、これらの装飾や金具を
可能な限り取り外して再利用したいと発表してまんな。
W.M・ヴォォーリズの設計した「アール・デコ」と
御堂筋側の外観も残して、現在の8階建て(40m)を
11階建て(60m)に平成31年の完成を目指すとか。
(大丸心斎橋店の 垂れ幕)

ラストの26日からは「1000万円均一」で5カラットの
ダイヤモンドの福袋も売りだされるとの情報でっせ。
鉄ちゃん爺やには、そんな高価な福袋には縁はおまへんけど。
他に「50万円均一」の福袋などは爆買いの中国人が対象?
(大丸心斎橋店 銘板)

大丸さんは1717年(享保2年)に京都の伏見で創業した
「大文字屋呉服店」がスタートになるんだって。
1726年(享保11年)に現在の場所で「松屋」と名乗り
現金正札販売で呉服店を始めたのがルーツだそうですわ。
江戸時代の後半には「大丸」の名前を使用していたとの説。
「大丸は義商なり 犯すなかれ」
1837年(天保8年)の大塩平八郎の乱では大坂市内の
豪商や大店は焼き討ちに遭ったが、大丸は難を逃れたとも。
(御堂筋側 大丸の銘板)

大丸の図柄は「丸で宇宙を表し 大は一と人を合わせて」
天下一の商人になろうとの意気込みから作られた物なんだって。
確かに1960年代には高度成長時代で小売業の業界で
売り上げ日本一を7年連続で記録したこともおましたんや。
東の三越に対して、西の大丸と言われた華やかな時代。
現在では百貨店は冬の時代を迎え苦戦してまっけど。
(大丸心斎橋店・本館 外装のランタン)

(大丸心斎橋店 本館&北館)

(大丸心斎橋店 北館)

ここは元はそごう百貨店でしたが倒産後に大丸が買収し
現在は近代的な建物に造り替えられてしまってまんな。
新しい大丸心斎橋店・本館とこの北館を2階より上部で
渡り廊下を新設して繋ぐような計画があるようでっせ。
(冬枯れの御堂筋)

(大丸心斎橋店前 名残の銀杏)

蛇足ながら、大丸は現在でも心斎橋店(しんさいばしみせ)
関西の店舗ではそのように呼ぶそうで、他のデパートでは
池袋店(いけぶくろてん)とか呼ぶのが普通でっかな。
次回は大阪御堂筋と中之島のイルミを紹介しまひょ。
ほんなら~ 今日はこれで、さいなら~♪