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鉄ちゃん爺やの 独り言

鉄ちゃん爺やは大阪に住んでますので
画像で隠れた関西の名所も紹介します。

鉄ちゃん爺や  四国・讃岐の旅        善通寺市

2013-10-25 20:42:39 | 旅行
四国に鉄道が出来たのは1889年(明治22年)5月の事だったそうですわ。

現在から考えたら意外かもしれまへんが、丸亀駅~多度津駅~善通寺駅~琴平駅間

讃岐鉄道ちゅう会社が金比羅詣でや善通寺参りを考慮して開通させたようでっせ。

高松駅まで開通したのが1897年(明治30年)だそうでっから
丸亀市の方が当時は近代的な町だったんでしょうな。

(現在の JR予讃線 丸亀駅舎) 


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット

この新しい駅舎は瀬戸大橋線の開通に合わせて電化と高架工事が行われて
1988年(昭和63年)3月に竣工した4代目の駅舎やそうですわ。

考えたら今年が25周年を迎えた駅舎ちゅうことになりまんな。

ほな~ 丸亀を後にして、善通寺市へ向かいまひょ。

(JR四国 1000形 気動車)


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多度津駅からはJR土讃線に入りますんや、この路線は琴平駅までは
電化されてますんやけど、それから先の高知県までは非電化区間でおます。

わてが乗ったのは阿波池田行きでっさかいにディゼルカーでしたわ。

(貨物列車にも追い抜かれましたがな)


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向こうはJR予讃線で松山駅や新居浜駅へ向かう本線でっから

お先にどうぞ~  こんな感じでんな。

(JR土讃線 のどかな単線でっしゃろ)


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(善通寺市の マンホールの蓋)


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善通寺の市の花が菊なので見事にデザインされている綺麗な蓋でしたよ。

わてが~ 善通寺駅に立ち寄ったのには理由がおますんや。

善通寺へお参り~  いえいえ~ そんな信心の心掛けはおまへん。

正解は下の画像で、明治時代から使われている木造の駅舎なんですわ。

(JR土讃線 善通寺駅舎)  (明治22年開業) (香川県善通寺市)


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実はこの善通寺駅舎は1889年(明治22年)の開業当時のままの
木造の古い駅舎だと言うことは記録にも載っているようですわ。

日本の鉄道駅舎で現在も使われている一番古いのはどこの駅舎か?

鉄道マニアの知識では愛知県のJR武豊線・亀崎駅舎だとの説になってますんや。

(JR武豊線 亀崎駅舎)  (愛知県半田市)(明治19年完成?)


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この画像は2009年(平成21年)に写してきた物なんでっけど。

駅・構内の柱に明治19年との国鉄が貼り付けた財産目録標識がおますんや。

半田市の郷土史にも記録がないのでこの駅舎が出来た年月日が不明なんですわ。

でも明治19年という証明が貼り付けられてるからには
この駅が出来たことを意味すると考えられてますんや。

亀崎駅舎が現在では日本一古い駅舎ちゅうことに成っているんですわ?

でも亀崎駅舎が証拠不十分となれば善通寺駅舎が日本一古いと成りますんや。

ただ、善通寺駅舎の車寄せの部分は1922年(大正12年)に陸軍大演習の際に
摂政の宮(後の昭和天皇)が行啓される際に急遽増築されたようでんな。

通寺市内はレンターサイクルを借りて巡ることにしまひょ。

(善通寺市の レンターサイクル)  (1日 100円)


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(JR善通寺駅構内 下り線・ホームの立て札)


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わては~ 真言宗に帰依している訳じゃおまへんけど

ここまで来たからには、善通寺さんへ立ち寄ってみまひょかな。

まずは~ 本堂と五重塔がある東院という敷地でっせ。

(真言宗・総本山 五岳山 善通寺) (南大門 & 五重の塔)


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(五岳山 善通寺の 本堂) (東院)


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四国では何処へ行っても「四国八十八ヶ所 霊場詣で」のお遍路さんに出会いまっせ。

ここ善通寺は真言宗の三大霊場の一つで、和歌山の高野山・京都の東寺さん
それにここ善通寺で、四国八十八ヶ所の第75番の札所にもなってるようでんな。

入れ替わり立ち代りでお遍路さんがお参りして、ご朱印を頂いておられまっせ。

私も普段はご朱印を貰うんでっけど、こんなピクニックみたいな服装では
お遍路さんに失礼だし、お寺さんにも叱られそうだからパスしまひょ。

四国八十八ヶ所の霊場参りはそれぐらい厳粛で服装も決められてますんや。


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お遍路さんの背中に書かれている「南無大師遍照金剛」の下の部分
「遍照金剛」は弘法大師・空海さんの法名だそうでっせ。

弘法大師さんと一緒に八十八カ寺をお参りするとの意味のようでんな。

(善通寺 五重の塔) (東院)


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善通寺は平安時代の初期に弘法大師・空海が父親から寄進を受けた土地に
寺院を建立したのが最初で、父親・佐伯の善通(よしみち)のお名前を
お寺の名前にしたようですわ。

戦国時代に三好氏の兵火で本尊以外の建物はほとんど焼けてしまったとか

だから、現在の建物や五重塔は江戸時代に再建されたもののようですわ。

それじゃ~ 弘法大師・空海さんがお生まれになったと称する西院へ行きまひょ。

(善通寺 御影堂)  (西院)


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ここは、弘法大師・空海の母親である「玉寄り御前」の住居であったので
ここでお生まれになったとされてますんや。

現在は御影堂(みえどう)と言う弘法大師・空海の像がお祀りされてるんでしょうな。

(弘法大師・空海と ご両親との石像)


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鉄ちゃん爺やが写真を撮るのに失敗作ですわ。

中央・一番奥の弘法大師・空海さんの立像が裾の部分しか写ってまへんがな。

画像の向かって左が父親の「佐伯の直(あたい)田公(たぎみ)」

氏と苗字から奈良時代の末には讃岐の地方豪族で郡司クラスだったんでしょうな。

画像の右側が母親の「玉寄り御前」で中央手前が幼少の頃の空海で
当時の名前は「佐伯の真魚(まお)」と呼ばれたそうですわ。

それでは~ まだ時間が有るので善通寺の他の所へ向かいまひょ。

(善通寺 旧第11師団の兵器庫)


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レンガ造りの建物を発見しましたで、善通寺市には戦前に陸軍第11師団という
四国四県を統括する組織がある軍都だったと聞いたことはおますんや。

今でも自衛隊が兵器庫として使っているとは驚きでんがな。

遠くに善通寺のお寺の五重塔が見えてますやろ。

(善通寺 旧第11師団の兵器庫)


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この兵器庫の前の道路を挟んだ場所は現在でも自衛隊の駐屯地でっせ。

駐屯地の後ろに写っている山が五岳山(ごがくさん)の一部でおます。

(陸上自衛隊 第15普通科連隊 正門)


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敷地内に古い兵舎が見えたので写そうとしたら自衛隊の歩哨が近づいてきました。

ヤバイので撮影はやめてレンターサイクルで退散しましたんや。

やはり任務で写真撮影をしようとする者には職務質問をするんでしょうな。

(旧陸軍 第11師団司令部之跡 石碑)


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ここ善通寺市は現在でも人口が3万3千人程度の小さい街でっしゃろ。

1896年(明治29年)に師団を設置したる理由が、わてには分かりまへんのや。

大体が陸軍の師団には県庁所在地かそれに準ずるような大きな都市が選ばれまんねん。

おそらく明治に18個在った陸軍の師団ではここ善通寺が一番小さい街でっしゃろ。

普通なら高松市の郊外に置かれてしかるべきなのに、これは大きな謎でおます。

(現在も 自衛隊の戦車が置かれてますな)


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戦車の後方に屋根だけ見えているのが旧第11師団の司令部の建物だそうですわ。

現在は「乃木館」として一般に公開されているようですが
正門の自衛隊員に尋ねたら善通寺第14旅団の広報に予約をして入場のようでんな。

「乃木館」とは旧第11師団が1898年(明治31年)に設立された時に
初代の師団長として2年7カ月赴任したのが乃木希典(当時は中将)だったそうな。

その乃木希典さんのお名前を拝借して第11師団の資料を展示しているようでっせ。

この元・司令部跡の建物も補修はされているけど明治のままのようでんな

隊員が親切に良く似た建物で、市役所の横にある旧偕行社(かいこうしゃ)なら
予約なしで見学できますよとアドバイスをもらいましたんや。

旧偕行社(かいこうしゃ)は拝観料が無料だとのこと。

そんな訳でレンターサイクルでそちらの方へ向かうことにしました。

(第11師団 善通寺の 旧偕行社)  (国の重要文化財に指定)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


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偕行社(かいこうしゃ)とは旧陸軍の将校さんの親睦と団結を図る為に
全国の師団所在地に置かれた集会所だそうでっせ。

戦後ほとんどが処分されてしまい現在まで残っているのは

旭川(第7師団)・弘前(第8師団)・金沢(第9師団)・善通寺(第11師団)

豊橋(第15師団)・岡山(第17師団)の6箇所だけになっているとか。

善通寺の旧偕行社は現在は市が保有して郷土館として一般公開してますんや。

(第11師団 善通寺の 旧偕行社 大広間)
 

photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


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この時間は見学者は、わて一人だけでしたんやけど、フローリングを掃除しながら
係りの方が見張ってましたで。

カーテンや白漆喰は重要文化財だから触ったら注意しようと思ったんでしょうな。

(第11師団 善通寺の 旧偕行社 貴賓室)


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パンフレットによれば1922年(大正11年)に第11師団で開催された
陸軍大演習に摂政の宮(後の昭和天皇)が行啓されてその際に
この部屋で宿泊されたとの記録が残っているそうです。

(第11師団 善通寺の 旧偕行社 食堂)


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現在は会議等に使用されることもあるとのこと。

全国で旧陸軍の施設が多く昔のまま残っているのはここ善通寺だけでしょうな。

香川県で戦死した英霊約37500名を祀る讃岐の宮を貼り付けておきまひょ。

(讃岐の宮  元 香川県護国神社)


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第11師団は日露戦争では旅順攻略戦・昭和の日中戦争では上海上陸作戦などで
多くの戦死者をだした四国の四県で編成された強力な師団だったそうですよ。

(讃岐の宮の横には 乃木神社まで在りました)


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善通寺では乃木大将はいまでも敬われている存在のようでっせ。

観光は善通寺のお寺しかないので善通寺市は旧第11師団関係の施設を
できるだけ保存して歴史的な文化財にしようとしているように思いましたな。

他にも警察管区学校になっている建物の一部も旧第11師団の被服庫だそうです。

小さい街なので太平洋戦争の際に空襲にも会わなかったことが幸でしたのかな。

鉄ちゃん爺やは入場料の要らない施設はできる限り見学することにしてますんや。

(併設されている 偕行社Cafe から内庭を撮影)


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そろそろ夕方が近づきましたからJR善通寺駅の方へ向かいまひょ。

レンターサイクルを返却する広場の近くで酒屋さんを発見。

(讃岐の清酒 凱陣) (琴平の丸尾本店 醸造?)


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幕末に高杉晋作も飲んだとの立札が横に添えられてまっせ。

どんなお酒なのか興味はおましたんやけどパスしました。

(善通寺境内にて自分撮り)


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(善通寺市 市役所前の大通り)


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(五岳山 ごがくさん) (善通寺のお寺の山号にもなってますよ)


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本当は五つの峰がおますんやけどカメラには二つしか入りまへんでしたわ。

それでは~ 本日の宿泊地の琴平へ向かいまひょ。

次回は琴平の町と金毘羅宮を紹介しまっさ。 

ほんなら~ 今日はこれで さいなら~