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鉄ちゃん爺やの 独り言

鉄ちゃん爺やは大阪に住んでますので
画像で隠れた関西の名所も紹介します。

鉄ちゃん爺や  「阪急うめだ」デジカメ散歩  (続編)

2012-12-15 15:28:52 | 日記
阪急うめだ本店にカメラアングルを戻して、話を続けまひょ~

11月21日にリニューアルオープンして長い工事が完了したんやそうな。

昔から大阪で一番ハイクラスの百貨店ちゅうたら、やっぱり阪急さんですわ。

わてが若い頃は三越さんが良きライバルでしたんやけど最近は
伊勢丹と組んで大阪駅にオープンしたやけどイマイチのように聞いてまっせ。

やはり伊勢丹流は関東では人気のようでっけど大阪人には嫌われてるのかしら。


(阪急うめだ本店  地下の食料品売り場)


photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


これじゃ歩くだけでも大変でっせ。

1階の方へ廻ってみまひょかな。


(阪急うめだ本店1階  ショーウインドー人形劇場)


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阪急梅田駅から続くメイン通路の百貨店側の壁面を利用して
7つのショーウイドーが設けられてまんな。

ここに人形劇を演じるコーナー1面と常設展示コーナーが6つ。


(ウインドー人形劇 開演予告の立札)


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「リサとガスパール サンタ工場へ行く」の開演が近づいて子供さんが
ウインドーの前に集まってきましたで。

わては知りまへんでしたが~  フランスで有名な絵本の主人公だそうな。

1時間ごとに約10分間の人形劇が演じられるそうで結成65年目になる
大阪の人形劇団クラルテが見せてくれるんだそうですわ。


(リサとガスパール  キャラを拡大しました)


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うさぎでもない~犬でもない、リサとガスパールが演じる楽しい人形劇のようでんな。

アニメでも若い方や子供さんには有名なんだとか聞きましたで。

メイン通路から移動して阪急オフィスタワーの方へ行ってみまひょ。


(阪急梅田ビル シャトルエレベーター)


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定員80名のデッカイのが5基も並んでまっせ。

これで15階まで一気に昇る専用のエレベーターだそうですわ。


(阪急梅田ビル 15階スカイロビー)


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ここまでは一般人も無料で出入りができるようでんな。

阪急オフィスタワーという愛称で呼ばれる41階建ての高層ビルだっせ。

16階より上へは社員証がなかったら立ち入りできまへんで。


(阪急オフィスタワービル15階から)


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前回もお話したようにこの日はあいにくの雨でしたんや。

曽根崎警察署を見下ろしてこんな感じの展望でっけど視界が悪いでんな。

泣く子も黙ると言われた曽根崎警察署も最近はレベルが落ちましたで。

夏に曽根崎警察の前からこのビルを写したのがおますから貼り付けてみまひょ。


(阪急梅田ビル 41階)  (高さ187m)


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手前の低層部が昔のデザインを残した阪急うめだ本店の百貨店でっせ。

後ろ側の15階~41階までがオフィスビルとして賃貸されているようでんな。

この阪急梅田ビルはJR大阪駅の西側に在るハービスOSAKA(190m)に
チョイ足りまへんけど梅田地区で二番目に高いビルになりましたんや。



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この画像の右手にカフェやBARもあって大阪駅前や梅田周辺を眺められる
新名所として隠れたスポットに成りつつあるようでっせ。

お天気の良い日にもう一度来ることにして下りまひょ。


(阪急うめだ本店と 連絡エスカレーター)


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このスカイロビーと阪急うめだ本店はエスカレターで繋がってるようでんな。

ほな~ 今日はこれで失礼させてもらいまっさ、さいなら~






鉄ちゃん爺や  大阪駅周辺をデジカメ散歩

2012-12-08 14:33:47 | 日記
JR大阪駅の敷地内に駅ナカ・マルシェ大阪が10月31日にオープンしましたで。

大阪駅の桜橋口にできましたんや、これでJR大阪駅の新装工事は完了しましたな。

「駅ナカ」って言ったら本来は駅改札内の店舗やと思ってましたんや。

JRさんの見解は駅の敷地内であれば改札内や改札外を問わず
エキナカと呼ぶそうでJRグループは片仮名で表記するんやそうですわ。

大阪駅の南側には大丸百貨店や阪神百貨店の「デパチカ」も横並びでおまっさかいに。

これやったら「デパチカ」と区別がつかへんような気もしまんねんけど。


(エキナカ・マルシェ大阪 シンボルマーク)


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(エキナカ・マルシェ大阪 店舗案内図)


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何せ~ 大阪初進出や 全国初のお店など合わせて82店舗がオープン。

爺やには眩しくて見るだけで十分やさかいに、デジカメ撮影だけにしましたんや。

どうも若いOLさんをターゲットにしたような雰囲気を感じましたわ。


(マルシェ大阪の 店舗)


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「駅ナカ」って知られるようになってからまだ10年チョイぐらいでっしゃろか。

昔の駅構内は「立ち食い蕎麦」か「キヨスク」のような物しかおまへんでしたな。

爺やの記憶では阪神淡路大震災の直後に阪急電鉄の十三駅(じょうそうえき)の
構内に「アズナス」ちゅうコンビニができましたんや。

これが駅ナカの始まりと違いまっしゃろかしら?

爺やが関東に単身赴任中にあちこちにでき始めたような記憶がしまんな。

爺やが埼玉県から千葉市内まで通勤していた頃に「エキュート赤羽」が完成
駅の改札内に「牛丼の吉野家」やカレーのショップができましたんや。

駅の構内に牛丼の店が出来たのは、ここと渋谷駅が最初でしたかな。

その時は珍しさもあったんやと思いまんねん。

これが平成13年3月でしたから帰宅の途中でJR埼京線に乗り換える前に
ちょこちょこ利用させてもらいましたで。

最近は東京駅の「グランスタ東京」や上野駅の「Dira 上野」や
品川駅の「エキュート品川」など首都圏でも賑わってるそうでんな。



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このマルシェ大阪(4500㎡)は「駅ナカ」としては西日本一の規模だそうでっけど
全国に雨後の筍みたいに出来ているので日本一はどこなのかわかりまへんそうな。

「駅ナカ」なのか駅構内の売店なのか区別が付かないからかもしれまへんで。

マルシェ大阪はこれぐらいにして阪急うめだ本店も新装オープンやそうなんで
そちらの方へ行きまひょ。


(JR大阪駅1階通路) (昭和の地盤沈下の痕跡)


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大阪駅の1階通路を歩いた事のある方は、なんで~ こんなに階段が多いの?

確かに登ったり降りたり不自然な階段が多いんですよな。

これは昭和の30年代に地下水の汲み上げで地盤沈下をおこした為で
駅舎の基礎部分と地下鉄の開通していた部分が取り残された結果でんねんわ。

SLが走っていた頃は砂をまかないと構内を走れないこともおましたんやで。

JR大阪駅はマルシェ大阪の完成ですっかり綺麗になったんですが基礎部分は
如何んともならず、変てこな階段が通路に残ってしまったんでんな。

地方から来た人は重い荷物を持って苦労することがおまんねんで。

大阪駅のホームも詳しく眺めたらかさ上げした部分が残ってますんや。


(阪急うめだ本店) (1階正面)


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こちらも長いことかかってましたけど今年の11月に全て完成したようでんな。

特に9階に出来た祝祭広場は今までの百貨店をイメチェンさせたましたで。

 
(阪急うめだ本店 9階の祝祭広場)


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9階から12階を吹き抜けにして、大きな広場を造ってまっせ。

画像は12階から9階を見下ろしたらこんな感じですわ。

中央で幼い女の子が指揮棒を振ってるのが見えてまっしゃろ。

ほな~ 9階の広場へ降りてみまひょ。


(阪急うめだ本店 祝祭広場)


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中央の男性がタクトを振ってスクリーンに映った楽団を指揮しているんでっせ。

男性が指揮棒を止めたら演奏も止まりますよ、子供がやっても同じ。

再び指揮棒を振り上げたら演奏が再開されるようになってますんや。

先着順で申し込めば指揮者になったような体験ができる、ちゅうことでっしゃろか。


(スクリーンに観客席が映ってまっせ)


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左側の上の方で白いジャンパーを着てデジカメを構えているのが爺やでっせ。

イベントの休憩中は観客席がスクリーンに映る仕組みになってまんな。


(祝祭広場の旗)


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この日は北海道物産大会をやってましたんや。

大阪の百貨店で北海道展をやったら何処でも大盛況になりまっせ。


(阪急うめだ本店  北海道物産大会)


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この北海道産ジャガイモは全量で何kgありまっしゃろな?  

爺やも投票しましたんやけどハズレだったようですわ。

当選者10名でこのジャガイモ山分けするんやそうな。

1500kg プラマイ100kgだとか、ヒントは教えてくれましたけどな。


(よさこいソーラン踊り)  (祝祭広場でのイベント)


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北海道は帯広市から飛行機でさきほど到着した皆さんだそうです。

観覧席へご挨拶していよいよ~ 始まりですかな。



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爺やの独断でよさこいソーラン踊りだと書き込みましたが違ってたらご免なさいや。


(十勝地方名産 各種豆類の見本)


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 (北海道物産大会 売り場)


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北海道物産大会で買い物するお客さんで通路は大混雑でんな。

実はこの日の夕方に行きつけのスナックのマスターの還暦のお祝いでしたんや。

早めに切り上げてお呼ばれに参加してきましたで。


(CHABO 還暦お祝いの宴会)


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CHABOのマスターと馴染み客4名が今年の還暦だそうですわ。

爺やと飲み友達も先輩ズラして、お祝いに駆けつけた次第。



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ほな~ 今日はこれでお仕舞いにしまひょ  さいなら~






鉄ちゃん爺や  岩間寺を訪ねる。

2012-12-01 15:48:11 | 日記
西国三十三カ所・第十二番の札所を岩間山・正法寺と言いますんや。

滋賀県は大津市の外れ岩間山(標高443m)のほぼ山頂にあるお寺なんですよ。

正法寺(しょうほうじ)と言うより岩間寺(いわまでら)と呼ぶ方が多いでっしゃろな。

交通の便が悪く普段はJR石山駅から京阪バスで中千町バス停まで行き
そこから山道を1時間ぐらい登ることになりますんや。

ところが毎月17日だけに限り、貸切バスがお寺の側まで送迎してくれはりまんねん。


(岩間寺行き 貸切バス)


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バス代が無料とは今時にしては珍しい事でっしゃろ。

まことに~ 有難いことでおまっけど。

「バス代の分はお寺さんへ お賽銭を多めに宜しく~」

バスの乗務員さんジョークとは言え、お客の笑いを誘いお上手でした。


(岩間寺 仁王さんがお出迎え)


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この日は一日中の雨でしたんやけど、バスは立つ客もいて臨時便まで出してま。

やはり17日に決めてお参りする人が多いちゅう事ですわ。

そりゃ~ バス代がタダで 山道を歩かんで済みまっさかいに納得ですわな。

山門はおまへんけど、立派な仁王さんがお出迎えしてくれはりまっせ。


(岩間寺境内の 大銀杏)


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黄葉には少し早かった(11月17日)んですが立派な大銀杏でっしゃろ。

このお寺には他にも色んな巨木や霊木が在ることで有名なんですわ。


(岩間寺の本堂) (真言宗醍醐派)


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まずは~ お参りして西国三十三カ所のご朱印を頂くとしまひょ。

ご本尊は千手観音さんなんですよ、秘仏だそうでお顔を拝見はできまへんな。


(岩間寺境内 霊木の由来を刻んだ石碑)


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奈良時代に元正天皇の病気を平癒させたと言う泰澄(たいちょう)という僧が
この地で千手観音他三尊をカツラの木で彫られたんやそうな。

元正天皇の勅願で正法寺というお寺が創建されたそうですわ。

元正天皇ちゅうのはあの奈良の大仏さんを創建した聖武天皇の叔母さまに当たり
聖武天皇が成人になるまで、中継ぎをした女性天皇さんでっせ。


(岩間寺境内の ご霊木) (桂の木)


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夫婦桂(みょうとかつら)と書いた立札がありまんな。

学問的には双幹の桂と呼ぶんだそうですわ。

第二室戸台風で倒木した幹から蘇生した現在は三代目のご霊木と言われてまんねん。

初代の桂の木から泰澄(たいちょう)大師が本尊を彫ったちゅう訳ですな。


(岩間寺境内の古池)


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(松尾芭蕉の句碑)  (芭蕉の真筆だそうです)


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「古池や 蛙飛び込む 水の音」 松尾芭蕉の一番有名な俳句でっしゃろか。

でもこの俳句は東京の清澄公園にも芭蕉が近くの深川庵に住んでいた時に詠んだと
立派な句碑が建っていたのを4年前に見ましたんやけど。

松尾芭蕉がこのお寺を訪れた事は彼の日記にも記録されているらしいでっせ。

真相は不明でっけど芭蕉さんの真筆をコピーまでして句碑を建てているからには
このお寺の古池を眺めて詠んだ俳句だとも言えるんと違いまっしゃろか。


(岩間寺境内の モミジ)


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残念ながら紅葉しているのはこの木だけでしたんや。

晴れてたら琵琶湖大橋や瀬田川と遠く比良の山々が見えるんでっけど
この雨じゃ霞んでしまって何も見えまへんがな。

琵琶湖の南半分が見下ろせる絶景なんやけどな、あきまへんわ~。


(岩間寺 ぼけ封じの幟)


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私の様に西国三十三カ所のお参りで訪れる人よりも、毎月17日には
ぼけ封じのご祈祷があるので訪れる人の方が多いようですわ。

真言密教なんでしょうな、ゴマを焚いて山伏姿の人や真言宗の僧侶が
一生懸命にお祈りをされてまっせ。

写真撮影は禁止だそうな、お姿はお見せできまへんけど。


(JR石山駅舎)


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有名な石山寺はこの駅からは3kmぐらい離れてまっせ。

ここも西国三十三カ所第十三番札所でっけど今回はパスしまっさ。

お天気やったらカメラで写すのには良いお寺でっけどこの雨ではね~


(京阪電鉄 石山坂本線) (700系 路面電車)


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石山寺にはこの電車で終点まで行くか、ここから京阪バスに乗るか、どっちかでんな。

この路面電車は昔は京都市内の京阪三条まで走ってましたんでっせ。

京都の地下鉄東西線が出来て、地下へ乗り入れが出来なくなって現在は
京都市の山科は御陵ちゅう駅で折り返しになってしまいましたんや。


(JR石山駅 橋上広場の銅像)


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松尾芭蕉はんの銅像が建ってまんな、なんでも松尾芭蕉はここ滋賀県の石山地区が
お気に入りで奥の細道の旅が終わった後に長く滞在したそうですわ。

石山寺の近くの「幻住庵」とお隣の膳所に在る義仲寺横の「無名庵」に
住んで琵琶湖や瀬田川の風景を、こよなく愛したようでんな。

お墓も「義仲寺」の木曽義仲の側に葬って欲しいと親しい門人にも語ったそうな。

義経だとか義仲とか悲劇のヒロインがお気に入りだったのかも知れまへんな。


(松尾芭蕉の銅像をズームアップ)


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奥の細道の旅が終わって5年後の1694年(元禄7年)10月松尾芭蕉は
大阪市内で亡くなってまんな。

門人たちは京都の伏見までは船でそこからは徒歩で琵琶湖畔の義仲寺に
遺体を運び遺言に従って埋葬したそうでんな。

「木曽殿と 背中合わせの 寒さかな」 (又玄作)  

この俳句は門人の一人「島崎又玄」(しまざきゆうげん)の作で
師匠の松尾芭蕉を訪ねて「無名庵」で泊まった際に詠んだとされてま。

現在は松尾芭蕉の眠る「義仲寺」境内に句碑が建てられてましたかな。


(JR新快速 223系電車)


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JR西日本さんご自慢の新快速電車は関東とは違いクロスシートやしスピードも
特急電車を追い抜くぐらいの韋駄天なんでっせ。

昔は特急雷鳥や寝台特急が追い抜かれるのが見れましたんやけど
現在は同じ外側線を走るので見れんようになりましたけど。


(大阪駅 新装後の遠景)


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実は雨の中をわざわざ遠出したんは、夕方にお馴染みさんの還暦祝いにお呼ばれし
17日と言うことから滋賀県は大津市の岩間寺まで出かけた訳でしたんや。

大阪駅まで戻ってきて梅田阪急や大阪駅の駅ナカ・マルシェ大阪がオープンしたとか
是非に見てみたいと思い早めに大阪駅へ戻ってきましたんですわ。

次回はその駅ナカ・マルシェ大阪と梅田阪急百貨店を紹介しまっせ。

ほな~ 今日はこれで失礼しまっさ さいなら~

















鉄ちゃん爺や  茶山遺跡を訪ねる。

2012-11-24 21:13:29 | 日記
茶山遺跡なんて知らんな~

わいも市教育委員会の現地説明会を見学して知りましたんや。


(産経新聞 11月22日 河内版)


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この中学校は、息子や娘も卒業したんで、よう知ってまんがな。

25年ぶりでんな誉田中学の校門を潜るのは。


(茶山遺跡 発掘調査現地見学会 会場)


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市の教育委員会が中学校の校庭を3回に分けて発掘調査をしてまんねんて~

此処はすぐ西側に古市古墳群で最大の前方後円墳がある応神天皇陵の側でっせ。


(応神天皇陵)  (全長425m) (体積では日本最大の古墳)


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航空写真によるとこんな感じの古墳でっせ、「周辺」と書かれた文字の下ぐらいが
今回の「茶山遺跡」の発掘調査現場になりまっしゃろかな。


(茶山遺跡の現地見学会に集まった人々)


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わても郷土史の一員でっさかいに質問しながら見学させて貰いましたで。

独断と偏見でわての考え方で紹介させてもらいまひょ。


(円筒棺から埋葬品が出土)


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画像の中央やや右手に泥のように見えるのは鉄製の斧と鍬だそうでっせ。

円筒棺は近くの土師の里遺跡でも多く出土してまっけど、埋葬品が出てくるのは
珍しいことで「土師氏」の埋葬方法だとの説が言われてますな。

この辺りは埴輪を作った「土師氏」が古墳時代には住んでいたようですわ。

おそらく「土師氏」の族長クラスの人物の墓だろうと考えられまんねんて。


(土師器の集積遺構) (奈良時代)


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埴輪などに使われた土師器は奈良時代にはほとんど使われなくなり
このように処分されて埋められてしまったとも考えられてますな。


(中世の井戸  室町時代)


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実は、わてらは茶山遺跡は古墳時代から奈良時代までの遺跡やと聞いてましたんや。

今回の発掘調査で中世にも使われていたことが判明したんやそうですわ。

室町時代に「誉田城」というのが文献や記録に出てきまんねんけど、これが現在まで
どこに在ったのか不明になってますんや。

今回の発掘調査は「誉田城」を発見できるかもしれないとの期待もあるそうでっせ。


(中世の地層から)


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中央やや下に埴輪の破片が挟まったままで写ってまっしゃろ。

当時は遠くから石や砂をもってきて埋めることはしまへんわな。

手っ取り早く近くの古墳を壊して整地したんでっしょろ。


(中世の石積遺構)     (室町時代)


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これがどうやら、元の古墳を潰して整地した遺構で室町時代の14世紀だとの話。

お隣の応神天皇陵から出てくる埴輪と同じものが出土しているんだそうですわ。

おそらく埴輪を多数、並べた応神天皇陵の陪塚だった可能性があるようでんな。

ここから日本で初めてだと考えられる埴輪が出てきたそうでっせ。

それが下の画像で「椅子形埴輪」だそうですわ。


(椅子形埴輪)  (おそらく5世紀頃の製造)


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わても~ あちこちで埴輪は見てまっけどこれは初めて見る形でんな。

応神天皇に仕えた位の高い人物のお墓が壊されてしまったんでっしゃろか。

次の埴輪は少しだけ出土してるけどこれも珍しい形でんな。


(冠帽形埴輪)


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(蓋形埴輪)  (きぬがさがた はにわと読むそうです)


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上の二つは私も見たことのない見事な埴輪でしたわ。

特別の人物にしか使われないような丁寧な装飾品ですわな。

葬られたのは応神天皇の重臣だった人の古墳だったんだろうと思いまんねんけど。


(市教育委員会の 担当者が説明)


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わても~ 質問してみましたが、さすがに良くご存知でしたわ。


(茶山遺跡の概要)  (第Ⅱ期発掘現場だそうです)


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奥の方に盛土が見える処が今回の発掘調査が終わったら
次の第Ⅲ期に発掘予定だそうで、何が出土するのか楽しみでもおまんな。


(茶山遺跡発掘現場から 中学校の校舎を撮影)


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フエンスの向こう側は第Ⅰ期発掘調査を終えた校庭と中学校の校舎。

ここは主に中世の井戸や庭園のような遺構が出てきたそうです。

「誉田城」の土塁や柱などが第Ⅲ期発掘調査以降に出てくるかどうかが注目でんな。


(馬形埴輪 & 水鳥形埴輪)


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(大刀形埴輪)


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(家形埴輪)


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担当者が持ち上げている埴輪の破片はおそらく1m~2mもある大型埴輪で
おそらく家形埴輪の梁の部分だと考えられるそうですわ。

これから散らばった破片を集めて昔の姿に復元するのも彼らのお仕事でっせ。

なんでも豊富で大量の埴輪の部品が出土しているので大変な作業でっしゃろな。


(粘土を採集した跡)


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2mぐらい掘っただけで古墳時代の粘土層に達するようですわ。

この粘土を使って「土師氏」の人が埴輪を作った当時の工房の跡でっしゃろな。


(古市古墳群 ウオーキングマップ)


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世界文化遺産に暫定登録されてましたんで我が町とお隣の藤井寺市が共同で
作成した写真入りの地図だっせ。

最近はこのマップを持って古市古墳群を巡る人が増えてきましたな。

我が家もこの古市古墳群の一番南のエリアにおますんや。

たまに、次の古墳への道案内などを聞かれることがおまんな。

まあ~ 世界文化遺産に登録されるとしても鉄ちゃん爺やが死んでからでっしゃろな。

宮内庁管理の天皇陵を一般開放しないと認めてもらえないと思いまんねんけど。

天皇の御陵を足で踏みにじるのは不敬だとの考えもおますわな。

天皇陵を発掘したら日本の歴史が変わるかもしれないとの考えもありますけどね。

どちらにしても~  世界文化遺産の道のりは遠いでっしゃろな。

ほな~  今日はこれでさいなら~












鉄ちゃん爺やの   正倉院展巡り   (後編)

2012-11-19 19:57:23 | 日記
正倉院展を続けさせてもらいまっさ~

前回は双六盤に双六の石を紹介しましたけど今回はサイコロだっせ。


「双六頭」(すごろくとう)   (象牙の双六用サイコロ」)


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カメラブレしてまっけどご免やで~

上段は今と変らない形が奈良時代にも使われていたようでんな。

下段は未完成品という説も有り詳しくは不明だそうですわ。

双六の駒が169枚なのにサイコロは233個も収められているそうな。

大・中・小と大きさも三種類が揃えられているようでんな。


「黄布袍」(きのぬののほう)  (麻の上着)


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「袍」(ほう)とは宮廷の公務に着用した上着で、黄色に染めた
麻布で仕立てられているそうだっせ。

元は大陸の騎馬民族の衣服に由来するとの説が有力だそうですわ。

造東大寺司の職員が作業着として使ったような名前が記載されてま。


「雑帯」(ざつたい) (組みものの帯)


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二本一組で二十数条の糸を用いて組紐として最も幅を広く作れる組み方なんだって。

佩飾具として帯に使用したようで五位以上の上級官人の礼服用と考えられるそうな。

服装令に「条帯」と記載されているのがこれだろうと言われてまんな。


「紫檀螺鈿把斑犀鞘金銀荘刀子」(したんらでんのつかはんさいのきんぎんのとうす)


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「刀子の 刀身」(とうすのとうしん)


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「刀子」(とうす)は実用の文房具で貴顯が腰帯から組紐で下げて佩用した装身具で
紙を切ったりするのに使われた物だそうですわ。

把(つか)はシタンの一木作り、螺鈿と金銀の象嵌で花枝文様を表してまんな。

螺鈿にはヤコウガイが用いられ、鞘は犀角の一部をくり抜いて先は貫通させてある。


「紫檀小架」(したんのしょうか)   (架け具)


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重い物を架けるには適してないので小画像や礼拝用の仏画などを架けたと
言う説が有力でっけど、詳しくは不明だそうですわ。

シタンで鳥居形を立てて、突起物は象牙製で作られているようですわ。


「金銅八曲長杯」(こんどうはっきょくちょうはい)  (花形のさかずき)


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鋳銅製の細長い花形のさかずきで、酒器として用いられた物ですな。

このような多曲長杯はペルシャが起原でヨーロッパや東アジアでも
広く受け入れられたそうだっせ。

異国趣味の器として日本でも珍重されたことがうかがえま。


「粉地彩絵几」(ふんじさいえのき)  (献物用の台)


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東大寺の大仏殿を始め諸堂へ献物の品を盛って仏前に供えた台やそうですわ。

ヒノキ材を使い天板は表を白く塗り淡紅色で縁取りがしてますな。


「蜜陀彩絵箱」(みつださいえのはこ)  (献物の箱)


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献物用の箱で印籠蓋造りで、お香を収めた物と考えられるそうですわ。

東大寺の大仏開眼会に献納されたむねが記載されてまんねんて~

唐草文に怪魚の頭と胴を持つ鳥と鳳凰が渦を巻くように配置されてまんな。


「紫檀金銀絵書几」(したんきんぎんえのしょき)  (書見台)


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巻子(かんす)を広げて見る書見台だとの説らしく、横にこんな写真が置かれてま。


「参考図の写真」


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仏教の経典を広げて見るとの説もあり、華奢な構造のため日々の実用に
耐えうるものじゃないとの説もあるそうでんな。


「正倉院古文書正集」(しょうそういんこもんじょせいしゅう) 第25巻


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西暦702年(大宝二年)に作成された現存する一番古い戸籍だそうでっせ。

御野国山方郡三井田里とは現在の岐阜市北部から山県市にかけて後に
三田郷と呼ばれる荘園の戸籍の巻頭部分だそうですわ。

大宝律令が制定されていたのに、浄御原令(きよみがはらりょう)により
作成された書式なんだそうで貴重な戸籍なんだって。


「碧瑠璃小尺・黄瑠璃小尺」(へきるりのしょうしゃく・きるりのしょうしゃく)


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半透明の色ガラスで作られた小さな物差しで、奈良時代の貴族が腰帯から
下げて佩飾具としてたようでんな。

拡大したらこんな目盛が入ってまんねんで。


「小尺の拡大画像」(しょうしゃくのかくだいがぞう)


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昔で云う二寸五分の目盛が刻んでまんな。

貴族がなんで~  こんな物差し常時持ってたんでっしゃろか?


「赤地鴛鴦唐草文錦大幡脚端飾」  


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(あかじおしどりからくさもんにしきのだいばんきゃくたんかざり)

難しい読み方でんな~  仏事に使う巨大な幡の脚先を飾った断片ですわ。

聖武天皇の一周忌斎会に用いられた物だそうでっせ。

全長が十数メートルに達する灌頂幡(かんじょうばん)の脚の一つやそうな。

緯糸(ぬきいと)に赤・緑・薄緑・紺・黄・白・紫の七色と
経糸(たていと)に黄赤を用いた錦で
「緯錦」(ぬきにしき)と呼ぶ織り方なんだって。


(奈良 国立博物館 館内)


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見学を終わって一階まで降りてきたらこんな感じ、やっとデジカメ撮影OKですわ。


(奈良 国立博物館の裏庭にて)


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奈良公園も紅葉が始まってまっさかいに、眺めながら帰るとしまひょ。


(正倉院展の幟)


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(奈良公園の 小鹿)


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ズームアップしたんで大きく見えまっけど子犬ぐらいの大きさでんな。

おそらく今年の春に生まれた小鹿と違いまっしゃろか?


(奈良公園の紅葉)


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(興福寺 五重塔と黄葉)


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今日(11月19日)ぐらいが見頃でっしゃろな~  

わてが奈良へ行ったのは11月8日でしたんや。

京都市内も例年より少し早めで今週から紅葉の見頃を迎えたようでっせ。

ほな~  これで正倉院展のブログを終わらせてもらいま。

さいなら~









鉄ちゃん爺やの   正倉院展巡り   (前編)

2012-11-14 21:31:27 | 日記
奈良の国立博物館で開催される正倉院展は大和路の秋を彩る風物詩でしょうな。

毎年秋に正倉院の扉を開けて点検と虫干しが行われます。

1946年(昭和21年)からこの時期を利用して正倉院展が行われてきました。

今回で第64回目となり毎年20万人を超える賑わいを見せる展示会なんですよ。


(奈良公園に立つ 正倉院展の案内板)


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毎年ながら国立博物館の前には行列ができますね、これで平日なんですよ。

建物の前だけでは行列は収まりきりませんな。



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見学者の行列は博物館前を越えて特設テントの方まで延びていますな。



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(正倉院展の入場券)   (非売品です)


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たまたま~ 入場券を頂いたもんで平日に訪れてみました。

45分待ちの立札でしたが1時間ぐらい行列に並んだ感じがしましたね。

やっと入場口まできましたよ。


「犀角杯」(さいかくのはい)  (犀の角のさかずき)


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犀の角はケラチン質なので牛や鹿の角よりは加工が容易だそうです。

国家珍宝帳に記載されている犀角杯とは形が違うとの説が濃厚です。

伝来や入庫の経緯が不明だそうで、インドや東南アジアに生息する
一角サイの角が使用されているので中国で加工された物と考えられるそうです。


「花鳥背円鏡」(かちょうはいのえんきょう) (花鳥文様の鏡)


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白銅で鋳造された大型の円形鏡、銅70.4% 錫23.5% 鉛5.5%

0.1%ぐらいの砒素が検出されているので材質から見て中国の唐で制作され
日本へ渡ってきた物と考えられています。

聖武天皇の遺愛品の一つで国家珍宝帳の記載と完全に一致しているそうです。


「漆皮箱」(しっぴばこ)   (鏡の箱)


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国家珍宝帳の記載に一致するので一つ手前の「花鳥背円鏡」を収納した箱と
考えられる。

動物の皮を木製の雄型に被せて黒漆を塗って仕上げたようです。


「螺鈿紫檀琵琶」(らでんしたんのびわ)   (弦楽器)


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国家珍宝帳には聖武天皇ご遺愛の四弦琵琶が二面記されているがその内
本品が「螺鈿紫檀琵琶」に当たるそうです。

背面がシタン製で全面にヤコウガイを用いた螺鈿にタイマイや琥珀の
象嵌によって宝相華唐草文様を表しています。

今回の64点の宝物で展示会場前半の注目される御物と言われました。


「紅牙撥鏤撥」(こうげばちるのばち)  (染め象牙の琵琶の撥)


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国家珍宝帳の「螺鈿紫檀琵琶」の行の上部に「紅牙撥鏤撥」と付箋があり
本品がそれに該当すると考えられています。

聖武天皇ご遺愛品の螺鈿紫檀琵琶に付属する撥であることが判明。


「持笠半臂」(もちがさはんぴ)  (板締め染めの胴着)


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半臂とは短い袖が付いた上衣のことで裾には欄と称する裂(きれ)が付く。

東寺唐散楽と墨書があり西暦752年(天平勝宝四年)に行われた東大寺
大仏開眼会の楽衣装であることが分かった。

散楽とは舞踊・曲芸・手品などの雑伎を意味し大仏開眼の法要のこのような
華やかな演目が演じられ儀式に集まった人々を大いに沸かせたことであろう。


「錦褥」(にしきのしとうず)   (錦のくつした)


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褥(しとうず)とは現在の靴下に当たる物で、正倉院には膝下丈の長い物の
二種類が伝わっており、一両で揃うものは二十数点、片足だけのものが
百数十点残っているそうです。

貴人が使用したものと考えられ表が錦で内面は麻布で仕立てられている。


「木画紫檀双六局」(もくがしたんのすごろくきょく)  (双六盤)


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聖武天皇ご遺愛の双六盤で国家珍宝帳にも「木画紫檀双六局一具」と記され

双六は何度も禁止令が出されたが上流貴族の世界では盛んに行われたようで
おそらく賭け事として我が国において既に広まっていたようです。

なお双六は古代エジプトに始まり、飛鳥時代には日本でも広まっていたようです。


「双六筒」(すごろくのつつ) (サイコロの振り筒)


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双六遊びでサイコロを振るのに用いる道具。

シタンの一木を用いて底を残して筒状に刳り抜き円筒形に仕上げられている。

銀製の金具を使用し金銀泥で文様が描かれている内側には銀泥が用いられている。


「緑瑠璃双六子」(みどりるりのすごろくし) (ガラスの双六の駒)


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扁平な球形をした色ガラス製の双六の駒。

日本では産出しない藍色瑠璃双六子もあり、ガラス製の双六の駒は珍しく
中国は西安市の博物館に形は違うが似たものが展示されているぐらいとか。


「瑠璃玉原料」(るりだまげんりょう)  (ガラス玉の原料)



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不規則に割られたガラスの破片で宝庫には百片近く伝わっている。

溶融したガラスを鉄板上に流し薄い餅状に固まったものを破片にしたようで
古代のガラス加工を研究する上で貴重な資料である。

将来の使用を考えて造東大寺司が保管していた物と推測される。


「雑色瑠璃」(ざっしょくるり)  (色ガラスのねじり玉)


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正倉院には数万点もの大量の玉が伝わっているが、
この雑色瑠璃は融かした単色のガラスを金属の棒に巻きつけて、丸玉を作り
まだやわらかいうちに棒を押し付けて作り出した物と考えられる。


「瑠璃杯」(るりはい)   (ガラスのさかずき)


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ワイングラスのような形状をしたこのガラス容器は今回の正倉院展では
一番人気の展示品ですよ。

これを間近で見るために館内でまたもや30分待の行列ができてますね。

コバルトブルーの部分はに西アジアから伝わったものに銀製の台座には
東アジアの文様が描かれていますね。

二十二個の円環が貼り付けられているが、この技術は当時の中国や朝鮮にはなく
おそらく西アジアで作られたガラス容器が中国か朝鮮に輸入され
台座を付けて完成させたものと推定されています。

これで64点の宝物の前半の部分が終わり私が独断と偏見で選び出しました。


「第64回 正倉院展の写真集」  (定価1200円)


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実は4年前の正倉院展の時は私のデジカメで写真撮影がOKでした。

ところが数年前から写真撮影が禁止になってしまったそうです。

仕方がないので1200円を奮発して写真集を買うハメになりましたね。

これらの画像は全て写真集から写し直したものなのでご容赦くださいませ。

長くなりますので後半の部分は次回にさせて頂きますので悪しからず。

ほな~  今回はこれで  さいなら~


鉄ちゃん爺や  伊勢の関宿をデジカメ散歩  パートⅢ

2012-11-03 15:22:06 | 日記
今回は関の小万のお話からいきまひょ~


(福蔵寺 三重県亀山市関町)


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このお寺は織田信長の三男で織田信孝の菩提寺になってまんねん。

彼は伊勢の神戸家(かんべけ)に養子に入っていたんですが兄の織田信雄により
自害させられて首だけが伊勢へ戻されたそうな
だけど神戸家から首の受取を拒否され部下がここ福蔵寺に弔ったそうですわ。。

そやけど地元では神戸信孝さんより関の小万のお墓がある方が有名なようでっせ。


(福蔵寺境内 関の小万の墓)


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小万は女性ながら亡き父の仇討ちをしたことで有名になったお方でっせ。

父親は久留米藩有馬家の剣術指南役で牧藤左衛門と呼ばれてましたが
同輩の小路元成の遺恨により殺害されたそうな。

小林軍太夫と名前を変えて亀山藩に居ることを聞き、身重の妻が敵討ちの旅に出て
ここ関町の地蔵院前で疲れから行き倒れの状態で保護されたんだそうですわ。

旅籠の山田屋の夫婦が自宅へ招き入れ看病中に生まれたのが「小万」で
母親は娘の将来と仇討ちの事を遺言して産後のひだちが悪く死んでしまいまんねん。

山田屋の娘として育てられた「小万」が15歳の頃に養父母から母親の
遺言を聞かされ代わりに自分が仇討ちをする覚悟を決めたんだそうですわ。

亀山城下の榊原権八郎の道場へ三年間の剣術を習いに通ったそうです。

女性が男性に勝てるのは「突きの一手」しかないとの教えだったようでっせ。


(福蔵寺門前の石碑)


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1783年(天明3年)亀山城大手門前で小林軍太夫を見つけ見事に
本懐を遂げたと言う仇討ちのお話が「関の小万の物語」ですわ。

やはり「小万」を裏から支えた人が関町や亀山城下に居たんでしょうな。

「小万」が仇討ちをしたのが18歳でその後はお礼奉公として旅籠の山田屋で
38歳まで努めたそうで山田屋は烈女「小万」を一目みようと泊り客で
大いに繁盛し山田屋の養父母に恩返しをしたということで、めでたしめでたし。

38歳で亡くなりここ関宿の福蔵寺に葬られたというお話ですわ。


(山田屋はその後、会津屋と名前を変えて 現在はお蕎麦の店)


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(関町 伊藤本陣跡)


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関宿には本陣が2軒(川北・伊藤)と脇本陣が2軒在ったそうでっけど
本陣はここ伊藤家に店の一部が残っているだけで残念ながら見れませんな。

ところで話、変わって「馬子唄」てご存知でっしゃろ。

ここ関町から鈴鹿峠を越えて滋賀県の方までは「鈴鹿馬子唄」がありまっせ。

「坂は照るてる鈴鹿は曇る あいの土山雨が降る」

坂は関宿のお隣にある坂下宿で鈴鹿峠を超えた処が次の土山宿だっせ。

あいの土山ちゅうのは昔、間の宿と呼んだとか言う処からでっしゃろな。

歌川広重の浮世絵でも土山は雨が降っているように描かれてまんな。

別に雨が多いわけじゃないんでっけど鈴鹿馬子唄から採ったんでっしゃろか。


(関町の マンホールの蓋)  (昔の鈴鹿郡関町時代からのデザイン)


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鈴鹿馬子唄を続けてみまひょ~♪

「坂は照るてる鈴鹿は曇る あいの土山雨が降る」

「馬がものいうた鈴鹿の坂で おさん女郎なら乗しょうというた」

「手綱片手の浮雲くらし 馬の鼻歌通り雨」

「与作想えば照る日も曇る 関の小万の涙雨」

「関の小万が亀山通い 月に雪駄が二十五足」

「馬はいんだにお主は見えぬ 関の小万がとめたやら」

「昔恋しや鈴鹿を越えりゃ 関の小万の声がする」


何となく色っぽい馬子唄でっしゃろ、実は「関の小万」は二人いてはりまっせ。

仇討ちをした「小万」は歌詞の5番目に出てくる亀山通いだけでんねん。

もう一人の「小万」は近松門左衛門の浄瑠璃に出てくる「遊女 小万」で
仇討ちの「小万」より100年ぐらい前の宝永時代のお話でんな。

与作という色男に関宿の遊女・小万をからました人情噺の人物ですわ。

だから鈴鹿馬子唄に後から仇討ちの「小万」を挟んだようでんな。


(現在の 鈴鹿峠) (峠の鏡岩から国道1号線を見下ろす)


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鈴鹿峠は旧東海道五十三次では箱根の峠に次ぐ難所ちゅうことになってまんな。

爺やが昔に通った感じではそんなに大変な峠でもないんでっけど。

確かに三重県側は急な勾配でっけど滋賀県側はだらだらと緩やかない坂道でんな。

画像はその急勾配を峠から三重県側を見下ろしたもんでっけど。

旧の東海道が通る鈴鹿峠で標高378mでっさかいに箱根とはえらい違いでっせ。


(旧の東海道 鈴鹿峠に残る 巨大な石灯篭)


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(旧の東海道 鈴鹿峠)


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私の知ってる馬子唄を 第一小節だけ書き込んで見まっさ。

「箱根八里は馬でも越すが 越すに越されぬ大井川」  箱根馬子唄

「赤城しぐれて沼田は雨よ 明日は水上・湯檜曽まで」 上州馬子唄

「小諸出てみよ浅間の山に けさも三筋の煙たつ」   小諸馬子唄


馬子唄ちゅうのは東日本がほとんどで西日本には、わてが知ってる限りは
高知県になんとかいう馬子唄がおまっけど名前を忘れましたわ。

やはり西日本は瀬戸内海を中心に船が物流の中心で東日本は山国が多く
馬や牛を使うのが江戸時代の物流なので馬子唄も東日本に多いようでんな。

鈴鹿峠は関町から滋賀県へ向かう方が急な坂道でっさかいに
滋賀県から関町へ下りてくるより馬に乗せてもらう料金が3割高かったそうでっせ。


ほな~  今日はこれで終わらしてもらいまっさ  さいなら~






















鉄ちゃん爺や  雨の北海道紀行  最終編

2012-10-21 11:15:44 | 日記
10月2日の朝は北海道は十勝川温泉で迎えました。

昨日までの雨が嘘のように晴れた北の大地が望めましたね。


(ホテルフロントに飾られていた ヒグマの剥製)


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剥製とはいっても迫力のある熊でんな。

本物は10年ぐらい前に登別と昭和新山の熊牧場で見たけどね。


(笹井ホテル  バイキング式 朝食会場)


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(北海道の道路標識)


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関西や首都圏など表日本側では道路にペイントで白線が表示されているけど
北海道では雪が積ると見えないからこんな標識になってまんな。

信州や北陸ではどうだったのか、気が付かずにいたけど。


(道東自動車道路  音更・帯広IC)


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このICから平成17年に一度だけ道東自動車道路を走ったんだけど当時は
直ぐ西側の十勝清水ICまでしか開通してなかったはず。

「不要な高速道路」とかマスコミや国会で騒いでいた記憶がおまんな。

それが昨年の秋に千歳恵庭と直接繋がったことで十勝地区と札幌地区が
約2時間ぐらいで走れるようになり便利になったようでっせ。

国道38号線の狩勝峠や国道274号線の日勝峠という難所を避けれるので
物流や観光の面で面目を一新したようでんな。

2015年(平成17年)には釧路市まで延長されると云うことですから
「不要な高速道路」の汚名を返上出来るのも近いようですな。


(道東自動車道路 十勝清水IC附近)


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前回はここまでしか出来てなかったんですわ。

地元の十勝バスだったんで意識的に利用して日勝峠の中腹にある
展望台まで連れて行ったちゅう感じでしたんや。


(道東自動車道路から 日勝峠方向を眺める)


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この先は夕張ICまで3000m~4000mの超大トンネルを含めて
ほとんどがトンネル区間で日高山脈と夕張山地を貫いていますな。

トイレ休憩は占冠(しむかっぷ)SAで1回だけでしたわ。


(占冠PAにて  ガス欠注意の表示板)


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本州の高速道路では100km以上もガソリンや軽油のスタンドが無いとは
考えられないので地方から来た人には注意を呼び掛けてまんねんな。

特にこの道東自動車道路には一つも給油する処がないちゅう訳ですわ。


(北海道土産) (六花亭 マルセイバターサンド)


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私は現役時代からお土産には必ずこの六花亭のマルセイバターサンドを買いました。

この花が描かれた包装紙が素敵でしょ。

これを描かれたのは坂本直行さんであの明治維新に活躍した坂本竜馬の
姉千鶴さんの次男に当たる方のお孫さんですよ。

だから坂本竜馬の甥っこの孫ちゅうことになりまんな。

坂本竜馬には直系の子孫は居まへんので、坂本竜馬の末裔と言われてはりま。

この六花亭は十勝の帯広に本社と工場を持ち現在では年商190億円を誇る
東京都に支店を持たないお菓子のメーカーとしては日本一の会社だそうでっせ。

その売上の約4割近くをマルセイバターサンドが占めているそうな。


(北海道土産)  (白い恋人 石屋製菓)


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わてが説明することもない北海道を代表するお土産ですわな。

大阪の吉本興業が「面白い恋人」なんてコピー商品を作って
通天閣で売っているのを訴えられたけど、あの件はどうなったんやろ?

その後に和解でもしたんでっしゃろか、聞こえてきまへんけど。


(新千歳空港にて) (B777の飛行機でんな)


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JAL2508便に乗りまんねんわ、それにしても背景の青い空が恨めしいでんな。

大阪へ帰らずにもう一度このまま北海道旅行を続けたい気分でっせ。

ほな~ これで雨の北海道紀行をお仕舞いにさせてもらいまひょ。

次回は東海道五十三次の47番目の宿場町で三重県の関宿を紹介しまっさ。

最近各地で、はやりの歴史的風景を保存する街並みを続ける処だっせ。

ほんなら~  長いことお付き合い頂き 有り難うさんでした~






鉄ちゃん爺や  雨の北海道紀行  パートⅥ

2012-10-18 21:02:17 | 日記
三国峠って言うのは日本全国に数多く在りまんねんで。

ここ北海道の三国峠は石狩・十勝・北見の三つの国を越える峠だと
バスイガイドさんは説明したけどこれは間違いです~

大雑把にはそのように見えるけど本当は石狩地方の上川郡上川町と
十勝地方の河東郡上士幌町にまたがる三国山をトンネルで抜ける峠が正解ですわ。


(三国トンネル 長さ1152m)  (標高1139m)


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同じようなのが新潟県と群馬県を越えて行く三国峠(旧道で1244m)も
三国山をトンネルで抜けているので名前のルーツが偶然ながら一緒でんな。

正真正銘の三国峠は東京都・山梨県・神奈川県を通過している峠がおまんな
ここは三国峠(さんごくとうげ)と呼ぶのが正しいそうですわ。

他に箱根の芦ノ湖スカイラインの三国峠これも静岡県と神奈川県を出たり入ったり
側に三国山があるのでこちらから付けた名前のような感じ。

余談はやめて北海道の三国峠を見てもらいまひょ。


(三国峠の標識)  (ここはもう十勝地方ですよ)


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ここから眺める大樹海と遠くに見える東大雪の山並みはやはり北海道ならでは
今日は雲が掛かっているので東大雪も裾野だけしか見えまへんけど。

この旅行で悩まされた雨が止んでやっと曇り空になりましたんや。


(三国峠の売店)


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三国トンネルを抜けて十勝側に出ると展望台が置かれ売店もありますんや。

女性軍はここの売店でソフトクリームを買ったようですわ。


(三国峠にて)


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ほんなら三国峠を下って行くことにしまひょ。


(松見大橋  長さ330m)  


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走行中のバスから写したんでボケてまっけどこんな感じでんな。

この橋が出来るまでは冬場は通行が出来なかった時代もあったそうですわ。

今でも雨量が100mmを超えたら通行止めになる難所ではありまんねんで。

この橋を降り切ると大雪山ともいよいよ、お別れになりまんな。


(東大雪山系ともこれでお別れ)


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(針葉樹林の中を走る 国道273号線)


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(旧国鉄 士幌線 音更川第五橋梁 全長109m)  (鉄道遺産に指定)


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1938年(昭和13年)に完成した鉄橋ですが1987年(昭和62年)に廃線
この附近にコンクリート製の橋梁が十数カ所残されています。

国道273号線から見えるのはこの音更川第五橋梁だけなんですよ。

観光バスも一時停車してくれる唯一の観光名所だとも言えますかな。

上士幌町がこれらの橋梁を譲渡してもらい町興しの一環として徒歩で
鉄道遺産の橋梁を巡るツアーなどもやっているそうですわ。

上士幌町のHPから2枚だけ拝借して貼り付けさせてもらいま。


(タウシュベツ川橋梁)  (上士幌町のHPから拝借)


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古代ローマの橋かと間違いそうな画像でっしゃろ。

この橋梁は戦後に出来た糠平湖ダムの為に春から10月頃までは湖底に
沈んでしまいます、これから冬の時期だけ姿を見せるそうですわ。

このタウシュベツ川橋梁が鉄道フアンには人気が出てきてるそうで
近くに糠平温泉も有るので1泊して鉄道遺産を巡るとか如何かしら。

上士幌町はそのようにPRしているようでっせ。


(タウシュベツ川橋梁) (上士幌町のHPより拝借)


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湖底に沈んでいた橋梁の上部だけが水面から顔を出したちゅう処でんな。

これは私が通過した10月1日の画像だとコメントされていましたよ。

戦前から戦後にかけて林業や道路建設に大きな役目を担った国鉄士幌線でしたが
北海道でも赤字のベスト20に入るような状況で廃線と成ってしまいました。

現在は十勝バスさんと旭川市のバス会社が細々と走っているだけのようです。

大阪からも糠平温泉に泊るツアーが時々見られますので機会があれば
私も半日コースぐらいで鉄道遺産を巡って見ようかなとも考えてまんねんけど。


(雄大な 十勝平野の眺めですよ)


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(最後の宿泊は 十勝川温泉 笹井ホテルでした)


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ここはモール温泉とか称して、ぬめりの有るお湯で日本でも珍しい温泉だそうな。

6回に分けて雨の北海道紀行を載させて貰いましたが次回は最終回とさせて頂きます。

ほな~ これで失礼させてもらいまっさ    さいなら~



鉄ちゃん爺や  雨の北海道紀行  パートⅤ

2012-10-14 19:56:24 | 日記
紋別郡遠軽町(えんがるちょう)は人口は2万2千人の町ですが
町興しの一環として「太陽の丘えんがる」という公園を造成したそうですわ。

鉄道フアンには北海道唯一のスイッチバックの駅として
JR遠軽駅は知られていますが観光には縁がなかったようでんな。

1989年(平成元年)までは名寄市へ抜ける名寄本線と旭川市から
網走市を結ぶ石北本線が合流する鉄道の要衝でしたんや。

現在は名寄本線が廃止され石北本線が遠軽駅まで遠回りしているように見えまんな。

鉄ちゃん爺やの前置きは止めて「太陽の丘 えんがる」へ行きまひょ。


(太陽の丘 虹のひろば入口)


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日本最大級のコスモス園とはやはり北海道ちゅうのはデカイ事を考えまんな。

なんでも平成15年から遠軽の町民もボランテイアでコスモスの
植え込みや手入れに協力して完成させたそうな。

1000万本のコスモス畑だとか言いますけど勘定なんか出来まへんけどね。

春は芝桜とかチューリップで観光客を呼び寄せるような感じでした。

これが無かったら我々のツアーでも遠軽町なんて立ち寄らない場所でっしゃろな。



photo by kuroda0729 from フォトフレンド for マイポケット


やはり今日は10月1日でっさかいに北海道でも黄花コスモスだけが咲いていて
色とりどりのコスモスはお目に掛かれないようでんな。

そんな訳でトラックターバスは無料で乗せてくれる大サービス。


(トラックターバスは 我ら8名で貸し切り)


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確かに広すぎて歩いて見て回るちゅうのは至難のワザでっけど。

9月中旬なら見事な風景なんでしょうな。



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遠軽町を離れる頃に雨が上がって喜んだんですがそれは少し早トチリでしたけど。

観光バスは北見市の留辺蘂町(るべしべちょう)に入って来ました。

北見市は平成の大合併で北海道で面積の一番大きな都市になったそうですわ。


(収穫された野菜でしょうかな?)


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ここは国道39号線で網走市から石北峠を越えて旭川市の方へ抜けていますよ。

この国道は明治時代に網走刑務所の囚人を動員して1年足らずで開通させたそうで
他にも国道103号線や国道333号線も同じ頃に囚人により完成させたそうですわ。

昔は囚人街道とか呼んだ時代も有ったそうでっけど、過酷な労働が続き
1000人以上の囚人が命を亡くしたとの説がおまんねんで。

その慰霊碑が国道39号線に立ってるそうでっけど実際の死亡者は不明だとかの話。

鎖に繋がれた人骨が多数出てきたとのバスガイドさんのお話しでした。


(留辺蘂町の畑  玉葱の収納コンテナ)


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何でもタマネギの生産高は北海道で1番だとか2番だとか言ってましたで。

わてと家内は8年ぐらい前にこの近くの温根湯温泉に宿泊したことが
おまんねんけどその頃はまだ常呂郡留辺蘂町でしたな。

なんせ北見市は石北峠からオホーツク海まで110kmもの長さの町で
大阪府の面積よりも少しだけ小さいけど大きな面積の市なんでっせ。

全国でも岐阜の高山・静岡の浜松・栃木の日光に次ぎ第4位の大きな面積だとか。


(北見富士 標高1291m)


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そろそろ山が近づいてきましたけどこの辺りはキタキツネが民家にまで
出没するので有名な処で
前回はその姿を発見して観光バスが一時停車のサービスをしてくれましたで。

今回は残念ながらキタキツネは見る事は出来まへんでしたけど。


(国道39号線 北見市の石北峠への入口)


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山手にくると少し黄色く色ずいているのが見えて来ましたで。

これから標高1050mの石北峠を越えようとしてまっせ。


(石北峠 6合目を通過中)


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この峠は石狩地方と北見地方を結ぶ峠なので石北峠と呼ぶそうでんな。

わては今回で3回目の石北峠越えなんで懐かしい景色を眺めましたんですわ。


(このカーブを越えたら 石北峠のサミットでんな)


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石北峠を越えて暫く走ると北海道でも有名な層雲峡に出てきまっせ。

石北峠まで止んでいた雨が山の反対側に入ったら又もや雨でんな。

でも小降りでっから観光には問題はなさそうでっけど。

ここ層雲峡は銀河の滝でトイレ休憩になりましたね。


(層雲峡  銀河の滝)


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(層雲峡 黒岳ロープウエー山麓駅舎)


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この建物は8年前に訪れた時と変わってない感じ。

黒岳は大雪山では旭岳と並んで観光客でも中腹までは登れる山でんな。


(層雲峡 もみじ谷)


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あまり観光客向きのコースじゃないんだけど散策に歩かされました。

人出の少ない紅葉を見せたいとの親心なんでしょうが今年は早過ぎましたね。


(紅葉もこれが精一杯でした)


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(クマゲラが樹木に開けた穴)


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昨日からの雨で山道がぬかるんで居るので女性軍がリタイアだそうです。

もう少し奥にもみじ滝が有るそうですが諦めてバックでんな。


(層雲峡 紅葉谷の山道)


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帰りの途中でエジ鹿の母親と子供を発見しました。

デジカメで30mぐらい先を撮影に成功。


(エゾ鹿の 母親と子鹿)


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やはり母鹿はこちらを警戒して子鹿の側から離れませんな。

奈良公園の鹿と違って野生だから近づいてはきませんよね。


(層雲峡の岩壁  霧にかすんでますな)


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(層雲峡温泉街を通過中)


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(三国峠へ向けて 国道39号線から国道273号線へ入りました)


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まだここから帯広市まで100km以上走るんですな。

最後の宿は帯広のお隣で十勝川温泉なんですよ。



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今回はここまで 次回は三国峠から上士幌の鉄道遺産を紹介します。

ほな  今日はこれで失礼しまっせ  さいなら~