Kuni Takahashi Photo Blog

フォトグラファー高橋邦典
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敬遠される記事

2009-05-10 09:50:54 | 報道写真考・たわ言
最近日本の雑誌への写真売り込みがきつくなってるなあ、と、どこにも掲載のチャンスをもらえない写真記事を抱えながら閉口していたのだが、先日ある雑誌の写真担当者とこの話題についてメールのやりとりをする機会があった。

以下のような彼の言葉を読んで、やっぱりそうか、と、半ばわかっていた事とはいえ悲しいような気持ちになる。

「日本の雑誌メディアの場合、『売れるか、売れないか』というのがネタ選びの大前提にあります。最近は特にその傾向が強まってきていて。。。(中略)。。。社会問題、特に海外の話題、民族や宗教がらみの紛争、環境問題などは『売れない』ネタとして敬遠されがちです」

まあこういう傾向は今に始まった事ではなく、社会問題のような「硬い」記事は、それで雑誌の売り上げが伸びるなどの採算の合うネタではないのでもともとあまり歓迎されるものではない。いわば金勘定よりも、「この問題は人々にとって大事なことだ」とか「国民に考えてもらう必要がある」とかいった、記事の社会的意義を理解する編集者たちの「良心」や「メディアに関わる人間としての責任感」とかによって、掲載が決まるようなものだろう。

だから、最近になって「硬い」記事がいっそう掲載されにくくなったのは、こういうこときちんと考える骨のある編集者が減ってしまったのか、それともまともな編集者がいても、営利主義の上部からの圧力が強くなって思うように記事を選ぶことができなくなったか、ということなんだろうかと思う。

この写真担当者のメールには、こんなことも書かれてあった。

「。。。いわゆる『社会派』ネタも載せますが、割合としては減ってしまいました。。。(中略)。。。『くだらない・ユルい』ネタをありがたがって載せています。たとえばオバマ。就任してしまったとたん、日本では政策面での報道はほとんどありません。あるのは夫人のファッション、そして「犬」ですから。クライスラー、GMがどうなろうと日本人は興味がないんですね。世界の経済はつながっているといいうことが見えていないんですよ」

別に僕は「軽い」ネタを否定している訳ではない。自分だっていつも硬いドキュメンタリーものばかり読んでいる訳ではないし、女の子のグラビアが載っていれば鼻の下のばして見いってしまう。

しかし、そのために伝えられるべき大切なものが犠牲になってはまずいよなあ、と思うのだ。娯楽と社会問題、両方きっちり伝えなくてはいかんでしょう。娯楽ばかりでは、人間腑抜けになってしまうし、考える力も、いざというとき闘う力も失ってしまう。日本人の国際社会に対する認識欠如や社会問題に対する無関心さも、実のところこういった「売れるものしか相手にしない」というメディアの姿勢に大きな責任があるのだと思う。

すこし前にこのブログでも紹介したメキシコからの不法移民マリアナの話だって、根本的には日本で先日おこったカルデロン一家の問題と同じなのだ。そう考えれば、彼女の話を「遠い世界の悲しい話」などと他人事で片付けていられる場合ではないと思うのだけれど。。。

そういえば、以前はこのブログに対する反応も賛否両論もっと多かったのだけれど、いつの頃からか寄せられる意見もめっきり減ってしまったようだ。雑誌に記事が売れなくなってきたように、こういう「硬い」ブログも、だんだん敬遠されるようになってきたかな。。。(苦笑)