Kuni Takahashi Photo Blog

フォトグラファー高橋邦典
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インドの街を歩いて

2008-12-13 12:45:15 | アジア
結局風邪がこじれて、2日ほど寝込むはめになった。昨日からようやく身体が楽になったが、まだ咳がでる。Tシャツで歩けた温暖なインドからいきなり雪のシカゴだもんなあ。。。

それはそうと、インドは実に面白かった。

十代の頃から行きたいと憧れていた国だったので、いわば夢が叶ったともいえるが、正直なところ密かに期待していたほど喧噪と混沌に惑わされる事はなかった。やはり齢40もすぎ、すでにいろいろなものを見すぎたか。。。これが20代の頃だったら、もっと強烈なカルチャー・ショックを受けたのだろうな、とも思う。

アッサムでは少数民族の分離主義者グループの軍事キャンプを、カルカッタではスラムを取材してきたが、それとは別にデリーやカルカッタの市内を歩きながら、つくづくここはあらゆるものが混在して成り立っている国だなあと実感。至る所でつきまとってくる物乞いたち、徘徊する野犬に路地裏から大通りまで気ままに歩く牛、ホーンを鳴らし続け歩行者などおかまいなしに強引にすり抜けていくバイクに自転車、リキシャにオート3輪。。。動くものがすべておなじ空間を共有して入り交じっている。さらに少し広い道路では、像の姿までも見かけるほどだ。

貧富の差も極端に激しい。近年開発の激しいムンバイやカルカッタなど都市部では裕福層がさらなる富を蓄え、貧民との格差を一層広げている。

しかし、スラムなどの貧困層と接しているうち、彼らの態度がアフリカなど他地域の貧民達と少し違っている事に気づかされた。

インドの貧民達は、あきらめというべきか、彼らの経済状況をそれなりに受け入れて生活しているようなのだ。不満がないとはいわないだろうが、アフリカなどの貧困層と違って、「俺たちは経済発展の恩恵を受けていない」とか「金持ちの犠牲になっている」とかいうような被害者意識や不平等感などを彼らは口にしなかった。

これはやはりカースト制が原因なのだろうか。法的にはすでに撤廃されているとはいえ、カーストというのは現在も人々の意識の中に根強く残っている。それで下位カーストである貧民達も、貧乏なのは自らの運命だとそれを許容しているふしがある。

そのために、端から見るとこれだけの貧富の格差があるにも関わらず、大きな摩擦がおこる事もなく清濁ひとまとめなった社会がそれなりにうまく機能しているように見えるわけだ。これは国を統治する政府や権力者たちとってまことに都合にいい仕組みである。

しかし、いくらカーストが人々の生活に根付いているとはいえ、近代化が進み、 西洋の価値観が浸透していくにつれて、それに伴う変化は避けられないだろう。実際に僕が接した20代の若者達の多くは、結婚相手のことなどにしても、すでにカーストなどあまり気にしないと言っていた。

そう考えると、そう遠くない将来、市民達がリベラルになり貧困層達がカーストの呪縛から解き放たれたとき、この国に大きな転換期が訪れるかもしれない。経済的、社会的平等を求めて立ち上がった貧困層による武力行動で、国内が混乱に陥る事も考えられないことではないからだ。

なんだか硬い話になってしまったが、とりあえずはこのインドという国、僕の肌に合い、おおいに楽しめた。聖地バナラスをはじめ、行きたかったがかなわなかった場所もまだまだ多いので、近いうちにまた訪れる事ができればと思う。