Kuni Takahashi Photo Blog

フォトグラファー高橋邦典
English: http://www.kunitakahashi.com/blog

「真似る」写真

2008-03-05 03:03:53 | 報道写真考・たわ言
コメント欄で、Qサカマキさんと僕の写真のいくつかが酷似しており、どちらかが「真似ている」と糾弾されているようだ。別に僕にとってはこんなことはどうでもいいことなのだが、興味がある人もいるだろうから、一応撮影の現場の状況を説明しておきたい。

コメントの返事にも書いたように、紛争地の現場ではカメラマン2-3人がチームになって取材をすることは少なくない。これは、単独行動をするよりも、暴徒に襲われる確立を減らすことができるし、いざというときにお互い助け合うことができるからだ。また、取材にかかる経費が保障されていないフリーランスのカメラマンであれば、ドライバーや通訳を共有することにより、経費を折半できる利点もある。

ちょっとニュース価値の大きな現場になると、国内外から大勢のカメラマンが集まってくる。アメリカから距離の近いハイチなどそのいい例で、2004年の暴動のときなど、市内のホテルはみなジャーナリストで一杯になっている状態だった。

ハイチの首都ポルトープランスなど、それほど大きな町ではない、暴動やデモがおこれば、何十人ものカメラマンたちは自然とみな鉢合わせになるわけだ。暴動の中で、誰かが派手な行動にでたりすると、その人間を撮ろうをカメラマンがワッとその被写体に集まってくる。みな一番いいアングルで撮るために必死なので、お互い肘を使っての押し合いへし合いになることも珍しくない。カメラマン同士の視点が似ていて、同じアングルを狙おうとすれば、それはなおさらのことだ。

これが例えば死体が路上に横たわっているような、同じ状況がある程度一定して続くような場面であれば(死体が動き出して位置が変わるということはないので)、一人のカメラマンが撮ったあとにその場所を譲って他のカメラマンに撮らせる、ということもあるのだが、緊迫した暴動などではそうはいかない。そのときの「一瞬」を撮らなければ、もうその場面はやってこない。

僕はハイチとリベリアでQさんとチームを組んで行動していた。Qさんとは1992年にハイチで知り合ってから、もう15年以上の付き合いになる。お互い経験のあるカメラマン同士で信頼できるし、僕は新聞社、彼はマガジンがクライアントなので、競争の心配もそれほどない。しかし、同業である以上、やはり現場での被写体に対する視点とかアングルが似ることは避けられない。特に被写体がひとつしかないときは、Qさんとさえも押し合いのバトルになることもある。ハイチで撮った写真の多くは、僕とQさん以外にも、他のカメラマンたちが大勢いたので、同じ被写体を撮った似たような写真がいくつも存在するはずだ。今回の場合、たまたま僕らは日本人で日本の媒体で写真を発表したから、僕ら2人の写真が比べられたに過ぎない。

僕は残念ながら取材に行くことができなかったが、2年前のイスラエルのレバノン侵攻のときも、多数のカメラマンが押し寄せ、ニューヨーク・タイムズやLAタイムス、AP通信などを含めて、撮ったカメラマンは違うのに同じような写真がいたるところで掲載されていたが、こんなことは、大きなニュースであればあるほど避けられないことなのだ。

以上がハイチに関する写真についての現場からの説明だが、写真を「真似る」ということについてさらに言及しておこう。

日常の現場でも、他のカメラマンが撮っているアングルをみて、ああ面白いな、とその撮り方を「真似て」撮ることは時々あることだ。これは僕自身にも経験があるし、特に学生のころや駆け出しの頃は、そうやって他のカメラマンから学んでいくことになる。やはり僕も自分独自の写真を撮りたいという気持ちは持っているので、そう頻繁にあることではないが、今でも時にはそのように他人の撮り方を「真似る」こともあるし、逆に僕の撮り方をみて、他のカメラマンが同じ角度に寄ってくることもある。

こういう撮り方がきらいなら、それを批判することは読者の自由だし、僕にはどうでもいいことだ。ただ、仮に同じ現場で誰かが他のカメラマンの写真の撮り方を「真似た」からといって、虚構の場面をつくりあげる「やらせ」などとは違って報道の本質に関わることでもないし、特に目くじらをたてるほどのこともないのにとは思うのだけれど。。。